六世中村歌右衛門の近代
引用者:池田光穂
「近代知識人の思索は、考えてみればたやすい。「いやだ」と言って投げ出してしまうのも、その「思索」の 内だからである。しかし、歌右衛門にはそれは出来ない。「お客様がいらっしゃる舞台を投げ出すなんてとんでもない!」である。近代知識人の思考には「破 綻」までが許容されて、しかし中村歌右衛門の思考には、それが許されない。彼が納得することは、観客が納得することとイコールであらねばならない——そう でなければ「正解」ではない。こんな勤勉で前向きな「虚無」があるだろうか? しかし六世中村歌右衛門とは、そのような「虚無」だったのである」(橋本 2002:366)。
揮毫した年代は不詳
【文献】
橋本治 2002 「 「三島由紀夫」とはなにものだったのか」新潮社.
Rudolf Virchow