作業療法
Occupational therapy
「私の精神科医としての出発は鍵のかかった精神病院で、そこでは暴力が日常茶飯事だったし、拘束衣と防護壁をもった保護室がまかり通っていた。
はじめ私はこの有様に喫驚し、当惑したが、先輩と同様結局私もこんな状況を容認しないわけにはいかなかった。私は臨床精神医学の研修に専念しながら、しば
しば、なぜこのように残酷で、恥ずべき処置が必要なのか考えさせられた。今でも私は、あのゴフマンの初期の社会学の諸論文――それは精神病院の奥に横た
わっている重症閉鎖病棟の生活を考察する上に全く新しい道を拓き、またこの一種の社会組織の中の人間関係に分析のメスを加えたものだが――を初めて読んだ
時の興奮をはっきり覚えている。ゴフマンのブリリアントで、辛辣で、いささか歪曲はあるにしても、説得力のある描写を読み終わった時の興奮と、どぎまぎし
た苦笑を覚えている。私は旧式の病院がまさに変革されようとしていた時期に際会して、扉の鍵をはずし、柵を壊し、社会的障壁を打破した第一次改革の激動時
代を生きる幸運に恵まれた。そしてまた私は、患者と職員の一群が彼らを分割している強制、「職業的な控え目」「ふさわしい行動」、制服、規制等をためらい
ながら捨て去り、お互いに、またお互いのためにできることを模索しつつあった治療共同体の始まりの時期に当面するという感動的な体験をもった」David
H. Clark. Social Therapy in Psychiatry. 1974.(訳は秋元波留夫・北垣日出子 1982:1-2)。
【イギリス】
・イギリスでは1845年に精神病院法が発布される。これにより新しく開設された精神病院は、ほとんどすべて非拘束主義を採用する。しか し、1900年代に入ると人道療法は退潮にむかう。
・1933年にイギリス精神病院管理委員会(English Board of Cntriol)は作業療法を重視し、イギリスの精神病院内に、作業療法部門を設置するように養成した。しかし、委員会内に作業療法部門 (Industrial Therapy Department)は開設されなかった。
・イギリスの精神病院で産業療法(industrial therapy)が本格化するのは1950年代中頃以降である。
【ドイツ】
・ギュータースローのハーマン・ジーモンは積極療法を開発し、1927年、29年に適切な行動、整った服装、有益な仕事、肉体的重労働が、 患者の回復を助けることを報告する。1930年代にはオランダーでワークショップが開設された。
文献
David H. Clark. Social Therapy in Psychiatry. 1974.(訳は秋元波留夫・北垣日出子 1982:1-2)