自文化に属することの〈蒙昧〉を取り 除くためには?
How can we remove the "ambiguity" of belonging to our own culture?
解説:池田光穂
「ペルシア人メターステネスは、ペルシャ 人に関する編年史の冒頭で次のように言っている。『史実について書かんとする者は、ただ耳にしたこととか、自己の考えとかにのみに基づいて編年史を書いて はならぬ。さもなければ、ギリシャ人のごとく自己の考えをもとに書くとき、彼らと同様に、自己と他のひとびととを欺き、生涯誤りをおかすこ とになるからだ』」(pp.4-5)。ラスカサス『インディアス史』序文より
『文化と実践理性』(1976)を書いたマーシャル・サーリンズにとって、自分の文化のことを反省的に見ることの困難さを実感したことはなかろう。
今日では[方や]普遍主義としての[アルチュセリアン]マルクス主義と、今日では[此方]未開表象の理解における本質主義の代表格と呼ばれる構 造主義という、ハブとマングースの対決の感ある、2つの対極する文化に関する説明概念の批判的解剖を通して、ボアズ流の第三の道、サーリンズ自身の言葉に 従うと「第三項(tertium quid)としての文化」を、それらの二元論的思考を打破するダイナミックな文化概念を救済、再定義しようとしていた。
サーリンズは、自文化の社会のもつ自明性を、経済や政治の分析のような一般化やシステム化を拒む〈未開〉概念の個別の実態に取り組み、自文化で ある西洋文化のさまざまな文化的事例が、いかに客体化の神話——「まるで強制的な文化概念の作用から解放されているかのように」(p.286)作用するも の——の産物であるかを論証しようとした。
サーリンズによると、人類学者の叙述手法は、神話の託宣や物語的叙述を旨としたヘロドトスのそれではなく、史実実証的な表現をもとにしたツキュディデス(トゥキディデス, Thucydides, ca. 460- ca. 400 BC)風の叙述様式をとる。つまり「同時代の歴史を扱った著作では、特定の国家を贔屓(ひいき)せず中立的な視点から著述していること、政治家・軍人の演説を随所に挿入し歴史上の人物に直接語らせるという手法を 取っており、なかには裏付けがあるとは思えない演説や対話も入っていることが挙げられる」ウィキペディア日本語)。そのために、つねに、人類学者には、こ の腹話術にまつわる、研究倫理と真実を伝えることに関するさまざまなジレンマ(「正しく正直に伝えること」〈対〉「よりリアリティをもってヴィヴィッドに 伝えること」)を抱えることになる。
つまり、サーリンズ風に言えば、人類学とは「芸の出来不出来とは関係なしに、反省能力ある腹話術的学問」のことである。
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サーリンズにとっては、功利主義的で、経済合理性においてのみ人間の存在をみる経済学は、人類学の仮想敵そのものである(サーリンズ 1997:84-86)。
81 | (タイトルなし序文) |
・ミンツ『甘さと権力』 ・西洋の自文化人類学 ・ミネルヴァの梟:Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dämmerung ihren Flug「ミネルバのふくろうは迫り来る黄昏に飛び立つ」 In affirmative contrast, the 19th-century German idealist philosopher Georg Wilhelm Friedrich Hegel famously noted that "the owl of Minerva spreads its wings only with the falling of the dusk"; philosophy comes to understand a historical condition just as it passes away.[18] Philosophy appears only in the "maturity of reality", because it understands in hindsight. "Philosophy, as the thought of the world, does not appear until reality has completed its formative process, and made itself ready. History thus corroborates the teaching of the conception that only in the maturity of reality does the ideal appear as counterpart to the real, apprehends the real world in its substance, and shapes it into an intellectual kingdom. When philosophy paints its grey in grey, one form of life has become old, and by means of grey it cannot be rejuvenated, but only known. The owl of Minerva takes its flight only when the shades of night are gathering."— G.W.F. Hegel, Philosophy of Right (1820), "Preface"; translated by S W Dyde, 1896. Klaus Vieweg describes it as "one of the most beautiful metaphors of the history of philosophy" in his Hegel biography.[19] In a recent reconstruction, Hegel's affirmative metaphor, in opposition to the philosophical tradition, seems to originate between Goethe and a relative unknown, philosophical writer Jacob Hermann Obereit around 1795 in Jena, where Hegel stayed shortly after, giving lectures.[20] ・人類学的ツーリスト |
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序論——悪の花 |
・リクールの「堕落」——西洋人の本性としての堕落 ・アダム ・世界は虚無からつくられる 84 |
84 |
欲求の人類学 |
・罰は罪 ・ライオネル・ロビンズの引用 ・アウグスティヌスの本源的悪 ・マンドヴィルの引用(『蜂の寓話』) ・ポープ『人間論』 ・利己的な人間(87) |
87 |
余談——ルネサンスノート |
・ジョヴァンニ・ピコ・デッラ・ミランドラ『人間の尊厳について』 |
【コラム】 |
ニューフランスのインディアンにおける欲求 |
・欲望は普遍的ではない(88) |
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生物学の人類学 |
・レイシズムから生物決定論へ ・商品の二重性 92 ・デュルケーム 93 ・ギアーツの2つの論文 ・本性の文化的規定性 |
【コラム】 |
動物の人間性 |
・セリオフィリー(95-96) |
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権力の人類学 |
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【コラム】 |
対称かつ逆リヴァイアサン |
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神の摂理の人類学 |
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【コラム】 |
ニューギニア高地におけるイエス・キリストと宇宙論のエントロピー |
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リアリティの人類学 |
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【コラム】 |
主体/客体の区分の相対性 |
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【コラム】 |
超越するもののリアリティ |
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【コラム】 |
彼らは生きることを嫌悪している |
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甘さの悲しみ |
・身体は、苦痛をともなう方法で、社会の構造を産出する |
The Sadness of Sweetness: The Native Anthropology of Western Cosmology [and Comments and Reply] |
リンク
マングースの肖像