功利主義についての超簡単な解説
What is Utilitarianism?
解説:池田光穂
ある行為が道徳的であると言えるのは、そ れにより効用——快楽、選択の満足、得られた知識など——があるとする考え方を功利主義 (こうりしゅ ぎ)という。ここでの行為とは、個人的な意思決定から、集団での評決や国や国際間の政策までが含まれる(→より詳しい説明は「功利主義」をご覧ください)。
功利主義によると、その行為がより「よい」(=道徳的である)ために は、行為選択がただ単に選択肢として固定しているのみならず、より大きな効 用が生まれる場合には、選択肢が変化することを受けいれる考え方でもある。また効用には形容詞のつかない良きものと、「悪い効用」と表現されるもの——不 快、不満足、誤りや背徳など——があるので、悪い効用を、行為を通して少なくするということも功利主義の論理の範疇にある。
ジェレミー・ベンサム(Jeremy Bentham, 1748-1832)は功利主義の考え方を「最大の幸福あるいは最大の至福原理(the greatest happiness or greatest felicity principle)」と表現し、快楽と苦痛は計算によって明らかになると主張した。そのため、この功利のための計算の論理は今日、快楽計算 (Felicific calculation)と呼ばれる。
"Nature has placed mankind under the governance of two sovereign
masters, pain and pleasure. It is for them alone to point out what we
ought to do, as well as to determine what we shall do. On the one hand
the standard of right and wrong, on the other the chain of causes and
effects, are fastened to their throne. They govern us in all we do, in
all we say, in all we think .."- Bentham 1789, p. 1, Ch. I - Defence of usury : shewing the impolicy of
the present legal restraints on the terms of pecuniary bargains
: in a series of letters to a friend to which is added, a letter to
Adam Smith / by Jeremy Bentham, 2nd ed. - London : Printed for T. Payne
, 1790
ベンサムのほかに、功利主義的な立場の人 たちには、ジョン・スチュアート・ミル(J.S. ミル)や、後の、リチャード・マーヴィン・ヘアや、ピーター・シンガーなどがいる。
問題
「あなたは勤勉だが使いきれない金があり私は怠惰だが生活にも事欠く貧乏だ。あなたは私に余ったお金を恵むべきだ」行為功利主義のこの
「困った屁理屈」を擁護する論陣を張り反論を撃破しなさい。
★二つのレベルの功利主義は事実上、行為 功利主義と規則功利主義の対立する教義の統合である——「R.M.ヘア」
1) 行為功利主義——行為の正しさ(選択?)を、それぞれ功利計算(=批判的に考える)によって決める方法
2)
規則功利主義——行為の規則を選ぶときに功利計算するが、個々の行為の正しさ(の判定基準)は規則によって決める方法
★普遍的指令主義(Universal prescriptivism)
道徳的言明には、〜せよ、とか、〜することが望ましい、とか、指示したり推奨したりする要素がふくまれる、ヘアは、そのようなあり方をメタ倫理的に「普遍的指令主義」と呼ぶ。我々が「その行いは善い行為だ」というときには、「善い行為」が、どのようなものであるかを示している(=普遍化している)と同時に、指令主義的に「〜すべし」(=そのような行いをすべきだ)と、含意しているのである。善いという判断や、言明には、「普遍的指令主義」が含まれると、ヘアは言うのである。「善い」という言明は、「善い」と言うべき論理的規則への従属つまり普遍化可能性(universalizability)があると言う。ここから次の3つのことが導かれる。
1)道徳の用語を分析すると、指示性と普遍化可能性についての言明(=これは価値判断である)があり、これらは道徳的思考の論理を形成する
2)このような道徳的思考をする人が、他人の立場について十分に知っていると、他人がある行為を選択する(=価値を判断して実行する)ことを、自分の中で再現することができる。(「選好功利主義」)
3)
個人がいくつかの判断と行為の中から、対立させてより大きな方を選ぶ(=選好する)ことにより、より大きな喜び(=快楽[=ただし嫌悪も比較できるので負
の快楽も可能])を得ることができる。これが、快楽の計算(=批判的な選択[=嫌うような不快な態度の選択])である。(「合理的選択」)
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文献
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099