嗜 癖の新・定義と嗜癖からの解放について
On the definition of
"substance addiction" and the liberation from "addiction"
解説:池田光穂
【嗜癖の定義】
本当は薬物(サブスタンス)が人間を全生活を支配しているのだが、等の本人は薬物を使っているように倒錯している現象を言う。πονος
には痛むの意味があるので、苦役=労働と解すべきですが。ヘシオドスの労働と日々(Ἔργα καὶ
Ἡμέραι)にもあるように、ヒロポンを労働を愛するとは言いがたく、苦役(πονος)を愛する、てな倒錯的意味で考えるほうがいいかもしれません。
末期軍国主義や、戦後の高度経済成長の入り口の日本の資本主義が生んだ、小さなビヒモス(ないしはリヴァイアサン)かもしれません。覚せい剤の使用が労働
=苦役から解放されて、快楽の道具になった時、その薬物は人間の道具から解放されて、むしろ人間を支配する(=嗜癖化する)ものになったのかもしれません
ね。なんか、タバコも同じような運命を辿っているのかもしれません。
【薬物依存からの解放について】
つまり、喫煙(ないしは飲酒)を辞める方法は、医学的あるいは心理的処置などは有効ではなく(なぜなら人間中心主義的なサブスタンス利用というイデオロ
ギーに呪縛されている)、むしろ、呪術的手法、つまりサブスタンスがその人本人を呪縛して、悪を人間のココロ(=悪癖・悪習)と見なすのではなく、サブス
タンスの呪力から人間を解放してあげるという方法がよいのではないでしょうか? 実際AAや禁煙の医学的手法は、嗜癖の当事者を道徳的非難することより
も、それをまず中立化したり客観化する手法がとられていることからもわかります。
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