はじめによんでください

日本人起源論のなかにみられる人種主義

Racism in discourses on the origin of Japanese

池田光穂

☆ 「第二次世界大戦後、長谷部言人と鈴木尚は、日本人の起源は弥生時代の渡来人ではなく、縄文時代の人々であると主張した。しかし、埴原和郎は1984年に 新 しい人種混血説を、1991年には「二重構造モデル」を発表した。埴 原によれば、現代日本人の血統は、旧石器時代に日本列島に移住してきた縄文人に始ま り、弥生時代(紀元前300年)には東アジアから日本への第二の移住の波が押し寄せた。新石器時代に人口が拡大した後、弥生時代のある時期にこれらの新人 が日本列島にたどり着いた。その結果、九州、四国、本州南部の島嶼部では狩猟採集民の交替が一般的であったが、沖縄や北海道の離島では優勢ではなく、琉球 人とアイヌ人は混在した特徴を示している。マーク・J・ハドソンは、日本人の主要な民族像は紀元前400年から紀元後1,200年にかけて生物学的、言語 学的に形成されたと主張している。現在最も有力な説は、現在の日本人は弥生時代の稲作農耕民と縄文時代の諸民族の両方から形成されたというものである。し かし、最近の研究では、縄文人には当初考えられていたよりも多くの民族的多様性があったという説や、日本人は2つの古代集団だけでなく、3つの古代集団か らの重要な遺伝的特徴を持っているという説もある。」英語ウィキペディアJapanese peopleより).[日本人起源論の歴史的変遷は「いわゆる「日本人起源論」の系譜」を参照してください。「「日本人」の遺伝的ならびに身体計測研究」

★ コロニアリズムと日本人起源論の歴史的関係(概観)[→「いわゆる「日本人起源論」の系 譜」よりインポート]

1) 1940年代以前:日本人の渡来起源説が定番だったが、第二次大戦の激化とともに皇民化政策がすすみ、天皇を頂点とする「純粋な人種」としての日本人のイ デオロギー的要請が増えてきた。しかし、それを自然人類学的に「論証」した研究者はいなかった。

2) 1940年代後半、長谷部言人などは、混血がなかったことをこの時期に主張するよ うになる。長谷部言人「『日 本民族の成立』(昭和24年)では、前期洪積世以降の日本列島住民の転変を、身体と文化の両面から考察し、縄文人と古墳時代人との体質的差異は、狩猟採集 経済を基盤とする石器時代の生活から、水田農耕に依存する金属器時代の生活への転換が、租借筋、下肢筋の弱体化を招く結果を生じたと解釈し、弥生式時代お よびその後においても、日本人の体質を一変させるほどの混血はおこらず、日本人は石器時代から現代にいたるまで遺伝的に連続した集団である」と主張。

3) 1950年代から60年代にかけて鈴木尚は、 「長谷部言人らの流れをくむと共に自らの長年の研究、なかんずく縄文時代から弥生時代へと移行する時期の人骨の詳細な調査検討に基づき、縄文時代人が弥生 文化の流入に伴う生活環境の変化のため、いわゆる小進化によって弥生時代人に変わったという「変形説」を主張した」。この流れは、1970年代まで(日本 人起源論の)支配的パラダイムとなる。

4) 他方、1950 年代から 1970 年代には、台北とソウルの日帝の旧植民地の自然人類学者は、金関丈夫の渡来説を展開し混血渡来説を多く支持するようになる。彼らの見解によると、日本人は 異種混交の「民族」(=意識的に「純粋な単一の人種」を否定する)であり、金関がリー ダーシップをとった、山口県土井ヶ浜遺跡(1950〜)の発掘 し、渡来説を主張するようになる。


5) 1980年代から90年代にかけて、それまでの 計測研究を中心とする自然人類学研究に、遺伝学的研究が加わり、遺伝的形質の類似性と多様性があることがわかり、それが埴原和郎の1991年の「二重構造 モデル」につながる。これは、東南アジア起源の縄文人と いう基層集団の上に、弥生時代以降、北東アジア起源の渡来系集団が覆いかぶさるように分布して混血することにより現代日本人が形成された。渡来系集団は、 北部九州及び山口県地方を中心として日本列島に拡散したので、混血の程度によって、アイヌ、本土人、琉球人の3集団の違いが生じた、と説明するものである (→「二重構造モデル」)。


6)二重構造モデルが、 本土日本人の混血を主張するために、単一人種=民族としての日本人説が払拭されたわけではない。埴原のこのモデルでは、弥生から8世紀の後には、混血がお わり、「日本人種」は一千年以上安定した集団になるわけであるし、また「日本人」としての、沖縄人やアイヌは、縄文人として「古代的」な特徴を保持し、そ れ自体は、近代化以降における、アイヌ人や沖縄人への(形質的差異にもとづく)「人種的偏見」の原因になってきたことは、歴史社会学的によく知られる事実 である。

7) このような「日本人種」概念の歴史的来歴に対する固執と「日本人アイデンティティ」を、新説が主張されるその都度に強調される「アイデンティティ」への執 着は、日本の自然人類学のイデオロギー性をみごとに証言しているとフランスの研究者アルノー・ナンタは主張する(Nanta 2008)。

Arnaud NANTA, Physical Anthropology and the Reconstruction of Japanese Identity in Postcolonial Japan. Social Science Japan Journal, Volume 11, Issue 1, Summer 2008, Pages 29–47, https://doi.org/10.1093/ssjj/jyn019

人種にまつわる用語集

Japanese people (Japanese: 日本人, Hepburn: Nihonjin) are an East Asian ethnic group native to the Japanese archipelago. Japanese people constitute 97.6% of the population of the country of Japan. Worldwide, approximately 126 million people are of Japanese descent, making them one of the largest ethnic groups. Approximately 122.0 million Japanese people are residents of Japan, and there are approximately 4 million members of the Japanese diaspora, known as Nikkeijin (日系人).

In some contexts, the term "Japanese people" may be used to refer specifically to the Yamato people (Yamato-minzoku) from mainland Japan; in other contexts the term may include other groups native to the Japanese archipelago, including Ryukyuan people (Ryūkyū-minzoku), who share connections with the Yamato but are often regarded as distinct, and Ainu people (Ainu-minzoku). In recent decades, there has also been an increase in the number of people with both Japanese and non-Japanese roots, including half Japanese people.

Archaeological evidence indicates that Stone Age people lived in the Japanese archipelago during the Paleolithic period between 39,000 and 21,000 years ago.[19][20] Japan was then connected to mainland Asia by at least one land bridge, and nomadic hunter-gatherers crossed to Japan. Flint tools and bony implements of this era have been excavated in Japan.[21][22]

In the 18th century, Arai Hakuseki suggested that the ancient stone tools in Japan were left behind by the Shukushin. Later, Philipp Franz von Siebold argued that the Ainu people were indigenous to northern Japan.[23] Iha Fuyū suggested that Japanese and Ryukyuan people have the same ethnic origin, based on his 1906 research on the Ryukyuan languages.[24] In the Taishō period, Torii Ryūzō claimed that Yamato people used Yayoi pottery and Ainu used Jōmon pottery.[23]

After World War II, Kotondo Hasebe and Hisashi Suzuki claimed that the origin of Japanese people was not newcomers in the Yayoi period (300 BCE – 300 CE) but the people in the Jōmon period.[25] However, Kazuro Hanihara announced a new racial admixture theory in 1984[25] and a "dual structure model" in 1991.[26] According to Hanihara, modern Japanese lineages began with Jōmon people, who moved into the Japanese archipelago during Paleolithic times, followed by a second wave of immigration, from East Asia to Japan during the Yayoi period (300 BC). Following a population expansion in Neolithic times, these newcomers then found their way to the Japanese archipelago sometime during the Yayoi period. As a result, replacement of the hunter-gatherers was common in the island regions of Kyūshū, Shikoku, and southern Honshū, but did not prevail in the outlying islands of Okinawa and Hokkaidō, and the Ryukyuan and Ainu people show mixed characteristics. Mark J. Hudson claims that the main ethnic image of Japanese people was biologically and linguistically formed from 400 BCE to 1,200 CE.[25] Currently, the most well-regarded theory is that present-day Japanese people formed from both the Yayoi rice-agriculturalists and the various Jōmon period ethnicities.[27] However, some recent studies have argued that the Jōmon people had more ethnic diversity than originally suggested[28] or that the people of Japan bear significant genetic signatures from three ancient populations, rather than just two.[29][30]

https://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_people
日本人(にほんじん、英: Japanese people)は、日本列島に住む東アジアの民族である。日本人は日本国の人口の97.6%を占める。全世界で約1億2600万人が日系人であり、最大の 民族集団の一つである。約1億2,200万人の日本人が日本に居住しており、日系人として知られる日本人ディアスポラには約400万人がいる。

ある文脈では、「日本人」という用語は、特に日本本土の大和民族を指して使われることもある。別の文脈では、この用語は、大和民族とつながりを持つが、し ばしば別個のものとみなされる琉球民族やアイヌ民族など、日本列島に住む他の集団を含むこともある。また、ここ数十年では、ハーフなど、日本人と外国人の 両方にルーツを持つ人も増えている。

考古学的証拠によれば、3万9000年前から2万1000年前の旧石器時代に、石器時代の人々が日本列島に住んでいたことがわかっている。その後、日本は 少なくとも1本の陸橋によってアジア大陸とつながり、遊牧民の狩猟採集民が日本に渡ってきた。この時代の火器や骨角器が日本で発掘されている。

18世紀、新井白石は、日本にある古代の石器は宿遷が残したものであると示唆した。その後、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトはアイヌ民族が北日 本に土着していたと主張した。大正時代には、鳥居龍蔵が大和民族は弥生式土器、アイヌ民族は縄文式土器を使っていたと主張した[24]。

第二次世界大戦後、長谷部言人と鈴木尚は、日本人の起源は弥生時代の渡来人ではなく、縄文時代の人々であると主張した。しかし、埴原和郎は1984年に新 しい人種混血説を、1991年には「二重構造モデル」を発表した。埴 原氏によれば、現代日本人の血統は、旧石器時代に日本列島に移住してきた縄文人に始ま り、弥生時代(紀元前300年)には東アジアから日本への第二の移住の波が押し寄せた。新石器時代に人口が拡大した後、弥生時代のある時期にこれらの新人 が日本列島にたどり着いた。その結果、九州、四国、本州南部の島嶼部では狩猟採集民の交替が一般的であったが、沖縄や北海道の離島では優勢ではなく、琉球 人とアイヌ人は混在した特徴を示している。マーク・J・ハドソンは、日本人の主要な 民族像は紀元前400年から紀元後1,200年にかけて生物学的、言語 学的に形成されたと主張している。現在最も有力な説は、現在の日本人は弥生時代の稲作農耕民と縄文時代の諸民族の両方から形成されたという ものである。し かし、最近の研究では、縄文人には当初考えられていたよりも多くの民族的多様性があったという説や、日本人は2つの古代集団だけでなく、3つの古代集団か らの重要な遺伝的特徴を持っているという説もある。

https://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_people
「沖縄県で約2万年前の旧石器時代の遺跡から見つかっ た港 川(みなとがわ)人が、現代の日本人に遺伝的に直接つながる祖先だった可能性がDNA解析からわ かった。日本人のルーツは、縄文人や大陸から渡来した弥生人による「混血説」が有力だが、さらに古い港川人までさかのぼることになる。総合 研究大学院大や 東邦大などの研究チームが、13日付の科学誌サイエンティフィック・リポーツに論文を発表する。  港川人は、1970年に沖縄県で人骨が複数発見された。日本では数少ない旧石器時代の人骨で、出土した場所の地名から港川人と呼ばれる。身長は150セ ンチ程度と小柄。肩幅は狭いが、下半身の骨格は丈夫で、荒れた土地を走るのに適していたとされる。  日本人の起源は、約1万5千年前から約3千年前にかけて、北海道から沖縄まで広く 居住していた縄文人と、その後に大陸から渡来した弥生人が混血したこと がDNA解析などから裏付けられてきた。  一方、縄文人より古くからいた港川人との関係はこれまで不明だった。というのも、出土した人骨や遺跡だけでは、港川人が別の土地へ移ったり、途絶えたり した可能性もあり、直接の祖先とは限らないためだ。港川人の顔の骨格が縄文人とあまり似ていないこともあり、論争になってきた。  研究チームは、解析が比較的容易な細胞の小器官ミトコンドリアのDNAを分析する手法を採用。母から子に受け継がれるミトコンドリアDNAは、突然変異 によって地域特有の痕跡を残すため、比較すれば集団の由来をさかのぼれる。  保存状態がよく全身骨格が残る港川人1号(成人男性)の人骨からDNAを抽出して分析した結果、港川人1号は、現代日本人や縄文人、弥生人に多く見られ るタイプの祖先型の遺伝子を持つことがわかった。港川人の集団が、日本人の遠い祖先にあたることを示唆している。一方、分析した現代日本人約2千人の中 に、港川人1号と同じ遺伝子の特徴を受け継ぐ直系の子孫はいなかった。  港川人の遺伝情報を調べることに成功したのは今回が初めて。総研大の五條堀淳講師(自然人類学)は「日本列島のヒトの集団は、旧石器時代から現代に至る まで、遺伝的につながっていそうだとわかった」と話す。今後、研究が進めば、現代日本人の中から港川人の直系の子孫が見つかる可能性もあるという。  五條堀さんは「旧石器人の人骨をさらに調べ、日本人のルーツの理解を進めていきたい」と話している。  論文は以下のサイト(https://doi.org/10.1038/s41598-021-91357-2別 ウインドウで開きます)で読むことがで きる。(石倉徹也)」2021年6月13日
Population dynamics in the Japanese Archipelago since the Pleistocene revealed by the complete mitochondrial genome sequences.
https://www.asahi.com/articles/ASP6F4FX4P6BULBJ016.html
ディスコースの性格
■港川人は、古代の沖縄人のルーツである
■港川人から現代の沖縄人まで、遺伝的継承がある(琉球列島は不動だが、沖縄ディアスポラは不問にされている)
■DNAの解析からは、現在の地政学的日本という領土の境界でる「北海道から沖縄まで」いた縄文人と、(中国・朝鮮半島由来の)「渡来弥生人」の混血であ ることが、あたかも証明されているかのほうに記述されている:「日本人の起源は、約 1万5千年前から約3千年前にかけて、北海道から沖縄まで広く居住していた縄文人と、その後に大陸から渡来した弥生人が混血したこと がDNA解析などから裏付けられてきた
■保存状態のいい港川人1号ミトコンドリアDNA解析の結果:「港川人1号は、現代 日本人や縄文人、弥生人に多く見られ るタイプの祖先型の遺伝子を持つことがわかった。港川人の集団が、日本人の遠い祖先にあたることを示唆している」
■この研究は、現代日本人約2千人の中 には「港川人1号と同じ遺伝子の特徴を受け継ぐ直系の子孫」は、いなかった。つまり、現在のところ、港川人1号の末裔はいないことになる。
■だが「港川人1号の末裔」を探す研究は必要である:なぜなら「研究が進めば、現代日本人の中から港川人の直系の子孫が見つかる可能性もある」からであ る。
1875年に北海道に強制移動 させられ、1905年に樺太に(この時は移動の選択が選べたが)復 帰し、1945年に(敗戦により)ふたたび北海道に移動、定着してきた、樺太アイヌ・サハリンアイヌは、現在の民族の定義によると「樺太にルーツをもつア イヌ」と呼ぶほうが適切であろうが、1964年にその「純潔度」を推測しようと努力し人体計測データを分析した自然人類学者(小浜 基次, 加藤 昌太良, 欠田 早苗)は苦慮している。その時に、彼らは、「現代樺太アイヌの形質のうちで原樺太アイヌの特徴として残されている形質は、顔高と鼻高の大きいこと」と、よ り古い採集資料から仮想的に「原樺太アイヌ」を想定(=モデル化)して、「諸特性は認めがたく、恐らくは混血によってその特性を失ったもの」と主張してい る。つまり、このような主張は、後のヘイト論者にとって、「純粋の樺太アイヌなどいない」という主張の格好の「傍証材料」になってしまう。この自然学者た ちの研究方法に対する態度はきわめて客観的だが、「純粋の樺太アイヌ」を想定したことで、我々(和人やそれ以外の人びと)が普通に行なっている遠くの人び とや集団(=民族)との通婚というごく当たり前のことが、「純粋民族」を想定した時に、純粋さを阻害する変動要因としてみなされるということを示してい る。そのために、この論文の著者たちは、その抄録に「現代樺太アイヌの諸形質を総合すれば、北海道混血アイヌにもつとも近似する。体部は北海道純アイヌに やや近く、樺太和人とは遠いが、頭部、顔部は北海道純アイヌよりも和人に接近し、ギリヤーク、オロッコとはもつとも離れている」と結論せざるをえないので ある。
出典:小浜 基次, 加藤 昌太良, 欠田 早苗「北海道に移住した樺太アイヌの形質人類学的研究」人類学雑誌、1964 年 72 巻 1 号 p. 24-36 https://doi.org/10.1537/ase1911.72.24
サハリン・アイヌの研究を通してアイヌ全体の「(人種の)純血性」を信 じることが無効な科学的概念であることを、当の形質人類学者たちは1960年代に正直に吐露している(左の論文陰影はクリックで拡大できます)。この図は 下記に再掲しています。
約2万年前の最終氷河期の日本の氷河被覆(出典:「日本人」の遺伝的ならびに身体計測研究
縄文時代と弥生時代の日本への主な移動ルート(出典:「日本人」の遺伝的ならびに身体計測研究
集団ゲノムPCAグラフ。解析された日本の縄文人サンプルを含む東アジア集団の部分構造を示す。日本人のクラスター(四角)は朝鮮人のクラスター(丸)と ほとんど区別がつかないが、縄文人のサンプルはより明確な位置でシベリアのクラスターに向かってシフトしている。(2019)(出典:「日本人」の遺伝的ならびに身体計測研究
日本人(日韓クラスターに分類される)と他の東アジア人の遺伝的親和性を示す最近のPCAグラフ(2022年)(出典:「日本人」の遺伝的ならびに身体計測研究
アジア本土の5つの集団との遺伝的類似性を示す日本人遺伝子クラスターの祖先プロファイル(出典:「日本人」の遺伝的ならびに身体計測研究
ピエトルーセフスキーによれば、日本人の頭蓋骨に最も似ているのは朝鮮人であった。一方、中国人、モンゴル人、東南アジア人は日本人とは区別された[49](2010年)。(出典:「日本人」の遺伝的ならびに身体計測研究


●サハリン・アイヌの「(人種の) 純血性」を信じることが無効な科学的概念であることを、当の形質人類学者たちは1960年代に正直に吐露している。

リ ンク

文 献

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