メスティーソ
short history of mestizo
"Mestizo (/mɛˈstiːzoʊ, mɪ-/;[1] Spanish: [mesˈti(θ/s)o]) is a term traditionally used in Spain, Latin America and the Philippines that originally referred to a person of combined European and Indigenous American descent, regardless of where the person was born. The term was used as an ethnic/racial category in the casta system that was in use during the Spanish Empire's control of its American and Asian colonies." - Mestizo.
Nowadays though, particularly in Spanish America, mestizo has become more of a cultural term, with culturally mainstream Latin Americans regarded as, or termed "mestizos" regardless of their actual ancestry and with the term Indian being reserved exclusively for people who have maintained a separate indigenous ethnic identity, language, tribal affiliation, etc. The term mestizaje (Portuguese: mestiçagem) – taking as its root mestizo or mixed – is the Spanish word for miscegenation, the general process of mixing ancestries.
De la serie Los cuadros
del mestizaje del Virrey Amat, and Depiction of the casta system in Mexico.
・メスティーソの語の定義は、先住民とスペイン人と いう2つの祖先をもつ者の末裔をさす。以下の記述は、Patricia Seedによる。
MESTIZO, a term used in
the colonial era to refer to a person of evenly mixed Indian and
Hispanic ancestry.
・新大陸におけるメスティーソの第一世代は、スペイ ン人の兵士と先住民の母親から生まれた息子や娘だった――ミトコンドリアDNAは、卵子の細胞質由来な ので、新大陸のほとんどのメスティーソには「先住民」由来だという主張がある(ミトコンドリアDNAの多様性はアフリカ出土の20万年前の骨から推測して もそれほど変化がないという:http://bit.ly/1WlfgqP)。
・16世紀のもっとも著名なメスティーソは Inca Garcilaso de la Vega(本名 Gómez Suárez de Figueroa, 1539-1616 。スペインの低位貴族の父とインカの皇女との間の子供。
・植民初期のメスティーソは、すべて非嫡出子だった ので、メスティーソと非嫡出であることは同義語とされ、貢納の義務が あった。このステレオタイプ(=混血の身分の低さ)は植民地時代全般を通じて通用するようになる。
・やがて、メスティーソは、貢納義務が生じない階級として認められるようになり、聖職、大学、地方政治家な どに進出していったが、金や銀の鍛冶に携わるギルドにのみは加入が許されなかった。他の人種階級には認められなかったが、メスティーソは貢納を徴収する業務が与えられ、洗礼や[メスティーソ同士の]結 婚も認められるようになる。
・メスティーソの人口の増大により、メスティーソは (性別と人種のマッチングとは無関係に)スペイン人と先住民の末裔をさす用語として定着していく。
・メスティーソの(人種的な)形質の特徴のみなら ず、社会的経済的な位置づけから、そのように呼ばれるようになった。
・メスティーソの中から富裕層が生じてゆくのは稀で あったが、スペイン風の家屋に住み、衣服を着用するようになって、先住民と区別されてゆくようになって いった。
・独立期には(ペニンスラールとクリーオジョの確執 はあるものの)メスティーソは、先住民と白人の間から構成される国民国家形成の際のシンボルになってゆ く(=人種ではなく社会階級としての政治的ヘゲモニーを確立してゆく)
・混血などの生物学的な意味でメスティーソが語られ るようになったのは、生物学的人種主義概念の影響であり、その時期以降の特徴であると思われる。
・社会学や人類学の研究対象としてのメスティーソ は、先住民と地方および国家の市場や官僚制度の媒介者として研究されるようになる。
・ラディノやチョロ(cholo)は、衣服を供給し たり農作物を仲買(ブローカー)するメスティーソの呼称として(先住民側から?)作られていった可能性がある。
ラディーノの語源は、1492年以降、マグリブのオ
スマン帝国で話されたセファルディによるさまざまなタイプのユダヤ=スペイン語のことを言う。イスタンブールでラディーノ語でハコブ・クリ(Jacob
Culi, c.1685-1732)によって出版された、百科事典『メアムロエズ(Me-Am
Lo'ez)』が著名である。現在はラディノ語は廃語。
・インディヘニスモが、先住民スタイルの文芸様式の 呼称として使われるように、メスティーソが文芸や建築の様式として呼ばれる時には、先住民のスタイルと スペイン風のスタイルの混淆を、そう呼ぶことがある。
・メスティーソを自認する人でも、他者からは、その 先住民的(あるいは地域的)特徴から、先住民と他称される人が存在する。たとえば、高地アンデス山地で 生まれて自分をメスティーソだと感じている人でも、(ペルーの首都で低地にある)リマに出て、母語、衣服、あるいはその他の文化的慣習により、「山地出 身」だとみなされ、先住民であると周囲の人から名指されることがある。
・リマ出身の(メスティーソ認識のある人類学者) Marisol de la Cadena は、高地都市のクスコに住む白い肌のインフォーマント達は、全く自分と同じ身体的格好をしているにもかかわらず自分たちをインディアンであると自称してい た。その理由は、デ・カデナ自身が、高地出身ではなく、かつ先住民の儀礼を実践していないことを理由に、自らを差異化していたのではないかと考えている。 周辺の貧しい先住民の村に比べると都市に住む教育程度の高い、クスコ人(cuzqueñs)はほとんど先住民とメスティーソの間に差異はないと感じてい る。
・グアテマラとチアパスでは、(主にマヤ系の)先住
民が、メスティーソに対して「人種的な」(つまり本質主義的な)区分をおこなう時に、「ラディーノ/ラディーナ(ladono,
ladina)」と呼び、メスティーソ/メスティサとは使わないことがある(→「ラディーノ,
ラディーナ研究ノート」)。
++
リンク
文献
その他の情報