かならずよんで ね!

公衆衛生とコミュニケーション

Public Health and Communication: An ethical issue

池田光穂


「生物学においては、複製する機会を与えない限りウ イルスは変異しないという原則があります。地域社会での感染拡大を防ぐ最も簡単な方法は、マスクの着用、濃厚接触の回避、密集地の回避などの公衆衛生対策 を実行し続けると同時に、できるだけ多くの人々にワクチンを接種することです」——アンソニー・ファウチAnthony Stephen Fauci, 1940-)米国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)所長

公衆衛生による介入は、公衆衛生の価値概念に負荷さ れている(value-laden)。したがって、個々の公衆衛生的介入と、それらが前提とする価値概念の関係を明確にしておく必要がある。公衆衛生領域 においては、さまざまなコミュニケーション的介入がおこなわれる。どのようなものがあるだろうか、その活動や施策を列挙してみよう(大北 2014:209-214,に筆者が項目を加筆)。

公衆衛生におけるコミュニケーションの倫理について 考える前に、まず公衆衛生について考えてみよう。公衆衛生とは、人間の生存権を根拠にして個人と集団の疾病を予防し健康を増進する総合的な施策のことをさ す。このもとでのコミュニケーションとはどのような機能があるだろうか。まず(a)「社会のなかの特定の集団に介入する行為としての公衆衛生」はその施策 の実行のためにコミュニケーション手段を道具として利用する。他方、公衆衛生は疾病を予防し健康を増進するために、(b)「公衆衛生そのものがコミュニ ケーション行為である」という側面がある。マルクスやエンゲルスが提唱した社会運動としての共産主義の語源は、ラテン語のcommunisから由来し、こ れは私有財産の廃絶からくる共通のもの(コモンズ)という意味があるが、そこには人類の共通の理想としての共通・共感・共同という一体性が共有さえる。後 者の「コミュニケーションとしての公衆衛生」とは、疾病を予防し健康を増進するという人類社会共通の目標に向かうモデルとして考えることもできよう。

さて、前者の「ツールとしてのコミュニケーション」 に戻ろう。公衆衛生におけるコミュニケーション行為は、ただ一方的に情報を伝えるのみならず、それらが効率的に伝わったかどうかの証明や検証のみならず、 そのコミュニケーション行為の帰結として、どのようなアウトカムが産出されたのかに、施策者は関心をもつ。もちろん、公衆衛生プログラムに関わるすべての 人たち、すなわちステイクホルダーは、その施策が適切に運用されれば、その帰結として良好な結果(アウトカム)が産出されることを期待している。

このようなアウトカムは一般には解決 (solution)と呼ばれる。解決にはさまざまなレベルがあるに違いない。すなわち、(a)個人のレベル、(b)組織的なレベル、(c)コミュニ ティ・レベル、(d)市場レベル、(e)構造的あるいは制度的レベル、(f)文化的あるいは社会規範的レベル、という便宜的に6つのレベルを示すことがで きる。もちろん、それぞれのレベルの事象は相互に連関していることは言うまでもない。

例えば、WHOが推奨している結核治療対策である DOTS(直接観察に基づくショートコース治療, directly observed treatment, short-course)は、基本的には、個人に介入し個人が治癒すること(a)を目的にする方法である。しかし、この解決は、結核対策の部局の組織的 で制度的な計画立案(bとe)が欠かせない。しかし、結核は感染症であり、対象者への投薬管理だけではなく、感染予防や啓発のためのコミュニティ・レベル での活動(c)も不可欠になる。公的資金でおこなうにせよ自己負担(一部)を含めるにせよ、薬剤の調達には市場メカニズム(d)の利用や納入価格の調整が 欠かせない。また、DOTSは、従来の投薬忌避や中断というコンプライアンスの悪いケースに対するフェイルセイフ的な方法で登場したが、この政策を浸透さ せるためには、医療社会学者や医療人類学者を動員して、西洋医薬の投薬行動に関する行動学的観察や、結核や医薬品に関する従前の文化的規範(f)について の知識が不可欠である。また、政策のより丁寧なフォローアップのためには、コミュニティの人たちがもつ伝統的な価値観への影響調査(aとf)が引き続き必 要になるかもしれない。

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