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「琉球民族遺骨返還請求事件」解説

The Ryukyu Indigenous People vs. Kyoto University

池田光穂

★この文書は大阪高等裁判所第6民事部合議ED係に、2022年9月に提出した「令和4年 (ネ)第1261号 琉球民族遺骨返請求事件」の意見書の内容を転記し、それにコメントを付記したものである。オリジナルのpdf(ただしこれも正本のひとつ前のヴァージョン である)は、ここに[ikensho220910_03mikeda.pdf]にある。パスワードがかけてあり半角小文字4文字で c_s_c_d を入力されたい。

こ の「琉球民族遺骨返還請求事件」裁判は、日本の先住民ないしは民族的マイノリティのアイデンティティという尊厳が「文化的所有権」とどのように関わってき たのか、どのように関わっているのか、そして、今後どのように関わるべきなのかを問う重要な裁判であると、私は考えている。そのことをめぐり、この案件に おいて争点となっている遺骨の存在場所(トポス)をめぐる議論が政治的問題になっていることを確認し、只今それらが、どこに存在するのか、どのように取り 扱われているのか、そしてそれは遺骨と遺骨に関わるすべての人にとって適正な状態にあるのかどうか、私の意見を申し述べたいと思います。
◎裁判の位置付け
 日本の先住民ないしは民族的マイノリティのアイデンティティという尊厳が「文化的所有権」とどのように関わってき たのか、どのように関わっているのか、そして、今後どのように関わるべきなのかを問う重要な裁判である
原審の認定事実から、この意見書に関係することを抽出すると次のような項目にまとめられる。
1)沖縄県国頭郡今帰仁村字運天運天原に存在する百按司墓から王族を含む支配層の貴族及び有力者並びにその一族の遺骨が納められていること、
2)沖縄では、数十から百数十世帯で構成される門中ごとに墓がつくられ、祭祀が行われる伝統があること、
3)京都帝国大学医学部所属(当時)の研究者たちは、地元沖縄県庁ならびに警察官の協力のもとに、昭和4年1月ならびに昭和8年12月において、百按司墓を含む沖縄本島から人骨を収集したこと、
4)人骨は京都帝国大学に持ち去られ、その一部は台北帝国大学に移管された。遺骨は、京都帝国大学の後身である京都大学と台北帝国大学の標本を受け継いだ国立台湾大学の双方にあり、後者の遺骨のうち一部は沖縄県立埋蔵文化財センターの収蔵庫にも存すること、
5)ほか、略。
◎原審(第一審)の認定事実
1)沖縄県国頭郡今帰仁村字運天運天原に存在する百按司墓から王族を含む支配層の貴族及び有力者並びにその一族の遺骨が納められていること、
2)沖縄では、数十から百数十世帯で構成される門中ごとに墓がつくられ、祭祀が行われる伝統があること、
3)京都帝国大学医学部所属(当時)の研究者たちは、地元沖縄県庁ならびに警察官の協力のもとに、昭和4年1月ならびに昭和8年12月において、百按司墓を含む沖縄本島から人骨を収集したこと、
4)人骨は京都帝国大学に持ち去られ、その一部は台北帝国大学に移管された。遺骨は、京都帝国大学の後身である京都大学と台北帝国大学の標本を受け継いだ国立台湾大学の双方にあり、後者の遺骨のうち一部は沖縄県立埋蔵文化財センターの収蔵庫にも存すること、
こ の認定事実にたち、これまでの私の見解を総合すると、次の4点が結論づけられるが、そのような結論にいたる道筋を解説する。次の4点とは以下のことであ る。すなわち(a)百按司墓の遺骨を慰霊の対象にしている人びとの尊厳が毀損されていること、(b)このことは学知の植民地主義が未だに継続しているこ と、(c)京都大学と沖縄県立埋蔵文化財センターにある百按司墓由来の遺骨は不当に持ち出されたために元の場所に復帰させることが倫理的に適正であるこ と、(d)ヒト由来の研究資料を使う研究には所有者あるいはその権利を保有する者からのインフォームド・コンセントが不可欠であること、である。
◎意見書の結論
(a)百按司墓の遺骨を慰霊の対象にしている人びとの尊厳が毀損されていること、
(b)このことは学知の植民地主義が未だに継続しているこ と、
(c)京都大学と沖縄県立埋蔵文化財センターにある百按司墓由来の遺骨は不当に持ち出されたために元の場所に復帰させることが倫理的に適正であるこ と、
(d)ヒト由来の研究資料を使う研究には所有者あるいはその権利を保有する者からのインフォームド・コンセントが不可欠であること、
先住民の権利に関する国際連合宣言
◎先住民の権利に関する国際連合宣言
2007 年9月に国連総会で採択され日本も批准した「先住民の権利に関する国際連合宣言」——先住民族と訳されるが文化人類学者として正確な翻訳概念に忠実になり 以下「先住民」と表記する——は、その前文の冒頭において、国際連合憲章の目的と原則に叶う「すべてのネーション(国民やその集団)が異なることへの権 利、自らを異なると考える権利、および異なる者として尊重される権利」について謳っている。この宣言の重要性は、国連が世界の先住民が共通して、過去から 現在に至る植民地化政策の犠牲になり、土地や領域(テリトリー)やそこにある地上・地表・地下の天然資源が奪われ、暴力による弾圧などの歴史的な不正義に よって苦しみ、自らの発展=開発の権利を奪われてきたことを認識し、普遍的人権の権利が、先住民も当然のこととして享受すべきであることを謳い、かつ、国 際社会はその達成に向かって努力すべきであること明確に主張している。
2007 年9月に国連総会で採択され日本も批准した「先住民の権利に関する国際連合宣言」の重要なポイント
1)すべてのネーション(国民やその集団)が異なることへの権 利、
2)自らを異なると考える権利、および
3)異なる者として尊重される権利、
と、国連と国際社会の努力義務を謳っていること。
し たがって、この条文だけの読解にみられる誤解のひとつは「すなわち先住民にもようやく人権が認められるようになった」である。そうではなく、普遍的人権が 認められるはずの先住民が規約上(de jure)ではなくこれまで実質的(de facto)に人間としての尊厳が認められてこなかった歴史的事実を、国際社会はいまここで反省し、その事実に眼をつむることなく、普遍的人権をただちに 確保するという、いわば国際社会の決意声明であったことを確認しなければならない。つまり先住民の権利に関する国際連合宣言は、先住民の具体的な諸権利の 回復のための先住民に対する正義実現のため国際社会の決意表明であったことが忘れられてはならない。
・普遍的人権が 認められるはずの先住民が規約上(de jure)ではなくこれまで実質的(de facto)に人間としての尊厳が認められてこなかった歴史的事実を確認すること。
・先住民の権利に関する国際連合宣言は、先住民の具体的な諸権利の 回復のための先住民に対する正義実現のため国際社会の決意表明であった
今なお、先住民の存在を認めたくない人びとの中には、この宣言のなかに 「先住民」の定義がないと不満を述べる人もいる。だが、これは国際条約について十分な理解がない人が犯す誤りのひとつである。先住民の定義は、それに先行 する国際条約などで既に示されている。すなわち、国際労働機関(ILO)条約169号(ILO-169, 1989)では、先住民の同義語である部族民(tribal peoples)は「植民地化される以前からその地域に住んでいた人のたちの末裔」であり、かつ「彼らは、植民地化と新しい国家が確立されてからもからも ずっと、独自の社会的・経済的・文化的・政治的諸制度を維持しつづけている」と指摘している。これは近代の国民国家の枠組みの中でもなお、「独自の社会 的・経済的・文化的・政治的諸制度」が存在しており、また、現在の国際社会ならびに個々の国家は、先住民ないしは部族民は、そのことにより定義されている ことなのである。また、「少数者への差別を防止する国連の小委員会(the UN Sub-Commission on the Prevention of Discrimination of Minorities)」による報告書、いわゆる「マルティネス・コボ委員会報告」(Martinez Cobo's Report, 1986)では、先住民のコミュニティを「自分たちの領域(テリトリー)において生じた侵略がおこなわれる以前から彼らの社会を発展させてきた歴史的連続 性をもっているとされる人びとやネーション」とし、彼らの領域の全部あるいはその一部において、「現在では優勢な社会の他のコミュニティの部分と、自分た ちのことを区分して独自なものである」と指摘している。したがって先住民の領域や存在場所(トポス)とは、物理的な境界線で区切られた地理的空間をさすこ とのみならず、地球上のどのような場所にいようとも固有の先住民のアイデンティティを持つことが権利として認められるような認識的な空間——コスモロジー ——でもある。そして、先住民のコミュニティーズである「彼らは、現在では社会のなかの支配的とは言えない部分を構成していて、彼らの先祖の領域と自分た ちの民族的アイデンティティを未来の世代に対して、守り・発展・継承していく決心をしている」人たちのこととしている。先住民は「自ら独自の文化的類型・ 社会的制度・法体系に従って、存在し続ける」としている。この「自ら独自」という概念はたんにこれまでの伝統的慣習や考え方のみならず、自らの文化のなか から創造された新しい価値観もまた合意にもとづいて集団的に保有されることもまた保証されていることは、先住民の権利に関する国際連合宣言の条文の中に見 られる通りである。

つまり、先住民の権利に関する国際連合宣言は、それに先行する国際条約 や規約、委員会報告などの関連づけられた上で、それらの相互理解にもとづいて先住民の用語が使われているのである。そのため、普遍的人権に含まれる集団的 権利、すなわち「すべての民族が異なることへの権利、自らを異なると考える権利、および異なる者として尊重される権利」をわざわざ細かく定義していないの と同様である。これまで国際条約や規約、委員会報告などは、それぞれにコミュニケーションして、先住民の未来への存続の権利を約束していると言っても過言 ではない。

今日、性的自認の多様性の尊重が謳われているが、各人や各集団が異なっ ていることが相互承認されること、それ自体が尊厳の源泉だとすることは、国際法上の基本合意である。他の集団と異なった集団と自認する人びとのグループ (先住民)を包摂する国家や国際社会は、そのコミュニティの大小を問わず、それらの差異の相互理解に立って、人類共通の普遍的人権について、国家や国際社 会は尊重しなければならないということが、そこで確認されている。ところが日本政府は、先住民の権利に関する国際連合宣言に先行しかつ部族民(先住民、先 住民族)に関わるILO条約169号を批准しておらず、このことは論理的に考えれば先住民の権利に関する国際連合宣言への批准に関わる日本政府の外交的意 義を国際社会にアピールできないでいる。これは明確に日本政府が国際条約の批准が国内法の整備という課題に対応するという近代国家の使命を認知していない 証左である。ILO条約169号の追加批准ならびに先住民の権利に関する国際連合宣言に内応した国内法の立法化と関連法案との整備が急務である。このこと が先住民の権利に関する国際連合宣言(2007)以降の我々に課されている。
・日本政府は、先住民の権利に関する国際連合宣言に先行しかつ部族民(先住民、先 住民族)に関わるILO条約169号を批准しておらず、このことは論理的に考えれば先住民の権利に関する国際連合宣言への批准に関わる日本政府の外交的意 義を国際社会にアピールできないでいる。これは明確に日本政府が国際条約の批准が国内法の整備という課題に対応するという近代国家の使命を認知していない 証左である。ILO条約169号の追加批准ならびに先住民の権利に関する国際連合宣言に内応した国内法の立法化と関連法案との整備が急務である。このこと が先住民の権利に関する国際連合宣言(2007)以降の我々に課されている。
学知の植民地主義について
◎学知の植民地主義がある
世界の先住民遺骨返還運動を調べると、過去において遺骨が地元の埋葬地 から収奪されてきた経緯と、それを正当化してきた科学の論理がよく見えてくる。そして最終的に「奪われた遺骨と副葬品はすべからく返還すべし」という結論 に運動の当事者たちが認識するまでは、長く複雑な経緯があった。遺骨や副葬品を取り戻す先住民の思想も実践も日々深化していると言っても過言ではない。そ の理由は、世界の先住民同胞が、時には先住民が帰属する国家を巻き込んで、先住民への搾取や差別の実態、そして略奪行為がなされてきたことを訴えて、博物 館や大学・研究機関に、遺骨や文化的略奪物を「元の場所に戻す」よう要求してきたことにある。またそのような返還要求が現在の政治哲学や国際関係論とりわ け国際倫理学という枠組みに照らして、まったく正義に叶ったものであることが明らかにされてきた。
・「奪われた遺骨と副葬品はすべからく返還すべし」という結論 に運動の当事者たちが認識するまでは、長く複雑な経緯がある。
・博物 館や大学・研究機関に、遺骨や文化的略奪物を「元の場所に戻す」よう要求してきたことにある。またそのような返還要求が現在の政治哲学や国際関係論とりわ け国際倫理学という枠組みに照らして、まったく正義に叶ったものである
それでもなお今日の現状は次のように説明することができる。世界の先住 民遺骨返還運動の歴史を学んだ人にとっては、日本における博物館や大学、研究機関にある国内先住民および諸外国(旧植民地を含む)からの遺骨と副葬品の返 還が不履行になっていることは、悲しく驚くべきものである。また世界的流れの中では遅れていると言っても過言ではない。従って、歴史と現状を、今ここでま さに私たちが学ぶ時に、多くの人たちが「どうして日本はこんなに遅れているのか」と悲観的になるのは当然のことである。しかしながら、この国の世論は、研 究者のみならず一般の人でも「研究が進めば日本人の起源が明らかになるから良いではない」あるいは「研究のためだから当時は仕方がなかったのではないか」 と、あたかも他人事のように思っている人が多い。他人事というのは、社会的な出来事に対して無関与を装うことで、外部の出来事についての自分の倫理判断を 回避している心の状態のことである。これは他者からの倫理的審問に対して答えない、応答責任の放棄である。そして、自分やその親族がよもや科学的研究の標 本になることはないという無感情(アパシー)の心的構造というものがあり、それが先住民遺骨返還運動と一般の人たちのあいだを分断しているのである。

その流れに抗して、世界の先住民の人たちが、博物館や大学・研究機関に ある同胞の先祖の遺骨や副葬品を「元あった場所」に奪還し、祖先から伝わったやり方で供養することができた歴史的経緯について学ぶことは重要である。さら にこれは遺骨や副葬品を関係する当事者にただ単に返還すれば政府や研究者の責任が免罪されるということではない。このミレニアム以降、このおよそ20年間 の世界の遺骨返還の国際報道を調べれば、遺骨の返還には、1)遺骨が元あったところから持ち出された行為の理由、植民地主義を含む歴史的背景、2)標本化 された後どのような状態に保管されてきたのか、どのような研究に供されてきたのか、3)過去の研究者が遺骨を研究材料として利用したことへの政府や大学・ 研究機関の謝罪、という少なくとも3つの説明が先住民に対して説明される。つまり、返還側には先住民すなわち返還される側への説明責任の認識があり、それ を返還される側に誠意をもって実行している。なぜ、そのような手続きがなされるのであろうか。それは、遺骨返還とは人間の普遍的尊厳すなわち人権の問題だ からである。
・世界の先住民の人たちが、博物館や大学・研究機関に ある同胞の先祖の遺骨や副葬品を「元あった場所」に奪還し、祖先から伝わったやり方で供養することができた歴史的経緯について学ぶことは重要である
・遺骨の返還には、
1)遺骨が元あったところから持ち出された行為の理由、植民地主義を含む歴史的背景、
2)標本化 された後どのような状態に保管されてきたのか、どのような研究に供されてきたのか、
3)過去の研究者が遺骨を研究材料として利用したことへの政府や大学・ 研究機関の謝罪、という少なくとも3つの説明が先住民に対して説明されなければならない。
これらのことを、学校教育や社会教育を通して日本国民が学ぶことで、日 本における先住民や民族的マイノリティへの盗骨や科学的標本化と保管という、当事者への尊厳を踏みにじってきたことに思いを馳せることが重要である。つま り闇雲に返せば問題が片付くのではない。むしろ、なぜ「元の場所」になく「そこに遺骨や副葬品」が存在するのか、先住民の当事者のみならず、世界の多くの 人たちが考えることが重要なのである。そこで、遺骨と副葬品の返還の機会について考えるために、なぜ「元の場所」になく「そこに」それらがあることを正当 化する論理、すなわち先住民の側からいうと「簒奪する側の論理」について周到に思惟をめぐらし、その論理を内外から突き崩すことを考えないとならない。こ こでいう「簒奪する側の論理」を考えるとは、人骨の略奪を正当化する人種主義とりわけ科学的人種主義について考えることである。

たしかに、先住民の遺骨や副葬品は、植民者や宗主国あるいは権力の側に いる博物学者、生物学者、考古学者、人類学者、民族学者たちが収集していった。あるいは先住民の反発を予想して収集していた。「先住民の反発を予想して」 いたことは、科学者たちが、人目をつかないところや誰も目撃者のいない夜半に採集を実行したことでも明白である。それらは後には、官憲に付き添われて、あ るいは、住民の許諾ではなく、警察署や行政府からの許可のもとで行われるようになる。

それらの科学が専門分化する以前の18世紀前半には、探検家や宣教師た ちがヨーロッパに持ち帰った異文化の「珍品」のコレクションがあった。それらはやがて博物学(ナチュラル・ヒストリー)という学問を形成するのに寄与し、 貴族の収蔵庫は王立の博物館へと発展していった。先住民の人骨を現在の感覚からみると「病的に」コレクションしていく背景には、ヨーロッパでの人種主義の 発展が見逃せない。これは主に19世紀におこったと考えられている。

人種主義とは、人間を複数の「人種」に分類し、そこに人種の間で「優れ ている=進んでいる」と「劣っている=遅れている」という2つの軸の中に位置付け、人類の進化の時間的秩序を人類の優劣の間に位置付ける作業のことをさ す。またそのことを科学的に「証明」し、差別を正当化する価値観は科学的人種主義と言えるであろう。19世紀後半のハーバード・スペンサーの社会進化論 (『総合哲学体系』1860)の「適者生存」という擁護の膾炙や、チャールズ・ダーウィンの進化論『種の起源』(1859)の登場は、生物の間に競争があ るのと同様にも「人種のあいだでも競争が避けられない」という思潮傾向に拍車をかけた。ダーウィンのいとこのフランシス・ゴールトンは1883年に『人間 の能力とその開発への問い』において優生学を提唱して、人種の改造——具体的には断種や婚姻の禁止——を通して劣等の要因を取り除くことができると主張し た。劣等であることの証明は、ダーウィンの進化論以前より、古くは骨相学(Phrenology)すなわち人骨とりわけ頭蓋骨の形態や生活習慣からわかる とされた。頭蓋学(Craniology)あるいは頭蓋計測学(Craniometry)の泰斗サムエル・モートン(1799-1851)は人種の多元説 (polygenism)すなわち、人間が神から創造された時から人種は多様で、人種のあいだには優劣があるために、それを証明するために頭蓋計測学の手 法を使って統計的に人種の優劣を証明したと確信していた。日本では東京帝国大学教授の小金井良精(1859-1944)が、この分野の先駆者であり、古代 「縄紋人」がアイヌと同型であり、弥生人よりもアイヌが原始的であると主張する「縄紋アイヌ説」を唱えた。今日では生活習慣をしらべる民族学と頭蓋骨や身 体の測定をする自然人類学(形質人類学)は、別々の研究領域とされているが、当時は今日における民族学(文化人類学)から自然人類学までをカバーするジェ ネラリストであり、それぞれの研究者が地理的な専門領域をもちながらで計測や統計データを発表し、研究成果を交換していた。金関丈夫や三宅宗悦は、そのよ うな両方の幅白い学問に明るく技量があった学者であった。
・遺骨が返還されない理由は、明確に人種主義が我が国もいまだに残存している。残存しているどころか、ヘイトスピーチに代表されるように、再度復活傾向にある。
・人種主義とは、人間を複数の「人種」に分類し、そこに人種の間で「優れ ている=進んでいる」と「劣っている=遅れている」という2つの軸の中に位置付け、人類の進化の時間的秩序を人類の優劣の間に位置付ける作業のことをさ す。
白色人種としての自負をもつ西洋人が自惚れや優越感のために、先住民の 人骨や民族学上の「風物」の記録が加速度的に進んだことは、こんにちまでおびただしい科学史とりわけ優生学史の研究書や論文の中で指摘されている。それだ けではなく「未開の地」から文明の地に連れてこられ感染症で亡くなる先住民もいた。彼らは伝統的な方法で埋葬されることなく、人骨標本として博物館に陳列 されたものもいる。ヨーロッパ人が入植しやがて独立した北米では先住民が虐殺と侵略の対象になったが、白人入植者たちはヨーロッパに対して劣等意識を抱い ていたので、先住民が自分たちよりもはるかに「劣っている=遅れている」ことを確信していた。しかしながら、今日の人種差別論の主要な源泉になっているフ ランス人アルテュール・ゴビノー(1816-1882)『人種の不平等性についてのエッセイ』(1853-1855)の抄訳が米国で翌年に翻訳出版された 際には、米国の人びとは奴隷制や人種主義を正当化したバイブルであるとそれに飛びつき各地でさまざまな講演会が開かれるが、モートンのような先駆者がいる にも関わらず米国内でそれについての科学的証明をおこなおうとする者は誰もいなかった。奴隷制や人種主義は科学的に間違いのない「心理」として受け入れら れたのだった。

後発の近代化をとげた当時の日本はアイヌと琉球の人びとに対して同様の 意識を持っていたことは明らかで、そのことは当時の頭蓋骨のみならず伝統的民族風習の調査がなされたことも周知の事実である。その前提になったのは、国内 においては民族的他者を差別視し、海外においてはアジア諸国や植民地の人たちをさらに劣った集団として蔑視していた。そのことを象徴するのが1903年の 人類館事件である。同年に大阪・天王寺で開かれた第5回内国業博覧会の「学術人類館」において、アイヌ、台湾高砂族(生蕃)、沖縄県(琉球人)、朝鮮(大 韓帝国)、清国、インド、ジャワ、バルガリー(ベンガル)、トルコ、アフリカなど合計32名の人々が、民族衣装姿で一定の区域内に住みながら日常生活を見 せるという人間展示を行った。このことにより、沖縄県と清国が自分たちの展示に抗議し、問題となった事件を「人類館事件」と呼ぶ。この展示には東京帝国大 学の2人の人類学者、坪井正五郎と松村瞭がその学識経験者として関わっている。
・日本の近代化のなかに、劣等な先住民族を「同化」してきたことを、自負するような植民地的伝統がある。
・当時の日本はアイヌと琉球の人びとに対して同様の 意識を持っていたことは明らかで、そのことは当時の頭蓋骨のみならず伝統的民族風習の調査がなされたことも周知の事実である。その前提になったのは、国内 においては民族的他者を差別視し、海外においてはアジア諸国や植民地の人たちをさらに劣った集団として蔑視していた。そのことを象徴するのが1903年の 人類館事件である。
ここで誤解されてはならないことは、研究者は現地の人たちと仮に研究を 通して人間的交流があり、心優しい人であっても、彼ら——当時の研究者の中に女性は極めて少なかった——らの論文や報告書のなかで先住民やアジア各地の人 種が論じられる時には、優秀な人種は発展し勝者になり劣等な人種は同化され包摂されて敗者として消える(「優勝劣敗」)論理がおしなべて貫徹したことで あった。あの著名な啓蒙主義者の福沢諭吉ですら自分たちはアジア人ではなくヨーロッパ人になるのだという「脱亜入欧」というスローガンを掲げ、当時の多く の人の喝采を浴びている。鈴木善次『日本の優生学』(1983)によると、福沢はそれにつづく生物学的な人種改造の「科学」である日本の優生学思想の嚆矢 としてみなされている。
・ここで誤解されてはならないことは、研究者は現地の人たちと仮に研究を 通して人間的交流があり、心優しい人であっても、彼らの論文や報告書のなかで先住民やアジア各地の人 種が論じられる時には、優秀な人種は発展し勝者になり劣等な人種は同化され包摂されて敗者として消える(「優勝劣敗」)論理がおしなべて貫徹したことで あった。
その後、この科学的人種主義は、やがて人種を好ましい方向に改善し、悪 い人種を増やさないために断種という手段も正当化される優生学と深く融合してゆくことでクライマックスを迎える。優生学は、やがて人種の選別という実践的 方法に使われなくなる代わりに、精神障害やハンセン病などの隔離断種を正当化する実践原則に戦後は姿を変えてゆく。他方で、ナチスドイツの優生学思想の帰 結としてのユダヤ人大量虐殺の事実が明らかになり、優生学は母体保護という名のものとで形をかえて命脈が保ち続けられる。他方、人種主義のほうは、アメリ カ合衆国の対日戦争遂行のために米軍内部における人種間の分断は兵卒の士気を損なうことが明らかになってきた。また、枢軸側の全体主義体制と人種主義がむ すびついているために、米国の人類学者たちは人種主義には反対を唱え、兵卒のあいだにある人種主義を払拭するための教育がすすみ、かつ、対日戦争における 心理戦争を推し進めるために同一文化の中で後天的に学習される民族性(エスニシティ)を理解することが重要視された。
・この人種主義は、やがて人種を好ましい方向に改善し、悪 い人種を増やさないために断種という手段も正当化される優生学と深く融合してゆくことでクライマックスを迎える。優生学は、やがて人種の選別という実践的 方法に使われなくなる代わりに、精神障害やハンセン病などの隔離断種を正当化する実践原則に戦後は姿を変えてゆく。
第二次大戦後の国際人権宣言(1948)が国連で採択され、人間という 種はひとつであり人種主義は誤った考え方という見方が優勢になった。日本を占領した連合軍は、戦前日本の全体主義的風潮を改めるためにアジアに対する人種 主義的思考を改めるためのさまざまな思想統制を試みた。そして戦前から続く民族学の伝統を中和するためにアメリカ流の文化人類学を導入したことはつとに指 摘される通りである。しかし、戦前に民族学や人類学の教育を受けた学者の間には、戦前の人種主義の考え方を引き続き保持した者も多く、1960年代までの 論文や教科書にも散見することができる。
・人種主義が誤りであることが、再度認識されたのは第二次大戦後の国際人権宣言(1948)である。
・75年がたとうとしているのに、日本政府はまだそれを克服できない状況にある。これは政策の過失というよりも、意図的な人種主義政策の継続であることは論を待たない。
世界的潮流

なぜ、科学を目的とする遺骨の簒奪について科学者じしんが反省しなければならないか。まず、その倫理的側面について考える必要がある。

1960年代の旧植民地からの新興独立国の誕生と国際連合への加盟は、 全地球のほとんどの領土が独立国家により色分けされ、各国民の間でナショナリズムが台頭する。同時に、国家の中に少数民族や先住民を組み込む政策が進む。 歴史的に反植民地運動や反乱を組織した先住民の首長などは建国に先立つ国家的英雄と持ち上げられる。しかしながら、その先住民への評価は理想的偶像化のレ ベルに留まり、結局のところ、旧宗主国の言語による国家語の採用と均質な国民文化への同化政策がますます進んでゆく。同化政策とは、先住民や民族的マイノ リティの言語・文化・エスニシティ(民族性)を、国民国家への包摂へのブレーキとなる要因であると考え、少数の側の言語・文化・エスニシティを抑圧消滅さ せてゆく政策のことである。
・人種主義の政策のひとつが、先住民の言語や文化を抑圧した「同化」政策である。
・1960年代の旧植民地からの新興独立国の誕生と国際連合への加盟は、 全地球のほとんどの領土が独立国家により色分けされ、各国民の間でナショナリズムが台頭する。同時に、国家の中に少数民族や先住民を組み込む政策が進む。 歴史的に反植民地運動や反乱を組織した先住民の首長などは建国に先立つ国家的英雄と持ち上げられる。しかしながら、その先住民への評価は理想的偶像化のレ ベルに留まり、結局のところ、旧宗主国の言語による国家語の採用と均質な国民文化への同化政策がますます進んでゆく。同化政策とは、先住民や民族的マイノ リティの言語・文化・エスニシティ(民族性)を、国民国家への包摂へのブレーキとなる要因であると考え、少数の側の言語・文化・エスニシティを抑圧消滅さ せてゆく政策のことである。
しかしながら他方で、先住民や民族的マイノリティの庇護者として、今度 は国家が彼ら少数民を代弁し、国際社会への情報発信を通して、旧宗主国に対して人骨や副葬品の返還を要求する運動が1960年代末から世界各地でおこって くる。この時期の、政府の役割はあくまでも旧宗主国に対して庇護する先住民や民族的マイノリティの要求を代弁し、対外的な要求運動を通して、結果的に自国 のナショナリズムを強化する運動の一環としておこなわれた。

さらに、この潮流が変化するのが1980年代である。対外的な活動をお こない先住民の遺骨の返還を達成したものの、国内にも同様の人種主義時代のコレクションを抱えて、先住民に返還する枠組みそのものがなかったため、先住民 は国家の研究機関に対しても遺骨や副葬品を返還すべきだと要求する機運が生じた。アメリカでは1960〜70年代にはアメリカ先住民の抗議運動が盛んにな り、各地で土地返還訴訟がおこなわれ、強制移住や文化の剥奪について事実が明らかにされ、司法当局もそれに応えていかざるを得なかった。先住民の権利復権 のために複数の社会運動が進められた。遺骨と副葬品の運動のクライマックスが1990年のアメリカ先住民墓地保全返還法(NAGPRA)の制定である。こ の連邦法は連邦政府機関および連邦政府から資金提供を受けている機関に対して、アメリカ先住民の「文化財」を直系あるいは傍系ないしは文化的に提携してい るアメリカ先住民部族、アラスカ先住民コミュニティ、ハワイ先住民の組織に返還することを義務付けている。文化的遺物には、遺骨、副葬品、聖遺物、文化的 財産となるものなどが含まれる。そして米国の内務長官は、これに従わない博物館に対して過料の請求もできることとしている。また、同時期のニュージーラン ドのマオリやオーストラリアのアボリジニーも、先住民に対する国家の「負の歴史」の発掘や言語復興運動などを通して、国内の博物館から歴史的謝罪も含めて 返還訴訟を勝ち取ることに成功している。さらに、カナダ政府は2021年6月21日に米国のアメリカ先住民墓地保全返還法が、カナダ国内でも適用されるこ とを法的に制定している。
・この潮流が変化するのが1980年代である。対外的な活動をお こない先住民の遺骨の返還を達成したものの、国内にも同様の人種主義時代のコレクションを抱えて、先住民に返還する枠組みそのものがなかったため、先住民 は国家の研究機関に対しても遺骨や副葬品を返還すべきだと要求する機運が生じた。アメリカでは1960〜70年代にはアメリカ先住民の抗議運動が盛んにな り、各地で土地返還訴訟がおこなわれ、強制移住や文化の剥奪について事実が明らかにされ、司法当局もそれに応えていかざるを得なかった。先住民の権利復権 のために複数の社会運動が進められた。遺骨と副葬品の運動のクライマックスが1990年のアメリカ先住民墓地保全返還法(NAGPRA)の制定である。
世界の先住民の遺骨や副葬品の返還について整理すれば、明確になること がある。つまり、将来遺骨や副葬品の返還を実現するためには、2つの方法があるように思われる。ひとつは、アメリカやオーストラリアのように、法制度の整 備を働きかけることを通して、先住民の集団的権利を国家に認めさせ、返還と埋葬を補償金つきで認めさせるという方法である。この方法はいったん制定される と法的拘束力をもつために、博物館や大学はその要求に答えざるを得ないという利点をもつ。この利点とは、遺骨や副葬品の返還請求する主体の側からみた利点 であることは言うまでもない。他方で、返還を受け入れる地元のコミュニティの再組織化や、祭祀の継続など、先住民の側の積極的関与が不可欠である。そのた め国および地方政府は、たんに助成金を用意するだけでなく、コミュニティが自律して返還プロセスを受け入れるように、何らかの働きかけは不可欠である。
・世界の先住民の遺骨や副葬品の返還について整理すれば、明確になること がある。つまり、将来遺骨や副葬品の返還を実現するためには、2つの方法があるように思われる。ひとつは、アメリカやオーストラリアのように、法制度の整 備を働きかけることを通して、先住民の集団的権利を国家に認めさせ、返還と埋葬を補償金つきで認めさせるという方法である。この方法はいったん制定される と法的拘束力をもつために、博物館や大学はその要求に答えざるを得ないという利点をもつ。この利点とは、遺骨や副葬品の返還請求する主体の側からみた利点 であることは言うまでもない。他方で、返還を受け入れる地元のコミュニティの再組織化や、祭祀の継続など、先住民の側の積極的関与が不可欠である。そのた め国および地方政府は、たんに助成金を用意するだけでなく、コミュニティが自律して返還プロセスを受け入れるように、何らかの働きかけは不可欠である。
さて、もうひとつは英国やカナダのように、先住民団体が博物館や大学に 圧力をかけ交渉を通して、それぞれの博物館や大学に、組織として対応させる返還ガイドラインを制定させることである。この方法の利点は、法整備が十分では なくても(英国はコモンローという法制度の下で対処しにくい)個別の組織の判断で返還が可能になるということである。
・もうひとつは英国やカナダのように、先住民団体が博物館や大学に 圧力をかけ交渉を通して、それぞれの博物館や大学に、組織として対応させる返還ガイドラインを制定させることである。この方法の利点は、法整備が十分では なくても(英国はコモンローという法制度の下で対処しにくい)個別の組織の判断で返還が可能になるということである。
では肝心の日本はというと、とても問題含みである。アイヌにみられるよ うに地域返還が運動家の根気強い活動により一部で実現したが、ウポポイの慰霊施設に集約するという閣議決定(2014年6月)以降は、国立ならびに公立の 大学・博物館に保管されている[それ以外の来歴不詳の]アイヌ遺骨が個別の交渉で返還を実行することが難しくなった。そもそも研究の自由や個人のプライバ シー保護を理由に、照会者の請求を受け付けない。また、それに対して交渉窓口になる第三者機関すら、その設置についての事情と正当性がないために設置され る機運すらない。中央政府から「慰霊施設に集約するという原則を立てために、それぞれの機関の外部から照会をはねのける論理があるために、個別に応じる な」と裏で声をかけているかのようである。人骨の研究利用についても窓口にあたる団体は、アイヌ民族の集合的な先住民権を声高に称揚はしていない。ウポポ イの完全空調された保管庫は、外部の見学者のみならずアイヌ民族の訪問者をも受け付けようとせず、「本当は未来の研究のために(つまり品質管理のために) 空調管理しているのではないか」という声も聞いた。このように道義的に不信感がアイヌの側にあるにもかかわらず、一部の自然人類学者のあいだでは、アイヌ を交えた公開講演会の席上で、アイヌ人骨のゲノム分析から集団の将来の病気の因子や予防方法がみつかると発言する者がいることも確かである。

日本の民法上の「祭祀継承者」の権利という概念だけで裁判所が判断する のは、先住民の先住権や、集団で遺骨を埋葬儀礼し弔うという民族的慣行と心情を踏みにじる法の瑕疵であるとの指摘がある。また「祭祀継承者」である可能性 のある遺族の要求に関して、それが先住民ないしは祖先を共有する一族の集団的な権利をその特定個人の「祭祀継承者」が代弁するということに、裁判所は気づ いていないことになる。これは正義を実現するための良心と倫理の声に耳をふさぐ行為である。

インフォームド・コンセント
◎インフォームド・コンセント
国際法および国内法は、法のもとでの人間の平等を謳っている。しかし、 現実には不平等があり、それがさまざまな立法措置によって是正されてきた。南アメリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)は1913年「原住民土地法 (Natives Land Act, 1913)」に由来し、1994年に廃止されるまでじつに81年間、合法なものとして人種的不平等が正当化されてきた。アメリカにおける黒人は、1876 年にジム・クロウ法(Jim Crow laws)と名付けられる一連の南部諸州の人種差別を目的とする州法により、その法のもとでの人間の平等の権利が妨げられ、ようやく連邦法として1964 年の公民権法(Civil Rights Act of 1964)が制定されるまでは人種差別が合法として生き残っていた。これも解消されるためにじつに88年間の時間がかかっている。

かつて19世紀初頭における骨相学の隆盛、さらに、1859年のダー ウィン『種の起源』やその前後における人類学会の創設、さらには、進化主義人類学の誕生は、世界の「未開人」の人骨収集とその研究に拍車をかけることに なったことはすでに指摘した。『種の起源』公刊後から6年目にマドリードで人類学協会が設立されたその年に、北海道函館での英国人アイヌ墳墓盗掘事件が起 こっている。日本の人類学会の創設は東京大学の学生坪井正五郎による実質的アマチュアの同好研究会として1884年から始まると言われる。その4年後に は、日本の自然人類学の実質的な創設者である小金井良精が2か月弱にわたる北海道人骨収集旅行にでかけアイヌ人骨を少なくとも166体の盗骨と副葬品を持 ち去った。その際に小金井は身体計測データも収集しているために、アイヌの側からの積極的ないしは消極的な協力がまったくなかったとは言い切れない。

この年に、現在でも権威のある科学雑誌American Anthropologistが創刊され、米国の文化人類学の父、フランツ・ボアズがようやく定職に就いた。ボアズは、ドイツ生まれのユダヤ人であったが カナダ・バフィン島のエスキモー(現在はイヌイット)調査を皮切りに物理学から人類学研究に専攻分野を転向し、第二次大戦前のナチスドイツのユダヤ人差別 や人種差別を正当化する優生学が頭蓋骨の計測を根拠にすることに反論するために、アメリカに移民した様々なヨーロッパ移民集団の頭蓋骨を計測することに、 短い世代でその計測値に変化が生じることから、人種を形質的特徴に過度に信頼を置くことに警鐘を鳴らした人である。しかし、ボアズもまた、最初に採用され たニューヨークの自然史博物館での先住民頭蓋骨の盗掘や購入、あるいは、博物館に「招待」された先住民が死亡した後に遺体を標本作成に回すということに手 を染めている。

1945年の敗戦前には「人類学」は、今日の自然人類学、解剖学、生物 学、博物学、人文地理学、民俗学、民族学(後の文化人類学)などがボーダレスに入り混じった学問領域だった。頭骨研究は計量的研究が徐々に洗練されてき て、いわゆる科学化を遂げるが、その研究スタイルの嚆矢になったのが膨大な私設コレクションをもとに科学化を実行した京都帝国大学教授の清野謙次 (1885-1955)である。清野謙次と体質人類学の世界的権威であった足立文太郎(1922-1944)はのちに、琉球や奄美大島でやはり集中的に人 骨を収集することになる、三宅宗悦(1905-1944)や金関丈夫(1897-1983)のそれぞれのメンター(学問的指導者)であった。この裁判で は、三宅宗悦や金関丈夫が沖縄で採集した遺骨の返還が争点になっているが、控訴理由書にあるように(当時は存在しなかった)インフォームド・コンセントや それに類似するような手続きの必要性を感じるどころか、細心の注意をはらって周到に、そしてより大量の遺骨を収集し、いちはやく彼らの在籍する京都帝国大 学に運ぼうと努力していることは明白な事実である。

隣接分野の自然人類学の研究者たちが、当時はまだ存在しなかったイン フォームド・コンセント抜きに、そして、盗掘まがいに、さらには違法性の可能性を軽減するために県警や教育委員会などに事前の手続きを周到におこない、現 地で働いた人夫の嫌悪を認識しながらも「情熱をもって」人骨の収集に励んだことは、当時の他の人類学者たちも認識していたはずである。このように違法にな ることを知りながらそれを回避するさまざまな手段を弄していたことを現在の私たちが知るにつれ、私はそこに「学知にかかわる犯罪の共同謀議」があったので はないかと邪推してみたくなる。
・琉球盗骨問題考える時に重要なことは、インフォームドコンセントの欠如である。
・隣接分野の自然人類学の研究者たちが、当時はまだ存在しなかったイン フォームド・コンセント抜きに、そして、盗掘まがいに、さらには違法性の可能性を軽減するために県警や教育委員会などに事前の手続きを周到におこない、現 地で働いた人夫の嫌悪を認識しながらも「情熱をもって」人骨の収集に励んだことは、当時の他の人類学者たちも認識していたはずである。このように違法にな ることを知りながらそれを回避するさまざまな手段を弄していたことを現在の私たちが知るにつれ、私はそこに「学知にかかわる犯罪の共同謀議」があったので はないかと邪推してみたくなる。
学問の反省と謝罪

このように私じしんが携わってきた隣接学問が果たすべき説明責任の回避について、自分自身の倫理的責任とどのように帳尻をつけるべきなのか、常に悩んできた。しかしながら、この処方箋は本当にないのだろうか。

まず、それを「連累(implication)」いう言葉で考えてみた い。オーストラリアへの移民であるテッサ・モリス=スズキ(2013)は、先住民アボリジニへの過去の収奪や虐殺と彼女自身の関係を、「罪」の概念ではな く「連累(implication)」であると結論づけた。つまり、過去の不正義に対しての責任がオーストラリアに住む自分自身にあると主張する。それは 法律用語である事後共犯(an accessory after the fact)の現実を認知するという意味があるそうだ。すなわち、事後従犯者(または事後共犯)とは、1)犯罪を犯した人を、2)その人が犯罪を犯した後 に、3)その人が犯罪を犯したことを知りながら、4)その人が逮捕や処罰を免れるのを助ける意図を持って援助する人のことを言うからである。当然、事後従 犯者は、とくに司法妨害の咎が問われることがある。彼女による連累の感覚を以下の文章は的確に表しているので引用する。「わたしは直接に土地を収奪しな かったかもしれないが、その盗まれた土地に住む。わたしは虐殺を実際に行わなかったかもしれないが、虐殺の記憶を抹殺するプロセスに関与する。わたしは 『他者』を迫害しなかったかもしれないが、正当な対応がなされていない過去の迫害によって受益した社会に生きている」。また責任と連累の関係を次のように 言う。「『責任』は、わたしたちが作った。しかし、『連累』は、わたしたちを作った」と。つまり連累は、私たちの未来における社会関係性を形作ることを要 請する一種の命令語法であるのだ。

そして、この訴訟を理解するために私はいくつかのインターネットのウェ ブページを作ってきた。例えば「金関丈夫と琉球の人骨について」「琉球遺骨返還運動にみる倫理的・法的・社会的連累」「遺骨や副葬品を取り戻しつつある先 住民のための試論」「霊性と物質性:アイヌと琉球の遺骨副葬品返還運動から」「篠田謙一博士の〈研究ために人骨資料が必要〉という修辞の分析」「琉球コロ ニアリズム」"Stealing remains is criminal: Ethical, Legal, and Social Issues of the repatriation of human remains to Ryukyu islands, southern Japan,"などである。このようなページは、琉球のみならず、研究倫理とアイヌ遺骨というテーマで、この数年間の私の研究関心の反映でもある。後者の テーマについては、「アイヌ遺骨等返還の手続きについて考えるページ」「個人が特定されないアイヌ遺骨等の地域返還手続きに関するガイドライン(案)」 「先住民遺骨副葬品返還の研究倫理」「アイヌ遺骨等返還の研究倫理」「遺骨は自らの帰還を訴えることができるのか?」「アイヌとシサムための文化略奪史入 門」「遺骨はすべからく返還すべし」などがある。
・この訴訟を理解するために私はいくつかのインターネットのウェ ブページを作ってきた。
このような作業を通して、いくつかのことが見えてきた。まず、人類が長 い間に培ってきた、頭骨にもつ複雑な宗教的あるいは物神崇拝(フェティシズム)の驚くべき多様性と複雑さがある。まさに、それは首刈り習俗から今日の犯罪 集団における見せしめの首級まで多様な広がりがある。人種主義と優生学が隆盛した時代に人類学者が頭骨を血眼になって収集したことも、このような科学の名 による頭蓋骨崇拝と言っても過言ではない。マルセル・モースとアンリ・ウベールの『呪術の一般理論の素描』(1902-1903)の中に、呪術を表現する のに「科学になりそこなった科学」という言葉があるが、宗教的感情も含めて呪術がもつ頭骨や遺骨に関する複雑な感情は強いものがある。しかし、人類進化を 探るために頭骨の計測やDNAの採取がどうしても必要だと固執する、今日の自然人類学者たちの主張は研究倫理のもとで管理しないかぎり、呪術と同様の「科 学になりそこなった科学」のままであろう。それどころか呪術の頭蓋骨はその力の源泉を求めて骨に敬意が払われているが、自然人類学者のそれは、遺骨は研究 資料として「ある遺伝情報を引き出すための物質」にまでその価値が下落されている点で、呪術よりも、低級の科学である。
・このような作業を通して、いくつかのことが見えてきた。まず、人類が長 い間に培ってきた、頭骨にもつ複雑な宗教的あるいは物神崇拝(フェティシズム)の驚くべき多様性と複雑さがある。まさに、それは首刈り習俗から今日の犯罪 集団における見せしめの首級まで多様な広がりがある。人種主義と優生学が隆盛した時代に人類学者が頭骨を血眼になって収集したことも、このような科学の名 による頭蓋骨崇拝と言っても過言ではない。
自然科学者の冷徹な血も涙もない実践にくらべて、遺骨には私たちの感情 をかきむしるより深い含意がある。それが、遺骨の収集である。遺骨の収集の物語といえば、私にとっては、次の3冊の興味ふかい書物が思い起こされる。北海 道での過酷な強制労働の中で亡くなった旧植民地の中国や朝鮮の労働者たちを発掘する浄土真宗の僧侶である殿平善彦の『遺骨:語りかける命の痕跡』 (2013)。沖縄で遺骨発掘のボランティアとして関わり、琉球の戦場で亡くなっていったすべての人の最期をみとどける使命感に取り憑かれた具志堅隆松 『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ:サトウキビの島は戦場だった』(2012)。そして、戦没者の遺骨収集に専門の自然人類学者として数多 く参加し、その「終わらない戦後」の体験を記録しつづけた、昨年急逝した楢崎修一郎『骨が語る兵士の最期:太平洋戦争・戦没者遺骨収集の真実』 (2018)である。この3冊の読書経験の思い出に還るたびに、自分の将来の遺骨などどうなっても構わないはずの唯物論者の私が、自分の骨も含めて遺骨が 形ある限り、遺された生者と遺骨の間には「語りつづける権利」が厳然として存在することがあるだろうと改めて確信するのである。
※日本の戦後の政府ならびにその後継団体による戦没者遺骨の回収件数は総数で127万体:ただし英語版ページでは36万体におよぶという(千鳥ヶ淵戦没者墓苑「大東亜戦争時の海外戦場戦没者と遺骨収容」)。(日本語ページはでは127万体:英語ページでは36万69体
対話の重要性

遺骨と副葬品の返還を実現させた諸外国の事例から学び、日本の先住民運動に携わる人びとの遺骨返還運動の戦略について私が提案するのは次のようなことである:
(1)今日の研究倫理原則に照らして反倫理的ないしは非倫理的な経緯で採集されたことが明らかなものは、ただちに所有者ないしは返還に該当する者を研究機 関が調査し速やかに返還する義務があること。そして、あらゆる人道的犯罪に時効がないように、「盗骨」した時点においてすら研究倫理遵守の必要性があり、 研究不正があった可能性を控訴人ならびに被控訴人はともに認識すべきである。
(2)次に、今日の研究倫理原則に照らして反倫理的な経緯があると疑念されるものは、今後その疑念が晴れるまでは、いかなる研究にも使えないことを、控訴人ならびに被控訴人はともに認識すべきである。
(3)その重要な原則は先住民(当事者)ファースト考え方を厳守すべきこと。つまり、今日の研究倫理原則に照らしてもなお問題のないものついての、今後の 研究は、当該組織の研究倫理委員会(施設内委員会)の他に、その組織以外第三者からなる研究倫理組織の認証を受けてはじめて可能になること。そのような中 立の組織の設置するために、被控訴人の京都大学ならびにその国立大学法人を所轄している文部科学省は何らかのアクションをおこすべきである。
・遺骨と副葬品の返還を実現させた諸外国の事例から学び、日本の先住民運動に携わる人びとの遺骨返還運動の戦略について私が提案するのは次のようなことである:
(1)今日の研究倫理原則に照らして反倫理的ないしは非倫理的な経緯で採集されたことが明らかなものは、ただちに所有者ないしは返還に該当する者を研究機 関が調査し速やかに返還する義務があること。そして、あらゆる人道的犯罪に時効がないように、「盗骨」した時点においてすら研究倫理遵守の必要性があり、 研究不正があった可能性を控訴人ならびに被控訴人はともに認識すべきである。
(2)次に、今日の研究倫理原則に照らして反倫理的な経緯があると疑念されるものは、今後その疑念が晴れるまでは、いかなる研究にも使えないことを、控訴人ならびに被控訴人はともに認識すべきである。
(3)その重要な原則は先住民(当事者)ファースト考え方を厳守すべきこと。つまり、今日の研究倫理原則に照らしてもなお問題のないものついての、今後の 研究は、当該組織の研究倫理委員会(施設内委員会)の他に、その組織以外第三者からなる研究倫理組織の認証を受けてはじめて可能になること。そのような中 立の組織の設置するために、被控訴人の京都大学ならびにその国立大学法人を所轄している文部科学省は何らかのアクションをおこすべきである。
これらのことを控訴人ならびに被控訴人を超えて、国民(市民)は研究組織とそれを管理する国や自治体に対して、この3条件を満たすべく働きかけ遵守させるべきだと、私は考える。

このような縛りは、研究倫理の縛りなく、これまで好き放題に研究してき た国・大学・そして個々の日本の研究者にはまったく理不尽な要求に見えることであろう。しかしながら、私は世界水準に照らし合わせても、他の先進国の研究 者が先住民や民族的マイノリティの遺骨に対する倫理的態度の改めをおこなっている現状に鑑み、しごく常識的なことを提案しているにすぎない。上掲の三条件 をクリアすれば、世界水準に叶う倫理基準を研究条件に担保しているわけであるから、今後は堂々と研究し、またその成果を世界の人に発信することができる。 長年の間、支配者の優越心だけを満たすために使われてきた先住民の遺骨と副葬品を、本来弔うべき人の元に還すことができ、また先住民や民族的マイノリティ の人びととともに——遺骨やDNAは研究に「使われる」のではなく物質的にも霊的にも自ら参画することが可能になる——科学的な成果を共有することができ るわけであるから、これほど合理的精神に満ちた確実な処方箋はないと、私は考える。

残された課題
◎残された課題
日本はかつてアジア太平洋地域への侵略戦争をおこなっている。その際 に、占領地等において、遺骨ならびに副葬品の発掘をおこない、その研究資料は植民地での大学ならびに日本国内(内地)において保管され、研究に供された。 そのため、このことを知るかつて戦前に発掘された当事者の親族や関係者は、それを代弁する当事国政府や非政府機関を通して今後返還請求がなされる可能性が ある。それは、同時に日本から持ち出された「日本国民」の遺骨においても同様の事態が想定される。つまり世界的に遺骨の「もとあった場所」への帰還運動が おこるはずである。そのためには、当事国間における返還に関する交渉、合意、ならびに条約の締結などが今後必要になる。法整備も必要である。現に米国のア メリカ先住民墓地保全返還法(NAGPRA)は1990年に施行以来、複数の外国政府と国際間の遺骨と副葬品の返還・交換についての条約を締結して、法の 原理が海外においてもアメリカ先住民の権利が行き渡るように努力がなされている。日本でもまた研究のための遺骨や副葬品が必要になる場合、それらの正しい 帰属や、その所有権と保管管理権(=保管管理の責任者)をもつ人——2つの権利が分散しているときにはその両者——が法的手続きを認定しなければならない ことが必要になろう。本裁判で、控訴人が主張する本質的事項をクリアして、国・大学・そして個々の研究者が、未来におけるこのような自体に備えることが急 務である。このようなことは国や研究者にとって煩瑣なことなどでは決してなく、むしろ、遺骨への尊厳と権威と倫理的に公正な研究の両立を可能し、研究者と 被験者(ないしはその許諾権権限者本意見書では先住民)の互恵的関係がないかぎり、すなわち、両者のあいだの和解と信頼関係が構築されない限り、先住民お よび民族的マイノリティを研究対象にする研究は再開できないことを日本社会は再認識しなければならない。
日本はかつてアジア太平洋地域への侵略戦争をおこなっている。その際 に、占領地等において、遺骨ならびに副葬品の発掘をおこない、その研究資料は植民地での大学ならびに日本国内(内地)において保管され、研究に供された。 そのため、このことを知るかつて戦前に発掘された当事者の親族や関係者は、それを代弁する当事国政府や非政府機関を通して今後返還請求がなされる可能性が ある。それは、同時に日本から持ち出された「日本国民」の遺骨においても同様の事態が想定される。つまり世界的に遺骨の「もとあった場所」への帰還運動が おこるはずである。そのためには、当事国間における返還に関する交渉、合意、ならびに条約の締結などが今後必要になる。法整備も必要である。現に米国のア メリカ先住民墓地保全返還法(NAGPRA)は1990年に施行以来、複数の外国政府と国際間の遺骨と副葬品の返還・交換についての条約を締結して、法の 原理が海外においてもアメリカ先住民の権利が行き渡るように努力がなされている。日本でもまた研究のための遺骨や副葬品が必要になる場合、それらの正しい 帰属や、その所有権と保管管理権(=保管管理の責任者)をもつ人——2つの権利が分散しているときにはその両者——が法的手続きを認定しなければならない ことが必要になろう。本裁判で、控訴人が主張する本質的事項をクリアして、国・大学・そして個々の研究者が、未来におけるこのような自体に備えることが急 務である。このようなことは国や研究者にとって煩瑣なことなどでは決してなく、むしろ、遺骨への尊厳と権威と倫理的に公正な研究の両立を可能し、研究者と 被験者(ないしはその許諾権権限者本意見書では先住民)の互恵的関係がないかぎり、すなわち、両者のあいだの和解と信頼関係が構築されない限り、先住民お よび民族的マイノリティを研究対象にする研究は再開できないことを日本社会は再認識しなければならない。
結論
◎結論
以上の説明をもって、遺骨の存在場所(トポス)をめぐる議論が政治的問 題になっていることを確認した。そして、只今、どこに存在するのかについての答えは「京都大学」であること、次に、どのように取り扱われているのかについ ての答えは「科学的標本の資料として」保管されていること、そして、それは遺骨と遺骨に関わるすべての人にとって適正な状態にあるのかどうか、への問いの 答えは「遺骨を慰霊の対象にしている人びとにとっては苦痛をもたらすもの以外ではなく、また、それを使って研究したい研究者にとっては研究倫理上の条件が クリアできず、慰霊の対象にしている人びとへの謝罪と和解とインフォームド・コンセント抜きには永遠に研究できない」ことが明白になった。

以下、本件の対象になっている遺骨たちの現状や残された関係者の関係改善のための意見を述べる。

(a)百按司墓の遺骨を慰霊の対象にしている人びとの尊厳が毀損されていること

 遺骨の発掘と収集に関わった研究者たちが公刊している資料は誰しもが閲覧可能であり、また本人たちも包み隠さず表現していることが、遺骨を慰霊の対象に している人びとの心を傷つけており、そのことがこの訴訟と控訴の要因の一つになっていることは、明白な事実である。百按司墓をめぐっておきている人びとの 尊厳の毀損は、この意見書でみてきたように、世界の先住民と民族的マイノリティが歴史的に経験したことであり、また今もなお経験していることである。百按 司墓の遺骨を慰霊の対象にしている人びとの苦しみとその解消は、時空を超えて世界の先住民と民族的マイノリティが抱える課題のひとつである。
(a)百按司墓の遺骨を慰霊の対象にしている人びとの尊厳が毀損されていること
(b)このことは学知の植民地主義が未だに継続していること

 百按司墓の遺骨の発掘と収集に関わった研究者たちの違法行為が仮に認定されたとしても法律関係には得喪変更があり、また当人たちが死亡しているために罪 には問われないだろう。しかし上掲(a)に見られることを、控訴人をふくめて現在の人たちが知ることによりそこにさまざまな道徳的な怒りや当惑が生じるこ とは明白である。その道徳的な怒りや当惑は、歴史的検証や反実仮想(もし〜だった…だろうに)の倫理的課題をぶつけ、それらが教育の現場で検討されること で、現在の人たちに対して、類似の過ちを犯すことを教え、未来の人たちに対して「なぜ過去の歴史から学ぶべきか」ということを教えるだろう。この意見書で みてきたように、先住民や民族的マイノリティ(さらには特定の病気で亡くなった人たち)の遺骨や臓器などが、インフォームド・コンセントなしに、あるい は、さまざまな対価や強制をちらつかせ偽計に近いかたちでとられた「同意」のもとで採集され、研究に供され、また、今後も使われようとしている自体は、社 会的不正義として言いようがなく、そのことを学知の植民地主義と呼んできた。学知の植民地主義が未だに継続しているのである。
(b)このことは学知の植民地主義が未だに継続していることが証明された。
(c)それらの遺骨は不当に持ち出されたために元の場所に復帰させることが倫理的に適正であること

 百按司墓の遺骨が慰霊という崇拝対象である以上、それが、どのような来歴を経たとしても、京都大学にあるということは不当である。京都大学が、それが慰 霊の対象になることを知らない(=認識していない)となると、当該研究機関には宗教学者や文化人類学者がいないことになる。また、仮にいたとしても、慰霊 の対象になりながら大学当局が、慰霊をする文化的権利を有する人に配慮していない不実に対して目を閉ざしていることなる(=ネグレクトという反道徳的行 為)。良識の府である大学当局は、遺骨を慰霊という崇拝対象とすることに正当性を有する人には、その研究対象であることの両立を図るために、崇拝の機会と 便宜を図るという社会的責務を追っている。そのようなことが守られない以上、京都大学は所轄官庁である文部科学省と協議して、遺骨を本来の場所に復帰(= 返還)すべきであろう。
(c)それらの遺骨は不当に持ち出されたために元の場所に復帰させることが倫理的に適正であること
(d)ヒト由来の研究資料を使う研究には所有者あるいはその権利を保有する者からインフォームド・コンセントが不可欠
 ヒト由来の研究資料を使う研究には所有者あるいはその権利を保有する者からインフォームド・コンセントが不可欠である。しかし、遺骨が持ち去られすでに 研究された時点では存在しなかったものについては時間を遡ってそれを取得することは不可欠である。不当であることが確認されたものについては、学会あるい はそれが属する学協会は反省あるいは謝罪の表明が必要であり、今後の研究資料に関しては、所有者が確定していないものについては、それを研究材料に使う研 究者じしんが研究の前には研究資料の来歴について自ら探す義務を負い、インフォームド・コンセントがとれない場合は研究倫理申請のなかで、みずから不当か つ不法でないことを証明する義務を負い、その義務を果たすまでは、それを(犯罪捜査や他の司法鑑定を除いては)研究資料として利用できないという常識を確 認すべきである。このような基本の中の基本のルールを研究者が守ることは、研究者の円滑な調査を何ら阻むものではなく、むしろ先の「対話の重要性」の項目 で述べたように、研究者に対して倫理的正当性を与え、論文そのものの価値を高めることになる。
(d)ヒト由来の研究資料を使う研究には所有者あるいはその権利を保有する者からインフォームド・コンセントが不可欠
以上。

◎資料

遺骨や副葬品を取り戻しつつある先住民のための試論
A Prolegomena for repatriation of remain and burial materials by indigenous people in Japan
この文章は、世界の先住民遺骨返還運動の現状とその 背景にある社会思想を明らかにして、「琉球遺骨返還請求訴訟」への理解を深め、その歴史的ならびに社会的意義をより多くの人に知ってもらうために構想されました。
先住民遺骨副葬品返還の研究倫理
esearch Ethics and the repatriation of the Ainu human remains
以下の、3つの文章(またはそのエッセンス)を読ん で、先住民の人骨の「返還」の問題がどのように訴えられているのか、読解の上で、みんなで考察してみよう(研究倫理入門特別講義)。
琉球人遺骨返還運動と文化人類学者の反省
Reflection of a cultural anthropologist on repatoriation activism by Ryukyuan Indigenous People at Autumn of 2020.
2018年12月に京都地裁に提訴され た、いわゆる 琉球民族遺骨返還請求訴訟に関心をもち、そのおよそ2019年夏以降私は、その心情的な支援者になった。昨年11月のバンクーバーでのアメリカ人類学連合 大会では、本シンポジウムでもご一緒している、太田好信さん、瀬口典子さんが主宰する学会の分科会の発表者として、琉球とアイヌへの遺骨の返還にまつわる 研究倫理の問題について論じた。
アイヌ遺骨等返還の手続きについて考えるページ
On repatriation of Ainu human remains in 2017-2018
(各種ウェブページについて引用紹介している)
個人が特定されないアイヌ遺骨等の地域返還手続きに関するガイドライン(案)
On repartriation of bones of the Ainu people from universities and museums
(このことにまつわる情報を整理する)
アイヌ遺骨等返還の研究倫理
Research Ethics and the repatriation of the Ainu human remains
以下の、3つの文献(またはそのエッセンス)を読ん で、日本の先住民アイヌの人骨の「返還」の問題がどのように訴えられているのか、読解の上で、みんなで考察してみよう。
遺骨は自らの帰還を訴えることができるのか?
Can human remains claim for their return and reburial from the University Collection Room to their land of origin?
平村ペンリウク氏(Penriuku Hiramura, 1832-1903) は平取(ビラトリ)のアイヌ共同体(コタン)の首長(コタンコロクル)であっ た。そして、彼は、1876年イギリス人宣教師ウォルター・デニング(Walter Dening, 1846-1913)、1879年以降は同ジョン・バチェラー(John Batchelor, 1854-1944)にアイヌ語を教え、また初期の人類学や民俗学の調査のインフォーマントとして、アイヌ研究に多大な貢献をしたことでも知られるべき (バチラー 2008)で あるが、残念ながら2017年3月の曾孫の土橋芳美(Yoshimi Dobashi, )氏の長編叙事詩『痛みのペンリウク』が発表されるまでは、バチェラー、金田一京助(1882-1971)、知里幸恵(1903-1922)、知里真志保 (1909-1961)に比べてアイヌ研究の重要な功労者として光が当てられることはなかった。
松島泰勝・木村朗編『大学による盗骨:研究利用され続ける琉球人・アイヌ遺骨』耕文社、2019 年;研究ノート
Violence of Colonial Academy vs. Postcolonial Academy of Resistance
今日における日本の先住民研究は、その フィールドの 場所いかんにかかわらず、学問の植民地的性格に根ざしている。そのような知の枠組みを、さまざまな文化的収奪をうけてきた先住民研究者の立場から厳しく批 判するのが松島泰勝(Yasukatsu MATSUHIMA, 1963- )氏である。彼の『琉球 奪われた骨』(2018)にも焦点を当てて、その批判的言説の可能性について検証しよう。
松島泰勝『琉球 奪われた骨:遺骨に刻まれた植民地主義』岩波書店、2018年;研究ノート
Violence of Colonial Academy vs. Postcolonial Academy of Resistance
はじめに言っておきますが、この書物を文化人類学のテキストあるいは理論歴史書として読む必要はないということです。むしろ、日本の自然人類学を含めた文化人類学批判、あるいは、日本のアカデミズムに対する批判の書として、読む必要があるということです。
霊性と物質性:アイヌと琉球の遺骨副葬品返還運動から
Spirituality and Materiality among Human Remains: Reflection on repatriation activism for the Ainu and the Ryukyu
この発表のタイトルは「霊性と物質性:アイヌと琉球の遺骨副葬品返還運動から」とも称すべきものです。
Spirituality and Materiality among Human Remains: Reflection on repatriation activism for the Ainu and the Ryukyu
This paper examines the ethical, legal, and social aspects of the debates on the repatriation of the human remains and burial materials of the Ainu and the Ryukyuan-Okinawan.
「学問の暴力」という糾弾がわれわれに向けられるとき
When the accusation of "academic violence" is directed at us, we Japanese Anthropologists
私は、2018年12月に京都地裁に提訴 された、 いわゆる琉球民族遺骨返還請求訴訟に関心をもち、2019年夏以降その心情的な支援者になった。この発表では文化人類学(医療人類学)の一研究者として、 自分がもつ学問の来歴と、この遺骨返還請求訴訟が私たち文化人類学徒に投げかける研究倫理上の反省——倫理的・法的・社会的連累(Ethnical, Legal and Social Implications, ELSI)——について考える。
琉球遺骨返還運動にみる倫理的・法的・社会的連累 (ELSI)
Ethical, Legal, and Social Implication of the Ryukyuan Repatriation Movement for Human Remain
アメリカ人類学会連合年次大会(カナダ・ バンクーバー、2019年)で発表したタイトルは、“Stealing remains is criminal”: Ethical, Legal, and Social Issues of the repatriation of human remains to Ryukyu islands, southern Japan(リンク先は発表予稿)でした。今回、これを改造して、日本平和学会2020 年秋季研究集会(オンライン開催、2020年11月7-8日、横浜市立大学)にて分科会「琉球人遺骨にとっての平和とはー『研究による暴力』に対する先住 民族の抵抗と祈り」(仮題:松島泰勝座長)の中で発表することになりました。そのための、論文構想発表ノートです。
遺骨返還における「皮肉なこと」
Great Irony of Affair on repartriation activists and the authorites in Ryukyu, Dec. 5, 2020.

金関丈夫と琉球の人骨
Dr. Takeo Kanaseki and Ryukyuan Remains
このページでは、人類学者として多大な業績を残し た、金関丈夫(かなせき・たけお;1897-1983)が収集した、沖縄(琉球)の人骨とその返還について検討する
京都大学と南西諸島の遺骨の収蔵ならびにそれらの返還について
On Repatriation of Ryukyuan remains and the responsibilities of Japanese cultural anthropologists
同志社大学の板垣竜太さんによると「京都 大学構内に眠る遺骨のうち、奄美に関わるものは約270例あると推定され、一地域からの『コレクション』としては最大規模」ということだ。その収集をおこ なった主人公は、京都帝大医学部病理学教室の清野謙次人類学研究室によるもので、1933から35年におこなわれた「南島」調査(担当は講師の三宅宗悦) によるという。
人類学者と研究対象者の4つのタイプ
Four types of Anthropologist from colonial to post-colonical periods
Joe Watkins 教授(オクラホマ大学先住民研究センター所長―当時)による、人 類学者と研究対象の4つのタイプ(ハドソン 2010:136)。1.植民地主義的(colonial);2.合意的(consensual);3.契約的(covenantal);4.協力的 (collaborative)
返還の人類学について
On Anthropology of Repatriation
事物を所有すること。これは現在の日本社 会にとって は自明のこととなっているが、近代啓蒙が事物を個人が所有することができるようになるための理解には、長い間の、所有権概念の成立、私的所有の概念、購入 した事物の転売か可処分を可能にする社会的条件、事物の売買市場の成立、事物の専有権や貸借概念などの整備、物件法に関する整備など、長い歴史を振り返ら ないとならな い。
世界の先住民について知る
World of Indigenous Pooples
先住民学(Indigenous Studies) は、19世紀に北米ではじまる北米先住民の民族学研究からはじまるが、長く「先住民(先住民族)」 を研究対象にする非先住民あるいは(先住民の参加に おいても)民族学/民俗学の専門教育をうけた専門家による研究であり、それらの研究の成果が「直接」先住民への知識や福利に寄与することは稀であった。し かしながら、先住民の人権、法的権利についての長い間の論争や(犠牲者を伴う)抵抗運動という長い歴史的経験を通して、先住民学はたんに先住民を研究する という自己目的のみならず、先住民による/先住民のための/先住民の研究であるべきだと、国際社会はようやく認識しつつある。
Work_Place: 先住民の視点からグ ローバル・スタディーズを再考する
Cross-boundary Studies of Rethinking of Global Studies from the Indigenous people's points of views
本研究は、日本と海外を研究対象地域とし て、先住民が実践し ている(1)「遺骨や副葬品等の返還運動」、博物館における先住民による文化提示の際の敬意への要求といった(2)「文化復興運動」、および先住民アイデ ンティティの復興のシンボルとなった(3)「先住民言語教育運動」という、3つの大きなテーマの現状を探る。
Cross-boundary Studies of Rethinking of Global Studies from the Indigenous people's points of view


清野謙次
 Kenji KIYONO, August 14, 1885 - December 27,1955
清野謙次(Kenji KIYONO, 1885-1955)年譜(ウィキペディア日本語等からの引用)ならびに「清野謙次とインドネ シアの民族医学(1943)について」より
グローバル・イシューズと先住民
UN Sustainable Development Goals and World Indigenous Peoples
このページは、科学研究費補助金・基盤 (B)「先住民の視 点からグローバル・スタディーズを再構築する領域横断研究(KAKEN)」(課題番号:18KT0005)の資料編です。このページの上位の親 ページは「先 住民の視点からグ ローバル・スタディーズを再考する」にあります。
アイヌとシサムための 文化略奪史入門
Introduction to The Ainu culture and history for the Sisamu and the Ainu
シサムとは、アイヌ語でアイヌ以外の日本 人を指して いう言葉である。シサムは「となり人」のような表現で、対面した相手にも使う。アイヌ語には日本人を指す言葉としてシャモがあるが、これはシサムが訛音 (かおん)化した、つまり、訛(なま)った言葉なので、同じ意味だが、現在ではより柔和で友好的なニュアンスのある表現である。
意⾒書(内閣官房アイヌ総合政策室・⽂部科学省・⽂化庁・国⼟交通省宛) pdf
Memoramdum on the Ainu human remain repatriation
私は「先住⺠族アイヌの声実現!実⾏委員 会」ならびに「⽇本⼈類学会のアイヌ遺⾻研究を考える会(通称・チャランケの会)」の活動の社会的意味について考え、基本的にその理念と⾏動を⽀持する者 であります。この度、同会の事務局、出原昌志⽒の慫慂により意⾒書をまとめることになりましたので、本状に添付します。
先住民と四分類人類学
World Indigenous Peoples and Quadran/ General Anthropology
人類学の守備範囲は、その学問がどの国で 発達してきたかによって微妙に異なり、民族学、民俗 学、文化研究、比較文明学などさまざまな類義語がある。日本では、人類学というと生物人類学(=形質人類学や自然人類学という旧名がある)と文化人類学の 2つの領域をさすことが一般的である。
憑在論
hauntology
憑在論(ひょうざいろん:ハウントロ ジー:hauntology, L'hantologie)とは、ジャッ ク・デリダの『マルクスの亡霊』(原著, 1993/2007a:37)に登場する用語で、「存在でもないが、かといって不在でもない、死んでいるのでもないが、かといって生きているでも ない」ような亡霊の姿をとってあらわれる、延期されたオリジナル(res extensa)ではないものよっ て表現される、置き換えられた、時間的・歴史的・存在論的脱節(temporal, historical, and ontological disjunction)の状態のことをさす。
司法人類学者
forensic anthropologist
司法人類学とは法医学人類学とも言われる。被害者(おもに死体)を鑑定することで、年齢、性別、生前の持病や障害、死因 (事件か事故か)などを科学的に明らかにする仕事である。
ネイティブ・アメリカン墳墓保護と返還に関する法律
NAGPRA, Native American Graves Protection and Repatriation Act, 1990.
この法律は、連邦政府機関および連邦政府から資金提供を受けている機関 [1]に対して、アメリカ先住民の「文化財」を直系卑属および文化的に提携しているアメリカインディアン部族、アラスカ先住民村、ハワイ先住民の組織に返 還することを義務付けている。文化的遺物には、遺骨、葬祭用具、聖なるもの、文化的財産となるものなどが含まれる。連邦政府の補助金プログラムは、本国送 還のプロセスを支援し、内務長官は、これに従わない博物館に対して民事罰を科すことができる。
2019年4月
2019年10月 
Repatriation of human remains and burial materials: Who owns cultural heritage and dignity? The Spring meeting of the Korean Society of Cultural Anthropology, Seoul National University, Seoul, South Korea, April 26, 2019.
"Spirituality and Materiality among Human Remains--Reflection from repatriation activism of the Ainu and the Ryukyu" Mitsuho IKEDA, テーマセッション「再帰的近代における宗教と社会・個人」(座長:安達智史)、第92回日本社会学会大会(東京都杉並区)、2019年10月5日
2019年11月
“Stealing remains is criminal”: Ethical, Legal, and Social Issues of the Repatriation of Remains to Ryukyu Islands, southern Japan. Mitsuho Ikeda (Osaka University)  in "HARKENING VOICES OF THE OTHER: ETHICS AND STRUGGLES FOR REPATRIATION OF HUMAN REMAINS ON THE MARGINS OF JAPAN"(5-1140) Annual Meeting of American Anthropological Association, November 24, 2019. Vancouver, Canada.
2019年12月
霊性と物質性:アイヌと琉球の遺骨副葬品返還運動から、第三回豊中地区研究交流会(大阪大学基礎工学部シグマホール)
2020年3月
Repatriation of human remains and burial materials of Indigenous peoples: Who owns cultural heritage and dignity ? CO*Design 7:1-20, 2020年3月 info:doi/10.18910/75574
2020年5月
霊性と物質性の研究倫理:先住民が訴える遺骨副葬品返還運動、日本文化人類学会第54回研究大会(主催校:早稲田大学)オンライン開催
2020年7月
遺骨や副葬品を取り戻しつつある先住民のための試論、琉球人遺骨返還請求訴訟・支援集会、キャンパスプラザ京都(京都市下京区)
2020年9月
『京大よ還せ:琉球人骨は訴える』松島泰勝・山内小夜子編、耕文社(担当箇所「遺骨や副葬品を取り戻しつつある先住民のための試論」Pp.202-211)ISBN 978-4863770607, 256pp, 2020年9月
2020年9月
先住民が訴える遺骨副葬品返還運動、科学研究費補助金「先住民族研究形成に向けた人類学と批判的社会運動を連携する理論の構築」(基盤(A))(代表者:太田好信)主催共同研究会、北海道大学アイヌ先住民研究センター
2020年11月
先住民運動からみた日本の保守とリベラルの位相、第93回日本社会学会、会場:権力・政治(司会:中澤秀雄)、2020年11月1日
2020年11月
琉球人遺骨返還運動と文化人類学者の反省、日本平和学会2020年度秋季研究大会, 2020年11月8日
2021年5月
「学問の暴力」という糾弾がわれわれに向けられるとき、第55回日本文化人類学研究大会、2021年5月29日

   NAGPRAに関する文献リスト

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