量的研究と質的研究
のバトルロイヤルの神話
池田光穂
人文科学・社会科学における定量的研究(qualitative approach)の嚆矢は、ポール・ラザスフェルド(Paul F. Lazarsfeld, 1901-1976)のモリス・ローゼンバーグとの共著編『社会調査の言語:社会調査方法論読本( The language of social research : a reader in the methodology of socia l research)』(1955)であるといわれている。
よく誤解されるのは次のようなもの謂いである。“ラザスフェルドは社会調査法に数学的手法を導入して、それまでの非実証的な質的研究 を退けた(あるいは駆逐した)”、と。しかし、ながら私はこれとは異なる見解を述べたい(→「質的研究のデザイン」「質的研究と量的研 究のちがい」)。だが、しかし……
むしろ1950年代の中頃を分水嶺として説得ある社会調査のヘゲモニーが、それまでの調査法(まだ定性的=質的調査とは言えない)と は異なるものへ、あるいは均衡状態へ移行しようとしていたのである。
質的調査の意識は、むしろ、この統計研究学派の勃興によって意識的に形成されてきたものである。(質的調査と言われる前の質的研究は すでに十分な成果をあげていたことは言うまでもない)
ピトリム・ソローキン(Pitirim AleksandrovichSorokin, 1889-1968)は、この定量的研究アプローチにいち早く反撃の狼煙をあげた社会学者だった。ソローキン——彼はケレンスキー内閣の閣僚を務め、ボリ シェビキ(Bol'sheviki)に反対していた。そしてハーバードの社会学部創設者で、ロバート・マートンの先生でもある——の盟友にはズナニエツキ(Frlorian Witold Znaniecki, 1882-1958)やマッキーバー(Robert Morrison MacIver, 1882-1970)などがあげられる。
Sorokin, Pitirim A. 1956. Fads and foibles in modern sociology and related sciences . Chicago : Henry Regnery.
質的研究が、名実共に質的研究を意識しだすのは、この時期以降であり、量的研究に対する質的研究のユニークさを強調することができる ようになるのである。
つま
り、かつて質的研究を批判して量的研究が生まれてきたのではないし、また現在、量的研究の限界が指摘されて再度、質的研究が見直されてきたのではない。
よーするに、量的研究と質的研究は、単純なライバルではないし(そう思い込んでいる奴やそのように教えるのは端的に歴史を知らないバカである!)、ライバ
ルになる必要はない。両者はお互いに、社会科学や行動科学を屋台骨を支える2つの、そして相互補完的な方法論とその思想——[Lazarsfeld's work with Robert K. Merton]を読みたまえ!——ないしは哲学なのである。
りンク
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