ゴフマンのフレンチ・コネクション
On French Connection between Jean-Paul & 'the little dagger'
解説:池田光穂
■ Virtual Goffman ■
現在では、そうではないのだろうが、よくアーヴィング・ゴ フマンや象徴的相互作用論の一般的解説を読んでいる と、象徴的相互作用論者としてゴフマンが解説することがしばしば見受けられる[Smith 2006:31]。
これは、ゴフマンが1940年代の後半にシカゴ大学社会学部ならびに大学院で教育を受けたことか らくる、教育を受けた=学派の一味であるというステレオタイプに起因するのではないかと思われる。
ゴフマンの生活史と彼の学問のスタイルの関係についてはイーヴ・ヴァンカン(Yves Winkin)の『アーヴィング・ゴフマン』[せりか書房](Les Moments et Leurs Hommes, 諸契機とそれらの人間たち)に詳しい。
私がゴフマンにしびれるのは、ゴフマンが人間の内面に立ち入るという研究的態度に対して禁欲ある いは意図的な無視・軽視というものがあるからに他ならない——ゴッフマンの自己(self)という概念には中味が全く存在しない。私はそれがニヒルでカッ コイイと思ってい る人間のひとりである——そう思っている僕の自己(my own self)とはなんだろうか? 従って、僕は「ゴフマンは象徴的相互作用論的な立場からはおよそ遠い位置にいたのではないのか?」と考える人間である。だ から私のゴフマンは、シン ボリックインタラクショニストではなく、実存主義者なのである。
この主張を傍証するデータは、先のヴァンカンの上掲書の解説で言っている次の2点である。
(1)ゴフマンはブルーマーの授業にそれほど惹かれなかったし、またブルーマー(Herbert George Blumer, 1900-1987)もゴフマンに 影響を与えたことはないと発言していることである(pp.46-7)。
(2)ゴフマンは、先行する社会学のビックネーム(マルクス、ウェーバー、デュルケーム、ジ ンメル)への言及よりもサルトルへのそれが5倍も多いという指摘である(ただしこれはヴァンカンではなくマッカネルが『セミオティカ』の追悼論文の中での 指摘、上掲書、p.182)
ゴフマンがサルトルにかぶれたのは、彼が『行為と演技』のもととなる学位論文を書いたパリである というのが、私の推測である。あるいは実存主義の洗礼をパリで受けたのだという仮説である。これを〈ゴフマンのフレンチ・コネクション〉と読んでおこう。
Behavior in Public Places, 1963 の中でも、のらりくらりとする態度が容認される文化の指標としてカフェがある社会をあげている。別の箇所では、パリの公道の規制のゆるやかさについて言及 する箇所がある。ゴフマンが学位論文の構想を練りながら、カフェで通りをゆく人たちを長時間ながめていたというのは、根拠のない夢想だろうか。また他なら ぬその場所が1968年5月18日には若者たちが沸騰する場所になったことも忘れてはならない。
だれか社会学者でゴフマンのフレンチコネクションについて言及した者はいないのか?(→D.マッ カネルはその第一人者だろう)
アラスデア・マッキンタイア『美徳 なき時代』に、サルトルとゴッフマンについての類似点と相違点についての言 及があった。
マッキンタイア(Alasdair MacIntyre, 1929- )によれば、ゴッフマンは、人間の自己(self)というのは徹頭徹
尾 Homo sociologus
というカテゴリーの圏外で生きることはできないと主張していたようにみえる。つまり、〈自己というものは無いのだ〉ということになる。
「この民主化された自己は、必然的な社 会的内容と必然的な社会的同一性とを一切もたないので、いかなるものでもありうるし、いかなる役割、いかなる見地も採りうる。なぜなら、その自己はそれ自 身においては無であるのだから。近代的自己が自分の行為と役割に対してもつこの関係は、もっとも明敏で知覚力のある理論家たちによって、一見すると二つの まったく異なった両立しないと見える仕方で概念化された。サルトル——ここでは1930年代と40年代のときの彼についてのみ話す——は、自己を、たまた まそれが引き受けている特定の社会的役割のいずれともまったく区別されたものとして描いた。アーヴィング・ゴッフマンはそれと対照的に、自己をその役割演 技に解消して、自己は役割という衣服がかけられている「掛けくぎ」以外の何ものでもないと論じた。サルトルから見れば、中心的誤りは、自己 をその役割と同 一視することである。それは、知的混乱と並んで道徳的自己欺瞞という重荷を伴う間違いである。ゴッフマンから見れば、中心的誤りは、役割演技による複雑な 表現を超えて、その彼方に実体のある自己が存在すると想定することだ。それは、人間の世界のある分野を「社会学から手つかずに」保ちたいと願う人々の犯し てきた間違いである」[p.40]。——マッキンタイア『美徳なき時代』篠崎訳、みすず書房。
「しかし、この二つの対照的に見える見 解には、最初の説明がそう思わせるよりずっと多くの共通性がある。一方で、社会についてのゴッフマンの逸話に富んだ記述では、識別可能なあの幽霊のよ うな 「私」、すなわちゴッフマンによって実体的な自己性を否定された心理的な掛けくぎが、依然として存在している。それは、しっかりと役割に組 み込まれた一つ の状況から別の状況へとつかの間のあいだ飛びかうのである。他方で、サルトルに とって自己のなす自己発見は、〈自己は「無」であり実体ではなく、絶え間な く開かれた一群の可能性である〉という発見として特徴づけられる。このように深いレヴェルでは、ある種の一致がサルトルとゴッフマンの表面 的な不一致の下 に横たわっている。つまり、彼らが一致している点とは他でもなく、まさに両者とも自己を完全に社会に対置されたものとして見ている点で ある。ゴッフマンに とっては、社会がすべてであるので、自己はそれゆえまったく無であり、社会的空間を何ら占めていない。サルトルにとっては、自己がどんな社 会的空間を占め ようとも、それはただ偶然にそうしているだけであって、それゆえ彼もアクチユアリティまた自己をまったく現実性のないものとして見ているのである」 [p.40]。——マッキンタイア『美徳なき時代』篠崎訳、みすず書房
ゴフマンの足跡[=くわしくは「伝記の幻 想」でパ ワーアップしました]
1945年 シカゴ大学大学院に入学。仕事と職業に関するEverett Hughesの授業の中ではじめて「全体的施設(total institution)」について聞く。
1949年 修士論文:ソープオペラ・ラジオ番組の聴取者の反応についての研究
1949年12月〜1951年5月(約18か月)シェットランド諸島Unst島に滞在し、 フィールドワーク:農業技術に興味をもつアメリカ人として振る舞う。
1951年5月 パリに移動、学位論文を仕上げる(パリ=マリノフスキーにおけるカナリア諸 島?)
1952年 当時23歳のAngelica Choateとシカゴで結婚(翌年息子トム出産): "Coolin the mark out: Some aspects of adaptation to failure," Phychiatry 15:451-63.
1953年 学位請求論文(Communication and Conduct in an Island Community.)申請に成功(ロイド・ウォーナー、エヴァレット・ヒューズの審査)/The Presentation of Self in Everyday Lifeのドラフト作成に着手、学位取得後、シカゴでエドワード・シルズのリサーチ・アシスタントになる。
1955年 ワシントンD.C.のSt. Elizabeth's hospitalでの観察開始。
1961年 『アサイラム』(「関心の中心は自己の構造について社会学的解釈 を展開すること」『アサイラム』p.v.)
1961年 『出会い
(Encounter)』
1963年 『公的な場所での
行動: 集まりの社会的組織化に関する覚書』
【参照文献】
Warner, William Lloyd. 1898-1970
Black Civilization, 1937
Yankee City Series 1941-1963
Hughes, Everett Cherrington. 1897-1982
French Canada Transition. 1943
Man and Their Works. 1958
Shils, Edward Albert, 1911-
Parsons, T and E.A. Shils., 1951. Toward a General Theory of Action.
■筆者のゴフマンへの関心やゴフマン理論についての指摘
【コメント】
1. 「人間が内的経験をもたないと言っているのではない。人間は内的経験をもつにきまって いる。しかし、例えば儀礼をおこなっているときの人の心の心的状態がどのようなものかと問うとしても、その経験がその場にいるすべての人にとって同じもの であると信じるのは難しいのだ」(ギアツ「(たぶん)文化の解釈」のことば)
ジョージ・サンタヤナ:epigraph「私には、中身は外見のために、顔は仮面のために、 あるいは情念は詩のため徳のために存在する、などと言うつもりは毛頭ない。自然には、何か他の物のために生ずるなどというものは一つもない。これらすべて の様相と産物は存在全体のなかに平等に包まれているのである」『自己提示』
★オリジナル・クレジット:ゴフマンのフレンチ・コネクション, On French Connection between Jean-Paul & 'the little dagger', アービング・ゴッフマンは象徴的相互作用論者なのか?
◆ トータル・インスティテューション(全制的施設)の定義
「全制的施設 a total institution とは、多数の類似の境遇にある個々人が、一緒に、相当期間にわたって包括社会から遮断されて、閉鎖的で形式的に管理された日常生活を送る居住と仕事の場 所、と定義できよう。」(p.v) 『アサイラム』
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