看取り力から「看取られ力」への構造転換
Care for the dying person by nursing people and Care for
nursing people by the dying person
厚労省(「テーマ1:看取り参考資料」2017年3 月22日)によると、「年間の死亡数は増加傾向を示すことが予想され、最も年間死亡数の多い2040年(約166万人)と2015年(約130万人)では 約36万人/年の差が推計されている」 という。
現在は、同資料によると、スウェーデン、オランダ、 フランスにくらべると、日本では、病院で亡くなる人たちが圧倒的に多い。他方で、上記のように、死亡者の数は増加するために、病院で看取ることに、1) キャパシティーの問題、さらに、2)病院で死ぬことに関する医療と看護スタッフの労働投下の限界ならびにコスト高が懸念されている。そのために、厚労省に おいても、せめて、欧米並の自宅死亡(=看取り)の率を増やしたいのが、その本音であろう。
出典:厚 労省(「テーマ1:看取り参考資料」2017年3月22日)pdf 左下には「※他国との比較のため、日本のデータは2000年時点のデータを使用. 出典:医療経済研究機構「要介護高齢者の終末期における医療に関する研究報告書」」とあります
他方、日本では都市部でも農村部でも、検視制度が十 全ではなく、また、医師が現場で死亡確認をとらないかぎり、自宅での死亡が、その後の円滑な葬儀へのバトンタッチが制度の未整備のためにうまくいっていな いのが現状である。
それ以上に、日本の国民に対する「死の学習」が、終 末期高齢者を中心に死に行く当事者に十分におこなわれないだけでなく、無知や無理解による「近代医療の否定」——熟知や理解した上での近代医療の否定や拒 絶は権利として必要であるが——が、闇雲に横行しているのも問題である。他方、日本において、公的な場所における共感のもとにおける死の受容が、忌避さ れ、はばかられ、若い世代において、人の生き死についての理解の機会が奪われている。つまり、「自宅で死なない/死ねない」現状があり、人の死に場所を、 病院から自宅へと取り戻す、すなわちノーマライズする必要が主張される。
●資料
「介護を受けたい場所は「自宅」が男性約4割、女性
約3割、最期を迎えたい場所は「自宅」が半数を超える:「日常生活を送る上で介護が必要になった場合に、どこで介護を受けたいか」についてみると、60歳
以上では男女とも「自宅で介護してほしい」人が最も多いが、男性は42.2%、女性は30.2%と、男性の方が自宅での介護を希望する割合が高くなってい
る(図1-2-22)/「治る見込みがない病気になった場合、最期はどこで迎えたいか」についてみると、「自宅」が54.6%で最も多く、次いで「病院な
どの医療施設」が27.7%となっている(図1-2-23)」出典:内閣府「3 高齢者の健康・福祉」(下線でリンクします)
その場合、重要なことは、あらゆる場所で、人生の終 局において不可避の死を受容したり、そこから看取る人がたちが、適切に看取ることができように「死を看取る力」が求められるとともに、その看取る力—— ジェンダーの区分なくすべての年齢の人たちに開かれた——を、死に行く人、すなわち看取られる人たちが、生き残る人たちに、それまで培ってきたその力を授 けることも必要になる。
すなわち、人間には、死に行く人を「看取る力」があ り、そのような力をつけることができる「教育や訓育のチャンス」があると同時に、死に行く人もまた、生き残る人に、さまざまなコミュニケーション手段をと おして、力をさずける「看取られる力」もまた教育や訓育をとおして学んでゆくことが求められるのである。
このような動向のなかで、終末期における安楽死を求 める人たちも微増していることは、十分注意してよい。ただし、日本における安楽死は、太田典礼などによる「日本尊厳死協会」(1976年創設)がイニシチ アチブをとり、リビング・ウィルと「安楽死」の法制化を、学識経験者と超党派議員連盟の間ですすんでいる。尊厳死という独特な用語で安楽死を肯定するこの 協会の提案内容に反対する人たちの論拠は、この立法化のメリットに「医療費の削減」という、死に行く人びとへの「尊厳」とは無関係な、正当化がなされてい る点にあると思われる。
多くの生命倫理学者が危惧しているのは、死は個人の
出来事よりも家族や配偶者により大きな出来事だと理解されていることと、インフォームド・コンセントがしっかりとした、患者としての個人の確立と、医師や
治療者集団との理解と同意にもとづいた契約概念であることが希薄化されている事情がある。また、そのような法的な契約に関する医療スタッフの法的/権利的
な知識とそれにもとづいた運用がなされていないという問題もある。
しかしながら、この「看取り力」とそれと補完的な 「看取られ力」の関係の議論は、今後、日本における安楽死法制の制定と整備の過程と不可欠に、国民的な議論の焦点になると思われる。
そのため、医療・看護・介護・福祉を学ぶ、学生や専
門家たちは、この分野に関する学際的でかつ動態的な知見を、いま以上に必要になることは避けられないのである。
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