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仲松弥秀の琉球ユートピア思想について

Yashuu Nakamatsu's Ryukyu Utopian Philosophy

池田光穂

1972年(財)民族学振興会から出版された『沖縄の民族学的研究:民俗世界と世界像』に収 載されている仲松弥秀(なかまつ・やしゅう 1908-2006)の巻頭論文「本島——祭祀的世界の反映としての集落構成」のなかで、沖縄諸島の村落とは「愛と信頼の村落」である、という驚くべき概 念規定からはじまる。

もともと共同体は、本源的な紐帯つまり仲松のいう 「愛と信頼」をもって生まれたものだが、それが歴史的にみて、内外からの政治組織化の影響をうけて変化する。しかし、それにもなお、レジリエントな本源的 紐帯組織を維持するために、村落は親族単位を実践単位とする祭祀的世界を構成する。そのイデオロギーを「オソイ」と「クサテ」という2つの表裏をなす信仰 がある、というのが仲松の主張である。オソイは「親である神は、自己の子である村落民を常に愛し、これを護り育ている」ことに代表される信仰についての語 彙である(仲松 1972:4)。またオソイはシーとも発語される。クサテは、腰宛(kusati)という漢字があてられて、神のオソイ(先の定義から愛であろう)を心か ら信じることであり、それを渇望することだ。依り添うとも表現している(仲松 1972:9)。

仲松の論文は、それを、村落構造と、語彙の語源的解明から論証しようと試みるものである。しかし、島津の琉球征伐(1609)や現代化の波のなかで、オソイとクサテという2つの「思想」(評者はイデオロギーと表現)の崩壊を、仲松は嘆いている。

仲松の論証には、歴史実証主義的手続きからみると、1)愛や信頼の定義不足や、それが「理想 的な」琉球社会に存在していることの証明の欠如、2)オソイとクサテという2つの「思想」を、村落構成原理として抽出することの妥当性、3)2つの「思 想」にもとづく実践を永続的に維持してきた唯物論的な根拠(ベース)や可能性の指摘、などが欠けており、非常に不満が残るだろう。

しかしながら、仲松の論文を、琉球のユートピアを支 える思想や神話という哲学の分析、あるいは、ユートピアの崩壊後に、ユートピアないしはユートピア的社会構成原理を回復するための、設計図あるいはグラン ドデザインの思想だとすれば、足元のデータしかみない下手な実証主義的イデオロギーに凝り固まった論文よりも、はるかに、未来を見据えている思想あるいは 哲学の提唱であると言えるだろう。事実、この論集はさまざまな角度から沖縄の民俗事象が検討されているが、それに比肩する密度と思想の解明に取り組んでい るのは、伊藤幹治「神話儀礼の諸相からみた世界観」を見るだけである。伊藤は同論文の脚注(1972:255-256)において仲松の2つの文献を引用し て、クライナーや比嘉とは異なる、折口・柳田の系譜につながる他界観・神概念の系譜に位置付けている

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