儀礼のなかの実践
講釈師:池田光穂
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田辺繁治『生き方の人類学』講談社・現代新書[→文化人類学、はじめの一歩;人類学の最前線]
【第4章】儀礼における実践
この章のテーゼ:「託宣や治療は、霊媒カルトという実践コミュニティにおける参加がもたらす対話に支えられた権力ゲームによって実現する」 (p.179)。
この命題をわかるためには、次の項目が理解されていなければならない。
(1)霊媒カルトにおける託宣や治療の具体的な実例
(2)実践コミュニティ(レイブとウェンガー)という概念と、その意義(すくなくとも田辺によるその理解)
(3)対話が含意する、言語行為論のおおまかなアウトラインとその意義。〈対話的関係〉における実践の意義。
(4)権力ゲームという概念。(フーコーのいうところの生産的権力概念や、権力を生み出したり操作できるという柔軟な理解)
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■都市という環境における霊媒カルト
「都市という権力の網の目のなかにうずまく欲望と苦悩は霊媒カルトに流れこみ、霊媒の身体
はそのすべてを受容し、ある種のゲームのなかで癒しは実現していく」(p.142)。
■憑依現象
精霊(ピー)が人間の身体に侵入して引き起こす現象。ピーは、川や森に住む霊、死霊、妖術
の霊、守護霊(最後のものは人に幸福をもたらす)。
【脱線・寄り道】
ピーはタイでは最もよく知られた精霊表象です。このページの冒頭(ならびに下 記)の画面は漫画『マイペンライ東京』(原作:サード・ドッグ・バンコク、作画:クン・ニコン、翻訳:サン&ゴドー、制作:ナウィン・プロダクション)の 表紙で、タイから出没したさまざまな精霊ピーを退治するためにチェンマイの祈祷師ナウィン、ニューヨークのカメラマンのジョニー、考古学者ピヤックが、現 代東京を訪れる物語です。
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【閑話休題】
■憑依の状態=身体の不調、急性的な心身の苦痛
■霊媒マーキー(=精霊が乗る馬)143
・「善良で人びとに幸福をあたえる守護霊を自分の身体に憑依させ彼ら(=クライアント)の
病気を治したり、さまざまな占いを行ったりする」(p.143)。「霊媒は精霊をコントロールする憑依の身体技法を身につけている」(p.144)。
・「今日にいたるまでほとんどの北タイの村には一人以上の霊媒がいて、村人に対して病気治療や占いを行ってきた。1970年代頃までは村の霊媒は下層農民 の女性であることが多かった。彼女らが霊媒となる前には長年にわたる身体的な苦痛あるいは重い精神的な苦悩を経験している。彼女らは先生としての霊媒にめ ぐりあい、その治療を受けることによって苦悩から回復し、自ら霊媒となって占いや病気治療を行うようになる」(p.145)。
・「1980年代の高度経済成長の初期においてその数は急速に増加しはじめ、1990年代後半には人口16万ほどの観光産業都市であるチェンマイ市域で霊 媒の数は千人以上にまで増加した」(p.146)。
■霊媒カルト(定義)
「精霊に関わる超自然的な力、つまり憑依する守護霊の力を信じ、それによって病を治し、苦
難を解消し、幸運を祈願し、欲望を達成しようとする人びとの集まりである」(p.148)。
■仏教と精霊信仰との関係
「タイはスリランカから伝わった上座部仏教(小乗仏教)の国であり、北タイも古くからその
中心地であった。〈しかし〉(引用者註)北タイの人びとの間では精霊信仰と仏教は今日にいたるまで、いわば不即不離の関係にある」(p.144)。「仏教
と精霊信仰という重なりあう信仰のなかにあって……」(p.144)。
■類型論(pp.144-)
・霊媒(マーキー):「精霊が乗る馬」という意味。多くは女性(→1980年代からはゲイが、そして1990年年代から
は男性らしさを誇示する男性霊媒も後に登場する。p.146)
・悪霊払い師(モー・ピー):多くは男性で出家の経験がある、144
・民間療法師(モー・ムアン):多くは男性で出家の経験がある、144
■代替医療としての霊媒カルト
「急速な産業化とグローバル化が生みだす人びとの悩み、不安、不確定性に対応しながら、霊
媒はそれらを緩和し、解消するための代替医療としての機能も果たしている。さらに、霊媒は宝くじの当選番号を占い、職場の人間関係や夫婦間の問題の解決、
就職、転職、進学、ビジネスにおけるチャンスをつかむためのコンサルタントともなっているのである」(p.147)。(→ここから代替医療の概念が厳密な
カテゴリーの外部にあり、定義としては残余を包摂するものであることがわかる)。
■実践コミュニティとしての霊媒カルト(pp.149-)
・要素:霊媒、タン・カオ(「飯を捧げる」の意味)=霊媒の世話役で主に男性、常連のコアグルー
プ、クライアント、新たなメンバーなど。(→作図を参照のこと)150-
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■コミュニティの再生産様式(pp.151-)
・「師の霊」というカリスマ
「霊媒カルトはクライアントを獲得するために他のカルトと競合するが、他方でそのコミュニティ特有の再生産の様式をそなえている。それは新たな霊媒という人格そのものの創造であり、それによって霊媒カルトは師弟関係によるネットワークを形成する」。151頁
・救済のイデオロギー:「自分の身体に憑依する守護霊は、衆生を救済するために降臨する」(p.150)。
・師の霊(ピー・クー)=カリスマ(charisma、ギリシャ語由来のラテン語:恩寵、賜(<grace)):「「師の霊」とはそれら(=霊媒に 憑依する複数の)守護霊を指すのではなく、その憑依の仕方、技法を可能にするような超自然的な力である。……「師の霊」という力は彼らの憑依の技法や憑依 した守護霊の行為や言葉に正統性をあたえる根拠であり、それをなくして霊媒たちは権威をもって患者やクライアントに対応することはできない」 (p.152)。
・高坏(カン・クー)151:師弟関係のシンボル(記号)
・したがって、それ(=師の霊)は、カリスマ(M・ウェーバー)であり、象徴資本(P・ブルデュ)である。[→用語解説]152
■カリスマを共有する関係のネットワーク153-
・師弟関係のネットワーク→「奉納ダンス」により強化154
「奉納ダンス」154-
・その実例としての「師の霊の崇拝」(ヨック・クー)pp.154-。
■カリスマの継承によるネットワーク形成(p.155)には、レイブ&ウェンガーのような「相互参与」よりもダンスのような身体所作が重要になる。155
3.霊媒となる身体技法156-
■霊媒の身体技法(pp.156-)
・「人を癒す」(ヤー・ヨン)
・占い=原因追及(p.158)=守護霊の怒りを引き起こした侵犯行為
・守護霊を招く高坏(カン・チューン)
・供物や現金を入れて霊媒に差し出す高坏(カン・タン)156
※即興的な変身とダンスが重要157
■癒しの過程――占いと治療157-
・クライアントにアイデンティティの混乱を引き起こしながら、自己から守護霊へのアイデンティティ転換のセッションを繰り返しながら、守護霊にふさわしい心と体をつくりあげる(=構築する)。
・「癒しの過程は憑依をコントロールする身体技法を学習することに強く関係している。そこでは霊媒の治療行為と患者の学習は一体となり、アイデンティティ危機をのりきる憑依の技法を体得していくことによって癒しが実現するのである」(p.160)。
◎「未知の精霊を求めて」159-
■連続した憑依の身体技法(p.161)
【1】守護霊を自らの身体に降臨させるための準備――(具体的行為: )
【2】憑依状態に入る身体動作――(具体的行為: )
【3】憑依状態から脱する身体動作――(具体的行為: )
【4】憑依状態における身体動作とパフォーマンス――(具体的行為: )
・「すべての実践知の場合と同じように、これらの行為は言葉などによる概念表象よりも身体動作を中心とするある種の模倣によって習得される。霊媒はこれらの一連の行為について言葉で説明し教示することはほとんどない」(p.162)。
◎「型をなぞる」162−
■アーキタイパル・アクション(原型行為)とトークン(代用型行為)
・K・ハンフリーとJ・レイドローのジャイナ教の礼拝儀礼による。
・原型行為(archetypal action)は「歴史的に形成されてきた特徴ある手本となるような行為の型」(p.162)。
・トークン:原型行為にならって自分自身の身体をもちいて実践される行為。
・原型行為は、一連の理想化された行為とされているが、個別の行為として区分することもできる。上述の【1】から【4】のように。
・「憑依を構成するそれぞれの身体動作は、多くの人びとによって歴史的に再生産されてきた原型行為をなぞりつつ、多少ともそこから差異化した代用型を生みだすことである。代用型行為とは実践の積み重ねによるミクロの差異の生産である」(p.163)。
◎「手本と差異」164-
・それ(=憑依の行為)は、自動的に無限に生みだされる実践(P・ブルデュ)とは異なる(p.164)。
4.レパートリーと権力ゲーム165-
■説明モデル(A・クラインマン)の解釈
【説明モデル】
「A・クラインマンが『文化の文脈における患者と治療者』(1980)
の中で提唱した、人々が病気になった時に、どのように考え、どのように対処するのかついて、人々が考え行動する病気対処行動の形式的描写のことを、説明モ
デルという。この説明モデルは医療者側(=専門家モデル、ないしは専門家型)にも患者とその家族の側(=民俗モデル、フォークモデル)にも病気を説明する
際にいくつかの共通点がある。例えば、......」- 説明モデル.
・「治療者と患者の間では、病気という出来事と治療のやり方について個別の解釈や選択があることを指摘」した。それを「説明モデル」と呼んで「治療者と患 者の間で病気の原因やその治療法などについて衝突したり、反抗したり、折り合いをつけるなどの相互行為がくりひろげられると言う」(p.166)。
・説明モデルは、集合表象ではなく、個別の偶発的な出来事を説明する解釈や選択のことを指している(=「それはあくまで治療者と患者という個別的で具体的な臨床現場における解釈や選択を問題にしている」p.166)。
■占いにおける託宣の問題
・活動の資源としての行為のレパートリー:「実践コミュニティにおけるレパートリーとはその内部における人びとの実践を組織し、相互行為の流れを作ってゆ くコミュニティ特有の資源である。霊媒カルトでは霊媒による占いと託宣がコミュニティの主要なレパートリーとなっている」(p.167)。
・それは、発語がもちうる〈力〉なのか?:言語行為論→「行為遂行的発話と事実確認的発話」
・「これらの託宣は結果的にそこに集まる人びとの行為に影響を与える。つまり、それは霊媒のカリスマ(象徴資本)に支えられて威力を発揮する。……オース ティンの〈言語行為論〉は託宣のような儀礼的言語を発すること自体が行為であり、そこに人びとの思考や行為に影響をおよぼす力、すなわち〈発話内力〉が発 生すると考える。しかし、その発せられた言葉自体に力が内在しているのではなく、社会的な行為のなかではじめてその力が発揮されることに注意しなければな らない」(p.168)。
・解釈のピンポンゲーム:「重要なのは、霊媒から発せられた託宣がそこに集まる患者やクライアントとの対話をとおして彼らの間でその解釈についての了解が成立してゆくことである」(p.168)。
■5つの事例(2つのセクションにまたがる)(→「ライフヒ ストリー分析」)
【1】チェンマイの空軍連隊の元将校:→男女の相性占い:169
【2】デパートに勤めている30代の女性:母系祖霊信仰を軸にした供犠169-170
【3】HIVに感染している30代の青年:家の祖霊の供養:171
【4】80歳の眼病を患った霊媒:盲目になることの効用を説く:172
【5】重い心身障害を訴える20代の女性:剣舞の教授:172
※【1】〜【3】はレパートリー問題をとく応用として、後者【4】と【5】は、物語としてのレパートリーを解釈する実例として考える。つまり、霊媒カルト
は、占いの図式を機械的に適用するのではなく、レパートリー自身をその資源として、治癒=癒しの物語(語りの力と、それを発揮させる社会的文脈を認識させ
る)を実現させることができる。
【複線径路・等至性モデル(Trajectory Equifinality Model, TEM)】の紹介
「サ
トウ・安田・木戸・田・ヴァルシナー
(2006)が提唱した、限られた事例から一般化したモデルをつくるときに、非可逆時間の経緯のなかで、分岐点(=その時点での経路が変わるポイント)と
等至点(とうしてん:=異なった経路だが結果的に同じオプションに帰着する事後的な合致点)の組み合わせで、(実際におこったものと/起こりえたかもしれ
ない)現象を同等に取り扱う方法である。」
◎「物語というレパートリー」173-
■モードゥス・オペランディとしてのレパートリー:174-
・「霊媒カルトは霊媒とクライアントとの対話による物語の作り方において特色があり、それがレパートリーというそれぞれのカルト独自の資源となっている。 霊媒カルトのレパートリーは、病や悩みを解決し、幸福を導きだす物語の作り方、すなわちそれぞれの霊媒カルト独自の〈modus operandi〉である」(p.174)。
◎「権力関係」174-
■権力の問題176-
・霊媒カルトにおける〈権力〉とは?――経済的財力、政治的権力、法権力とは異なる。
・実践コミュニティ・モデルでは、権力関係は中心と周辺の人間関係の矛盾や葛藤としてしか捉えていない(=田辺の批判の骨子)。
・霊媒は中心に存在し[→池田の作図をもう一度参照]、そこには中心から周辺に拡がる〈ヒエラルキー〉が存在している。しかし、霊媒はクライアントに支配―従属関係を押しつけるのではなく、クライアントの相談にのる〈コンサルタント〉として機能する。
「自由の余地をもつ、開かれた可変的な権力関係の形成」(フーコーよりの引用)※フーコーの権力論
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・構造化された支配―従属した権力関係(→抑圧的権力)・自由の余地をもつ開かれた可変的な権力関係(→生産的権力?)である。後者の関係は「治療における物語の構築や占いや託宣の協働的な意味の交渉において 明らかである。物語の構築、意味の交渉とは、実は、霊媒とクライアントとの権力関係が可変的で、流動的であり、いわば〈権力ゲーム〉が行われていることを 示している」(p.177)。
■治療と権力ゲームが同時に生起する瞬間
・「この権力ゲームは新たな霊媒が誕生する場面においてもっとも劇的な形でみること ができる」(p.177)。
(1)新たな霊媒の誕生には、霊媒は他者を制御するために権力を行使する。
(2)霊媒は患者に憑依する精霊に呼びかけ、守護霊を呼び出すために権力を行使し、 それを引きづりだす。
(3)上掲の権力実践を通して、患者のもうひとつのアイデンティティとしての精霊を 制御しようとする。
(4)患者は、この繰り返しの行為のなかで、未知の精霊が霊媒の管理下におかれるこ とを自覚するようになる(=患者の側のアイデンティティの転換が可能になる)。
(5)患者の憑依が安定化し、未知の精霊が同定(=アイデンティファイ)されると、 霊媒の患者の関係は、支配―従属関係から、友好=親和的関係に移行する。
・まとめ:「この権力行使から師弟的な関係への移行は、治療過程であると同時に、権 力ゲームでもある。霊媒の暴力的な支配は相手の行動を変動させ、結果的には患者のアイデンティティ転換を可能とするからである。それは霊媒カルトの権力 ゲームが支配―従属関係を固定させるものではなく、親和的な関係を築くための前提となっていることを物語っている」(p.178)。
→「権力について考える」
■冒頭のテーゼを反復しよう。
「託宣や治療は、霊媒カルトという実践コミュニティにおける参加がもたらす対話に支えられ た権力ゲームによって実現する」(p.179)。
【番外編】
PAPER: A Study of Folk Medicine in a Central Thai Village, by Chantana Banpasirichote. in "Occasional Report", No.18, pp.1-4, 1993.
*. How to become "Modernized" people ? in Nong-ya-nang, people have been modernized by domestic migration.
*. In Nongyanang, "Traditional Medicine" is not traditional (in diachronic sense). The traditional medicine of Nong-ya-nang is trasplanted traditonal medicine from outer world.
"[R]vision and reinterpretation of traditional knowledge are important elements in revitalization process"(Chantana 1993:3)
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PAPER:
Chantana Banpasirchote, 1999. Dismantling the Divide Between Traditional and Modern Knowledge: The Role of Civil Society in Revitalization of Traditional Practice. Paper presented for the 7th International Conference on Thai Studies, Amsterdam July 1999.
the aim of this paper, "to explore the recent phenomenon of the revitalization of traditional knowledge from its long previous decline"(Chantana 1999:2)
論文の構成
1. introduction
2.Traditional Medicine Development: The State Benign Neglect
3.Dynamics of Traditional Medicine in a Rural Community
4.Civil Society and Revitalization Process
5.The State and Civil Society Relation
6.Bibliography.
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【論文の論点:私が意義深いと考える3点】
1.伝統<対>近代医療という二元論批判
2.伝統医療のリバイバル的復興における国家と市民グループの役割の重要性
3.伝統医療に対する眼差しの変化:「国家による慈悲深い無視 the state benign neglect」から国民医療における覇権構造の中で有利に政策を展開させようとするための新しい定義の採用(→知識を資料化し、近代医療的実践の形の中 に再−成型させる)
【コメント】
・西洋医療が西欧の覇権構造の中で地歩を占めるようになって、伝統医療という概念が登 場、洗練されてきた。
・そのように定義づけられた伝統医療は、やがて概念が整備されて、その下位分類を形成す る、さまざまな諸類型が研究者によって提示され信じられるようになってきた。
・実際に、伝統医療のプロトタイプは実は、それに関心をもつ研究者によってさまざまな位 相をもつようになる。たとえば、生物医学者にとっての伝統医療の主要なイメージは「薬草医療」や「物理的施術」(鍼灸やマッサージ)などであり、社会学 者・人類学者にとっては「シャーマニズム」や「超自然的施術」が、その医療のプロトタイプであるとみなすわけである。
・しかしながら、それらのプロトタイプのイメージは、その医療を決定するもっとも重要な 弁別的指標にもとづく分類に他ならない。つまり、生物医学者は、もともと医療実践というものを個別技術の集積体として見ようとし、社会学者・人類学者は、 医療実践を人間と社会の関係との関わりの最たるものである集合表象あるいは<宗教>として見るという傾向があるということだ。
・したがって、伝統医療というのは、近代医療の覇権構造が確立された後に出てきた<近代 医療を補完する>残余物であり、かつ近代医療の推進させるために不可欠の認識論的反省装置として、重要な位置を占めるようになる。(近代医療が、それ自体 の独立性をあきらめて、伝統医療を補完的に必要になる歴史的理由は明らかではない)。
・Chantana論文は、知識と権力の結びつきから、その二分法を批判するという手法 をとることだが、その骨子は、この認識論的構図を外部の世俗的政治権力が作用する社会空間に正常に押し戻すという意義にもとづいて行われている。
・ただし、認識論的分析の構図に限界があっても、それを権力と知識の関係に向かうという 方向性のほかに、認識論にもとづく異なった構図から、我々が得られるものがある。私は、それを医療的多元論(medical pluralism)に求めてみよう。
・医療的多元論は、多元的医療論(pluralistic medical system)と同じものとして位置づけられてきた。しかし、これは多元論にみられるある重要な要素を見落としている。
・つまり、医療的多元論は、そこにみられる複数の医療サブシステムの共存とみるだけでな く、それらのシステムを横断する行為主体つまり患者の行動に多元性を見なければならない。それは多元的医療行動(pluralistic medical behaviour)である。
・1960年代以降のPMBに関する諸民族誌が明らかにしたことは、患者の健康追求行動 は、全体論とプラグマティズムの折衷主義からなりたっているということで。それは、国家やコミュニティベースの市民運動が、想定する保健追求行動とは異 なった形態をとる。 ・
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【その他のメモ】
Any type of local medical system should be transplanted in certain historical and social context.(it is not in deductive truth, but in experience and/or in interpretation).
The success of the trasplantation of medical system in a certain social space is determinated by both the degree of systematic power of medicine and its hegemonic relations with outer world.
→寺院で実践される伝統的な医療は、近年になって新たに外部社会から導入されたもの。 この再定着には、2つのモデルを考える必要がある。リバイバル・モデルとリロケーション・モデル
If it is supposed that any kinds of medicine is a part of "World Medical System", we could say one conceptual unit of WMS, which includes a series of ideal form and its practice, "a local medical system".
Modernist obsessive thought in which there is severe distionction between the ideal dimesion including magical concepts and the practice based that idea. , exempli gratia, between persomalistic and naturalistic medical systems (G. Foster and B. Anderson 1978)
→新しい近代医療システムを人は受け入れたにもかかわらず、伝統的な「観念形態」が残 り、超自然的な信条が、人びとの疾病概念に見え隠れする。::ある種の強力な観念=集合表象(例kamma)が生き残り、それに引きずられて(予測されて いた)文化変容プロセスが<変形>(=寺院の中で占星術や聖水を要求する)したと、現象を見ていることに起因する。
ご参考までに……