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第2章「グローバリゼーションの挑戦」

Globalization

池田光穂


パラグラフ


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1.グローバリゼーション
・歴史家がグロバリゼーションを発見した のは最近だ(47)


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「書名に『グローバリゼーション』を含む 英語の書物数(WorldCatによる)」リン・ハント(2016:48)

「2000年 には、世界人口のわずか5%がインターネットを利用していたにすぎない。だが、2010年には34 %に達している。インターネットは世界のさまざまな地域に浸透して相互に結びつけ、グローバリゼーション のひとつの推進力となっていることは間違いなかろう」



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・ソビエト崩壊と冷戦の終結


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・1980年代以降の新自由主義


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・「歴史家たちは、グローバリゼーション を関心の対象として取り上げるのが遅かった。歴史家がそれ を無視したのには、独自の理由がある。歴史家のあいだでは、国民国家中心的な在であったからだ」(50)


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・「大学レヴェルでの専門化は、専門職の 歴史家と彼らが研究する国民史のあいだの絆を強固にした」(51)


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・「専門化は、歴史学やほかの社会科学や 人文学の領域が自然科学を模倣する傾向から派生したものだ った。専門家であるということは、研究領域をマスターし、検討すべき適切な問題を設定し、それに 対する調査を実行、その発見を出版するということだ。かくして、ある種の悪循環が続くことになる。 大学側が専門家としての実績の提示を要求するにつれて、出版数は増加する。出版書の数が急激に上 昇すれば、対象とする領域が以前にはなかったほどに狭陸化して定義されていく」(51)


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・「1990 年代後半、ヨーロッパ議会の通達第2183号によって、ヨーロッパ連合内の学校では、そのシラパ スに「ヨーロッパ全体の歴史、すなわちヨーロッパのアイデンティティをかたちづくってきた主要な 政治的・経済的事件と哲学的・文化的運動」を含めるように勧告している」(53)


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・アイデンティティ強化への反省
・「旧ユーゴスラビアの解体のあと、国連とヨーロッパ 歴史教育協会が、ボスニア、クロアチア、セルビアの歴史を民族集団のあいだでの敵対心をこれ 以上悪化させない方法で教えることを目的とする国際セミナーを開催した。歴史学は、その動員力を 失っているわけではない。グローバリゼーションの志向性をもつ歴史は、自国の国民的帰属意識だけ ではなく国際的市民性の感覚を掴養するために役立つであろう。しかし、その効果は、現実のものと いうより、期待値の段階にとどまっている」(12)


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・「フェーヴルやクルーゼが60年前に論 じたように、ヨーロッパ内のフランスでさえ、 もはや明らかにフランス的なものと見なすことはできない。たとえば、フランス最初に設 立されたのは、17世紀のパリで、アルメニア人の商人によるものであった。多くランス人は、 19世紀の後半までフランス語を話すことはなかった。グローバル・ヒストリーは、ナショナリズム が塗りつぶした過去の背後に蠢いているものなのである」(55)


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・「グローバリゼーションは人類史を貫流 する長期的なプロセスとして見なすことができる。だが、グローバリゼーション に関するほとんどの論者は、ここ2、30年に焦点を合わせている。この短期的 視点からは、経済的なグローバリゼーションは、金融制度、交易ネットワーク、( 多国籍、トランスナ ショナル資本主義といわれる)生産循環の世界規模での浸透となる。技術的なグローバリゼーションは、 広範にアクセスできる航空旅行、中央集権化された運輸、コンピュータの拡大、それにともなうイン ターネットへのアクセス、ごく最近では、GPS 衛星、無線通信などを通じての時間と空間の圧縮に ある。社会的グローバリゼーションは、固から国へ、そして農村部から都市へ、とりわけグローバル// なメガロポリスである上海、メキシコシティ、ニューヨークへの移民の増大が原因となっ ている。政治的グローバリゼーションは、軍事(合衆国)や軍事的抵抗(テロリズム)を通じた世界覇権の 確立の試み、大規模な政治単位の影響力の増大(ヨーロッパ連合、世界貿易機構、国際連合)、人権などの 政治討議のグローバルな枠組みなどを含んでいる。文化的グローバリゼーションは、アイデンテイテ イや日常生活の行動のグローバルな形態の発展である。混交的で離散民的(ハイブリッドデイアスポラ)なアイデンティティが、よ りいっそう重要になっている。アニメ、ビデオゲーム、コーヒー、コカ・コーラ、空港ラウンジなど が世界規模で散見しうる。たとえば、イスラームや福音主義的プロテスタンテイズムなどの宗教運動 は、そのアイデンティティを国際化に依存するようになっている。多くの場合、生物学的形態の グローバリゼーションは否定的なものとなる。国際的な旅行が、ごく短期間に地球規模での流行病の拡散 を可能にしているからだ」(56-57)


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2.トップダウン


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・「モダニティはグローバル化する傾向を もつ」(21)


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・ウォーラスティン


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・従属論


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・アパデュライの「グローバルエスノス ケープ」(62)


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・アニーバル・キハーノ
・「ペルーの社会学者アニーバル・キハーノは、グローバリゼーションの起源について別なかたちでの反 ヨーロッパ中心主義的な歴史解釈を提示している。彼が強調するのは、「アメリカ」(アメリカ大陸)に よって演じられる重要な役割である。「アメリカは、最初の近代的でグローバルな地政文化的アイデ ンティティである。ヨーロッパは二番目のものであり、アメリカのアイデンティティの帰結として形成されたのであって、その逆ではない」。近代的な形態の ヨーロッパとは、先住民、黒人、メスティ ーソに苦役を課すことで形成されたのであり、そうした人びとは「鉱山業や農業における発達した技 術」や、金、銀、ジャガイモ、トマト、タバコのような重要な材料を食卓にもたらした。そのことに 関しては、ヨーロッパでもなく、「東洋」でもなく、南北アメリカ大陸が、因果関係上の引き金を引 いたことになる」(66)


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3.ボトムアップ


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・ボトムアップ論文


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4.普遍性と多様性
・「グローバリゼーションのような普遍的概念は、本質的に西欧的なものではない。なぜなら、それら は普遍的であるからだ。ウオルター・ミニヨロは、普遍主義的立場を拒否するもののひとりである。 なぜなら、普遍主義は、西欧文明の覇権の再強化を意味するものにほかならなかったからである。彼 が唱導するのは、「多元性で、それは、普遍性に対するオルタナテイヴであり、正義、平等、人権 認識論的多元性などの名前のもとで、グローバリゼーションと地球規模で対時するネットワークのも たらす可能性を提示している」。感情的には反ヨーロッパ中心主義を賞賛しているかもしれないが、 ミニヨロは、何が正義、平等、人権、認識論的多元性を正当化するのかについては説明していない。 多元性を希求することさえも、それ自体が普遍的な主張ではないのか。グローバリゼーションを批判 するほかの多くのものと同じく、ミニョロはそれを所与のものとして、また一枚岩的なものと見なし ている」(77)


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