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 ホッブス・デカルト・スピノザ

tratamiento sobre la discucion politica-teologica

池田光穂

ルネ・デ カルトトーマス・ホッブス、そしてバルー フ(あるいはベネディト)・スピノザの3名(とりわけ前2者)は、17世紀の政治思想や(宗教から世俗への)政治思想における啓蒙哲学の影響を考 えるため の重大な思想家たちです。この3人を同時にならべて年譜にしたのが、このページです。ただし、彼ら(ホッブス+デカルト)より四半世紀以上後代のスピノザ の人生については、ユダヤ人コミュニティからの破門という事情を考えて、同じように並べるのは憚られますが、逆に、彼(スピノザ)は、より根本的 に人間中 心主義の哲学のアイディアをもたらしたという意味で、やはり同列にとりあげ、比較してみると興味深いとおもった次第です——そのためスピノザの年譜は不正 確で、その後の改訂は「スピノザの人生と作品」でおこなっています。

啓蒙は、かくのごとく、人間の自由の不可分 でこのましいものだが、それを遂行するためには、啓蒙君主のも とで自由を享受する臣民には、次のようなことが言われなければならない:「好きなだけ、何事についても議論しなさい、ただし(君主に)服従せよ」。そのよ うな逆説が、共和状態の市民の自由には課される。また、精神を多少なりとも制約するほうが精神の自由についてのその能力を発揮するような自由の余地がうま れる。これもまた、啓蒙の逆説である。自由に行動する能力が高まると、統治の原則にまでおよんでゆく。統治者はもはや機械ではない、人間(市民)をそれに ふさわしく処遇することが、自らにとっても有益であることを理解するようになる(→「啓蒙とはなに か?」)。





注意:誤植:スピノザの死亡は1677年2月21日です。 おわびして訂正します(他にも加筆した改訂版はこちらですス ピノザの人生と作品」)

スピノザ(1632-1677)へのユ ダヤ教会からの破門は、ダ・コスタ(ア・コスタ)のピストル自殺から16 年後の1656年7月とのことです。ダ・コスタの遺書=自伝は『人間的生活の一例』っていうタイトルらしいが、最近の研究ではドラマチックゆえに潤色もあ るとのことですよ(ヨベル『スピノザ異端の系譜』人文書院, pp.67-78)。たしかに深層演技(deep acting)を論じるゴッフマンは歯切れが悪くていまいちだった記憶があるが、どうもそれはゴッフマン自信が、それほど重要視していなかったこととも関 連するかもしれない。

1640年4月のある日、アムステルダムの貧しい一室で一人の男がピストルで頭を打ち抜き自 らの命を絶った……と始まる清水禮子『破門の哲学』 (1978)。ピストルで頭を打ち抜き自らの命を絶った男性はポルトガル生まれのマラーノで、その名をウリエル(ガブリエル・ダ・コスタ)。

■スピノザの作品:『エチ カ』『知性改善論』『政治神学論』『認識論』などが読めるばかりで なく、用語索引から原典箇所が読めることです。

文献&リンク

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