高度教養教育を必修で縛ることは愚の骨頂である!
Super-Idiot
is you who think that libral arts education for graduate students
should be required!
「高度教養教育は、とてもいいことだから必修すればいいじゃないか?!」——もし皆さん方、教師がこうおもっていたら、それはとんでもない愚の 骨頂です。つまり、大学院生向けの高度教養教育が、彼女/彼らにとってす ばらしいものなので、それを必修にすべきだ(単位を落とし続けているかぎり修了できない)という考えは、百害あって一利なきことをここで述べたいと思いま す。
高度教養教育とは、一定の専門知識を身につけ、(職業人あるいは研究者として)社会にまもなく出て行く学生に対して、専門教育以外に必要とされ る知識や能力(→高度汎用力)を与える教育のことであ るが、それらは、教養人についての由緒正しい定義により自らの自己決定により、すすんでその教育の門を叩くことを要求されているからである。そして、それ は義務ではなくて、あくまでも権利である。それゆえに、僕は、高度教養教育を必 修で縛ることは愚の骨頂と言っている。
授業は、顧客(=受講学生)を確保するために、よりよい教育の充実のためには、マーケティングの思想が重要になる。だが、市場や顧客の動向の変 化のため、マーケティングの理論もまた不変ではない。クリストファー・ロックは『ゴンゾー・マーケティング』のなかで、これまでのマーケティングの基本は 「あなたのお金がほしい」というものから転換して(商品やサービスを提供するものは)「あなたたちと同じことに興味をもっています」と変わらないとならな いと主張している。
大学の授業もまた、これまでの「あなたたちは私の授業を受けてほしい/受けるべきだ」という古典的マーケティングの原則から脱却して、教師集団 もまた新しいセンスに基づいて「あなたたちと同じことに興味をもっています」つまり「一緒に興味あることを学んでいきましょう」という姿勢がないとならな いだろう。なぜなら、それが、良識ある学生が教師にもってもらい態度だからだ。もし教師が古典的な態度で「学生はツベコベ言わずにコレコレを学ぶべし」と 強圧的な態度きたら、学生は「授業料」をかえせというだろう。勉強をしたい学生の自由意思こそが、授業を改善するのだということを忘れてはならない。
では、どうすれば我々は意識改革をすべきか?それは、既述のように「学生を顧客として」考えるのみならず、「学生を顧客として」扱うことにあ る。(このルーブリックを君のところに相談にきた学生と共にうめ てほしい)
学生が在学中に実現したい進歩とはなにか? |
学生が現在直面している「苦労や苦境」とは
何か? |
学生が在学中に(あるいは現在)実現したい進
歩を妨げている要因は何か? |
学生は不完全な解決策で満足していないか/
あるいはそう強いられていないか? |
学生にとって、よりよい解決法とはなにか?
またそれを我々スタッフはどのように評価しているか? |
学生にとって最善の解決法を採用するため
に、犠牲(=トレードオフ)にしてもよいものは何か? |
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