身体の個別性と普遍性
Particularity and Universality of the Body
フーコーによると、生産と隷属が同時に存在しなければ、身体は有効なものとして機能しない。
「身体は、生産する身体であると同時に隷属する身体である場合のみ有効な力となる」『監獄の 誕生』p.30
われわれは自分の運命を手中に握っており、われわれは反省によって、しかしまたおなじく自分の生命を賭けた決意によっても、自分の歴史に責 任を負うようになるのであって、この反省と決意の双方の場合とも、問題になるのは実践されることによって己を確証するひとつの暴力的な行為なのである。 (メルロ=ポンティ『知覚の現象学I』p.24)
記憶における身体の役割が理解できるようになるためには、記憶とは過去の構成的意識ではなく、現在のかかわりから出発して時間を再開するた めの努力でなければならず、一方、身体とは、われわれが<態度をとり>、そうすることによって疑似=現在をつくり出すための不断の手段として、われわれが 時間および空間と交流する手段となっているのでなければならない。(メルロ=ポンティ『知覚の現象学I』p.298)
附 録 用語集