個人の自己決定
self-determination
by individual
解説:池田光穂
★まず個人の自己決定権について
自分の生き方について自分自身で自由にする権利があるという考え方を「自己決定」という。J・S・ミルは「他人に迷惑をかけない限り人間は何を しても自由である」と主張した。自己決定はこの考え方に由来する。同じ自己決定でも「自己決定に関する諸国民の権利」とは若干異なる。
「ミルの『自由について』(1859年)
は、社会が個人に対して合法的に行使できる権力の性質と限界について述べている。ミルの考えは、民主主義社会が自由
の原則に従っている場合にのみ、その政治的・社会的制度は、国民が進歩的存在として人々の永続的な利益を実現できるように国民性を形成するという役割を果
たすことができるというものである(Rawls, Lectures on the History of Political
Philosophy; p
289)。/ミルは自由の原理を次のように述べている:「人類が、個人としてであれ集団としてであれ、その数のうちの誰かの行動の自由に干渉することを正
当化される唯一の目的は、自己防衛である」。「文明社会の成員に対して、その意思に反して権力を正当に行使できる唯一の目的は、他者への危害を防止するこ
とである。彼自身の利益は、物理的であれ道徳的であれ、十分な保証にはならない」[Mill, John Stuart. [1859] 1863.
On Liberty. Ticknor and Fields. p.
23.]。/ミルの『自由の原理』を公的理性の原理として読む一つの方法は、立法において、あるいは世論の道徳的強制を導く上で、ある種の理由が考慮され
ることを排除していると見ることである。(ロールズ『政治哲学史講義』291頁)。これらの理由には、他人の善に基づく理由、卓越性や人間的完成の理想に
基づく理由、嫌悪や嫌悪感、嗜好に基づく理由が含まれる」(→「ジョン・スチュアート・ミル」)。
自己決定と対極にある考え方をパターナリズム(父権主義)という。パターリズ ムは、自己の決定能力を不問にして、外部からの介入を最優先することを正当化するからである。
★つぎに自己決定のできる個人の集合体としての民族や国民の自己決定権について(よりくわしくは→「自己決定に関する諸国民の権利」)
レーニンの「自己決定に関する諸国民の権
利」(スペイン語:El derecho de las naciones a la autodeterminación,
1914)は、ながく、日本のナショナリストと社会主義/共産主義者の誤訳により「民族自決権」と訳されてきたが、この民族と
は、国民解放戦線(National Liberation
Front)の誤訳である民族解放戦線とともに「国民=ネーション」のことである。また、この表題にみるように、もともとは、集団としての共同体成員であ
る国民による自己決定権のことであり、個人の自己決定権のことではない。ただし、個人によ
る自己決定は、「他人に迷惑をかけない限り人間は何をしても自由 である」J.S.
ミル『自由論』から由来する考え方は、行動の自己決定に主眼が置かれる
のに対して、レーニンの自己決定は、未だ集団的権利を与えられていない「ある国民=ネーション」の集団的諸権利、とりわけ自分たちを統治する権能としての
国家機能の獲得を意味しているように思われる。
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