このページは、池田光穂『実践の医療人類学—中央アメリカ・ヘルスケアシステムにおける医療の地政学的展開—』世界思想社、2001年(ISBN4-7907-0874-8)本体定価5,800円の著者が、版元である世界思想社の協力のもとに、この著書を有効に活用するための256[最終予定]のヒントを提供するものです。
1〜16
このページでは最初の16項目について解説しています。{the original page is here}
1.魅力ある装丁をごらんください
この本の装丁は上野かおるさんによるもの[→装丁をみる]。
赤い写真の中にいる少年はマヌエル君(p.213の扉写真にも登場します)。帯紙を取ると、乾いた荒野のイメージが背景にあることがわかり、マヌエル君の写真の赤のイメージが灼熱の太陽となり、そして太陽の回りにある同心円上の波紋は太陽の光線とも、あるいは乾いた荒野にポツリ、ポツリと染み込む雨滴のように思えます。その証拠に帯紙は、水の色である淡い青です。
文字どおり、医療人類学の理論/実践的貢献を目論む筆者の野心にふさわしい装丁をなしています。
■ 上野かおるさんの紹介(装丁家の世界:文字検索してください)
2.目次構成をみよう
目次(Pp.ii-x)をみる[→世界思想社提供による目次をみる]
御覧のように全体で5部構成、16章編成です。医療人類学という学問的構成や「医療」の社会的側面についての理念的話から、やがて具体的な中央アメリカ農村の医療や保健にかんする社会現象へと話は展開し、そこから得られる病気や健康の理念——現地の人たちの哲学のようなものです——に言及し、それを理解したうえで、学問や住民の保健プロジェクトのような社会的動員へと、ふたたび社会的世界に舞い戻ってゆくというストーリーを構成します。
どうです? なかなか空間的に理解しやすいような構成でしょう?(→本ウェブページの11.を参照してね)
3.目次のページから全体の構成を鳥瞰しましょう
目次のほかに、以下のようなものが付いています。附録コミュニティ参加の保健研修 /あとがき/薬用・野生食用植物一覧 /村落保健用語集 /文献目録 /附表 疾患と医療のモデル、です。これらは、本を完成させる附属品という意味だけをもっているのではありません。少なくとも次のようなことに役立ててください。
4.中央アメリカがどこにあるか確認しましょう
中央アメリカが南北両大陸のどこに位置するのか、中央アメリカとよばれる地域にどのような国々があるのかは、本書のxi(ローマ数字でp.11を表します)ページにあります。
私は「中央アメリカ民族誌学」に関するウェブ上の情報を提供しています。
5.エピグラムに注目()!!
なぜ「すべての死者たちに捧ぐ」となっているのでしょうか?
序の前の白いページにただこの言葉だけが掲げてあります。
著者はたんに気を衒(てら)っているために、わざわざこのような文言を掲げたつもりはありません。この本を構想する以前から、このエピグラムをつける理由がありました。個人的な理由もなくはありません。けれど、現在の私が強調したい点は、このエピグラムをこの本を読んでくださる読者の人と一緒に共有したいということです。その時に、死者は過去の忘却に消え去るものから、永遠に我々の心に去来し続ける同胞となるということを意図しながら、このような言葉を掲げました。それは、また私の現在の研究のスタンスでもあります。
6.学術書に一般的にあって、本書にないものは、なあに〜?
答えは「註」が一箇所を除いてないということです。その珍しい例外の一箇所とは、「序」にある、私の先行文献の指示を指摘したものです(p.8)。
なぜ、註がないのでしょう? 最初から註のない文章を私は書こうとしたものではありません。註を無くそうと努力したのです。では、なぜ註を無くそうとしたのでしょうか。その理由は、昨今の出版物における註の多さに辟易していたからです。
もちろん、註には本文に込められた意味を補強し、テキストをより完璧なものにできるという利点があります(ジャック・デリダの「補遺」についての議論を参照)。しかし、それでもあえて、私はつぎのような主張とおこないたいと思います。
「言いたいことは本文で、補足したいことも本文でおこなうべきだ。それでもなお補足したことは、(結果的に)著者の衒学趣味(=自分の知識をひけらかす振る舞い)と思われても仕方がない」
7.本書の編集者は中川大一さんです
大一さん(我々のあいだでこう呼ばれています)の名前(p.344)を知らない人は多いかもしれません。しかし「彼が編集に携わった作品(=本)のひとつが太田好信さんの『トランスポジションの思想』世界思想社である」と聞けば「ふむふむ」と興味の湧く文化人類学者も少なくないはず!です。これは出版してはじめてわかったことですが本は、著作者と編集者の共同作業(=私の場合は匿名の校正者のコメントにも多く負ってます)の結果にほかなりません。
私が、大一さんが編集者のプロと信じる5つのポイント(あるいは編集道の基本)を紹介しましょう。
1.あくまでも黒子に徹する。
2.忠実(まめ)に執筆者にコンタクトをとる。
3.取り組む書物に対する勉強や目配せを欠かせない。
4.営業についてもつねに気配しつつ、本がさまざまな産業(製造/流通/消費)に関わっていることをつねに意識する。
5.最後に本や出版に対する<愛>ですね。
8.本書には多様な読み方ができます
本の読み方には多様な方法があります。つまり丁寧によむ(=精読)とアウトラインをささっと読む(=概読(がいどく)と私は読んでいます)。
このことについては以下のウェブページが役にたつはずです。
9.本書で使われる用語をチェック!
本書で使われる用語集は2つあります。ひとつは「索引」(Pp.382-390)、もうひとつは「村落保健用語集」(Pp.353-358)です。索引は日本語で50音順で表記され、学術用語と日常的用語などからなりたっています。索引ですから、用語の説明は、指定されたページにあると言えます。もうひとつは、現地語であるスペイン語で表記されるさまざまな用語です。馴染みのない用語ですので、まず必要最小限の説明だけを掲げていますが、「燃えるように痛む」などのように興味深い用語などがありますので、なかなか見過ごせません。
本書は医療人類学に焦点が当てられた民族誌ですので、以下の医療人類学用語辞典が読解にお役にたつでしょう。もし、不十分なら「こんな用語を入れてほしい!」とリクエストしていただれば善処します。
10.教科書として使ってみる
この本はひろく学術専門書として認知されているようです(書店での配架やウェブ検索での分類など)。したがって、私が著者として、この本を教科書に使うということに、周囲の関係者から驚きの声があがりました。それらの意見をまとめると、教科書としてこの本が使いにくい唯一の問題は値段(¥5,800)でした。それ以外は、特に難解というわけではなく、丁寧に読めばわかるように工夫してあり、医療人類学というテーマも、どんな人にも開かれているわけではないけれど(1)文化人類学の立場から「医療」を研究対象にする学生、(2)医療を文化人類学というレンズを通して相対化して見たい医学生、の入門書として十分にお役に立てる内容であると自負しています。値段の問題も、類書に比べて極端に高価というわけでもありません。むしろ、後にみるように、何度も読み返しが聞くように索引などに工夫が施しています。
■ 高知医科大学の文化人類学の授業でさっそく使ってみました!
11.野村一夫さんが読む拙著の魅力!
社会科学系ネットサーファーなら誰もが知っているソキウス浜の伝説の学者、野村一夫さんが『大原社会問題研究所雑誌』(521号)で拙著を書評されています。ふむふむ……、それによると、私のこの本はパチンコ玉理論というコンセプトで説明できるということ(そのココロは、パチンコ玉をよく見ると自分を含めて世界が小さな玉に写っているということです!)。
■ ソキウス書評『実践の医療人類学』(野村一夫)
なお、リンク先の情報はPDFファイルなので、プラグインで使うか、ダウンロードしてアクロバットリーダーで読んで下さい。
■ 『大原社会問題研究所雑誌』(521号、2002年4月号)目次(リンクつき)
野村一夫先生(國學院大学経済学部特任教授)には2002年5月8日に熊本に来熊していただき、合評シンポジウムを下記のような要領で開催しました。
◆ 池田光穂『実践の医療人類学』合評シンポジウム
12.ていねいな校正
この本は、実は、とても念入りな校正を経て世に出されたことは、案外知られていません。
本書に関しては、原稿段階で一度編集者とやりとりをして相当程度稿を改めまし た。その後初校→出版社の校正→著者校正→再校→出版社の校正→著者校正→三 校→編集者と著者の共同チェック、という工程を経ています。索引をつくるとき にも、統一のためかなりの用語を校閲訂正しました。 この手の書物では校正は著者任せという話しも時折聞きます。それに比べるとず いぶんていねいに作っていると言えましょう。
それでもミスがないとは言い切れ ません。読者のみなさんのご指摘をお待ちします!
13.なぜ、じっせん=実践なのでしょうか?
私がここで使った「実践」とは、レイヴとウェンガー(1993)『状況に埋め込まれた学習』による人類学領域への再参入というひとつの事件を契機にしています。(→定義はこちら)
この実践概念をひとつの道具として、人類学の社会問題に関与する古くて新しいスタイルを吟味しています。
宣伝ですが、私も参加した、田辺繁治・松田素二の両先生の編集になる、人類学的実践に関する本が、もうすぐ世界思想社から出版されます。乞うご期待!
14.うら(=奧付)の写真を見ましょう!
うらといっても、書名や発行年、出版情報がある「奧付(おくつけ)」のページのとなりです!
ここには、私の調査助手で、現在でも変わらない友人であるリンド君と一緒にとった写真が掲げてあります。[時代の古いものは、カラー写真でこちらで見られます<<こちら>>]。
新書版などで本のカバーにお澄ました(ネクタイなんかしちゃって)筆者の写真を掲げるケースはよくありますが、友人との記念写真みたいなものを、それも2枚も!掲げるというのは、異例中の異例です。
これをさして、さる人類学の大御所の先生から「現代の怪著=快著」とお褒めくださりました。また、ある著名な政治学者の先生は、「途上国の人(=リンド君)と君(=私)の老け方の速度の違い」を感じさせるという感想もいただきました。まさに、そのとおり! 何気ない写真にも、さまざまな社会現象が込められているのですから……。
15.お写真のついでに!
14番の写真の解説の中に、へんなスペイン語があります。amigo del yugo(アミーゴ・デル・ジューゴ)という言葉のジューゴあるいはユーゴ(yugo)を知っている人は、日本のスペイン語学者では、農業にオタク的関心をもっているとか、農民生活や農業労働などの研究をする人以外には、なかなか知られることのないボキャブラリーです。ジューゴとは軛(くびき)のことです。
軛(くびき)と言ってもわかるのは、農業に精通した年輩の人だけでしょうね。牛(多くは力がありかつ従順な去勢牛)を二頭平行に並べて、牛の角にその後頭部の形に合わせた横棒をわたし縄でしっかりとくくりつけます。牛の間に鋤(すき)をくくりつけて——ちょうど鋤(すき)の引き棒が牛の真ん中に平行に位置することになります——畑を耕すのですが、この二頭の去勢牛の間を結びつけるのが軛(くびき)です。
したがって、軛(くびき)とは、去勢牛にとって、どうにもならない宿命や身動きのとれない状態を形容する言葉として流通してきました。次の名著の翻訳(現在は品切れなので図書館で探してね)が、軛(くびき)のこのような用法にあたります。
*ジュリアン, フランシスコ、1976『重いくびきの下で : ブラジル農民解放闘争』西川大二郎 訳、東京:岩波書店,(岩波新書 ; 青-967)
しかし、ここでの軛(くびき)のイメージは異なります。男性が農作業でみる、牛がいつもいっしょにいることは、仲の良い証である表現にかわります。
16.なぜ副題には地政学(ちせいがく)という聞きなれない用語が入っていますが、なぜなのでしょうか?
地政学の一般的用法については、本書の序のPp.7-8 にある解説を読んでください。
空間の占有を政治化するという地政学のテーゼは、かつての全体主義国家の御用学問以外にも流用可能な概念であることを考えたかったのです。
じつは、この本の構想について思いついたときの最初の書名は『疾病の地政学』でした。文意をより精確に伝えるならば『疾病制御の地政学』です。これをこれをさらに精確に表現したのが、現在の副題にあたります。
しかし、このことは、この書物をもうすこし、じっくり読み進めてから考えましょう。
ここでは、地政学の基本的な考え方について押さえておきましょう。本書以外にも次の解説をおこなっています。
■ 池田光穂『疾病の地政学』(仮題)備忘メモ
(↑本書の最初の覚書=アイディアメモです:自分でも、もうわからない箇所もあります)