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「日本人の起源」論

文化ナショナリズムか、科学レイシズムか?

The "Origin of Japanese" Theory : Cultural Nationalism or Scientific Racism?


池田光穂

「日本人の起源」論:文化ナショナリズムか、科学レイシズムか?

The "Origin of Japanese" Theory : Cultural Nationalism or Scientific Racism?
1.はじめに
1. Introduction
日 本では、「日本人の起源」をめぐる話題が、生物人類学者だけでなく、一般の人々の間でも大変人気がある。専門家がおこなう、研究の関心や方法論、起源証明 する指標は自然科学の手法に基づいている。しかし、その専門家が、マスメディアの報道や一般向けの解説本を書く時には、文化ナショナリズムと解釈されかね ない書き方が多くみられる。このギャップはなにを物語るものであろうか。

日 本人が、日本人論や日本人ユニーク性あるいは、県民性という地方独自のキャラクターに関する議論好きなのはつとに知られている。異邦人からみれば、なぜそ こまでに、「文化のインヴォリューション」のごとき差異にこだわり、延々と議論をするのが好きなのか理解に困るところである。

日本人は均質な民族(ないし人種)であり、自分たちはユニークな文化をもつと信じている。そして、異文化——とりわけ欧米——からの視線をつねに気にしている。

さ らに、一般向けの解説本で、日本人のユニーク性への指摘や、周辺地域への相互交流など、日本人のプライドとアイデンティティを毀損しないような配慮で書か れている。こうしたことから、日本人の起源論は、日本の文化的ナショナリズムに配慮したかたちでの情報発信がなされている可能性が考えられる。また、日本 人とそれ以外の東アジアの周辺「国民」や「地域住民」が、遺伝子の多様性の分析から、分岐した模式図が描かれると、20世紀前後の「人種」を描いた表現と 同じ手法が、時代錯誤的に表現され、日本人の起源論が科学人種主義の維持と形成に寄与している可能性も疑われる。

本発表は、日本の自然人類学者たちが、一般向けに発表している「日本人の起源」についての著作を対象にして、以下のことを明らかにする。

(1a)なぜ東アジアの人類の来歴ではなく日本人の起源にこだわるのか、
(2a)「日本人の起源」においてなにが中心に論じられているのか、そして
(3a)このような「日本人の起源」は、なんらかの人種主義的要素が含まれるのか、含まれているとすると、それは何なのか、について明らかにする。

結論を予告するのであれば、次のようになる。

(1b) なぜ東アジアの人類の来歴ではなく日本人の起源にこだわるのか、それは論調を俯瞰するに、論者たちは日本人のことしか関心がなく、東アジアの周辺民族のこ とについてはほとんど関心がない。それは、日本人論が文化的ナショナリズムを助長するからであり、また日本の文化的ナショナリズムは「日本人の起源」とい う言説を必要とするからである。
(2b)「日本人の起源」においてなにが中心に論じられているのか。日本列島はもともと「無主地(Terra nullius)」という前提があり、より古い移民が「古日本人」とみなされそれは縄文人と呼ばれる。その後、現在の日本人と朝鮮半島やオホーツクから移 民してきた人たちの「混血」からなりたつと考えられている。ゲノム研究以降もさまざまな微調整がなされているが、この枠組みは変わらない。
(3b)このような「日本人の起源」は、なんらかの人種主義的要素が含まれるのか、含まれているとすると、それは何なのか。ゲノム研究を中心に「日本人の起源」を明らかにする直近の巨大プロジェクトでは、日本人はヤポネシアと 言い換えられている。ヤポネシアは来歴もまた遺伝的多様性もあり、それらが日本地図の上でマッピングされる手法は、それ以前の日本人の起源論と何ら変わり はない。それらのグループ間の差異をゲノム等の本質主義的なもので表現するかぎりこれらの研究は、当事者の研究者たちが否定しても、人種主義的な表現は温 存されている。

2.リサーチクエスチョンとタスク
2. research questions and tasks
本研究のリサーチクエスチョンとそのタスクは以下のような3つのものである。

 2.1 近年の日本人論にみられる「日本人のユニークネス」とはなにかについて、どんなことが報告されているか。本研究では、一般向けに書かれた書物や雑誌からその「事実」を列挙する。
 2.2 これまでの日本人起源説の定説であった「二重構造説」から、ゲノム解析に基づき隣接科学を考慮した統合モデルとの変化に焦点を当て、その内容を調べる。また、それらの言説が文化ナショナリズムや科学人種主義につながるものか否かを検討する。
 2.3 日本人のユークネスに関する議論と日本人のゲノム構造の解析にもとづく「日本人の起源」論の間に共有する/相違する点は何かを明らかにする

3.方法

私たちはここで科学人種主義を判定する基準について考える必要がある。なぜなら、科学人種主義という認定は、研究者の多くにとってはスティグマになるからである。その意味での科学人種主義であるという裁定は負の価値判断になる。

科学人種主義を判定する基準とは次のようなものである;研究者が、「科学的な用語と方法論を使った」という名のもとで、以下の1つないしはそれ以上の特性で人間集団を説明する時、それは科学的人種主義であるとする。

1)人間集団のなかに、生物学的な違いのあるグループ(身体的特徴で弁別される)を恣意的に弁別すること。
2)それらのグループ間の違いを社会的な条件の違いで「選択」された可能性を棄却して、すべて生物学差異であると本質化して説明すること。
3)意見とまた完全に正当化されたと言えない証拠に基づいて「人種」と「その集団の本質的な特徴」の定義を作成しようとする実践行為。

4.議論のためのマテリアル

このとりあげる資料は、以下の7点を中心とした日本語文献である。

日本人の起源論について言及し、また広く知られている、一般啓蒙書ならびに、雑誌形式のビジュアル・グラフィックを中心とした書籍(「ムック」)をとりあげる。

・一般向け叢書(4冊):
- 斎藤成也(2023)『日本人の源流』河出文庫、河出書房新社。
- 斎藤成也・海部陽介・米田穣・隅山健太(2021)『図説 人類の進化』講談社。
- 篠田謙一(2015)『DNAで語る日本人起源論』岩波書店。
- 篠田謙一(2022)『人類の起源』中公新書、中央公論新社。
General series (4 books):
- Raruya Saito (2023), The Origin of the Japanese People, Kawade Bunko, Kawade Shobo Shinsha.
- Raruya Saito, Yosuke Kaifu, Yutaka Yoneda, Kenta Sumiyama (2021), “Illustration: Human Evolution”, Kodansha Ltd.
- Shinoda, Kenichi (2015), Nihonjin no genryu-ron (Japanese theory of origins as told by DNA), Iwanami Shoten.
- Shinoda, Kenichi (2022), The Origin of Mankind, Chuko Shinsho, Chuokoron Shinsha.
・一般向けムック(3冊):
- 『日本人の起源』近藤修監修、別冊宝島2233号, 宝島社.2014年(近藤を含めて、片桐千亜紀、石田肇、木村亮介、米田穣、徳永勝士の6人がそれぞれの記事の監修者になっている)
- 『骨からわかる日本人の起源』片山一道監修、別冊宝島2411号、宝島社、2015年(これは片山だけの単独監修、巻頭インタビューのほかに6章編成でほかにコラムなどが含まれる)
- 『日本人の起源』洋泉社MOOK、2018年(これは監修者なしで、執筆者に、瀬川拓郎、篠田謙一、山田康弘、藤尾慎一郎、松木武彦、が含まれる)
 Mooks for the general public (3 books):
- "Japanese Origins” supervised by Osamu Kondo, Bessatsu Takarajima No. 2233, Takarajimasya, 2014 (including Kondo, Chia-ki Katagiri, Hajime Ishida, Ryosuke Kimura, Minoru Yoneda, and Katsuji Tokunaga were the six supervisors of each article).
- "Japanese Origins from the Bone,” supervised by Kazumichi Katayama, Bessatsu Takarajima, No. 2411, Takarajimasya, 2015 (This is supervised solely by Katayama, and includes an interview at the beginning of the book and six other chapters and columns.)
- "Origins of Japanese ,” Youzensha MOOK, 2018 (without supervision, authors include Takuro Segawa, Kenichi Shinoda, Yasuhiro Yamada, Shinichiro Fujio, and Takehiko Matsuki).
5.結果
5. Results
5.1 日本人種について

日 本人論(treatises on Japaneseness)は、日本人の国家的・文化的アイデンティティと国民性(national character)の問題に焦点を当てた歴史的・文学的作品のジャンルである。日本論は第二次世界大戦後に流行した出版ブームの中で盛んになり、日本文 化や文化的な考え方を分析、説明、探求することを目的とした書籍や論文が出版された。これらのトピックには、中根千枝「タテ社会」の概念や土居健郎の「甘 えの構造(indulgence and dependence)」、九鬼周造の「「いき」の構造」、河合隼雄の「中空構造」社会論、あるいは、経済学者や社会言語学者などが、日本語や日本人の感 性を謳っている。日本人の特徴は、我々の身の回りにある概念や用語をつかって、いかに日本人がユニークなものであるのかを主張するのが特徴である。また、 国際社会のなかで、グローバルスタンダードな価値観を日本文化への脅威と感じ、それを外圧と表現する。日本人論は、その外圧に対して反対し、また、これま での価値観を称揚する。そのため、日本人論は、集合的なナルシシズムを刺激する文化的ナショナリズムとなるものが多い。

こ の発表で扱う「日本人の起源」論とは、日本の自然人類学者、遺伝学者、考古学者、言語学者などが、人々の移動や起源や交雑を人類史のスケールで表現するも のである。そして私の課題は、その「人々」がどのようなカテゴリーの集団かということである。日本語では、その「人々」を長くミンゾクという言葉で表現し てきたが、とりわけ第二次大戦以前では人種とエスニシティとナショナリティを複合するような概念で理解されてきた。「我々大和民族」という表現がそれで あった。ではここでの「日本人」とはどのようなカテゴリーの人を指すのか。ナショナリティは法的な国籍をさすのでそうではない、エスニシティは日本文化に 同一化した人たちの存在(在日コリアンやコリアン系日本人)を考えるとその議論をしている人は対象者から外している。そうすると研究者たちが議論している のは、消去法(process of elimination)から「人種」である可能性が高い。実際に人種をつかっているケースはあるが、世界の生物人類学者たちの標準的な考え方に従 い、人種は彼らは使っていない。すくなくとも私がとりあげた7つの文献では人種を表現する「ジンシュ」という用語を使っているのは1件だけである。そ の文献は「人種」のあいだには明確な「境界線」は引くことはできず人種差別はいけないと言うものの、実際にはそのグループは存在すると、人種的な区分は容 認するような表現が含まれている(海部 2021:230-233)。それ以外の論者たちは、人種という言葉は使わず、クラスターや集団(ストック)という呼び方で表現している。

し かしながら、日本人の起源を考える際に、彼らにとって人種の概念は不可欠のようである。生前、人種概念に対する強い反対の論陣を張ったスティーヴン・ J・グールド(1987:245)ですら、それを説明する時に、亜個体群(subpopulation)と呼んでいる。戦前の帝国主義における多文化共生 の考え方とはことなり、戦後の日本では、むしろ日本人は「血の純粋な民族」であり単一民族国家(blood purity, one race)というナショナルイメージの主張とそれに反発するかたちで「人種」という言葉のかわりに「日本人」と表現されてきた(Dale 1986:42)。そのような人種概念のバックラッシュがありながら、戦前の神話を実際の歴史に取り込む皇国史観から自由になった戦後の「日本人の起源 論」を考察した研究者たちは、この極東の島国の住民は、すべて島外からやってきた異邦人の末裔が何層にもわたって、その多様性はグラデーションをもちなが ら複合的に形成されたという仮説をグランドパラダイムとしている。つまり、日本人はさまざまなルーツをもつハイブリッドな集団であり、現在でもなお地域的 な変異があり、それらの変異を、移動と混血で説明するというのが「日本人論」の特徴である。

使 い古された「日本人」の定義には、人種も民族集団という概念も上書きされるために、日本人という表現を使わない代替的な呼び方がされるようになった。そ のなかで「ヤポネシア・ゲノム・プロジェクト」のリーダーである斎藤成也は、日本人種という呼称の代わりにヤポネシア人という用語を創造した。もともと は、日本の小説家の島尾敏雄(1977)の琉球弧(Ryukyu Arc)を含んだ日本列島全体の土着フォークロア性を表現する文学用語であったが、斎藤はそれを学術用語として使った。しかし、このヤポネシアは限りなく 日本人種という概念に近い。彼は現在、埴原和郎の二重構造モデルを批判し、またそのモデルを改善した3層構造仮説を提唱しているが、その場合も、3種の亜 集団のヤポネシア人がレイヤーのように重なり形成されたと説明している。

日 本人の形成は、現在4つの種類の亜集団ないしは「人種」の混血ないしは入れ替わりによって説明されている。すなわち、(1)縄文人、(2)渡来人(かつて は弥生人と言われたが固有の集団ではないので immigrants の意味をもたせている、伝統的な歴史用語)、(3)アイヌ、そして(3)琉球人ないしは沖縄集団である。この4つの集団は、後で述べる二重構造モデルやそ の後継の理論的修正においても使われている。

5.2 日本人起源論の歴史

1940年代以前は、日本人の渡来起源説が定番だったが、第二次大戦の 激化とともに皇民化政策がすすみ、天皇を頂点とする「純粋な人種」としての日本人のイデオロギー的要請が増えてきた。しかし、それを自然人類学的に「論 証」した研究者はいなかった。だが、1940年代後半、長谷部言人などは、混血が なかったことをこの時期に主張するようになる。長谷部言人は『日本民族の成立』(昭和24年)において、前期洪積世以降の日本列島住民の転変を、身体と文 化の両面から考察し、縄文人と古墳時代人との体質的差異は、狩猟採集経済を基盤とする石器時代の生活から、水田農耕に依存する金属器時代の生活への転換 が、咀嚼筋、下肢筋の弱体化を招く結果を生じたと解釈した。そして、弥生式時代およびその後においても、日本人の体質を一変させるほどの混血はおこらず、 日本人は石器時代から現代にいたるまで遺伝的に連続した集団であると主張するようになる。長谷部の説は、日本人種は単一で、形態変化は同一集団のなかで起 こったことを示している。

1950年代から60年代にかけて、鈴木尚は、縄文時代から弥生時代へ と移行する時期の人骨の詳細な調査検討に基づき、縄文時代人が弥生文化の流入に伴う生活環境の変化のため、いわゆる小進化によって弥生時代人に変わったと いう「変形説」を主張した。この考え方は、縄文人が先住の人種であり、朝鮮半島を経由した移民すなわち渡来人が農耕をもちこみ、縄文人が変化したとするも ので、長谷部の日本人種単一説の改良版である。この流れは、1970年代まで(日本人起源論の)支配的パラダイムになった。

他方、1950年代から1970年代には、台北とソウルの日帝の旧植民 地出身の自然人類学者は、金関丈夫の渡来説を展開し混血渡来説を多く支持するようになる。彼らの見解によると、日本人は異種混交の「民族」であり、金関が リーダーシップをとった、山口県土井ヶ浜遺跡(1950〜)の発掘し、渡来説を主張するようになる。


そして、1980年代から90年代にかけて、それまでの計測研究を中心 とする自然人類学研究に、遺伝学的研究が加わり、遺伝的形質の類似性と多様性があることがわかり、それが埴原和郎の1991年の「二重構造モデル」につな がる。これは、東南アジア起源の縄文人という基層集団の上に、弥生時代以降、北東アジア起源の渡来系集団が覆いかぶさるように分布して混血することにより 現代日本人が形成された。渡来系集団は、北部九州及び山口県地方を中心として日本列島に拡散したので、混血の程度によって、アイヌ、本土人、琉球人の3集 団の違いが生じた、と説明するものである。

5.3 ゲノムサイエンスの影響

ゲノムとは、生物の遺伝子の完全な集合なことである。遺伝子はDNAの 配列で決定されているので、その生物のDNAの情報のセットがゲノムということになる。表現型(phenotype)はかつては遺伝子型 (genotype)と環境の要因で発現すると言われてきたが、現在では、それに加えて遺伝子型と環境の相互作用による発現とみなされるので、個体を特定 するには遺伝子型が一番正確であることになる。そのため、日本人の起源論者は、2010年代以降のDNAシーケンサーの進歩を「次世代シーケンサー」と呼 んで革命的なイノベーションの手段を我々が手に入れたと主張し、論文や啓蒙書に、その成果を謳っている。

しかしながら、科学者として、より公正な広報を心がけるべきという点か ら、起源論者がその説明を怠ったり、省略したりしていることもある。これはヒューマンゲノムプロジェクトですでにバリー・コモナーが2002年に指摘して いたことである。それはこういうことである。平均すると、ヒトの個体は約99.9%の遺伝子を共有している。言い換えれば、2人のヒトの間では、約 1000塩基対につき1つだけが異なることになる。だが現在使われている第三世代シーケンサーのエラー率の高さは、同じ種に属する個体間の違いを特徴づけ るという目的においては、避けられない問題になっている。より平易に表現すると、日本人の起源論者は、日本国内あるいは周辺国の近隣の亜集団(=古い意味 での人種を示唆する集団)からサンプリングされたAという個体と、別の集団のBという個体の99.9%は同じなのに、その0.1%に含まれる違いを集団 の違いであると表象しているのである。

日本人起源論者と次世代シーケンサーの関係は、カロンやラトゥールのア クターネットワーク理論で適切に解釈できるかもしれない。これまで解剖学形態や血液型のような、これまでのノンヒューマンアクターたちに、対してシーケン サーの登場は、日本人の起源についてのゲノムサイエンスからの新たな説明と解釈の方法を提供する点で、新しいアクターの導入であり、このアクターによる研 究の布置が大きく変化した。その新しい布置のなかでゲノム研究者のヒューマンアクターは、他の例えば形態計測の人類者の活動を押し除けてしまう。たとえ ば、これまでの解剖学的な研究は、集団の表現型のみを統計的に表すのみであり、遺伝型のように直接的な遺伝的な系譜関係を明らかにできないと主張する(= 問題化)。ゲノム研究はそれらの選考する仮説に対して、異論を加えるよりも、仮説がもつ限界と新たな可能性を提供することを約束するがゆえに、研究上のパ ラダイムの援軍とすることができる(=利益分配[interessement])。ゲノム研究者が中心となり、他の研究者を包合するより大きなプロジェク トを構想できる(=参加)。ゲノム研究者は、他の研究者とコラボレーションすることで、シーケンサーの知見を共有することで、それぞれの分野が平等にプロ ジェクトに対して貢献を果たすことができる(=動員)。

日本人起源論のジャンルでは、ゲノムサイエンティストの斎藤成也教授 が、2018年から2024年まで文部科学省の巨大グラントである新学術領域研究において「ゲノム配列を核としたヤポネシア人の起源と成立の解明」を獲得 した。これは、アクターネットワークで適切に理解されたように、日本における日本人の起源論の科学研究の方法論的なキー概念の変更を行うことで、研究者集 団が、政府や科学技術官僚を動かし、巨大研究費を誘導する、いわゆる研究におけるレントシーキング(rent-seeking)活動の結果であったと解釈 することができる。繰り返すように次世代シーケンサーの登場は、日本人の起源研究よりもオーダーメイド化する医学研究に最もよく貢献すると考えられている が、日本の研究現場における新しいシーケンサーの導入は、日本におけるゲノム研究の水準をあげ、また、国内の分析産業業界のイノベーションにも大きな誘導 要因になっている。

5.4 二重構造モデルとその修正

先にも述べたように、1980年代から90年代にかけて、それまでの計 測研究を中心とする自然人類学研究に、遺伝学的研究が加わり、遺伝的形質の類似性と多様性があることがわかった。埴原和郎は、東南アジア起源の縄文人とい う基層集団の上に、弥生時代以降、北東アジア起源の渡来系集団が覆いかぶさるように分布して混血することにより現代日本人が形成された、と主張した。渡来 系集団は、北部九州及び山口県地方を中心として日本列島に拡散したので、混血の程度によって、アイヌ、本土人、琉球人の3集団の違いが生じた、と説明す る。これが埴原の1991年の「二重構造モデル」である。

だがこの二重構造モデルが、本土日本人の混血を主張するために、単一人 種=民族としての日本人説が完全に払拭されたわけではない。なぜなら、埴原のこのモデルでは、弥生から8世紀の後には、混血がおわり、「日本人種」は 1000年以上安定した集団になる。また「日本人」としての、沖縄人やアイヌは、縄文人として「古代的」な特徴を保持し、それ自体は、近代化以降におけ る、アイヌ人や沖縄人への(形質的差異にもとづく)「人種的偏見」の原因になってきたことは、歴史社会学的によく知られる事実である。だが、このモデル は、日本人の成り立ちを歴史的にさまざま人の集団の混成により成り立ち、現在でもなお、その来歴には複合的なものがあり、純粋の民族あるいは人種という ものは存在しないことを表現したものである。また埴原も人種という言葉はおろか民族という表現を避けていることも、特筆すべきことだと思われる。

しかしながら、二重構造モデルは、日本というおおきな括りにおける、本 土人の来歴を表現するというモデルであることは否めない。その異論の一つとして、沖縄からみた二重構造モデルの問題を指摘したのが沖縄の考古学者の安里進 と自然人類学者の土肥直美である(2011であるがその主張の初期は1994)。彼らは、埴原のモデルでは、従来の、琉球とアイヌを同系であり、より古い 日本人の系統に分類されるという単純化に疑問をいだき、琉球からみた人々の文化や集団には、その同系性よりもより独自性がみられると異論をしめしている。 これらの異論は、ゲノム研究の立場から修正がくわえられているが、その修正はむしろ二重構造モデルの批判ないしは微修正のほうにむけられるため、この「周 辺からみた」中心地のモデル批判は、いまだに有効である。つまり、二重構造モデルはあくまでも日本の中心地に住む人々の来歴を説明する言説であり、アイヌ や琉球からみれば、そのモデルがさまざまな不都合がおこることは明確なのである。つまり、日本の本州を中心としたモデルがもつ周辺地でのイレギュラーを説 明できないのである。これは、文化論における伝播現象を説明するときに、つとに批判されてきたことと類似の現象である。

二重構造モデルの提唱と、その後のゲノム研究者の研究の蓄積からそのモ デルの修正の提案がなされてきた。先の述べたように、このモデルにおける日本人の形成は、現在4つの種類の亜集団ないしは「人種」の混血ないしは入れ替わ りによって説明されている。すなわち、(1)縄文人、(2)渡来人(かつては弥生人と言われたが固有の集団ではないので immigrants の意味をもたせている)、(3)アイヌ、そして(3)琉球人ないしは沖縄集団である。二重構造モデルとその後の、理論的な修正の一覧を別図で表している が、基本的に、それぞれの集団の来歴において別の集団が想定されたり、渡来人による日本人の形成の比率が下がり、縄文人の要素が高まり、縄文人系の人の小 進化が周辺集団や渡来人系の集団との混血へと修正されている。

その中で斎藤成也(2015:167-172)は『日本列島人の歴史』 において「三段階渡来モデル」を提唱している。これは、二重構造モデルを踏襲し、その改良版と考えることができるが、一番オリジナリティが高い。それによ ると、二重構造モデルでは、1)旧石器〜縄文末(4万〜3000年前)と、2)弥生〜8世紀(3000年〜1200年前)の2相しか、渡来の波はないと想 定してきた。しかし、斎藤の三段階モデルでは、その時代区分も異なり、A)旧石器〜縄文中期(4万年〜4500年前)、B)縄文後期〜晩期(4500年〜 3000年前)、C)弥生時代から現代(3000年前〜現在)までの3相でとらえている(斎藤 2019:31)。斎藤の説明では、日本人はどの時点で集団——人種概念で置き換え可能だが——として固定したかという議論は否定し、そのような「日本 人」——斎藤の用語ではヤポネシア人——の形成は、さまざまな人々の来日により現在もなお進行中であると捉えていることである。言い方を変えると、斎藤の いう人種としてのヤポネシア人は、つねに形成過程にある。だがしかし、斎藤がヤポネシア人をゲノムの集団的組成という本質的定義を維持するかぎり、彼のい うヤポネシア人は、そのような土着遺伝的集団のことであり、このルールから外れるが、法的には認められる定義される日本人は、当然のことながら日本人ある いはヤポネシア人からは、この学問的パラダイムでは排除してしまうことになる。斎藤は最先端をいくゲノム科学の第一人者であるが、日本人あるいはヤポネシ ア人を人種的なパラダイムから定義する限り、永遠に「非日本的日本人」を人種論的につくりあげることになるが、そのことの政治的危険性については無自覚で ある。

6.結果と考察
6. Results and Discussions
6.1 日本人のユニークネス
6.1 Uniqueness of the Japanese
起源論を含めて多くの日本人論を眺めたきたときの基本的な論調は、日本 人がいかにユニークであるのかということに多くの論者は腐心していることがわかる。日米戦争中の人種主義を分析したジョン・ダワー(John W. Dower)によると、戦前はそのユニークさに加えて、他の人種に対する優秀さを強調するものがあった。戦後の日本人論では、1964年の海外渡航の自由 化までは、戦前のような他の人種や民族に対する優越さを説く言説は検閲あるいは自主規制された。海外渡航が自由化されて、海外の情報がすこしづつ入るよう になっても、その傾向は維持された。

日本人論という出版市場のなかでは、その著者が日本人かそうでないかと いうことが、しばしば議論の焦点になる。日本人論には、その著者が、日本人か日本人ではないかという点で区別できるのである。日本人の著者で人気のある代 表例は、中根千枝であり、土居健郎であり、河合隼雄である。日本人でない著者で人気のある代表は、ルース・ベネディクトである。

戦後すぐに邦訳されたベネディクト『菊と刀』もまた、当時の日本の第1 級の民俗学者、社会学者、法社会学者らから「日本文化に対する皮相的な見方」を批判された。彼女が日系集住キャンプで、多くの新聞、小説、映像資料などが 翻訳分析され、また通訳を介して多くの日本人たちのインタビューが取られたにも関わらずである——日本人の評者がこの事実を知らなかったこともあるが、私 は「日本人のことは日本人研究者が一番よく知っている」というステレオタイプがその背景にある。

それらに対する日本人側からの概ねの評価は、著者が日本人である場合は、さまざまな批判があるものの、概ね受け入れられて定着する。しかし、著者が日本人論でない場合は、日本人の内部で論争がおこり、その肯定的評価と否定的評価が延々と続いてきた。

誰が日本人論を書いているかというなかで、当事者であり知的権威である ということは重要な要素である。私はイザヤ・ベンダサン『日本人とユダヤ人』(1970)という日本とイスラエルのあいだの比較文明論に対する知識人の反 発を思い起こす。ベンダサンは日本人評論家の山本七平のペンネームであり、この本の出版社の社主であった。ベストセラーになってから、この作者は誰である かということが議論になり、山本であることが判明した。この事件は、著作の妥当性よりも、その著者としての本物性——つまりユダヤ人であることを偽装する ——ことに多くの人々は反発を覚えた。

そのようなスキームで「ヤポネシアゲノム」研究をながめてみると、この プロジェクトは国際的なプロジェクトというよりも、「日本人による、日本人のための、日本人の」研究であった可能性は高い。そのメンバーの構成も、また、 そこから紡ぎだされる言説も、日本人による日本のゲノム研究であることを如実に表している。ヤポネシアンという広報雑誌も出しているが、このヘッダーのデ ザインは日本の国旗がデフォルメされた太陽があしらわれている。

これらの特徴を、より抽象的に表現すると、日本人の本質性を日本人に受 けられられるためには、日本人の本質を理解する日本人研究者によってなされるべきだというイデオロギーがそこには存在する。「日本人による、日本人のため の、日本人の」研究の中に、非本質的な要素が入ると、その信憑性が失われるということは、これは科学ではなく日本人を本質主義的に定義するイデオロギーで ある(e.g. Saini 2017, 2019; Kurzwelly and Wilckens 2023)。

6.2 研究のために必要な膨大な予算獲得

専門家を審査しグラントを提供するピア研究者や官僚に対する、プロジェ クトの真摯な姿勢は、研究費の取得に関する動機に基づいている。次世代シーケンサーやゲノムサイエンスの膨大なデーター処理には多額の予算がかかり、日本 科学者は研究予算獲得に熱心にとりくんでいるからである。国の研究予算を提供するエージェンシーも「納税者にわかりやすい成果の発表」を推進する傾向にあ る。そのことが研究者をして、専門家向けの研究に邁進し成果を迅速に出すことと、一般向けの疑問に答えるような科学の持続的な広報活動に向かわしめている のである。

6.3 科学人種主義の判定

ゲノムタイプの多様性をある地域集団の特徴的な地理的な位置に割り当て ることで、ヤポネシアゲノムの研究者は、それまでの科学人種主義における人種分類と同じ論法を繰り返していることになる。その結果、亜集団の遺伝的距離の 遠さは地理環境の遠さに還元され、また、遠隔地集団との遺伝的近さは、移動の結果として推論される。その結果、本土人、琉球人、アイヌ人からなるヤポネシ ア人を、他の韓国人や北東アジア人との関連性において、ゲノムの多様性を、人口分布や社会力学と結びつけることになる。ゲノム多様性の概念は、社会政治的 な属性、祖先、地理的起源、社会的アイデンティティという本質的な属性と結果的に融合をおこすのである。つまり、データは正しい結果を表しているかもしれ ないが、データの解釈において人種概念と理解されうる集団を作り出し、それらを集団間の「系譜関係」として描き出している。

また、人種を想像される人々の集団の似顔絵を男性のみを描いたり、ある いは男女を描く場合は人種のステレオタイプおよびジェンダーの容貌のステレオタイプをつかって表現している。一般大衆に対するこのような「教育的配慮」 は、彼らの科学人種主義の大衆への普及に貢献することになる。

日本人の起源論のなかに、日本人の標準(ヤマト)とそこから外れる「ア イヌ」と「琉球」という、日本人のなかにおける「異質なマイノリティ」の位置付けがある——本土に比べれば遺伝的な「遠さ」がある。さらには、東アジアの 近隣の「住民」をネーション単位で分ける方法と、「ゲノム組成の近さ/遠さ」でわける集団的「差異」の確定は、集団のなんらかの「価値づけ」の入り口にお かれていることは否定できない。にもかかわらず、同一国民の間の遺伝的差異に還元できれば、返還の人種間の政治化という問題は回避できる。日本の研究者た ちが「人種」用語を使わなくなった理由を、それで説明することができる。

だが、人種という用語を使わずに集団間の差異で表現するようになった ら、「人種間の差異」の議論は回避することができるようになるだろうか。いや、それはできない。カリカチャー化された系統樹のなかに、アイヌや琉球が他者 化されるように、その延長上に朝鮮人(わざわざ韓国人と表記)や中国人(これは多様な遺伝的集団を極度に単純化する誤り)が表現されるからだ。

6.4 遺骨の返還がすすまない理由

現在の日本では、日本の近代化後に各地で収集された遺骨のうち、アイヌ の遺骨が実際に元の持ち主に返還されている。また、沖縄の遺骨返還訴訟も起こされたが、不成立に終わっている。こうした中、人類学者や考古学者たちは、研 究のための倫理ガイドラインを作成する準備を進めている。しかし、科学者たちは、これまで無制限に行われてきた遺骨や、そこから得られた資料を用いた「日 本人の起源」に関する研究が制限されることを懸念している(篠田 2015)。

では遺骨の返還の政治化の前提とはなんだろうか。それは、収奪された集 団(先住民や研究対象になった民族的マイノリティ)が、収奪した集団(ここでは研究者やそれを支えている研究機関あるいは国家)に遺骨の返還を求めるこ と。ここでは、科学人種主義にもとづく研究が「人種間の差異」を証明することに、その研究の関心があったと想定できる。ただし、収奪した集団が、自分たち は科学人種主義に立っていないと抗弁することもできる。「人種間の差異」ではなく、同一人種の「多様性」の違いをいままで研究してきたのだと主張すれば、 返還の政治化がおこりにく、遺骨の所有権をめぐる法廷論争の中に閉じ込めることができる。アイヌ研究倫理の政府のガイドライン作成や、琉球人遺骨返還請求 訴訟などのプロセスをみても、日本の自然人類学の研究者が遺骨返還には消極的な姿勢を見せているのは明白である。

7.結論
7. Conclusion
1)日本人起源論は、坪井正五郎が東京帝国大学理科大学の人類学教室の 教授に任命された1893年以来、日本の人類学研究の中でつねに重要なトピックになってきた。同年、東京帝国大学医科大学の解剖学者の小金井良精は第二解 剖学の教授に任命される。小金井はアイヌの人種研究のほか、日本人の起源に関するアイヌの位置について、当時の論争に参画している。日本人種起源論の特徴 は、遺跡の古人骨ならびに周辺少数民族、先住民との比較を通して現在の日本人種の来歴を調べることであり、その場合における日本人種は、人種交代や混合人 種などのさまざまな仮説があったが「固有のもの」とされる。130年後の現在でも、基本的に「日本人の起源論」の言説構造は、日本人種はさまざまな来歴を もつが固有のものであるという主張はかわらない。

2)日本人のユニークさの説明には、非人類学的なものがある。それが 「日本人論」である。こちらのほうは、戦前の皇国史観や「天皇の赤子」に代表される自民族中心的な日本人の優秀さやアジアにおける「指導民族」としての誇 り高さが強調される議論であり、民族と人種がほとんど同義語のように語られる。第二次大戦の敗北後は、人種的トーンが後退し、民族文化論としての日本人論 がひきつづき議論された。戦後の日本人のユニークさは、戦前と同じく、勤勉さや誠実さが強調されたが、日本以外の外国人あるいは外国文化とは著しく異なる ものとして、多くは肯定的なもの、時には社会批判として否定的な側面(例えば戦前では集団主義は美徳とされたが、戦後では個性を押しつぶす否定的なものと して表現されることが多い)について指摘された。

3)文化論としての日本人論と人類学的な人種ないしは生物学的な起源論 の関係には、それぞれ直接的な関係はない。日本人の固有の文化論を「日本人のDNA」だと比喩的に表現することがあるが、これは真面目に遺伝子の中に反映 されていると信じる人はほとんどいない。むしろ、人類学者が、「過去の集団」の混合について論じる際に、自己と他者を峻別する時に、移民集団のことを「渡 来人」という固有の術語を使う。渡来には、旅人という意味があり、混血をしないかぎり、決して固有の土着の人になれないことをさす。かつては考古学上の編 年区分である用語から借用して「弥生人」と表現されたが、彼らの解剖学ならびにゲノム的組成は朝鮮半島からの移民の末裔であるが、現在は「渡来人」という 名が使われる。ゲノム研究の新たな発見から、東南アジアや東北アジア、あるいはオホーツクからの移民も少数ではあるが認められるが、彼らは「渡来人」とは 呼ばれない。渡来人とは、朝鮮半島経由で日本列島に流入してきた集団の末裔であるが、隣国の朝鮮・韓国が常に意識されているのである。

4)日本人起源論は、「ゲノム配列を核としたヤポネシア人の起源と成立 の解明」プロジェクトにみるように、大きな科学研究費の予算が投下され、またたくさんの日本研究者が関わったものであった。このようなトレンドの中では、 ゲノム研究の中止と遺骨の返還を求める運動は、研究者にとって研究の自由を阻害すること以外のなにものではない。日本人類学会の元会長は現職時代に、会長 の名前で、私が関わった琉球人遺骨返還訴訟の被告になった当時の京都大学総長に「古人骨は、その地域の先人の姿、生活の様子を明らかにするための学術的価 値を持つ国民共有の文化財として、将来にわたり保存継承され研究に供与されるべきである」と、訴訟の原告側の要求に屈しないように手紙(2019年7月 22日付「要望書」)を書いている。したがって、日本の研究者が「遺骨の返還」に対して、現在もなお沈黙を守っているのは、自らが意見表明をして、返還要 求派からの反発を受けたくないという「沈黙の反対」姿勢である。そこには、自分たちの研究は(現時点での)研究倫理からの要求の水準において、どのような 問題性を孕んでいるのかということに背をむける姿勢を見ることができる。

5)ハイブリッドな集団としての日本人には、遺伝的多様性があるにも関 わらず、その集団的差異を、アイヌ人、本土人(あるいはヤマト人)、琉球人、という従来から存在した人種カテゴリーに再び割り当てる時に、遺伝的に多様 であるはずの日本人の中に下位区分される集団の本質主義的な特性が固定してしまい、国内的なレイシズム(endo-racism, domestic racism)を産む危険性がある。ラベルとは専門家が認定するものだが、集団の差異を本質的な違いとして識別し、(専門家による慎重な説明がおこなわれ ない場合)非専門家により差別の言語として悪用されてしまう危険性がある

8.推奨項目
8. Recommendations
1)日本人の起源論という研究テーマは、それを人種主義と標榜していな くても、日本国内の先住民やエスニックマイノリティからみた時に、マジョリティが主張する自民族中心主義として見られる危険性がある。そのように見られる ことが、研究者にとって不本意な場合、研究者は、自らの研究が自民族中心主義の研究ではないということについての説明責任がある。これは、人類学研究に内 在する研究倫理原則から導き出される。

2)ただし、このような説明責任を通して、日本人の起源論が、それに内 在する人種主義的な課題を克服したとしても、先住民・エスニックマイノリティの側からみたマジョリティ日本人のべつの政治的存在論が描かれる必要があるだ ろう。それはゲノム研究によるものではなく、文化人類学や社会学的分析を通した現在の支配民族としての「マジョリティ日本人」が、国内外の他者との関係の なかで、どのような自画像と他者像を描いてきたかの研究である。これは、いわゆる「日本人論の起源」の脱植民地化研究に相当するだろう。そのような研究の 深化を通した時に、日本人の起源の追求ということよりも、日本人論という研究自体の相対化が可能になる。

3)日本人の起源論に携わる研究者たちが、世界中で問題となっている 「遺骨の返還」というビッグイシューに関して、日本の国民に対してほとんど説明責任を果たしていないどころか、沈黙を守っている理由はどうしてなのか。研 究者たちの、自分の研究を語るダブルスタンダードでは説明できない。その答えは、これらのゲノムを使った「日本人の起源」論に支障が出るからである。これ は、世界的トレンドを認識しているにもかかわらず、日本は例外だという議論で、これらの障害を回避しようとする、人類学者たちの独特な「返還への拒否」姿 勢である。だがこのことは、問題を先送りにするだけで、遺骨資料を提供してもらう個人や集団との間のインフォームド・コンセントを再構築することにも、許 諾なしにも研究をすることにもつながらない。そのため、日本の自然人類学者は、学会の中にタスクフォースをつくり、遺骨研究の新しいガイドラインをつく り、返還可能なものは、そのプロセスに乗るような手続きに着手すべきである。




☆執筆メモ

In Japan, the topic of the "origin of Japanese" is very popular among both biological anthropologists and the general public. Although the research concerns, methodology, and indicators of origin are based on the methods of natural science, mass media reports and commentary books for the general public are often written in a manner that could be interpreted as cultural nationalism.

Since the representations of group characteristics used by biological anthropology to argue for Japanese origins are anthropometric and skeletal measurements and genomic analyses, scientists are suggesting racial characteristics in the sense of shared biological characteristics of the group. Thus, in a more scientific explanation of the theory of Japanese origins, the element of nationalism recedes and takes on a more racist explanation. Otherwise, it is thought that the discussion takes the form of a nationalistic discourse that conceals racism. Because of the nature of their treatment of biological essence, their arguments may take on the aspect of scientific racism.

However, the frame of reference for defining racism or racist discrimination and exclusion in the definition of the term is the comparison with other races, both domestic and foreign, and the reference to superiority or inferiority. In other words, the analysis will be based on the discussion of variations within the same species category and the analogy of clusters of "people with Japanese-like characteristics," which are defined as group attributes, and their origin relationships.

Therefore, we will focus on the controversy between the "Dual Structure Theory," which was the established theory of Japanese origins based on anatomical characteristics, and the integrated model, which is based on genome analysis and refers to linguistic and archaeological data, and use it as material to examine whether it is scientific racism or not.

In Japan today, among the remains collected in various parts of Japan after the Japanese modernization, the Ainu remains have actually been returned to their original owners. In addition, a lawsuit was filed for the return of the remains from Okinawa, although it was unsuccessful. In this context, anthropologists and archaeologists are preparing to develop ethical guidelines for research. Scientists, however, are concerned about restrictions on their previously unrestricted research on human remains and the "origin of Japanese," which has been conducted using materials obtained from these studies.

This presentation will examine the possibility that the expert discourse on the "origin of Japanese" may have provided anthropological evidence of the uniqueness of the Japanese "race." The presenter will question the relationship between cultural nationalism and scientific racism in the area of research known as "origin of Japanese."

日本では、「日本人の起源」をめぐる話題が、生物人類学者だけでなく、 一般の人々の間でも盛んである。研究の関心や方法論、起源を示す指標は自然科学の手法に基づいているが、マスメディアの報道や一般向けの解説本は、文化ナ ショナリズムと解釈されかねない書き方が多い。

生物人類学が日本人の起源を主張するために用いる集団の特徴の表象は、人体計測や骨格計測、ゲノム解析であるため、科学者は集団の生物学的特徴を共有する という意味で人種的特徴を示唆している。したがって、より科学的な日本起源説の説明では、ナショナリズムの要素は後退し、より人種主義的な説明になる。そ うでなければ、人種差別を隠蔽したナショナリズム的な言説の形をとることになると考えられる。生物学的本質を扱うという性質上、彼らの議論は科学的人種差 別の様相を呈するかもしれない。

しかし、人種主義や人種差別主義的な差別や排除を定義する際の参照枠は、内外の他民族との比較であり、優劣への言及である。つまり、同一種族カテゴリー内 でのバリエーションの議論と、集団属性として定義される「日本人に似た特徴を持つ人々」のクラスターとその出自関係の類推に基づく分析となる。

そこで、解剖学的特徴に基づく日本人起源説の定説であった「二重構造説」と、ゲノム解析に基づき言語学的・考古学的データを参照した統合モデルとの論争に 焦点を当て、それらが科学的人種差別か否かを検討する材料とする。

現在の日本では、日本の近代化後に各地で収集された遺骨のうち、アイヌの遺骨が実際に元の持ち主に返還されている。また、沖縄の遺骨返還訴訟も起こされた が、不成立に終わっている。こうした中、人類学者や考古学者たちは、研究のための倫理ガイドラインを作成する準備を進めている。しかし、科学者たちは、こ れまで無制限に行われてきた遺骨や、そこから得られた資料を用いた「日本人の起源」に関する研究が制限されることを懸念している。

本発表では、「日本人の起源」をめぐる専門家の言説が、日本人の "人種 "の独自性を示す人類学的証拠を提供してきた可能性を検証する。発表者は、"日本人の起源 "という研究領域における文化的ナショナリズム科学的レイシズムの関係を問う。

Kurzwelly, Jonatan; Wilckens, Malin S (2023). "Calcified identities: Persisting essentialism in academic collections of human remains". Anthropological Theory. 23 (1): 100–122. doi:10.1177/14634996221133872 (→「脱植民地批判」)

Kazuro Hanihara, Dual Structure Model for the Formation of the Japanese Population, Internatioal Research Center for Japanese Studies,/ K. Hanihara, Dual structure model for the population history of the Japanese. Japan Review 2, 1–33 (1991).
・人類学の日本人の起源論においては「単一民族=人種国家」 というイデオロギーを発見することは難しい。む しろ、移動と定着と交雑というものが、日本人の人種としての遺伝的多様性とその不均等分布を表しているのである。その意味では、この科学的真実が理解で きれば、人種の多様性に対して寛容な気持ちがでてきてもおかしくないが、実際には、我々は逆の歴史的経験を経てきた。この不均等分布という実態を可視的 なものにして人種的なゼノフォビアとしてターゲットになってきたのは、少数民族差別、人種差別としての部落差別、移民差別、在日コリアンなど、である。人 類学者が、我々に提供するのは地方的集団や、見えない多様性を、ゲノムの差異として可視化する科学的方法であり、多様な人間集団の共存という道徳的教訓で はない。

・Peter N. Dale (1986:42)は、日本人の人種概念は、西洋人のそれが、「人種の混血(mascegenation of race)」に対して、日本人は、「血の純粋な民族、単一民族国家(blood purity, one race)」の人間であると指摘している(→「日本人論」)。

・斎藤成也らの共著は現在でも日本人の起源論に熱中しているようだ(例:斎藤成也ら『ゲノムでたどる古代の日本列島』東京書籍、2023年)

・「日本人の起源論」も、和人すなわち支配者が提供する科学という関係においては、支配者による「コロニアル・サイエンス」という色あいをもつ。そのこと を、脱構築するためには、「アイヌ人の起源論」あるいは、「琉球人の起源論」という視点の転換も必要になるだろう。そこにおける重要な考慮すべき点は、そ のサイエンスは「誰のためのサイエンスか?」ということである。(→例:「先住民考古学」「脱植民地批判」)

・Peter N. Dale (1986) によると、日本人論にみられる、日本人のユニークさは、言語学的、社会学的、そして哲学的に認められると指摘している。日本人の論者たちは、そのように信 じており、それはグローバルスタンダードから逸脱があっても、日本は例外という無反省に責任回避するイデオロギーにつながる危険性があると、私は考える。 Dale (1986)もまた、そのようなユニークさは、本質的なものではなく、みんなが信じる「神話体系」のようなものだと指摘している。

・State-sponsored racism(国家による人種差別)というものがあるが、もし、この科学理論を消費する一般市民がそのような「レイシズム感情」をもつとしたら、それは Scientists-sponsored Racism と言えるのではないか?(→レイシズム理論

・歴史的には、国立遺伝学研究所そのものの設置構想は、戦前の優生学研究と人種改造論:「「國立遺傳研究所設立の急務」(1940年 『優生學』) (→優生学の年表)」

・返還をめぐって、その出自地や、社会的アイデンティティなどを、頭蓋骨の調査を通して「本質化」することは、返還にかかせない科学的手続きだが、同時 に、本質主義的な思考を永続させるという批判的側面もある(Kurzwelly and Wilckens 2023: 109)。

・このジレンマを克服するには、返還対象となる遺骨を集合的アイデンティティとして取り扱うのではなく、生物人類学の手法を駆使して、死因の可能性、病気 の痕跡、食生活に関する情報、生物学的な性別、「祖先」の特定など、個々の遺骨の個性を調べることが重要になる。このようなプロセスを通して、個々の遺骨 を、尊厳のある個体(個人)として処遇することを意味するからである。

・しかし、問題も、「祖先推定」の場合、遺伝的特性だけに着目すると、養子慣行や、異邦人を受け入れる社会的慣習が、特定個人のアイデンティティ属性を探 求するときに、かえって妨害要因になる。つまり、科学主義の完璧さを表象するゲノム解析は、人間社会の組織力学を理解するには、一部のことしか我々に伝え ることしかできない。言語学や考古学あるいは他の家畜のゲノム解析などのデータセットの組み合わせは、この点を克服するいう「ヤポネシアゲノム」プロジェ クトは、やはり、ゲノムによる集団的特性を明らかにするという目的のために使われており、汎用性のある基礎科学への貢献にはなりえない。

・遺骨返還のトレンドという研究者への圧力は、データのサンプリングバイアスをさらに助長する。だからといって、遺骨返還の流れに棹させば、データのサイ ズはよりすくなくなり、自分たちの首をしめることになる。遺骨返還に応じて、遺骨が帰属する集団とのインフォームドコンセントを再度とり結ぶことで、この 問題を克服する以外に方途はない。
・遺骨の返還と改葬は、考古学と博物館管理における遺骨収容の現在の問題である。遺骨を本国へ返還すべきかどうかについては、遺骨収集家や人類学者の間でも様々な意見がある。返還された、あるいは現在も返還が必要な遺骨のケーススタディは世界中に数多くある。

・日本では、アイヌ民族への遺骨の返還が一部で実現している。しかし、日本政府は、先住民をはじめとする遺骨返還の請求者に対して、制度上の制約を課して、遺骨の返還を難しくしている。2018年から2023年までつづいた沖縄の遺骨返還訴訟も起こされた が、返還請求は不成立に終わっている。

・私は、裁判の原告側の支援運動に関わる過程のなかで、日本以外の遺骨の返還運動や、その倫理的側面について調査、研究をしてきた。そのなかで、日本が遺 骨の返還に対して「遅れて」いるように感じる理由を考えてみた。その説明のひとつは、日本社会の後進性によるものだという説明である。そして、もう一つの 説明は、日本人の多くがグローバルスタンダードな返還の流れに対して「例外主義」の説明をもって諦めているのかもしれないということだ。いずれにしても、 遺骨返還が、遅れているように感じるのは、それに対する障害があり、その理由を探求する必要がある。


・ピーター・N・デール(1986)、別府春海(1987)、吉野耕作(1992)などの論者は、日本人の自己認識として、まず、日本人は均質な民族(ある いは「人種」)であり有史以前から現在に到るまで変わっていないと考えている。次に、他の民族とは根本的に異なると考える研究がつよい。また、ナショナリ スティックで、外部からの批判には抵抗をしめす。他方で、国際社会や国際基準などからの外部の権威ある指摘には、心理的な脆弱性を示すという特徴もある。 他方で、ICTメディアの普及により、世界の情報がリアルタイムで入ってくるために、日本のユニークなものが良いものと評価されるときにはそれをよく話題 にし、悪いと感じるものには「例外主義」を使って真正面から向き合わない。ただし、このような文化ナショナリズムは、どの国民がもつような傾向がある、エスノセントリズムである。

・日本人を本質化するプロジェクトは、琉球人、本土人、アイヌ人以外の出自をもつ国籍を有する人を「ヤポネシア人」から排斥する意味で、データサイエンス 時代のレイシズムに転化する危険性がある。プロジェクトの計画書には、そのことを憂慮し、それに対してどのように研究倫理上の対策を講じるのかについて、 管見の及ぶ限り調べてみたが、それはない。
0.表題:「日本人の起源」論:文化ナショナリズムか、科学レイシズムか?
The "Origin of Japanese" Theory : Cultural Nationalism or Scientific Racism?
表題:「日本人の起源」論:文化ナショナリズムか、科学レイシズムか?
1. イントロ
・日本では、「日本人の起源」をめぐる話題が、生物人類学者だけでなく、 一般の人々の間でも大変人気がある。専門家がおこなう、研究の関心や方法論、起源証明する指標は自然科学の手法に基づいている。しかし、その専門家が、マスメディアの報道や一般向けの解説本を書く時には、文化ナ ショナリズムと解釈されかねない書き方が多くみられる。このギャツプはなによるものであろうか。

・日本人が、日本人論や日本人ユニーク性あるいは、県民性という地方独自のキャラクターに関する議論好きなのはつとに知られている。異邦人からみれば、な ぜそこまでに、「文化のインヴォリューション」のごとき差異にこだわり、延々と議論をするのが好きなのか理解に困るところである。

・その理由には、日本人は均質な民族(ないし人種)であり、自分たちはユニークな文化をもつと信じ、かつ異文化——とりわけ欧米——からの視線を気にするということがあげられる。

・そのようななかで、専門の自然人類学者たちが議論をする日本人の来歴に関する議論は、その時間的尺度が、遠ければ遠いほど、国際政治上の歴史的トラウマ ——戦前日本の海外侵略(「進出」と言い換えるほどデリケートな話題だ)——も考慮に入れる必要がないので、純粋な学術上の議論として日本人には楽しめる ことができる。

・さらに、一般向けの解説本で、日本人のユニーク性への指摘や、周辺地域への相互交流など、日本人のプライドとアイデンティティを毀損しないような配慮で書かれている。

・なぜこのような専門家の議論と、一般向けの解説には別のジャンルと思われるほどの乖離がみられるのか?そのような乖離を明らかにするのが、本発表の目的である。

・結論を予告して示唆するのであれば、次世代シーケンサーやゲノムサイエンスの膨大なデーター処理には多額の予算がかかり、日本科学者は研究予算獲得に熱 心にとりくんでいる。また国の研究予算を提供するエージェンシーも「納税者にわかりやすい成果の発表」を推進する傾向にある。そのことが研究者をして、専 門家向けの研究に邁進することと、一般向けの疑問に答えるような科学の広報活動が形成されており、同じ文化を共有する専門家が、一般向けの知的興味を満足 させると同時に、その分野における科学リテラシーの水準を底上げすることに貢献している。

・ただし、そのような状況が、遺骨返還などの研究倫理上の問題に、専門家が興味をもつことに背を向けさせていると説明することができる。

・日本の科学者集団に対してこの研究倫理に関する意識化を促進するためには、同じく、日本人論にみられる特質に訴え、欧米を中心とした世界的トレンド——倫理的転回(ethical turn)——に目を向けさせることが必要になろう。
・ゲノムサイエンスによる「日本人の起源論」で現在一番ホットな話題は、解剖学や考古学さらには動物地理学などの知見を総合した埴原和郎の「二重構造モデル」(1991, 1994)が、ゲノムサイエンスによって、どれだけ修正が迫られるかという問題である。

・ただし、この科学論上の議論と、その雑誌やメディアを通した一般向けの解説では、それを説明する専門家ならびに大衆に、そこに文化的ナショナリズムがあるとか、科学人種主義があるという認識はない。また、それに関する議論もおこってはいない。
1.5 リサーチクエスチョン(タスク)
1)近年の日本人論にみられる「日本人のユニークネス」とはなにかについて、報告された「事実」を列挙する。

2)これまでの日本人起源説の定説であった「二重構造説」から、ゲノム解析に基づき言語学的・考古学的データを参照した統合モデルとの変化あるいは改良に 焦点を当て、それらが科学人種主義につながる言説か否かを検討する。

3)日本人のユークネスと日本人のゲノム構造の解析にもとづく「日本人の起源」論の間に共有する点は何かを明らかにする
2. 方法

・【定義】科学人種主義(Scientific racism)科学的レイシズムあるいは生物学的人種主義(biological racism)は、 人種(レイ ス)の区分にもとづく、人種主義(人種差別)、人種的劣等性、あるいは人種的優越性を支持するか正当化するた め、科学的言説——真正性の概念に照らせば「擬似科学的信念(pseudoscientific belief)」が動員される——科学的に偽装された価値判断としての人種主義のことである(→「科学人種主義講義」を参照)。

・科学人種主義は、人種差別や特定の集団の人種的劣等性あるいは人種的優越性を支持するか正当化するために、科学言説を動員することだと、定義する。
・科学人種主義を判定する判別式(あるいは判断基準)について考える

・分析に使う資料を選択する

・一般向け叢書:斎藤成也(2023)『日本人の源流』河出文庫、河出書房新社。と、篠田謙一(2022)『人類の起源』中公新書、中央公論新社。

・一般向けムック:『日本人の起源』近藤修監修、別冊宝島2233号, 宝島社.2014年(近藤を含めて、片桐千亜紀、石田肇、木村亮介、米田穣、徳永勝士の6人がそれぞれの記事の監修者になっている)/『骨からわかる日本 人の起源』片山一道監修、別冊宝島2411号、宝島社、2015年(これは片山だけの単独監修、巻頭インタビューのほかに6章編成でほかにコラムなどが含 まれる)/『日本人の起源』洋泉社MOOK、2018年(これは監修者なしで、執筆者に、瀬川拓郎、篠田謙一、山田康弘、藤尾慎一郎、松本武彦、が含まれ る)

・誰がレイシストか、あるいはレイシストに近い言説を使っているのかという判断はしない。

3. 日本人種論とその歴史

・日本人論ナショナル・アイデンティティ(記紀神話・卑弥呼・邪馬台国・皇国史観→考古学ブーム)

国学は、知識人階級からでてきた日本人ないしは日本文化の独自性を説く学問的イデオロギー。

・その後に登場するのは、日本人種論と、優生学による「人種改造論」

・プレヤポネシアの日本人起源論:「清野謙次」(→日本人種論)と「金関丈夫」(→「清野謙次と金関丈夫の日本人種観」)
・埴原和郎の「二重構造モデル」

・ネオ人種概念としての「ヤポネシア人」の登場

・結論を先取りすれば、「シン日本人種論(shin-Japanese race theory)」である。


3.5 日本人論と文化的ナショナリズム(研究者は「日本ではなくヤポネシア」を使う:斎藤ほか p.15)

日本人論ないしは日本人の性格論

・ヤポネシア(Yaponesia)は従来の日本人と日本人の領域(テリトリー)を刷新する新たなナショナルアイデンティティの総称として斎藤成也らによって提唱された概念(もともとは島尾敏雄の造語)。
日本人論ナショナル・アイデンティティを支える、さまざまな説明モデル

・日本語における民族・人種・エスニシティの3つの意味領域のハイブリッド状態を理解する。

・それらを多様性と統一性という2つの原理で考える

・Peter N. Dale (1986:42)は、日本人の人種概念は、西洋人のそれが、「人種の混血(mascegenation of race)」に対して、日本人は、「血の純粋な民族、単一民族国家(blood purity, one race)」の人間であると指摘している。デールは、また、日本人のユニークさを生前強調した論客に社会言語学者の鈴木孝夫Takao SYZUKI, 1926-2021)の名をあげている。
4. 日本人論研究と科学コミュニティ(次世代シーケンサーがもたらしたもの)ANT.

ゲノムサイエンスが「日本人の起源」研究にもたらしたインパクトを考える。

5. 縄文人弥生人渡来人・周辺民族(あるいは「人種」)(→斎藤は3つの層のヤポネシア人で言い換える)

・人種をやむおえなく使う人類学者はいる(斎藤)

・人種という用語をつかわずクラスターや集団(ストック?)と呼ぶ人類学者がいる(篠田)

スティーブン・グールドは、亜個体群(sub-population)と呼ぶ(『フラミンゴの微笑』上、p.248)


6. 形質人類学からゲノムサイエンスへのパラダイムシフト

形質人類学に先行する人種理論

形質人類学における人種理論

自然人類学

生物人類学

ゲノム研究の意義ともっと研究費が欲しいという言説


7. 二重構造論(論→モデルが正しい)はいかに修正されたか

・「二重構造モデル」と「埴原和郎

・斎藤成也(2015:167-172)は『日本列島人の歴史』において「三段階渡来モデル」を提唱。

・二重構造モデルでは、1)旧石器〜縄文末(4万〜3000年前)と、2)弥生〜8世紀(3000年〜1200年前)の2相しか、渡来の波はないが、斎藤 の三段階モデルでは、その時代区分も異なり、A)旧石器〜縄文中期(4万年〜4500年前)、B)縄文後期〜晩期(4500年〜3000年前)、C)弥生 時代から現代(3000年前〜現在)までの3相でとらえる。(斎藤 2019:31)[→「攻防」より]

8. 結果と考察:「人種」用語の衰退の効用

リパトリエーションがビッグイシューにならない理由とはなにか?(→否認の研究)

・遺骨のリパトリエーションの政治化の前提:収奪された集団が、収奪した集団に返還を求めること。ここでは、科学人種主義にもとづく研究が「人種間の差異」を証明することに、その関心があったと想定できる。

・しかし、「人種間の差異」ではなく、同一人種の「多様性」の違いだといえば、リパトリエーションの政治化かおこりにく、遺骨の所有権をめぐる法廷論争の中に閉じ込めることができる。

・科学人種主義は、人種差別や特定の集団の人種的劣等性あるいは人種的優越性を支持するか正当化するために、科学言説を動員することだと、定義すれば、彼らの立論に「科学人種主義」の目的論を発見することは難しい。

・ただし、日本人の起源論のなかに、日本人の標準(ヤマト)とそこから外れる「アイヌ」と「琉球」という、日本人のなかにおける「異質なマイノリティ」の 位置付け。さらには、東アジアの近隣の「住民」をネーション単位で分ける方法と、「ゲノム組成の近さ/遠さ」でわける集団的「差異」の確定は、集団のなん らかの「価値づけ」の入り口におかれていることは否定できない。

・同一国民の間の遺伝的差異に還元できれば、リパトリエーションの人種間の政治化という問題は回避できる。日本の研究者たちが「人種」用語を使わなくなった理由を、それで説明することができる。

・人びとは、その図のなかに「人種的差異」を見出すかもしれない。それが、カリカチャーとして描かれることが、この作画を指示した専門家が前提とする「本質的な差異」がある、という信念ぬきには、想定できない。

・これは「知能(IQ)の人種的差異」を信じたリチャード・リンの2001年の著作"The Science of Human Diversity: A History of the Pioneer Fund"を想起してしまう。まして、ヤポネシアプロジェクトが、国家からの膨大な研究資金をともにした、大ビッグプロジェクトであり、政府の評価委員からも高い評価を得られていることから、公費をつかった「日本の研究」のために大いに評価されているゆえに。

・だが、人種という用語を使わずに集団間の差異で表現するようになったら、「人種間の差異」の議論は回避することができるか?それはできない。カリカ チャー化された系統樹のなかに、アイヌや琉球が他者化されるように、その延長上に朝鮮人(わざわざ韓国人と表記)や中国人(これは多様な遺伝的集団を極度 に単純化する誤り)が表現されるからだ。
1)日本人論にみられる「日本人のユニークネス」とはなにかについて、報告された「事実」を列挙する。

・日本人論には、その著者が、日本人か日本人ではないかという点で区別できる。日本人の著者の代表例は、中根千枝であり、土居健郎であり、河合隼雄である。日本人でない著者の代表は、ルース・ベネディクトである。

・それに対する日本人側からの概ねの評価は、著者が日本人である場合は、さまざまな批判があるものの、概ね受け入れられて定着する。しかし、著者が日本人 論でない場合は、日本人の内部で論争がおこり、その肯定的評価と否定的評価が延々と続いてきた。この評価に異論のある人に対して、私はイザヤ・ベンダサン 『日本人とユダヤ人』(1970)という日本とイスラエルのあいだの比較文明論に対する知識人の反発を思い出してほしいと希求する。ベンダサンは日本人評 論家の山本七平であり比較文明の対比の面白さよりも、その著者としての本物性——つまりユダヤ人であることを偽装する——ことに多くの人々は反発を覚え た。戦後すぐに邦訳されたベネディクト『菊と刀』もまた、当時の日本の第1級の民俗学者、社会学者、法社会学者らから「日本文化に対する皮相的な見方」を 批判された。彼女が日系集住キャンプで、多くの新聞、小説、映像資料などが翻訳分析され、また通訳を介して多くの日本人たちのインタビューが取られたにも 関わらずである——日本人の評者がこの事実を知らなかったこともあるが、私は「非日本人による日本人論への反発」という仮説を信じたい。

・そのようなスキームで「ヤポネシアゲノム」研究をながめてみると、ナショナリズム的なナルシシズムを満たすための、この研究は「日本人による、日本人の ための、日本人の」研究でなければならない。そのメンバーの構成も、また、そこから紡ぎだされる言説も、日本人による日本のゲノム研究であることを如実に 表している。

・これらの特徴を、より抽象的に表現すると、日本人の本質性を日本人に受けられられるためには、日本人の本質を理解する日本人研究者によってなされるべき だというイデオロギーがそこには存在する。「日本人による、日本人のための、日本人の」研究の中に、非本質的な要素が入ると、その信憑性が失われるという ことは、これは科学ではなくイデオロギーである。女性や人種、あるいは人骨研究における本質主義批判は多くの論者によってなされている(Saini 2017, 2019; Kurzwelly and Wilckens 2023)

2)これまでの日本人起源説の定説であった「二重構造説」から、ゲノム解析に基づき言語学的・考古学的データを参照した統合モデルとの変化あるいは改良に 焦点を当て、それらが科学人種主義につながる言説か否かを検討する。

・ゲノムタイプの多様性をある地域集団の特徴的な地理的な位置に割り当てることで、ヤポネシアゲノムの研究者は、ブルーメンバッハと同じ誤りを繰り返して いる。これは、選択されたゲノムタイプの生物多様性の原因を、社会歴史的な要因と混同していることに起因する。したがって、本土人、琉球人、アイヌ人から なるヤポネシア人を、他の韓国人や北東アジア人との関連性において、ゲノムの多様性を、人口分布や社会力学と結びつけることになる。ゲノム多様性の概念 は、社会政治的な属性、祖先、地理的起源、社会的アイデンティティという本質的な属性と結果的に融合をおこすのである。

3)日本人のユークネスと日本人のゲノム構造の解析の議論が共有する点は何かを明らかにする
9. 今後の展望:ナショナルアイデンティティを強化する日本人論とその議論を生成するエージェンシー;

・本学会のメインテーマである「実践」とどのように関連づけるのか?

・脱植民地化に背を向ける態度:このことが、日本の「例外主義」の立場にたち。研究倫理のグローバルスタンダード化から背をむけ、現今の遺骨や副葬品の返還に応じようとしない日本人研究者の「学問的エートス」を形作っている。

・ではどうすればいいのか?:「日本人の起源」とそれに関する「知的関連産業」の脱植民地化は可能か?可能だと信じるのであれば、なにをすればいいのか?あるいは、「脱植民地化のメソドロジー」とはなにか?

・そのこと を、脱構築するためには、「アイヌ人の起源論」あるいは、「琉球人の起源論」という視点の転換も必要になるだろう。そこにおける重要な考慮すべき点は、そ のサイエンスは「誰のためのサイエンスか?」ということである。(→例:「先住民考古学」「脱植民地批判」)



雑感・メモランダム

・日本人の起源を「日本に居住するオリジナルな集団」と過程した瞬間に、「純粋人種のパラドックス」という現象がおこる。つまり、外来からの「混血」を、 純粋人種を同定する際の「ノイズ」とみなし、そのことが逆に、架空の「純粋人種のモデル」からの距離として、現存の人々の理解してしまう。つまり、「純粋 人種」は、永遠に見つからない集団として、理念モデルとしてしか存在しないものになってしまうが、探索するものには、聖杯のようにみえてしまうことだ。

・「日本人のDNA」という表現でつたえる「日本人の本質性」

・日本人のSNP情報の主成分分析により二次元に平面化すると1900年前の弥生人は全国に分布していた(→遺伝的に均質な集団が全国に存在した)(藤尾慎一郎インタビュー 2019:206-207)——藤尾の情報源は篠田謙一であることを末尾に断っている。

・遺伝子の多様性からみたときに、ハプロタイプ研究、とりわけ、ミトコンドリアハプロタイプの分析がなぜ「遺伝的多様性保全のための重要な情報」になるのか、このHPの提供者(池田)は十分理解しているとは言えないので、今後検討が必要(→「ハプロタイプ研究」)

参照としての「韓国人・朝鮮人起源論」中央日報/中央日報日本語版 2017.02.02

韓民族のルーツはどこだろうか。人類・考古学界の一部は、韓民族がアルタイ山脈から出発しモンゴルと満州原野を通って韓半島(朝鮮半島)に入ってきた北方民族だと推定している。これらの地域の人々の言語・風習・顔つきなどと共通点が多いというのがその根拠だった。

だが、科学界の判断は違う。2日、蔚山(ウルサン)科学技術院(UNIST, Ulsan National Institute of Science and Technologyゲノム研究所に よると、韓民族は3万~4万年前に東南アジア~中国東部海岸を経て極東地方に流入して北方人になった南方系狩猟採取人と、新石器時代が始まった1万年前に 同じルートで入ってきた南方系農耕民族の血が混ざって形成された。2009年、UNISTは韓民族が東南アジアから北東に移動した南方系の巨大な流れに属 しているとサイエンス誌に発表したことがあったが、今回これをより具体化した。

その始まりはロシア・ウラジオストクからやや北の『悪魔の門(Devil's gate)』という名称の洞窟から見つかった7700年前の20代と40代女性の頭蓋骨だった。

この地域は韓国の歴史において、旧高句麗・東夫餘・沃沮だった場所だ。ゲノム研究所はスーパーコンピュータを利用してこの頭蓋骨の遺伝子を解読・分析した。

DNA分析の結果、「悪魔の門」の洞窟人は3万~4万年前に現地に定着した南方系人で、韓国人のように褐色の瞳と凹型の前歯(shovel-shaped  incisor)をつくる遺伝子を持っていたと発表された。また、彼らは現代の東アジア人の典型的な遺伝特性を有していた。牛乳が消化できない、高血圧 に弱く体臭があまりない、乾いた耳あかが出るなどの遺伝子が代表的だ。この洞窟人は現在近くに住むウルチ(Ulchi)族の先祖と考えられている。周辺の 原住民を除けば、現代人のうちでは韓国人が彼らに近い遺伝子を持っていることが判明した。彼らのミトコンドリアDNAの種類も、韓国人が主に持っているも のと同じだった。

同研究所のパク・ジョンファ所長は「ミトコンドリアDNAの種類が同じだということは母系が同じであることを意味する」とし「2つの人類間の時間的な開きを考慮しても、遺伝子が非常に似通っていると言え、悪魔の門の洞窟人は韓国人の先祖とほぼ同じだと言える」と述べた。

だが、悪魔の門の洞窟人の遺伝子が韓民族のそれとすべて一致したわけではない。研究陣は正確な韓国人の民族ルーツと構成を計算するために、悪魔の門の洞窟 人と現存する東アジア地域50カ所余りの人種に対する遺伝子比較を行った。その結果、悪魔の門の洞窟に住んでいた古代人と、現代ベトナムおよび台湾で孤立 している原住民の遺伝子を融合したところ、韓国人の遺伝子を最もよく表していた。時代と生存方式が異なる二つの南方系列の融合だったことを発見した瞬間 だった。

だが、現代韓民族の遺伝的構成は1万年前の農耕時代の南方系アジア人にはるかに近い。狩猟採集や遊牧をしていた極東地方の狩猟採取人に比べて、稲作をして いた南方系民族が多くの子供を産みスピーディーに拡散したためだというのがその理由だ。実際、狩猟採集を中心に生活していた過去の極東地方部族たちの現在 の人口は多くても数十万人以上にはならない。

パク所長は「巨大な東アジア人の流れの中で、技術発達によって、小さな幹の民族が生じて混ざり合いながら韓民族が形成されたものと推定できる」と説明し た。UNISTの研究は国際学術誌「Science Advances(サイエンス・アドバンシズ)」1日付(米国現地時間)に発表された。
https://japanese.joins.com/JArticle/225352


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