はじめに よんでください

タチコマ問題

Tchikoma's Philosophical Problems

解説:池田光穂

『攻殻機動隊』に登場する《思考戦車》タチコマは、人工知能(AI)や「思考する身 体」についての広範な議論をおこなう素材を数多く有してい る。これらの議論をまとめてここでは「「タチコマ問題」(Tchikoma's Philosophical Problem)ととりあえず呼んでおこう。

当該の物語におけるタチコマの「進化」のストーリーを押さえておくと次のようなことになる。

戦闘機械(道具)としての戦車やその機動性を増したアームド・スーツ(ガンダムを想起されたい)は、文字通り兵士をつつみ兵士の命を守る殻 (シェル)であるとともに、外界の敵に対しては高度な殺傷能力をもつ武器そのものでもある。

このような戦闘機械のなかに包み込まれた兵士は、もともと戦闘機械が「それ自 体によって in se, per si, eo ipso」認知機能をもつ殺戮機械として機能することが期待されていた。戦車やアームドスーツは、それだけでは無能(=無脳)とされ、戦闘することを好 み・戦闘のイデオロギーを保持し・最後まで闘う意志をもつよく訓練された兵士を必要とする。ここでの兵士は、意思をもち高度な認知と思考機能をもつ脳とし て機能する。

殻に囲まれた兵士[たち]のハイブリッドは、それ自体でスタンドアローンの戦闘マシンであるが、同時に自律的に判断し、戦闘する能力も与えられ ている。他方、殻に潜り込む前の兵士たちはよく訓練され、また戦闘を正当化するイデオロギーをたたき込まれており、また司令部から定期的に具体的に戦闘す るための情報が給備されるために、彼らはネットワーク的存在でもある。

もともと戦車という殻に取り込まれた兵士はサイボーグ化のはじまり、あるいは兵士は戦車の寄生器官であった。ガンダムシリーズの後期の物語やエ ヴァンゲリヲンには、このようなハイブリッド化が進むようになる——奇妙なことにこれらはハイブリッド化の物語の進化の果てに位置づけられるが、同時に鑑 賞していると、着ぐるみの円谷特撮の怪獣やウルトラマンをみるような日常的身体感覚に捕らわれる(実相寺昭雄が撮る、ちゃぶ台のダンとメトロン星人の対話 を想起せよ「ウルトラセブン第8話」)。

レイバーあるいはパトレイバーの世界も、高度にAI化しているが、まだ人間という寄生器官抜きには独自性をもたない。

しかしタチコマは、最後に自らを犠牲にして招慰難民を核ミサイルからの攻撃を食い止めるが、その物語のはるか以前から、自らの考える能力を有し ている兆しを物語のなかで存分に発揮する存在である。

その証拠あるいは舞台仕掛けは、バトーがタチコマに与える天然オイルやタチコマたちの個性の自己発見というエピソードのなかに現れている。もっ とも、この種の映像は映画『ブレイドランナー』で意思や感情をもつレプリカントやヴォイカンプテスト、あるいは[父なる]中国人技術者へ復讐シーンなどか ら、我々に移る攻殻機動隊のタチコマは十分デジャブ(既視経験)なのであるが。

タチコマを思考させる源泉は「広大なネット」(草薙やバトーのクリシェ)なのだが、同時に、タチコマが固有の身体をもつことは重要あるいは不可 欠なのである。

完全義体化する素子が個性をもつのは、彼女がかつて身体をもっていたからにほかならず、その痕跡を手がかりにして「立派な義体使い」になり、ま た新たに得た義体をさまざまに使いこなして「自らのもの」にしているからである。タチコマと同様、素子もまた思考するためには身体が不可欠なのである。

草薙素子の声優である田中敦子さんは、天然オイルを与えたりする優しい父役バトーに比べて草薙少佐がなぜタチコマに冷たいのかというインタビュ アーの質問に答えて、素子は娘であるタチコマの母親がライバルになり厳しく当たるようにバトーとは対照的に冷たい役割を任じているからだろうと述べている (『しょく〜ん』Human side, 右開き31-32ページ、2008年)。田中説ではタチコマのジェンダーは女性である(タチコマの台詞は少年言葉だが声優は玉川紗己子さんが担当)。

いずれにせよ、タチコマはS.A.C. 2nd GIG の第26話(シリーズ最終回)「憂国への帰還」において、自分[たち]の死つまり身体性の喪失を想像し、それを別の価値と「交換」するための実践をおこな うという、AI的「跳躍」——それがどうして可能になるかという手がかりはあるが決定的説明は[今西錦司進化論同様]ない——がある。この跳躍は、論理的 な説明というよりも、古代ギリシャからの伝統の産物であるデウス・エクス・マシーナ(deus ex machina)そのものである。

タチコマ問題とは、戦闘機械に寄生する思考脳という器官が、身体をもつという感覚や意識を「再び」取り戻し、それ(寄生脳)を機械(身体)無し では存在することが認識する過程に関する諸問題の体系であるということを、以上の議論から(ある程度)推測することができる。

関連連結先 [related links]

参考文献

  1. Margulis, Lynn 『細胞の共生進化』永井進・監訳(上・下巻)原著第2版、学会出版センター、2002-2004年
  2. ジェイムズ・ティプトリ・ジュニア「接続された女」『愛はさだめ、さだめは死』浅倉久志訳(書籍は伊藤典夫との分担訳)、早川SF文庫、 早川書房、1987年
  3. 樹思社編『攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX TACHIKOMA'S ALL MEMORY しょく〜ん』樹思社、2008年
  4. 巽孝之編『サイボーグ・フェミニズム(増補版)』巽孝之・小谷真理訳、水声社、2001年
  5. 櫻井圭記『フィロソフィア・ロボティカ:人間に近づくロボットに近づく人間』毎日コミュニケーションズ、2007年
  6. Heinrich von Kleist, Uber das Marionettentheater, 「操り人形芝居について」(1810)

献辞

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