戦争表象論
Introduction to the Studies on Representations of Warfare
Popular Front Soldiers of Extremadura, Photographic picture by Hans Namuth, 1936
[科目分類]文化表象学分野 [時間割コード]62100 [授業科目]文化表象学 I [科目コード] [授業題目]戦争表象論 [担当教官]池田光穂 [開講年次]2 [学期]前期 [曜日]木 [時限]4 [選択/必修]必修 [単位数]2
[授業形態]講義
[授業目標]
1.戦争とはなにかについて具体的な事例をもとに考えることができる。
2.現代社会における表象のもつ役割について理解することができる。
3.具体的な戦争表象をテーマにして文化記号論の立場から分析し論評することができる。
[授業の内容]
この講義をおこなう動機は次のようなものです。「近代社会において、『戦争』とその論理 的帰結としての『平和』を動員しかつ継続するために、さまざまな『表象』を社会的に操作することは、不可欠な手段であると考えられている」(→詳しくは「思想編」へ)という命題を個々の具体例に則して検討することです。
この命題の検証は、根元的な悪や善が存在することを自明のものとする従来の戦争研究や平 和研究においては過小評価される傾向にありました。なぜなら、根元的な悪や善という人間道徳の最終審級[と思われているもの]に気を取られていると、「表 象」はたんなる道具や装置の一部になりさがり、「表象」に関わる文化的問題は、操作に関わる道徳的問題であると片づけられてしまうからです。
すなわち私は、戦争および平和の遂行とは、終わることのない表象の操作であるという視座 をとります。そして、絶対的悪/絶対善という安易な道徳的審級を動員しがちな従来の研究者が[結果的に]犯してきた数々の誤りや問題を指摘し、彼/彼女ら が蓄積してきた豊富な戦争表象のアーカイブから個々の表象の記号論的意味を解放したいと考えるのです。この野心的な挑戦に参与したい方に開放された授業で す。
[キーワード]
戦争、平和、表象、文化、文化記号論
[テキスト]
書籍を中心としたさまざまな戦争・表象について、授業において指摘するので、それが[結 果的に]テキストになります。
※2003年度の授業が終わって、下記の本を追加しました!
[参考文献]
● わかりやすい文化表象学(池 田光穂)
[参考リンク]
[評価方法]
定期レポートならびに試験による総合評価をおこないます。
[履修上の指導]
大学における授業とは出席するものなので点呼による出席確認はとりません
[関連するリンク]
[授業の試験問題と結論] 戦争表象論とは何だったのか?
◎ギャラリー見本正式版は「戦争表象論ギャラリー」をごらんください
The Boeing B-29
Superfortress is an American four-engined propeller-driven heavy bomber
designed by Boeing and flown primarily by the United States during
World War II and the Korean War. Named in allusion to its predecessor,
the B-17 Flying Fortress, the Superfortress was designed for
high-altitude strategic bombing but also excelled in low-altitude night
incendiary bombing and in dropping naval mines to blockade Japan. B-29s
dropped the atomic bombs on Hiroshima and Nagasaki and became the only
aircraft that has ever used nuclear weapons in combat. |
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Popular Front Soldiers of Extremadura, Photographic picture by Hans Namuth, 1936 |
Remembering Daddy on Father's Day, 1926 「パパを思い出して」1926年、作者不詳、第一次大戦の戦死者の家族か? | |
South African
paratroops conduct a search and destroy operation against Namibian
insurgents during the 1980s |
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1933年の塘沽協定(たんくーきょう
てい; Tanggu Truce, May 31, 1933) |
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ソンミ村虐殺事件 |
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マヤ文明古典期の戦争捕虜 |
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Doolittle Raid B-25Bs aboard USS
Hornet (CV-8) . (→戦争のパラダイムとイノベーショ
ンについて) |
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JN Special Naval Landing Forces
troops in gas masks prepare for an advance in the rubble of Shanghai.
Chemical weapons were utilized against the Chinese during the battle. |
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Right: Bandit HARIMAU in Malay,
Yutaka TANI (1911-1942) mentioned below. Yutaka Tani (谷 豊 Tani Yutaka,
Malay: Mohd Ali bin Abdullah; October 6, 1911- March 17, 1942), was a
bandit who was active in Malaya. He was born in Minami-ku, Fukuoka, and
moved to Malaya with his family where he became a bandit known as
Harimau (Malay word for "Tiger"). Before World War II, he became a
Secret Agent for the Imperial Japanese Army.[1] He died in Singapore
where he is buried at the Old Malay Cemetery -
https://en.wikipedia.org/wiki/Tani_Yutaka |
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French colonial troops
retreating to the Chinese border during the Japanese Coup of March
1945, source: Coup de force japonais de 1945 en Indochine |
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担架の上で座って、尋問を待つ日本軍慰安婦集団の中
国人少女。男性は英国空軍中尉。1945年8月8日、ビルマのラングーン(現ミャンマーのヤンゴン)の連合国軍キャンプにて、ティトマス軍曹によって撮影
(A Chinese girl from one of the Japanese Army's 'comfort battalions'
sits on a stretcher, awaiting interrogation at a camp in Rangoon. The
uniform and insignia on the shoulder of the man next to her indicate
that he is a Flying Officer in the Royal Air
Force.)※この写真も、インタビューをしている英国
空軍中尉が、軍事上の情報収集をおこなっているのか、慰安所の経営についての情報を収集しているのか、あるいはそれ以外のことを情報収集しようとしている
のかわからない。キャプションもそうである。この写真そのものが〈何かを語る〉と同時に、このキャプションに反応して「なにか教えてくれ」と懇願する私た
ちにも、無念なことに《沈黙》が守られているのである。 |
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A low-intensity conflict (LIC)
is a military conflict, usually localised, between two or more state or
non-state groups which is below the intensity of conventional war. It
involves the state's use of military forces applied selectively and
with restraint to enforce compliance with its policies or objectives. |
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Limbless British Veterans after
the First World War ( Roehampton Military Hospital): THE MEDICAL
SERVICES ON THE HOME FRONT, 1914-1918, The Imperial War Museums, IWM |
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戦争機械論, ior-Machine
Interface/Interactoon: あるいは、異種なるものの共存/接合.
日本の怪獣映画であったウルトラセブンに登場した「恐竜戦車」です。後にソフトビニール(通称:ソフビ)になった模型の写真で
す。こちらは、「邪悪な」宇宙人のせいで、太古の恐竜と戦車という機械と合体させられた「生物兵器」であるとドラマの中では説明されます。 |
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り:リオス・モント(José Efraín Ríos
Montt,
1926-2018):グアテマラの現代史には忘れることのできない軍人、政治家、大統領(第26代)である。国会議長の経験もあるが、1982年6月に
憲法を停止して軍事評議会議長から自ら大統領に就任した経験からは「将軍エフライン・リオス・モント」と国民から呼ばれていた。親米派の軍人としての長い
経験から国内の反政府ゲリラ掃討においてCIA仕込みの対ゲリラ戦術「低水準紛争」を実施し、グリーベレー顔負けの特殊部隊訓練、さらには住民を強制移住
させてゲリラの活動拠点を根絶やしにする「戦略村」などのベトナム戦争で考案された対ゲリラ戦術をCIAや米軍などからなる「軍事顧問団」などから導入し
た。先住民の主食の一つであるインゲン豆との武器との地口である「銃とフリーホレス豆(Fusiles y
Frijoles)」作戦の一環として、国軍に協力する地元の自警団(PAC)を組織させた。このために自分自身がクーデターで追われた後も、極右政党を
組織し、国民を二分するくらいの人気を博した。しかし国内外で執政時代の数々の責任(17件1,700人以上の虐殺を知りながら作戦を遂行)を問われるよ
うになり、2013年有罪判決を受けたが、再審中の2018年4月1日に91歳で生涯を終えた。 |
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Japanese Army's Bombing in
Chongqing,China |
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Hiroshima Atomc Bombing, Japan. |
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Yamato near the end of her
fitting out, 20 September 1941 at Kure Naval Base, Japan. |
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1914年6月〜8月末。タロコ戦争(Truku
War)太魯閣戰爭 (Tàilǔgé zhànzhēng)「当時の台湾総督の佐久間左馬太(1844
-1915)は、わずか2,000人の原住民に対して20,000人もの兵士と警察官を動員し、タロコの戦士の抵抗を抑え、打ち負かすために莫大な資源を
使用した。 佐久間 左馬太は戦闘中に重傷を負ったが、1914年8月後半に日本軍がタロコに勝利を宣言し、8月28日に台湾総督が終戦を宣 言した」 |
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HMS Dreadnought (1906); Her
Majesty's ship Dreadnought; "HMS Dreadnought was a Royal Navy
battleship whose design revolutionised naval power. The ship's entry
into service in 1906 represented such an advance in naval technology
that her name came to be associated with an entire generation of
battleships, the "dreadnoughts", as well as the class of ships named
after her. |
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B-29s from 500th BG, 73rd BW of
Twentieth Air Force dropping incendiary bombs over Japan, 1945(焼夷弾の投下写真) |
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初飛行に成功した空自向けRQ-4B(写真はノースロップ・グラマン) |
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大阪砲兵工廠周辺への空襲の写真がネットにあった(A B-29
over Osaka on 1 June 1945)ただし45年8月14日のものではないらしい。下の中央に大阪城が見える。 |
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「太平洋戦争後は、連合国軍最高司
令官総司令部(GHQ)に接収。アメリカ極東空軍司令部として使用され、対日理事会の第1回会議は明治生命館2階の会議室で行われた。1956年(昭和
31年)、アメリカ軍から返還」 |
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Dr. Strangelove or: How I
Learned to Stop Worrying and Love the Bomb, Dir., by Stanley Kubrick,
1964 |
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残虐行為論(On Atrocities) |
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《今後は》「戦争表象論ギャラリー」で継続していきます |