大学教育のためのPBL入門
Problem-based
Learning, PBL for undergraduate students
講演の結論:理解するだけでは不十分だ、やってみることが大切だ!「大学教育のためのPBL入門」のPBLとは「問題にもとづく学習」のことです。
「昔、図書室や百科事典が無い時、学校の生徒は先生や大人、あるいは物知りのおばあさん、おじいさんが頼りでした。今は、図書室や子供用の百科 事典があります。そしてコンピューターやインターネットがあります。大事なことは、物事を知るということは、単に知識を頭のなかに詰め込むだけでなく、ど こにその知識の在処があるのかということ。そして、憶えるということは、憶えた時の動作や場所にも関係するということです。どこに、その知識があるか、誰 がその知識を知っているのか、私たちの身体を使ってよく探すことです。このような見方によれば、身体(からだ)は知識をさがす道具であると同時に、知識そ のものなのです」[出典:いけだみつほ「べんきょうするとは?」]。
===
1.私から子どもへのメッセージ
(i)知識を仕入れるだけが能じゃない。使ってみてナンボ、つまり、そうして初めて知識の本領が発揮される。
(ii)我々がある知識を学ぶのは、現場で使われたり、応用発展されるためであり、知識のために知識があるのではない。
(iii)〈理解にもとづく理論〉と〈応用にもとづく実践〉とは、そもそも根っこは深く繋がっているものであり、あたかも別々ように取り 扱ってはならない
2.私から皆さんへのメッセージ
(1)大学・大学院において〈理解にもとづく理論〉と〈応用にもとづく実践〉は、いかに教授されるべきか?
(2)〈理解にもとづく理論〉と〈応用にもとづく実践〉の順序や配分の方法はいかにするか?
(3)大学・大学院で学んだ〈理解にもとづく理論〉と〈応用にもとづく実践〉が身についたということをどのような観点から判別することがで き、また組織教育の効果と本人の努力による成果をどのように峻別するのか?
3.問題にもとづく学習:定義と起源
Problem-Based Learningの頭文字略語(=アクロニム)
反対語は系統的学習(systematic Learning)
1969年カナダのマックマスター大学のハワード・バロッズが嚆矢(と言われる)
「具体的な問題提示が学習者をして勉学せしめる」という学習観
SGL・SDL・PBLの3セットメニュー[後述]
4.問題にもとづく学習:その思想と機能
PBLは問題にとりくむ学習そのもの(=行為)で、学習者(=主体)や、その学習場所(=環境)などを包括する概念である。
知識を習得しようとする直前には、学習者は問題認識がある。
学習者には(学習をする)知的な文脈すなわちPBLが与えられているはずだ。
問題の自覚と問題解決の実践は切り離せない。
5.小グループ学習(SGL)
SGLはSmall Group Learning のアクロニム(=頭文字略語)
6±1がゴールデンナンバーズ
(George Miller, 1956, Phychological Review 誌では、記憶の単位=チャンクとして7±2を マジックナンバーとしている)
ただし、クロス・オーバー・グループと言って、ひとつのグループの員数が全体の総数の平方根になるような産出方法がある。これだと、
30名=5.47、40名=6.32、50名=7.07、60名=7.70、となる(ロンドン大学1982:127)
このグループごとに1名のチューターがつく
グループはチュートリアルという指令書から解くべき問題を探究してゆく
チューターの介入は最小限で、学習の強度やスケジュールはすべてグループの裁量に委ねる。
6.自発的学習(SDL)
SDLは Self-Directed Learning のアクロニム
SDLは自己中心主義のことではなく、学習の自己管理や主体性の尊重のこと。
SDLはSGL(小グループ学習)における協調性・協働性・相乗性[シナジー]に欠かせない資質でもある。
SDLは、学習におけるTQC(Total Quality Control)あるいはQCを動かす「エンジン」のようなもの。
7.問題にもとづく質問?:トースターの修理
「ここに故障したトースターがあります、これを直してください。でなければ、少しばかり要求を譲歩して、ちょっとでも使えるようにしてくだ さい」
8.問題にもとづく質問?:ゲロ吐き少年
ネバダ大学医学校PBLのチュートリアル・ケース『ゲロ吐き少年!のケース』では、11項目の情報が盛り込まれているが、最初の解説は 「1.ランディ・ミルバーンは10歳の男性で、母親に連れられて君のオフィスにやってきたが、彼は虚弱、喉の渇き、そして継続する嘔吐発作を訴えている」 という一文のみ
9.チュートリアルの意味
(a)チューターを利用する少人数教育の形式
(b)文書や画像、データなどから構成されるチュートリアルという資料体を使うようなケーススタディ
(c)チュートリアルを用いてかつチューターが授業に参加するPBLのスタイルからの連想されるPBLの同義語
10.PBLにおける人間観
現実の具体的な問題に直面し、それに格闘しながら解法をもとめてゆくのは人間の根本的活動である。
11.現代実践家の資質
(1)つねに実践の現場におり、人びとの幸福を願いつつ、そのための情報収集に勤しみ、かつ科学の知識に精通し、前向きに学習しつづける。
(2)多くの実践の現場はチームで動くことを要求するので、個人がもつ技量をより適切にチーム全体の資質の向上に振り向けるコミュニケー ション能力が必要。
(3)チームの一員であるがプライバシーも持ち人間として円熟するために自己反省能力が不可欠。
12.PBLの弱点
1.チューターなどのマンパワーが必要:PBLの教育現場はかなり労働集約的。
2.学習者へのプレッシャーは弱い:学習集団に対して平均的な学習効果の予想が困難。
3.学習者がもっている価値観や文化的背景がグループ学習の形成や運営にどのような効果を及ぼすかが不透明:質の高いチュートリアルの開発 が急務。(→チューターの問題、あるいは学習者の現場力形成)
13.PBL誕生の社会的背景
(1)医学校[大学院]における臨床医学教育が徹底しておこなわれていた。
(2)教育において認知心理学の知見が導入されはじめ行動科学的修正という技法が生まれる。
(3)社会科学での事例研究から、それをビジネスレベルで応用し経営システムを洗練した形で教授するビジネススクール大学院が生まれ、社会 的影響力をもちはじめていた。
14.PBLに関連する医学教育改革
PBL
複数選択問題形式(Multiple Choice Question,MCQ)
客観的構造化臨床試験(Objective StructuredClinical Examination, OSCE)
臓器系統別統合カリキュラム
15.「知識と実践」の悩み
先端技術(バイオ・ナノ・サスティナビリティ御三家)に関する知識量の爆発的増加
「最先端領域への研究費の重点配分」という研究トレンドの人為的操作がもたらした「勝ち組」の登場
研究における不正がもたらした内部者へのモラルハザードと学問の社会的威信の後退
インパクトファクターによるラットレース化
大学のCSR(組織の社会的責任)や社会へのアウトリーチという名で語られる研究活動の「営業化」。
このような状況では「系統的学習」だけでは、学生・院生のパワーを最大限に引き出せない!!!
16.PBL派内部の分裂
(1)大学・大学院教育をPBL中心におこなうべきだと考える根本派ないしは原理主義者(radicalfundamentals)
(2)PBLに多くの可能性を信じながら従来の古典的系統学習も併存すべきと考える折衷派ないしは妥協派(eclectics)
(3)PBLの学習への改善効果に懐疑し、PBLの導入に異議をとなえる反対派ないしは保守派(oppositionists- conservatives)
17.系統的学習とは?
これまで我々が大学で親しんできた学問の学び方
概論、各論、演習、実験の有機的連関と体系を想定
実践に対する理論の優位性
応用学習の前に、基礎学習が学ばれる時間的秩序
知識の再生産構造が、知識の権威構造と相同関係
知識の累積的発展観:「迷信から科学へ」
18.福音としてのPBL
理論は実践状況において学ばれる必要がある(理論/実践を二分化してみない)
基礎は応用の現場で学ばれてこそ身に付く(基礎と応用の知的分業作業の否定)
知識は外在化される必要があるが、知識を使うためには、網羅的な学習をおこなう必要はなく、ケースに応じた正確な知識が、適当な知的リソー スにアクセスすることを通し、使えるようになればよい。
知識の調達たる学習は、教師と学生の権威主義的な構造においてのみ可能になるのではなく、さまざまな知識理解が可能である。
19.PBL理念の顛末
PBLの誕生と社会的センセーショナリズム
PBL反対派の登場と系統学習派の擁護の論陣
反対(反動)派の圧力が(i)一方でPBL原理主義を生むが、(ii)他方穏健なPBL擁護派は折衷主義により制度内改革で生き残ろうとす る
PBL以外の系統的学習内における制度改革がおこる(コミュニケーション教育、基礎学力運動、学習効率改善派)
「(原理派)PBLはもう死んでいる」
20.方法死すとも理念は死なず
主張(1):永続的な自己教育サイボーグになりなさい。
主張(2):人間関係調整能力としてコミュニケーション力を陶冶しなさい。
主張(3):永続的学習を通してプロフェッショナリズムを内面化しなさい
以上はPBLが前提としていた〈理想的な学習者像〉であるが、この理想は我々が学習者に抱く〈幻想〉でもある。なぜなら、学習者として我々 がそうか?と自問すればよい。
21.現実は厳しい
反論(1):人間はそこまで根性ないし高潔さを維持し続けるのも限界があるだろう。だから、この自己教育サイボーグ化には一定の限度・限界 がある。
反論(2):コミュニケーション能力は狡猾に生きるためにも使われており、[宗教実践化でない限り]その有用性を否定するわけにはいかな い。つまりコミュニケーション能力は多様に使われ、人間関係調整力はその一部の行使にすぎぬ。
反論(3):市民社会ではプロフェッショナリズムは自己管理されるが、また外部の権力によって制御される必要があることは常識。プロフェッ ショナルの正義感やオートノミーを信じる人はもはや誰もいないぞ!
22.それでもなおPBL万歳!
系統的学習派とPBL原理派のバトルによりPBL折衷派が生き残った
重要なことはこれである。ある歴史的経験という舞台のなかで芝居を再演する際に、前任の役者の失敗を繰り返さず、よい演技は積極的に模倣し て、そして最後はその演技そのものを自家薬籠中のものにすることである。
そのためには有名なボードゲーム(例えば『人生ゲーム』)などの双六にみられる「振り出しに戻る」という命令を実行することである(「他者 の経験から学ぶ」)。
23.振り出しに戻る
結論:理解するだけでは不十分だ、やってみることが大切だ!
文献
フルペーパーはこちらです:ものづくり・創造性教育のためのPBL入門
リンク集
オリジナルクレジット「工学部教育のためのPBL入門:医学教育の先行事例から学ぶ(宇都宮大 学工学部・御用達記念版)」2009年
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1997-2099