焦点のある集まり/焦点のある相互作用
Focused interaction & "focused gathering"
解説:池田光穂
焦点のさだまった相互作用(Goffman 1961)とは、アーヴィング・ゴッフマン(あ るいはゴフマン)によるものである。
焦点のさだまった相互作用(focused interaction)とは、一群の個人がおたがいに特別の関心をはらいながら、相互作用を持続するというコミュニケーションのことである。この場合は 焦点は、あたかも、参与者(当事者)と非参与者(当事者以外の人たち)を区別するような膜(半透過性の膜, semi-permeable membrane)が、その焦点の中と外にある。劇場で言えば、舞台と客席や、舞台と舞台裏のような区分がある。
これに対する反対語は、焦点のさだまらない相互作用(unfocused interaction)である。ただし、焦点がさだまらないといっても、人びとはそこに関わっており、その都度に注意を払って状況を観察しているという のが、ゴッフマンの主張である(Goffman 1963)。
下の図は、解説者(池田)が図示したものである。
「自然の事実としては束縛されない激情であり、文化 の事実としては完成された形式でもあるという、この事象のもつ交差した二重性は、闘鶏を一つの社会学的実体として規定する。集団と名付けられる程まとまり のあるものではなく、群集と名付けられる程無構造ではないものを称するのに、アーヴィング・ゴフマンは「焦点のある集まり」――これは、ある一連の共通の 活動に没頭していて、そ連の活動によって互いに関係づけられている人びとの集まり――という言葉を使ったが、闘鶏はこれにあたる。このような集まりは、集 まってはまた解散する。その参は、長続きしない。永続する連続の過程ではなく、繰り返される非連続の過程である。また集まりを引き起こした状況から集まり の形式が生まれてくるが、ゴフマンが述べたように、その状況というのは集まりの生まれる基盤なのである。しかしそれは一つの形、それも明瞭な形を採る。と いうのは状況ないし基盤は臨時審議会、外科手術、反対声明集会、座り込みストライキ、闘鶏などにおけるように、その文化的関心(闘鶏では後に見るように地 位の争いの祝典)によって作られるからだ。この関心は集まりの焦点を明らかにするばかりでなく、役者を集め、舞台背景を整え、実際に基盤を作りるのであ る」(ギアーツ「ディープ・プレイ――――バリの闘鶏に関する覚書」クリフォード・ギアーツ『文化の解釈学II』(吉田禎吾・柳川啓一・中牧弘允・板橋作 美訳)岩波書店、1987年(Geertz, Clifford. The Interpretation of Culture. New York: Basic Book. 1973))。
"This crosswise
doubleness of an event which, taken as a fact of nature, is rage
untrammeled and, taken as a fact of culture, is form perfected, defines
the cockfight as a sociological entity. A cockfight is what, searching
for a name for something not vertebrate enough to be called a group and
not structureless enough to be called a crowd, Erving Goffman has
called a "focused gathering" - a set of persons engrossed in a common
flow of activity and relating to one another in terms of that flow.lO
Such gatherings meet and disperse; the participants in them fluctuate;
the activity that focuses them is discreet - a particulate process that
reoccurs rather than a continuous one that endures. They take their
form from the situation that evokes them, the floor on which they are
placed, as Goffman puts it; but it is a form, and an articulate one,
nonetheless. For the situation, the floor is itself created, in jury
deliberations, surgical operations, block meetings, sit-ins,
cockfights, by the cultural preoccupations - here, as we shall see, the
celebration of status rivalry which not only specify the focus but,
assembling actors and arranging scenery, bring it actually into being."
上の図をみながら下の図を見てみよう[解説へのリンク先]
「霊媒カルトはクライアントを獲得するために他のカルトと競合するが、他方でそのコミュニティ特有の再生産の様式をそなえている。それは新たな 霊媒という人格そのものの創造であり、それによって霊媒カルトは師弟関係によるネットワークを形成する」(田辺繁治『生き方の人類学』 2003年:151頁、以下同様)
「善良で人びとに幸福をあたえる守護霊を自分の身体に憑依させ彼ら(=クライアント)の病気を治したり、さまざまな占いを行ったりする」 (p.143)。「霊媒は精霊をコントロールする憑依の身体技法を身につけている」(p.144)。
「今日にいたるまでほとんどの北タイの村には一人以上の霊媒がいて、村人に対して病気治療や占いを行ってきた。1970年代頃までは村の霊媒は
下層農民の女性であることが多かった。彼女らが霊媒となる前には長年にわたる身体的な苦痛あるいは重い精神的な苦悩を経験している。彼女らは先生としての
霊媒にめぐりあい、その治療を受けることによって苦悩から回復し、自ら霊媒となって占いや病気治療を行うようになる」(p.145)。
【文献】
シリーズ:じっせんきょうどうたい
附 録 用語集
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