ファーストコンタクト再演―博物学と人類学の間
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and/or Remind of Your Concepts of Cultural Anthropology
文化人類学とはなんでしょう[20分でわかる文化人類学]
太田好信・浜本満編『メイキング文化人類学』世界思想社、2005年
[テキスト(浜本)]01making_anthroX-2.pdf
章の構成
「植民地主義の意味は18世紀末にはすでに、重商主義の原理にもとづいた保護主義的な体制からキプリングの「白人の責務」に見られるような 倫理性をまとった自由貿易的帝国へと変化しつつあった[Fulford and Kitson 1998:3]。クックの三回の航海はこの変化の先触れであり、「発見」の目的が、搾取・征服・帝国主義的領有から、征服や領有を表立っては含意しない 「科学的調査」へとシフトしたことを物語っていた[Obeysekere 1992:5]」(浜本 2005:17)
「博物学はいわば地球がもっている事物の「在庫管理のシステム」[荒俣 1993:30]として成立した」(浜本 2005:21)
「この環境への注目、対象が所属するコンテクストへの注目自体が、実は新しいことだったのである。しかしそれは19世紀におけるエキゾ ティックなものに対する想像力の変容のなかですでに予期されていたのだと言えるかもしれない」(浜本 2005:26)
「進化論は、近代生物学へと再編されつつあった博物学の研究対象を大きくシフトさせた。環境あるいはそれが生きるコンテクストから切り離さ れた生物、博物館に収蔵されている標本に示されるような脱コンテクスト化された生物体単位ではなく、いまや〈生物プラスそれが生きるコンテクスト〉が研究 の対象となる」(浜本 2005:26)
「ウォレスに至っては、アルー諸島などでは「人種」について実際に調査し、人種の境界線について論じてさえいる。ではなぜ彼らを、われわれ が今日知っているような意味で、人類学者、あるいはその祖先と呼ぶことができないのだろうか。もちろんこうした問いは、歴史に関する問いとしてはなんの意 味もない。……しかし博物学者として自然について語っているときの彼らと、人間について語っているときの彼らの間のギャップについて考えることは、人類学 におけるフィールドワークが博物学の野外調査に加えて、さらに何でなければならなかったのかを知る手がかりになるだろう。そもそも博物学におけるフィール ドワークが生物進化論を生み出し、それを根拠づけたとすれば、人類学の領域では、フィールドワークは人間社会に関する進化主義的学説をまさに破産させる結 果を生んでいるのである」(浜本 2005:27-28)
「「野蛮人」が示すこの2つの特徴についてのダーウィンの記述を読むと、われわれはその三百年も前のコロンブス以来繰り返しなされてきた同 様な報告を思い出さざるを得ない」(浜本 2005:32)
「ダーウィンの観察記述は、ここでは16世紀以来の、他者に対するヨーロッパ人の想像を単に反復しているにすぎないことがわかる。まさにコ ロンブスのファーストコンタクトを再演しているのである」(浜本 2005:33-34)
「ダーウィンのフェゴ(フエゴ)島での経験は、優秀な博物学者である彼が、先住民に対しては、彼らをヨーロッパとは別の一つのシステムに属 する存在と して、一つの別世界の住民として眺めることができていなかったことをはっきりと示している。この人間存在にとって不可視のコンテクストに気づくとき、人類 学においてフィールドワークは単なる理論家のための資料収集であることをやめるのであるが、それはまだまだ後の話である」(浜本 2005:36)
[文献]
浜本満「第1章 ファーストコンタクト再演」『メイキング文化人類学』太田好信・浜本満編、Pp.15-37、世界思想社、2005年
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