はじめによんでください

君は日本人論とどのように付き合うのか?

How do you deal with the thories on the Japanese?

池田光穂

—— 真理というものは #客体 的なものではなくて 徹頭徹尾 #主体 の側にある #聖パウロ が関わったパリサイ人への #虐殺 やキリストの #磔刑 の目撃などは屁でもない 彼のまえに現れた #神 すなわち #キリスト の #顕現 こそが真理(垂水源之介 2021年4月20日)

ベネディクト 『菊と刀』を代表する日本人論とは、いかなる議論なのか? 「日本人」と自 称する人ないしは、日本文化に精通していることを自認する人たちは、この天文学的数のあるおびただしい日本人論にどのように付き合うべきなのか?

日本人論には、それを分析する理念型(ideal types)や概念枠組(conceptual framework)というものがある。例えば、恥の文化/罪の文化、デュオニソス/アポロン、甘え、忠孝、義理、恩などなど……。

日本人とは誰か? 日本文化とは何か? という審問をする人間にとって、果たして日本人 論は、そこをくぐり抜ける必要があるゲートなのでしょうか?

日本人論は、その議論の紋切型のパターン、重箱の隅をほじくるジャンル内議論、議論のた めの議論のような、様相を呈していないでしょうか?

ここまで問いかけると、ベネディクト『菊と刀』は、はたして「日本人論」と言えるので しょうか? ベネディクト『菊と刀』は、その後に陸続する日本人論を産出したことは確かです。でも、そのプライマーになったベネディクト『菊と刀』は、本 当に語の正しい意味での日本人論なのでしょうか?

日本や日本人の在り方、それらの存在様式を理解しようとすることと、世に数多ある日本人 論を論じることに、果たしてどのような共通点を私たちは見いだせるでしょうか?

そもそも日本人論は、他の国の人たちが論じる「〜人論」(古くは「アテナイ人の国制」と か「ゲルマーニア」などまで遡れる)と共通の性格をもつのでしょうか? 日本人論は他の異邦人論や異邦人の生活誌と、なにが共通で何が相違なのでしょう か?

そのことを多角的に/深く考える時が来たようです。そこで、世に数多あるような日本人論 の陥穽におちいらないようにすればよいのか? そこには2つの紋切り型の警戒方法を身に付けるだけによいような気がいたします。

「日本人の性格は、外 から来る文化の流れにたいするたくみな適応能力を特長としており、日本人の思想を考える時には、その思想の折衷主義的性格を中心として考えることが当然となる。それにもかかわらず、折衷主義にたいする評価は、日本の知識人の間では低く、知識人によって書かれる日本思想史にお いても低かった」(鶴見 1960:186)。

リンク

文献

  • Benedict, Ruth/The Chrysanthemum and the Sword/Tokyo: Tuttle Pub./ISBN 978-4805306710
  • ルース・ベネディクト/菊と刀(角田安正訳)/光文社(光文社古典新訳文庫K-Cへ-1-1)/ISBN 978-4334-7516-92
  • 鶴見俊輔「日本の折衷主義」『発想の諸形式』近代日本思想史講座3、筑摩書房、1960年
  • 聖パウロ : 普遍主義の基礎 / アラン・バディウ [著] ; 長原豊, 松本潤一郎訳, 河出書房新社 , 2004年
  • 絶望の国の幸福な若者たち / 古市憲寿著, 東京 : 講談社 , 2011.9/ The happy youth of a desperate country : the disconnect between Japan's malaise and its millennials / Noritoshi Furuichi ; translated by Raj Mahtani, Tokyo : Japan Publishing Industry Foundation for Culture , 2017
  • Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

    For all undergraduate students!!!, you do not paste but [re]think my message.

    White plum blossoms and Gyoza, another introduction to Japanese Culture

    Remind Wittgenstein's phrase, "I should not like my writing to spare other people the trouble of thinking. But, if possible, to stimulate someone to thoughts of his own," - Ludwig Wittgenstein