一緒にいてもスマホだぜ!!!
Narcissism-ization and emaerging new
solitude among the Digital Natives
このページは科学研究費補助 金・基盤研究(C)「スマートメディア ユーザーのナルシズム化と新しい孤独の誕生:民族誌的研究」(←科研の公式サイト)英文タイトルは上掲のものと同じ)の研究プロジェクト(「Work_Place:スマートメディアユーザーのナルシズム化…」)に 準拠した資料ページである。
● シェリー・タークルの著作『一緒にいてもスマホ』の批判的分析
In Alone Together
(2011), Turkle explores how technology is changing the way we
communicate. In particular, Turkle raises concerns about the way in
which genuine, organic social interactions become degraded through
constant exposure to illusory meaningful exchanges with artificial
intelligence. Underlying Turkle's central argument is the fact that the
technological developments which have most contributed to the rise of
inter-connectivity have at the same time bolstered a sense of
alienation between people. The alienation involves links between social
networks favouring those of proper conversations. Turkle's main argument in the first part of the book is that our interactions with robots that simulate emotion pose serious threats to our ability to relate to one another properly. Turkle discusses robots that have been designed to interact with humans on an emotional level; she fears that they may then replace other humans and animals in these emotional roles. Turkle is concerned that we often attribute certain qualities to robots that the robots do not in fact possess, and that our emotional interactions with other humans become eroded as a direct result. Turkle's concern is that our appreciation for human interaction may become eroded. The second part of the book examines the nature of online social interactions, and the way in which social media has changed how people, particularly younger people, connect with one another. Turkle argues that because people in interpersonal social situations, particularly young people, are often distracted by their phones, they will pay insufficient attention to one another, creating increasingly shallow relationships. Turkle argues that teenagers' reliance on friends' advice prevents self-reflection, leading to less personal independence. Turkle talks about the nature of privacy in the post 9/11 world, arguing that privacy was sacrificed in exchange for safety. Turkle argues that because they have grown up as part of a world in which privacy is regarded as increasingly tenuous, children do not always appreciate the full value of privacy, which in turn causes them to share even more personal details on the web. This further depreciates the value of privacy in a self-perpetuating cycle. Using her 15 year of experience, Turkle uses Alone Together to explore the question of whether or not technology is bringing quality to our lives. Turkle argues people use technology to escape from reality and emotions, which weakens genuine relationships.[10] In 2011, Turkle was interviewed by Stephen Colbert on The Colbert Report, where she spoke briefly about Alone Together, and the impact that technology has on communication skills.[11] Turkle gave a TED talk on the subject of Alone Together in February 2012, under the title “Connected, but alone?”[12] https://en.wikipedia.org/wiki/Sherry_Turkle |
『一緒にいてもスマホ(Alone
Together)』(2011年)でタークルは、テクノロジーが私たちのコミュニケーションのあり方をどのように変えつつあるかを探求している。特に
タークルは、人工知能との幻想的な意味のある交流に常にさらされることで、本物の有機的な社会的相互作用が劣化する方法について懸念を示している。ターク
ルの主張の根底にあるのは、相互接続性の高まりに最も貢献した技術開発が、同時に人々の間の疎外感を強めているという事実である。その疎外感とは、ソー
シャルネットワーク間のリンクが、適切な会話のリンクに優先することである。 本書の第一部におけるタークルの主な主張は、感情をシュミレートするロボットとの相互作用が、私たちが互いに適切に関係する能力に深刻な脅威を与えるとい うものである。タークルは、人間と感情的なレベルで対話するように設計されたロボットについて論じている。彼女は、ロボットが他の人間や動物に代わって、 こうした感情的な役割を担うようになることを危惧している。タークルは、私たちがしばしば、ロボットが実際には持っていない特定の資質をロボットに帰属さ せ、その結果、他の人間との感情的な相互作用が損なわれてしまうことを懸念している。タークルの懸念は、人間の相互作用に対する感謝の念が損なわれてしま うかもしれないということだ。 本書の第2部では、オンライン上の社会的相互作用の性質と、ソーシャルメディアが人々、特に若い人々のつながり方を変えたことを検証しています。タークル は、対人社会的な状況にある人々、特に若者は、携帯電話に気を取られることが多いため、互いに十分な注意を払わず、ますます浅い人間関係を作ってしまうと 論じている。タークルは、ティーンエイジャーが友人のアドバイスに依存することで、自分を省みることができなくなり、個人の自立度が低下すると論じてい る。 タークルは、9.11以降の世界におけるプライバシーのあり方について語り、安全性と引き換えにプライバシーが犠牲になったと主張する。タークルは、プラ イバシーがますます希薄になる世界の一部として発展しているため、子どもたちはプライバシーの価値を必ずしも十分に理解しておらず、その結果、ウェブ上で さらに多くの個人情報を共有することになると論じている。そうすると、さらにプライバシーの価値が下がり、自己増殖的なサイクルに陥ってしまうう。 タークルは15年の経験を生かし、「Alone Together」を使って、テクノロジーが私たちの生活に質をもたらしているかどうかという問題を探求している。タークルは、人々は現実や感情から逃避 するためにテクノロジーを利用し、それが真の人間関係を弱めるのだと主張している[10]。 2011年、TurkleはThe Colbert ReportでStephen Colbertのインタビューを受け、Alone Togetherについて、またテクノロジーがコミュニケーションスキルに与える影響について短く語った[11]。 タークルは2012年2月、「Alone Together」をテーマに、「Connected, but alone?"(12) というタイトルでTED講演を行った[12]。 |
シェリー・タークル 「つながっていても孤独?」(2012/04/04)解説→「テクノロジーに期待すればするほど、相手に望むことが少なくなるのでしょうか?シェリー・ タークルは、私達が使う機器やオンライン上の人格が人間関係をどう再定義するかを研究しています。そして私達に新しい人間関係、絆のあり方について真剣に 考えるよう問いかけます。」
●ゴルディロックスの原理(Goldilocks principle)
「ゴルディロックスの原理は『三匹の熊』の童話の喩 えを借りて名付けられたものである。物語の中にゴルディロックスという名前の少女が登場し、三種のお粥を味見したところ、熱すぎるのも冷たすぎるのも嫌 で、ちょうどよい温度のものを選ぶ[1]。この童話が世界中でよく知られていることから、この名前を使うことで「ちょうどよい程度」という概念の理解が容 易になり、他の幅広い領域にも適応されるようになった。発達心理学や生物学[2]、 経済学、工学などである」https://bit.ly/2SkfsqX.
The Goldilocks principle
is named by analogy to the children's story "The Three Bears", in which
a young girl named Goldilocks tastes three different bowls of porridge
and finds she prefers porridge that is neither too hot nor too cold,
but has just the right temperature.[1] The concept of "just the right
amount" is easily understood and applied to a wide range of
disciplines, including developmental psychology, biology,[2] astronomy,
economics[3] and engineering.
●『一緒にいてもスマホ』
さてこの本は4章立て12節から成り立つ。
●『一緒にいてもスマホ』の4つの椅子の比喩(最初の3つのもの は、ヘンリー・ソーロー)
●『一緒にいてもスマホ』覚書メモ
FTF - Face to Face |
SNS - Social
Networking Service |
Dialogue |
Reflection (Self-reflection) |
Family |
Friendship |
Solitude |
Loneliness |
Education |
Love |
Public space |
MOOC, Massive Open Online Course |
Digital native |
Work (Wage labour) | |
SmartMedia |
Smartphone |
Empathy | ||
● 「繋がっているのに孤独」に、繋げる。
チャットによる会話や、シェリー・タークルによる会話の復権は、ミハイル・バフチンの「対話主義」という思想や発想から、かなり《遠いところ》experience distance にあるように思える。その違いは、会話(あるいは対話)している発語主体をどのように捉えるのかの違いに由来にするように思える。
クラークとホルクイス( 1990:91)は、次のように言う。「バフチーンは他者性をすべての生の基盤と捉え、対話を、すでに存在しているものといまだ 存在していないものとの絶えざる交換をあらわす、個々 の存在の基本構造と捉えた。そうした変形を調整し成形するのは人間の意識である。意識は、「私」活動と「私の中の私でないもの」すべてとの絶えざる交換を 調整する。したがって、自己/他者という区別は根源的対立であり、他のすべての対立はそこから派生してくる。行為の現実世界のもっとも高度な構造原理は、 私と他者との具体的な構造体系的・認識論的対立なのである」。ミハイル・バフチン(1895-1975)の主体概念は、このように完 結した自己=個人の範疇に閉じるものではなく、自分と相容れないものとの並存において現れてくるものである。そのような並存をコミュニケーション(交通) するものが、「対話」である。複数の対話が並存している状態を、ポリフォニーという。ポリフォニーの開かれた秩序原理は対話論理から導かれる。これは、閉 じた自己完結性を追 求するモノローグ的論理(monologic)とは対比される論理である。(出典:「対話主義」)
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リンク
文献(参照文献)
文献(タークル先生関連)
その他の情報