フィールドワークに関するエッセイ
On anthropological fieldwork
解説:池田光穂
まずはじめに文化人類学のフィールド ワークにまつわる2つの指摘をあげておきましょう。
ひとつは超有名なアメリカ合衆国の文化人類学者マーガレット・ミード(1901-1978)が書いたもののなかに出てきます。もうひとつは民 俗学・文化人類学者の菊池暁です。
「村のど真ん中で生活する人類学者にとって鶏の啼き声や太鼓の音で目ざめ、祭りや 葬式のとき には通夜につきあい、おしゃべりの調子や子どもの泣き方の微妙な変化をも聞きもらすまいとすれば、フィールドワークは24時間活動となる。船頭に河を渡し てもらうのをじゃけんに拒まれたということから自分の見る夢にいたるまで、おこるすべてのことに眼を向け、メモや写真をとり録音すれば資料となるのであ る」――M・ミード『フィールドからの手紙』
「「フィールドワーク」という言葉は、自らのディシプリンを他から弁別しようとす る人類学者 たちによって――しばしばその内実の差異や多様性を問われるままに――念仏の如く唱え続けられている」――菊池暁[2003:357-8]
ミードはフィールドワークが「村」で生活する文化人類学者にとっていかに大切なものであるのかを 生き生きと述べています(ただし彼女はフィールドワークの概念的定義はしていません)。他方、菊池の指摘は、文化人類学にとってフィールドワークが社会に とって一種の専売特許になっているにも関わらず、フィールドワークって何かという本質的な議論がなされていないという皮肉をどちらかと言えば同業者に語っ ているようです。
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フィールドワークというものは、図書館や実験室でシコシコと文献研究や実験をするのではなく(→ laboratory work, literary work)、外で生のデータを採集するもんだ・・・、と理解されています。
この外延的定義そのものは間違いではありません。だから、これをまず最初のフィールドワークの定 義としておきましょう。
私(池田光穂)はフィールドワークの外延的定義を以下のように言いました。
フィールドワーク(field
work)とは、「研究対象となっている人びとと共に生活をしたり、
そのような人びと[インフォーマント]と対話したり、インタビューをしたりする社会調査活動のこ
と」である。
[関連用語]民族 誌(ethnography) |
ところが、質的調査法をより深く理論的に 考える人にとっては、ウチとソトで得られるものが違いますというだけでは、配慮が足りません。ロフランドとロフランドは、フィールドワークに代わ る調査方法としてフィールド研究(fieldstudies)=フィールド・スタディーズ(複 数形というのが味噌ですね)という名称を提唱しています。もちろん、名前が異なるだけではなく、以下に引用する学問的事情からです。
「人類学者の場合は、フォールドワークという名称を用い、歴史的にみても最大の正当性をもっ ている。しかし、人類学や他の学問領域で多様な調査実践が展開されるにいたって、フィールドワークという用語はもはやわれわれが妥当とみなす顕著な特性を すべて包含できなくなっている。社会学ではフィールドワークという用語はある程度使用されているが、質的社会調査、質的方法、フィールドワーク相互作用 論、グランウディドセオリー、シカゴ学派エスノグラフィー、自然主義といった独自の意味合いをもったラベルが競合している」(ロフランドとロフランド 1997:7)。
【文献】
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099