On the Book that provocates me to
imagine my own moral and ethics
僕にとっての倫理の書について……
可児弘明(かに・ひろあき)『近代中国の苦力と「豬花」』岩波書店、1979年、の本を思いだす。香港の公文書館にある、域外に出る男性肉体労 働者クリーと、売春婦や妾である「豬花(ちょうか、チュー・ファー)」に関する文書の分析だが、そこから見えてくる、彼らの送出と受け入れの実態、出先で の労苦などを、歴史的文書の中から読み解こうとするものだったと記憶する。非常に分かり難い本で、また、行政文書には、「独自の読解」技法が必要なので、 キチンと読めた記憶がないが、当時、理学部から医学研究科を渡り歩いた僕にとってはまさに「倫理の書」であったことには変わりない。そして、その思いは今 も変わらない。
だから、僕が初めて編集した移民の本(→『コンフリクトと移民:新しい研究の射程』)には、絶 対にこの本をどこかに引用あるいは記載するんだという当時、強い責務のようなものを感じたような気がする。
横田祥子と原めぐみ(2017)の下記の文書に出会って、可児の本がそのようなものとして、私の移民研究の中に実は深く影を落としていること を、再自覚した次第である。
「看護や介護などを担う再生産労働者の東南アジア諸国からの移動は、今日の国際的な労働力移動の潮流のl つであるが、歴史的には中国から東南アジアへの再生産労働者が 先であった。それは「阿媽(amah)」や「豬花(zyu faa)」や「妹仔(moi tsai)」と呼ばれる女性たちである。阿媽は、20世紀初頭から1930年代にかけて中国広東省から香港、シンガボール、マラヤへと移住し、使用人とし て調理、掃除、子どもの世話などの仕事をした(Gaw 1988; DeBernardi 2011) 。/一方、「豬花(チュー・ファー)」や「妹仔(メイ・ツァイ)」は、20世紀初頭まで広東や香港にて、夫や親に質に入れられ、そのまま妾や娼妓、奴隷と して売られた女性や女児である。彼女たちはシンガポールやマラヤ、フィリピン、ジャワなどへも売られていった。幼い妹仔は、主人と同居し家事労働に従事 し、しばしば虐待を受けるなど奴隷状態にあった(可児1979ヲ293-32 1)。阿媽(アー・マー)や妹仔のような血縁関係のない女性が、他者として家庭内に住み続けることは、東南アジアの中国系移民の家庭では文化的伝統として 定着していき、今日、香港、台湾、シンガポール、マレーシアにおける、移住労働者に対する需要の高さや彼女たちの人権状況の伏線ともなっているのである (オング=Ong 2013 , 306-307)[※発音はオンが正しい]。/時代が下って1990年代以降、フィリピン、インドネシア、ベトナムからアジアNIES や中東への移動が増大する。それまでの東南アジアの女性に関す//る研究では、女性の地位や権力が、男性との比較の上で論じられてきたが、グローバル化が 加速化するなかで、女性の地位の向上や、女性どうしの地位の差が論点となってきた。それは1990年前後から生み出されるようになる、アジアの女性と移動 に関する膨大な研究により暴かれていった」(横田祥子と原めぐみ 2017:143)。/は段落、//はページの切り替わりを示す。
現在は、私が研究している、EPAにもとづく日本への看護ならびに介護現場での補助労働力に期待されている「彼女たち」だが、移民労働史のジェ ンダー的ルーツを考えると、(一見何の関係もないようにみえる)このような系譜にも実は繋がりをもつことがわかる。横田と原(2017:157)の以下の ような論文のまとめは、些か性急で、過度の一般化に陥り易い欠点をもつように僕には思えるが、非常に示唆に富む。
「国家による官製のモラル・エコノミーの文脈において、東南アジアからの女性の海外労働移住や婚姻移民は、表向きは「女性の地位の回復を象
徴する存在」として、しかしそのじつ、「国家に外貨をもたらす存在」として賞賛されてきた。だがその背後では、国家などによるモラル・エコノミーの名を借
りた女性の構造的な周縁化が深く進行しているとも言える。/今日、シンガボールや香港、そして日本でも、女性の社会進出が謳われるようになり、そこにはあ
たかも「男女平等」などの道徳が定着しているかのように見える。だが、これらの言いまわしは、国家や経済界が意図する経済的な生産性の向上のための手っ取
り早い誘い文句である。家庭内の仕事は相変わらず「女の仕事」であり、女性たちは仕事と家事の両立に疲弊し、さらには「働く女性」へのバッシングに耐えな
ければならないのが現状である。こうした国々の女性たちは、より賃金の低い東南アジアなどの地域の女性を家事労働者として雇用し、「女がするべき仕事」を
肩代わりさせる。そして東南アジア出身の女性たちもまた、出身国に置いてきた子どもに送金し、国際電話で子どもの様子を理解するよう努め、せめてもの母親
業に勤しむ。にもかかわらず、「悪い母親」というレッテルは拭えないのだ」(横田と原 2017:157)。
そして、国家による移民政策との複雑な関係、とりわけジェンダー・ポリティクスについて、深く考えざるをえない。その意味でも、横田と原の論文 もまた、私にとっての、「倫理の論考」になりつつあるのである。
もちろん、山崎朋子『サンダカン八番娼館」底辺女性史序説』筑摩書房、1972年のほうは、歴史の生き証人(サキさん)の住まいまで押しかけ て、貴重な聞き書きと歴史的再現を試みたすばらしい著作である——民族誌家はこの本 を読んで切歯扼腕すべきだと僕は思う。
■Elsje Christiaen (1646-1664) at age 21
"This was the first woman executed in 21 years, and Rembrandt did
not mean to miss his opportunity to sketch it. On May 3, presumably the
same day as Elsje Christiaen’s execution, he hired a boat to row him
out to the Volewijck moor where the body had been hung up. That day the
master sketched the immigrant girl’s freshly-executed corpse, and its
shameful axe." - http://www.executedtoday.com/tag/amsterdam/
リンク
文献
その他の情報
Copyright Mitzub'ixi Quq Chi'j, 2017-2018
Do not paste, but
[Re]Think our message for all undergraduate
students!!!