かならずよんで ね!

上坂冬子『奄美の原爆乙女』ノート

On remarks of Fuyuko Kamisaka's "The Amami Atomic Girls," published at 1978.

池田光穂

第二次大戦中(あるいは大東亜戦争、15年戦争)に、奄美大島から長崎に派遣された女子挺身隊が、1945年8月9日の原爆投下に より爆死、被爆した。上坂冬子『奄美の原爆乙女』(中央公論社、1978年)は、奄美大島において、その生存者たちを訪ね歩いて、記録したルポルタージュ である。奄美大島は、1953年米軍統治下にあり、被爆者の把握が遅れたことによるが、長崎の被爆者の会ならびに、豊田サチエさんを中心とした「原爆被害者手帳友の会」の功績は大変大きい。1975年になってようやく、被爆者手帳が交付された。本書は、さまざまなエージェンシーが相互に作動しながら、被爆者への差別や偏見を撥ね退け、自らの被爆者・戦争犠牲者としての主体を取り戻すのかについてのアイデンティティをめぐる旅程の物語でもある。

豊田サチエさんを中心とした「原爆被害者手帳友の会」の組織化とその活動の記録。

なお、この書籍は以下の1987年の『奄美の原爆乙女』以外に、少なくとも次の2つの異本がある;上坂冬子『女たちの数え歌 : 奄美の原爆乙女』中公文庫、中央公論社、1991年。上坂冬子『女たちが経験したこと : 昭和女性史三部作』中央公論新社、2000年。

『奄美の原爆乙女』(中央公論社、1978年)の章立ては以下の通り。

第1部 四十年埋もれていた人々

第2部 長崎被爆者手帳友の会

第3部 「乙女」の祈り

第1部 四十年埋もれていた人々
プロローグ
ページ
・「真夏だというのに、空はどんよりしている」(7)
・空港で待つ豊田サチエ(→「メッセージ」)
・タクシー運転手「奄美でこわいのは嵐よりもハブです」(8)
・鹿児島MBC「忘れられた島」「忘れんなりゅんにゃ/昭和二十年ぬ/原子爆弾ぬ/忘れなりゅんにゃ//勝ちぬなりゅんにゃ/原子爆弾に/竹槍むけたとて/勝ちぬなりゅん にゃ」——本歌は「くるだんど節」豊田サチエ(10)
・被曝奄美女性の推計:長崎へは1,200名、200名即死。1,000人が生き残り、半数が島に帰ったと「見当」つけて、奄美郡内には400名前後の被爆者がいると推計(13, 1987年当時)


10年がかりの被爆者手帳
18
・登場人物、松村照子、南ナツ(21)
・被爆の瞬間(21)
・長崎の後にもうひとつ投下される風評の流布(23)
・被爆者の4分類(23)
・被爆者手帳と医療費の免除について知る(25)
・被爆を証明すること(25-26)
・タクシーの中での語り
・重武ヤスエ(26-29)


障害の子をかかえて
27
・障害者手帳を交付してもらってもそのことについて知られたくない(29)
・「戦時衣料生活簡素化実施要綱」「緊急国民勤労動員方策要綱
・住吉寮(31)
・「その日」(32)
・罹災証明書(34)
・重武の原爆手帳入手の理由?(36)
・ニセ申請の疑惑に、義憤にかられる豊田(37)
・被爆と縁談(39)


乙女たちの数え歌
40
・川上里志・川上ミナエ(41-43)
・川上夫妻の長女の死(44)
原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(45)
・「夏になると、テレビに原爆のことが何度も映るでしょう。うちじゃ二人ともぱちんと消します」(45)
・「可愛いスーちゃん」お国の為とは言いながら/人の嫌がる軍隊に/召されて行く身の哀れさよ/可愛いスーちゃんと泣き別れ(47-49)
・奄美方言を「変な日本語」と間違えられて朝鮮半島出身と思われるのが悔しい


敗戦の日の洗髪
53
・夜勤明けの原爆は、寝ぼけ眼の中での驚愕だった。
・朝鮮集落の人の警告(54)
・牧窪マメ子(54-65, 207,211)
・魚雷工場の被爆経験は、魚雷の爆発と誤認するものだった(54-55)
・大口にいけば奄美の人がたむろするという噂(56)
・「なんや、しまのちゅや、ありしょらんな」「へぇ、いややたる」(57)
・岩元、熊本、春日キヨ(57)
・中村のぶ子(58)
・マメ子さんの兄夫婦のヤミ船(59)
・「戦傷病者戦没者遺族等援護法」昭和28(1953)施行
・岩元イエホ、寿山キヨ(60-)
・牧窪マメ子の会話のターン(62-)
・娘の障害の解釈と説明(63)
・「欲で言っているんじゃないんです」(64)
・原爆二法「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律
・当時の給付内容について(66-67)
法律不遡及の原則がもつ、理不尽(67)
・「忘れられた戦後処理」という用語(68)


証明人となった上司
69
・福山セツ(69)——宇検村
・魚雷の歯車の製造に従事する(70)
・被爆直後の経験(70-)
・朝鮮半島出身の労働者の働き(72)
・古賀なみ(72)旧姓:菊なみ
・福山(旧姓:鎮)(72-73)
・上司・平井茂(73, 87-95)
・被爆者手帳申請の手続き(74-)
・書面主義の無慈悲(75)
・前之浜実——呉服店(79)
・(支援の手が遅れた)奄美の被爆者は、広島長崎の被爆者にくらべて不幸だという前之浜の主張(80)


手記入選をきっかけに
80
・豊田サチエ「私の戦争体験」『南海日日新聞』手記投稿(81)
・手記の全文(途中略あり)(83-85)


長崎からの調査団
86
・平井茂(73, 87-95)
第2部 長崎被爆者手帳友の会





少年の日の被爆
98
・深掘勝一(98-)
・木下清人(100)
・深掘の被爆体験(102-)
・深堀秀雄(110)
・以上は、友の会結成の前振りのエピソード


「圧力団体」結成へ
112
・深掘勝一(112)
・長崎県動員学徒犠牲者の会(111-)
・この第二部は、奄美を訪れた友の会の人(深堀義昭・磯田泰子・下谷富太郎・平井茂)の群像になっている(140)
・辻原光男(114)
・長崎県動員学徒犠牲者の会の結成、参加者30名(116)1957.11.10
・「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」の適用基準引き上げに貢献する友の会(120)
・内部の論争(121)
・ABCC(原爆傷害調査委員会)のこと(122)
・『わが戦いの日々:被爆四十周年記念』長崎県被爆者手帳友の会(124)


命に縁がある
126
・磯田泰子(120)
・泰子の母親の弁「頭が狂わんだけ幸せばい」(129)
・泰子の弁「私よりももっと酷い障害をもって生きておられる人がいて、何よりなぐさめられますばってん」と言いつつ、長崎県下の離島の重症患者のために東奔西走(134)


夢の中の右腕
135
・下谷富太郎(135)
・被爆体験
・新聞配達から販売店主に(140)
・深堀義昭(140)は市会議員に

第3部 「乙女」の祈り





あの日のガラス片
144
・友の会が、証人2名の杓子定規のルールを打ち破る(144)
・折田サチ(145-)魚雷工場で被爆
・被爆者の発掘と救援が人々を結びつける(146)
・外科手術の手順(147)
・泉ワカ(148):「私には骨の髄まで原爆の毒が回ってるとしか思えん」(149)
・牧窪マメ子、川上ミナエ(150)


ただ独り生きのびて
151
・奥山サチエ(151)——挺身隊ではなく家庭の事情で長崎に移住(152)原爆孤児
・被爆当時(152-)
・8人の遺骨を持ち帰り、8人のための墓を設置する(155)
・奥山家の祭壇の様子(→「祭壇について」)


喜界島のきょうだい
157
・福元のぶ子、井上スミエ、喜多宏子(157)
・福元のぶ子は挺身隊ではなかった(158)
・「これはまちがいなく原子病だ」(161)
・連合国側の被害者(163)


88歳の証人
164
・田中トヨ(165)——魚雷のネジを磨く仕事
・田中トヨの診断書(166-168)
・永田医師による、田中トヨの証明書(170-)
・永田清成——永田医院院長(170-171)
・吉原メデ——看護師(170-171)


とり残された人々
172
・中村住代係長(173)
・原爆病院に心療内科の設置の必要性(177)
・大浦愛子(178)——生月に住む


韓国から来た被爆者
182
・李団長(183)——広島在住の東洋工業(マツダ)で被爆、当時は大邱在住
・被爆者ペン(185)
・大森茂男(185)
・茅誠司(かや・せいじ)座長「原爆被爆者対策基本問題懇談会」答申(1980年12月)


次代への申し送り
192
・深堀会長をめぐる情景(192-)
・さまざまな条件闘争(194-)
・ホーム建設(194-)
・記念祝賀会における国会議員(200)
・福島満徳(202)


エピローグ
203
・嘉納ハナエ(203)
・嶺タミ(204)
・亀山タツ子(204)
・島尾敏雄(204)
・越間ミネ(204)
・恵見信子(205)
・岸田ヤス(205)
・「ひとつとせ、人に知られた長崎の/所は兵器の製作所。ふたつとせ、二親離れてきたからは/三年たたなきゃ帰られぬ」(208)
・立ち神(210-211)
・有川幸男町長(211)
・大島紬転業者「仮称大島女子挺身隊」名簿送付の件」(212)


あとがき
215
・「正直いうと私自身は、これまで被爆者の問題に対して重大なこととは知りつつも実感がともなわず、遠くの鐘の音を聞くような思いであった。いまは違う」(216)(→pdf「見ること・知ること・関わること」)
・「42年間、実質的に戦争を引きずって生きてきた人々とその子らに接して以来、これを見過ごしていいものかとうわずった声で叫びたいほどのきもちを抱えているのだ」(216)
・厚生省関係者(219)











※敬称は略しています。お許しください。

初刷ブックカバー:絣の図柄は「赤木名とび」は挺身隊が長崎に送り出される前までに織っていた当時(1942-43)の流行柄という(上坂 1987:219)。

●長崎原爆被災地図(長崎大学・原爆後障害医療研究所「長崎原爆の物理的被害」より)

●著者、略年譜 上坂冬子(ペンネーム:かみさか・ふゆこ;本名:丹羽ヨシコ、1930-2009)と豊田サチエの、対位法的記述。

1923 

豊田サチエ、奄美で生まれる(13)。

1930 6月10日東京府生まれ

1936 永田町小学校入学

1943 

年産25万反の大島紬を縮小し、最終的に2,500人が女子挺身隊として奄美を離れる。

戦時衣料生活簡素化実施要綱」(昭和18年6月4日閣議決定)

1944 

緊急国民勤労動員方策要綱」(昭和19年1月17日閣議決定)「大島女子勤労挺身隊」が編成される。当時の人口2万人(2月)→14,000人(11月)

1945 

サチエ、船員だった婚約者の死亡通知を得る(18)。長崎のいとこに会いにゆく(19)。いとこの寮長のあっせんで、三菱・飽(あく)の浦造船所の松島寮の炊事係に配属される(20)。松亭(1895-2008)——長崎市本石灰(もとしっくい)

サチエ、三菱駒場寮に同郷の大島郡笠利町川上の幼馴染が挺身隊として働いていることを知る(21)

1946 

GHQ2.2指令(11)/『大島郡事情報告書』が米軍に提出される(12)

原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission、ABCC)組織化

1949 愛知県立豊田東高等学校(加茂高校の記述もあり)卒業

1949 トヨタ自動車工業入社

1950 

戦後はじめての国勢調査(奄美は除外)

1953 

戦傷病者戦没者遺族等援護法」昭和28(1953)施行

12月25日奄美、日本に「復帰」

1955 

名瀬市の大火(12)

第一回原水爆禁止世界大会(広島)(113)

1957 

4月「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律

長崎県動員学徒犠牲者の会の結成、参加者30名(116)1957.11.10

1959 『職場の群像』で第1回中央公論社思想の科学新人賞を受賞。同年退職か?

1962 

6月奄美でNHKテレビがみられるようになる(民放はその15年後)(65)。

ca.1965 

水俣病問題に忙殺されていて、奄美の被爆者手帳の交付報道がおざなりになったという事情(66)

1966 

サチエ、被爆者手帳の存在と医療費の免除のことについて知る(25)

1967 

佐藤栄作、沖縄返還に絡み、戦後処理の完了を謳う。学徒動員の補償問題の関係者驚く(119)。

1968 

原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」法律第五十三号(昭四三・五・二〇)

1977 

奄美のテレビで民放がみられるようになる(65)。

1978 『特赦─東京ローズの虚像と実像』(文藝春秋 1978年) 「東京ローズ」(改題、中公文庫)

1979 『生体解剖─九州大学医学部事件』(毎日新聞社 1979年、のち中公文庫)

1980 

茅誠司(かや・せいじ)座長「原爆被爆者対策基本問題懇談会」答申(1980年12月)

1981 『巣鴨プリズン13号鉄扉』(新潮社 1981年、のち新潮文庫、中公文庫)/『巣鴨・戦犯絞首刑 ある戦犯の獄中手記』(編、ミネルヴァ書房 1981年)

鹿児島県原爆被爆者福祉協議会奄美支部の設立について、前之浜実に依頼がくる(79)、7月24日に結成(87)

1982 『慶州ナザレ園 忘れられた日本人妻たち』(中央公論社 1982、のち中公文庫)

1983 『遺された妻 横浜裁判BC級戦犯秘録』(中央公論社 1983年、のち中公文庫)

1984 『男装の麗人・川島芳子伝』(文藝春秋 1984年、のち文春文庫)

7月19日「長崎と奄美を結ぶ原水爆禁止市民交流集会」(89)

1985 

長崎県被爆者手帳友の会『わが戦いの日々:被爆四十周年記念』長崎県被爆者手帳友の会

1986 『貝になった男 直江津捕虜収容所事件』(文藝春秋 1986年、のち文春文庫)

1987 『奄美の原爆乙女』(中央公論社 1987年) 「女たちの数え歌」(改題、中公文庫)

1993 第41回菊池寛賞、第9回正論大賞

2003 『「北方領土」上陸記』。翌年本籍地を、国後島にする(戸籍法上これが可能かどうか不詳)

2009 4月14日 肝不全のため死去(78歳)/『対論・異色昭和史』(鶴見俊輔共著、PHP研究所 2009年)

2014

7月4日豊田サチエ、死去、享年91歳

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■クレジット:世直し研究会・読書会「上坂冬子『奄美の原爆乙女』を読む」2019年9月25日1030-1200

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