戦争神学 Wartime theology, or amor vinct omnia
みなさん、「有事」という言葉の英語の翻訳は何か知っている? Wartime、つまり戦時です。
有事を考えることは、軍人や政治家には重要な仕事でしょう。しかし、この 土地でおこなっていることは有事=戦時というこ とを明確に述べないで、戦時と有事のニュアンスを隠して議論することが、軍人や政治家として市民に対して「卑怯」=不正義=傲慢であると私は思うのです。 有事の前に、政治家は軍人(自衛隊)をして市民の背に銃を向けているのです。右翼も左翼もこのことをもっと問題にせんかい!(=関西弁で「問題にしないと いけません!」の意味)
戦争状態のところに宗教者がいるというのは、宗教の理念からみるときわめてアイロニカルな状況である
(しかしアイロニーでない宗教などあるのか?——それとも私は反キリスト教の影響を受け た無神論の了見から一歩も出ていないのだろうか)。あるい は、気分は(以前から)もう戦争!
多くの宗教は、戦争のない平和な状態、つまり宗教そのものが戴冠する王国を希求してはずだからだ。
戦争についての神学を考えることは、我々の戦争と宗教を同時に相対化することにつながる。
それが戦争神学(wartime theology)を探究する我々にとっての意味である。
戦争神学の2つの重要なキーワードは、フレキシビリティとガヴァナンスである。この2つの性質が、戦争を継続するために不可欠な時代精神 (Zeitgeist)だから……。
これは科学を国家が推進発展させようとする時に、もっとも重要なドグマとドクトリンである。[こちらを参照]
現在の科学の体制は、臨戦態勢にもとづくものであるから、戦争神学とは、戦争科学そのものに他ならない。19世紀末の地政学は、20世紀末 に至って、はじめて、真の戦争神学の教理を開陳するのである。
Left: TV
movie star Toshiyuki KATSUKI (1933-) plays fictive hero
KAIKETSU-HARIMAHO. Right: Bandit HARIMAU in Malay, Yutaka TANI
(1911-1942) mentioned below.
Yutaka
Tani (谷 豊 Tani Yutaka, Malay: Mohd Ali bin Abdullah; October 6, 1911-
March 17, 1942), was a bandit who was active in Malaya. He was born in
Minami-ku, Fukuoka, and moved to Malaya with his family where he became
a bandit known as Harimau (Malay word for "Tiger"). Before World War
II, he became a Secret Agent for the Imperial Japanese Army.[1] He died
in Singapore where he is buried at the Old Malay Cemetery -
https://en.wikipedia.org/wiki/Tani_Yutaka
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099