グローバリゼーションの罠
Globalization Trap, or The Global Trap
グローバリゼーションとは、地球(グローブ)におけ る距離の圧縮現象に伴う文化的・社会的変化のことをいう。とりわけ、モノ・人・情報の大規模な流通が、もたらす影響について考え、その制御や権利(=法や 正義)を考え、そして、その未来のあり方について考えるのが、グローバリゼーション研究のテーマになる。
多くのグローバリゼーションの議論は、楽観的な未来 学的な見解に満ちている。しかし、グロバリゼーションがローカルな文脈(=国民の文脈)では、格差を生み、さまざまな社会的セクター間の対立を生んでいる (→「ポスト真理の政治状況について」「インフォデミック」)。
さて、グローバリゼーションの進展に警鐘を鳴らす書 物がある。『グローバル化の陥穽』(グローバルかのわな、Die Globalisierungsfalle - Der Angriff auf Demokratie und Wohlstand)は1996年に発刊されたドイツの書籍で、ハンス・ペーター・マルティン(Hans-Peter Martin)とハラルド・シューマン(Harald Schumann)の共著である。
"Die Globalisierungsfalle: Der Angriff auf Demokratie und Wohlstand is a 1996 non-fiction book by Hans-Peter Martin (born 1957 in Bregenz, Austria), and Harald Schumann (born 1957 in Kassel, Germany), that describes possible implications of current trends in globalization. It was published in English as The Global Trap: Globalization and the Assault on Democracy and Prosperity in 1997. At this time, both authors were editors of the news magazine Der Spiegel. From 1999 to 2014, Hans-Peter Martin, who is stated in the book to be one of just three journalists to be allowed to take part in all activities at the Fairmont convention, was a member of the European Parliament. The book was a best-seller in the authors‘ native Austria and Germany[1] and went on to be a worldwide bestseller with over 800,000 copies sold and translated into 27 languages. In particular, the book is known for defining a possible "20/80 society". In this possible society of the 21st century, 20 percent of the working age population will be enough to keep the world economy going. The other 80 percent live on some form of welfare and are entertained with a concept called "tittytainment",[2] which aims at keeping the 80 percent of frustrated citizens happy with a mixture of deadeningly predictable, lowest common denominator entertainment for the soul and nourishment for the body."-Die Globalisierungsfalle: Der Angriff auf Demokratie und Wohlstand.
「『グローバル化の罠:民主主義と繁栄への攻撃』
は、ハンス=ペーター・マーティン(1957年、オーストリアのブレゲンツ生まれ)とハラルド・シューマン(1957年、ドイツのカッセル生まれ)による
1996年のノンフィクション作品であり、グローバル化の現在の傾向がもたらす可能性のある影響について述べている。英語版は『The Global
Trap: Globalization and the Assault on Democracy and
Prosperity』として1997年に出版された。当時、両著者はニュース雑誌『シュピーゲル』の編集者であった。1999年から2014年まで、
フェアモント会議のすべての活動に参加することを許された3人のジャーナリストのうちの1人であると本書で述べられているハンス=ペーター・マーティン
は、欧州議会議員であった。この本は、著者たちの母国であるオーストリアとドイツでベストセラーとなり、その後、27言語に翻訳され、80万部以上を売り
上げる世界的ベストセラーとなった。特に、この本は「20/80社会」という概念を定義したことで知られている。21世紀に起こりうるこの社会では、労働年齢人口の20パーセントで世界経済を維持できる。
残りの80パーセントの人々は、何らかの形の社会保障で生活し、「ティッティメント」と呼ばれる娯楽で楽しませられる。ティッティメントとは、魂を殺すよ
うなありきたりで最低の娯楽と、肉体に必要な栄養を組み合わせることで、フラストレーションを抱えた市民の80パーセントを満足させることを目的とした概
念である。」
"The book deals mainly
with the effects of globalization. It describes a growing social divide
as a result of "delimitation"
of the economy and a loss of political control by the state over the
economic development, which is increasingly controlled by global
corporations. The authors warn of a so-called "20-to-80-society".[3] They describe
how a global 80:20 distribution already exists in many aspects, and
illustrate possible economic, social and political consequences of free
trade and deregulated financial markets.
In the beginning, they describe how at a conference at the invitation
of Mikhail Gorbachev with 500 leading politicians, business leaders and
academics from all continents[4] from September 27 - October 1, 1995 at
the Fairmont Hotel in San Francisco, the term "one-fifth-society"
arose. The authors describe an
increase in productivity caused by the decrease in the amount of work,
so this could be done by one-fifth of the global labor force and leave
four-fifths of the working age people out of work. The authors
predict huge number of unemployed,[5] perhaps finding themselves in
low-paid voluntary community services to boost their morale.
"-Die
Globalisierungsfalle: Der Angriff auf Demokratie und Wohlstand.
「この本は主にグローバリゼーションの影響について
論じている。経済の「区分」と、国家による経済発展の政治的コントロールの喪失の結果として、社会的な格差が拡大していることを説明している。著者は、い
わゆる「20対80社会」の到来を警告している。
彼らは、グローバルな80対20の分配がすでに多くの側面で存在していることを説明し、自由貿易と規制緩和された金融市場が経済、社会、政治に及ぼす可能
性のある影響を明らかにしている。まず、著者は、1995年9月27日から10月1日にかけて、サンフランシスコのフェアモントホテルで、ミハイル・ゴル
バチョフの招きにより、各大陸から500人の有力政治家、企業リーダー、学者が参加した会議で、「五分の一社会」という言葉が生まれた経緯を説明してい
る。著者は、労働量の減少による生産性の向上について述べているが、これは世界の労働力の5分の1で実行可能であり、労働年齢人口の4分の3を失業させる
ことになる。著者は、膨大な数の失業者が発生すると予測しており、[5]
彼らは恐らく、士気を高めるために低賃金のボランティアコミュニティサービスに従事することになるだろう」
+++
ウィキペディア(英語)では次のように書いて、1つ の出典を明記している。
"Globalization (or globalisation; see spelling differences) is the increasing interaction of people through the growth of the international flow of money, ideas and culture. It involves goods and services, and the economic resources of capital, technology and data" - Globalization
Albrow, Martin and Elizabeth King (eds.) (1990). Globalization, Knowledge and Society. London: Sage. ISBN 9780803983236
グローバリゼーションが、近代化の帰結であると論じ る論者は、近代化論と同様に、世界の人々の「文化的側面」がどんどん均質化するプロセスとして理解する。他方、グローバリゼーションを、現地の応答プロセ ス ということを重視する人たち(=先住民研究をおこなう我々)は、 グロバリゼーションは、世界の多元化と多様化に貢献し、仮に近代化論の枠組みに組みしてもなお、均質化のプロセスを能天気に論評する気持ちになれない。
さまざまなグローバリゼーションのサブクラス
グローバリゼーション | ||
経済的グローバリゼーション |
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技術的グローバリゼーション |
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社会的グローバリゼーション |
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政治的グローバリゼーション |
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軍事的グローバリゼーション |
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文化的グローバリゼーション |
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法のグローバリゼーション |
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近代医療のグローバリゼーション |
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(無限の連辞符が可能) |
●グローバリゼーションを社会現象の変化の説明の 「理由」にするようになったのは1990年代から——グローバリゼーションの実態とそれへの「意識」
「書名に『グローバリゼーション』を含む英語の書物 数(WorldCatによる)」リン・ハント(2016:48)
「1990年代に登場した唯一の新 たな要素はインターネットの拡散であったが、当時は主として すでに発展した世界に影響を与えただけであった。2000年 には、世界人口のわずか5%がインターネットを利用していたにすぎない。だが、2010年には34 %に達している。インターネットは世界のさまざまな地域に浸透して相互に結びつけ、グローバリゼーション のひとつの推進力となっていることは間違いなかろう。しかし、1990年代に始まった インターネットの急速な拡大によっては、90年代が始まろうとしていたときにグローバリゼーション への関心が突然に増大した事実を説明することはできない。// ……1990年代にグローバリゼーションが発生し、その時に根本的に異なった形態を取る ことになったという理由によって、グローバリゼーションが突如として注目を集め始めたわけではな い。現実に起こったことは、ソビエト連邦の解体と冷戦の終鷲であった。グローバリゼーションは、 資本主義と共産主義という冷戦による分断の終鷲によって醸成されたイデオロギー的な空白を埋めた のだ。ソ連が解体して共産主義が不可避の問題として存在するのをやめたときに、世界の秩序は不安 定なものとなっていった。そこでのグローバリゼーションは、ひとつの確かなものに見えた。さらに いえば、グローバリゼーションはソ連の凋落を説明してくれた。もはや国家主導の産業は、1980 年代に勃興した電子化されたグローバル経済に対抗できなかったのである」(リン・ハント2016:48-49)
● リン・ハントの文献(第2章)を手がかりにし て、グローバリゼーションと先住民の関係について考察する
頁 |
パラグラフ |
グローバリゼーションと先住民 | |
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1 |
1.グローバリゼーション ・歴史家がグロバリゼーションを発見した のは最近だ(47) |
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「書名に『グローバリゼーション』を含む
英語の書物数(WorldCatによる)」リン・ハント(2016:48) 「2000年
には、世界人口のわずか5%がインターネットを利用していたにすぎない。だが、2010年には34
%に達している。インターネットは世界のさまざまな地域に浸透して相互に結びつけ、グローバリゼーション
のひとつの推進力となっていることは間違いなかろう」 |
「日本と海外を研究対象地域として、先住民が実践している
(1)「遺骨や副葬品等の返還運動」、博物館における先住民による文化提示の際の公開禁止や返還要求といった(2)「文化復興運動」、および先住民アイデ
ンティティの復興のシンボルとなった(3)「先住民言語教育運動」という、3つのテーマの現状を探る。この現象は、世界の均質化が引き起こすグローバル化
現象とは異なり、グローバル化現象が先住民をして自らのアイデンティティを再定義し、国民国家が求める同化政策に抗して、言語的文化的独自性とその多様性
を担保しつつ、国家との連携や和解を求める動きとして捉えられる。グローバル文脈のなかで多数派や抑圧者を指し示す「名指し」行為のエージェンシーとして
先住民を捉えれば、国家領域のなかで自らの権利回復をめざす少数集団と[多数派]の新しい連携関係の形態も可能となる。そこでは実践者としての研究者が先
住民との研究倫理的枠組みも当然変化するはずである。先住民による先住民ための学としての新しい「先住民学」の教育の場をデザインできるようなカリキュラ
ム開発とそれを実装可能にするような大学院教育課程のモデルつくりも可能になるはずだ。グローバルな文脈の中で多数派を「名指す」という実践を把握するた
めに文献的資料、各種メディアによる二次情報資料ならびにフィールドワーク調査に基づく一次資料の収集をおこなう。(1)「遺骨や副葬品等の返還運動」、
(2)「文化復興運動」、(3)「先住民言語教育運動」に着目し、このような情報を収集する。最終的には、人類学を含めた人文社会科学の脱植民地化のため
のプロジェクトとして本研究課題を位置づけ、個々の研究プロジェクトを総合する」 |
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3 |
・ソビエト崩壊と冷戦の終結 |
・「冷戦構造」と先住民 ・冷戦(Cold War)あるいは冷戦構造とは「第 二次世界大戦後の世界を二分した西側諸国のアメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営と、東側諸国のソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義 陣営との対立構造。米ソ冷戦や東西冷戦とも呼ばれる」-冷戦. |
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4 |
・1980年代以降の新自由主義 |
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5 |
・「歴史家たちは、グローバリゼーション
を関心の対象として取り上げるのが遅かった。歴史家がそれ
を無視したのには、独自の理由がある。歴史家のあいだでは、国民国家中心的な在であったからだ」(50) |
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6 |
・「大学レヴェルでの専門化は、専門職の
歴史家と彼らが研究する国民史のあいだの絆を強固にした」(51) |
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7 |
・「専門化は、歴史学やほかの社会科学や
人文学の領域が自然科学を模倣する傾向から派生したものだ
った。専門家であるということは、研究領域をマスターし、検討すべき適切な問題を設定し、それに
対する調査を実行、その発見を出版するということだ。かくして、ある種の悪循環が続くことになる。
大学側が専門家としての実績の提示を要求するにつれて、出版数は増加する。出版書の数が急激に上
昇すれば、対象とする領域が以前にはなかったほどに狭陸化して定義されていく」(51) |
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53 |
10 |
・「1990
年代後半、ヨーロッパ議会の通達第2183号によって、ヨーロッパ連合内の学校では、そのシラパ
スに「ヨーロッパ全体の歴史、すなわちヨーロッパのアイデンティティをかたちづくってきた主要な
政治的・経済的事件と哲学的・文化的運動」を含めるように勧告している」(53) |
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12 |
・アイデンティティ強化への反省 ・「旧ユーゴスラビアの解体のあと、国連とヨーロッパ 歴史教育協会が、ボスニア、クロアチア、セルビアの歴史を民族集団のあいだでの敵対心をこれ 以上悪化させない方法で教えることを目的とする国際セミナーを開催した。歴史学は、その動員力を 失っているわけではない。グローバリゼーションの志向性をもつ歴史は、自国の国民的帰属意識だけ ではなく国際的市民性の感覚を掴養するために役立つであろう。しかし、その効果は、現実のものと いうより、期待値の段階にとどまっている」(12) |
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14 |
・「フェーヴルやクルーゼが60年前に論
じたように、ヨーロッパ内のフランスでさえ、
もはや明らかにフランス的なものと見なすことはできない。たとえば、フランス最初に設
立されたのは、17世紀のパリで、アルメニア人の商人によるものであった。多くランス人は、
19世紀の後半までフランス語を話すことはなかった。グローバル・ヒストリーは、ナショナリズム
が塗りつぶした過去の背後に蠢いているものなのである」(55) |
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・「グローバリゼーションは人類史を貫流
する長期的なプロセスとして見なすことができる。だが、グローバリゼーション
に関するほとんどの論者は、ここ2、30年に焦点を合わせている。この短期的
視点からは、経済的なグローバリゼーションは、金融制度、交易ネットワーク、( 多国籍、トランスナ
ショナル資本主義といわれる)生産循環の世界規模での浸透となる。技術的なグローバリゼーションは、
広範にアクセスできる航空旅行、中央集権化された運輸、コンピュータの拡大、それにともなうイン
ターネットへのアクセス、ごく最近では、GPS 衛星、無線通信などを通じての時間と空間の圧縮に
ある。社会的グローバリゼーションは、固から国へ、そして農村部から都市へ、とりわけグローバル//
なメガロポリスである上海、メキシコシティ、ニューヨークへの移民の増大が原因となっ
ている。政治的グローバリゼーションは、軍事(合衆国)や軍事的抵抗(テロリズム)を通じた世界覇権の
確立の試み、大規模な政治単位の影響力の増大(ヨーロッパ連合、世界貿易機構、国際連合)、人権などの
政治討議のグローバルな枠組みなどを含んでいる。文化的グローバリゼーションは、アイデンテイテ
イや日常生活の行動のグローバルな形態の発展である。混交的で離散民的(ハイブリッドデイアスポラ)なアイデンティティが、よ
りいっそう重要になっている。アニメ、ビデオゲーム、コーヒー、コカ・コーラ、空港ラウンジなど
が世界規模で散見しうる。たとえば、イスラームや福音主義的プロテスタンテイズムなどの宗教運動
は、そのアイデンティティを国際化に依存するようになっている。多くの場合、生物学的形態の
グローバリゼーションは否定的なものとなる。国際的な旅行が、ごく短期間に地球規模での流行病の拡散
を可能にしているからだ」(56-57) |
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2.トップダウン |
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・「モダニティはグローバル化する傾向を
もつ」(21) |
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・ウォーラスティン |
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・従属論 |
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・アパデュライの「グローバルエスノス
ケープ」(62) |
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・アニーバル・キハーノ ・「ペルーの社会学者アニーバル・キハーノは、グローバリゼーションの起源について別なかたちでの反 ヨーロッパ中心主義的な歴史解釈を提示している。彼が強調するのは、「アメリカ」(アメリカ大陸)に よって演じられる重要な役割である。「アメリカは、最初の近代的でグローバルな地政文化的アイデ ンティティである。ヨーロッパは二番目のものであり、アメリカのアイデンティティの帰結として形成されたのであって、その逆ではない」。近代的な形態の ヨーロッパとは、先住民、黒人、メスティ ーソに苦役を課すことで形成されたのであり、そうした人びとは「鉱山業や農業における発達した技 術」や、金、銀、ジャガイモ、トマト、タバコのような重要な材料を食卓にもたらした。そのことに 関しては、ヨーロッパでもなく、「東洋」でもなく、南北アメリカ大陸が、因果関係上の引き金を引 いたことになる」(66) |
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3.ボトムアップ |
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・ボトムアップ論文 |
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4.普遍性と多様性 ・「グローバリゼーションのような普遍的概念は、本質的に西欧的なものではない。なぜなら、それら は普遍的であるからだ。ウオルター・ミニヨロは、普遍主義的立場を拒否するもののひとりである。 なぜなら、普遍主義は、西欧文明の覇権の再強化を意味するものにほかならなかったからである。彼 が唱導するのは、「多元性で、それは、普遍性に対するオルタナテイヴであり、正義、平等、人権 認識論的多元性などの名前のもとで、グローバリゼーションと地球規模で対時するネットワークのも たらす可能性を提示している」。感情的には反ヨーロッパ中心主義を賞賛しているかもしれないが、 ミニヨロは、何が正義、平等、人権、認識論的多元性を正当化するのかについては説明していない。 多元性を希求することさえも、それ自体が普遍的な主張ではないのか。グローバリゼーションを批判 するほかの多くのものと同じく、ミニョロはそれを所与のものとして、また一枚岩的なものと見なし ている」(77) |
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