Inter-realm
between Literature and
Healing: An Anthropological Study on the Imperial Subject of
Hansen's
Disease Patients, Rai-Byo Kanja, and the State from 1889 to 1945
研究課題/領域番号 17K18479/ 挑戦的研究(萌芽)/(配分区分)基金/(研究分野)文学、言語学およびその関連分野/(研究代表者)松岡 秀明 東京医科歯科大学, その他の研究科, その他 (80364892)/(研究期間) 2017-06-30 – 2020-03-31(→「ハンセン病と癩(らい)を考え るページ」)
■研究の背景:
「第二次世界大戦の終戦までの日本において、ハンセン病と短歌は重要な関係を持っていた。具体例を以下に示す。(i)短歌は、「絶対隔離」とい う状況なのかで、ハンセン病患者たちが療養所の外部とつながる可能性を持った表現様式であった。(ii)大正天皇妃である貞明皇后が、1932年に大宮御 所の歌会で「癩患者を慰めて」と題して「つれづれの友となりても慰めよ行くことかたきわれにかはりて」と詠んで以来、天皇制とハンセン病の関係のなかで短 歌は大きな役割をはたした。(iii)ハンセン病をテーマとして1940年に公開された商業映画<小島の春>のなかで、ハンセン病療養所の医師小川正子 (この映画は、小川の歌文集『小島の春』[1938] を脚色したもの)やハンセン病歌人明石海人の短歌が効果的に用いられた」。
「短歌は、療養所のなかのハンセン病患者と療養所の外の人々−そのなかには皇族や歌壇および文壇の人々も含まれる−との間の、一方通行的ではな く双方向的コミュニケーションを成立させる文芸の様式であった。この現象は、ハンセン病患者の絶対隔離という当時の国家政策のもとに生じ、そこには当事者 であるハンセン病患者だけではなく、ハンセン病療養所の医師、歌人、作家、さらには貞明皇后がかかわっていた」。
「しかし、すでに述べたようにハンセン病、短歌、国家という観点からの研究はこれまでほとんど行なわれてこなかった。その理由として以下の二つ が考えられる。まず、古代や中世の和歌の研究者の数と比較した場合、明治以降の短歌の研究者は圧倒的に少ない。そして、社会的なコンテクストのなかで近代 短歌を捉えるという観点から研究を行なっている者は品田悦一や松澤俊二くらいしかいない(品田 2001、松澤 2014)。一方、斎藤茂吉や前川佐美雄といった特定の歌人についての研究や、短歌史の研究ですぐれた業績を出している歌人は少なくない。しかし、彼らの 研究は「歌壇」の内部を射程としたものが主流となっている。すなわち、アカデミアの研究者にせよ歌人にせよ、社会的コンテクストのなかで短歌がどのように 作られ、どのような読者にどのように受容されるかという問題関心からの研究は、これまでほとんど行なわれていない。本研究は、ハンセン病患者の短歌の誕生 から社会的な認知をへて、1940 年映画<小島の春>の公開でひとつのピークを迎え終戦にいたる過程を対象とした包括的な研究である。このような研究はこれまで行なわれておらず、斬新であ る」。
「第二次世界大戦の終戦までの日本においては、短歌は現在とは異なる意味を担っていた。それは公的なメディアであり、コミュニケーション手段で あった。本研究は、1889年から1945年までの期間において、短歌がハンセン病療養施設の患者と施設の外の人々との間の双方向的なコミュニケーション を可能とした表現様式であったという新しい着想にもとづいている。短歌はハンセン病とどのような関係を持ち、表現され、どのように受容されたか、そしてそ こに医療はどのようにかかわったのかを、当時の社会状況のなかで検討するという斬新なアプローチの提案を行なうものである」。
■明らかにすべきこと
(1)ハンセン病療養施設で 患者たちはいつから、なぜ短歌を詠むようになったのか? (2)患者たちの短歌は療養施設の外でどのように受け入れられたか。そしてそれは当時の状況とどのような関係性を有するか? (3)医療は、短歌によってどのように天皇制とハンセン病を媒介し、ハンセン病患者たちを「臣民」とすることにどのように関与したか? |
■研究の意義
「ハンセン病、短歌、国家という観点からの研究はこれまでほとんど行なわれてこなかった。その理由として以下の二つが考えられる。まず、古代や 中世の和歌の研究者の数と比較した場合、明治以降の短歌の研究者は圧倒的に少ない。そして、社会的なコンテクストのなかで近代短歌を捉えるという観点から 研究を行なっている者は品田悦一や松澤俊二くらいしかいない(品田 2001、松澤 2014)。一方、斎藤茂吉や前川佐美雄といった特定の歌人についての研究や、短歌史の研究ですぐれた業績を出している歌人は少なくない。しかし、彼らの 研究は「歌壇」の内部を射程としたものが主流となっている。すなわち、アカデミアの研究者にせよ歌人にせよ、社会的コンテクストのなかで短歌がどのように 作られ、どのような読者にどのように受容されるかという問題関心からの研究は、これまでほとんど行なわれていない。また、ハンセン病研究で多くの成果をあ げている歴史学において、ハンセン病と短歌の関係はほとんど顧みられてこなかった。/本研究は、ハンセン病患者の短歌の誕生から社会的な認知をへて、 1940 年映画<小島の春>の公開でひとつのピークを迎え終戦にいたる過程を対象とした包括的な研究である。このような研究はこれまで行なわれておらず斬新であ り、文化人類学、歴史学、そして文学のアプローチを統合する意味において挑戦的研究としての意義を有する」。
■先行研究について
「日本におけるハンセン病については、医学、社会学、歴史学、文学などのさまざまな学的領域から研究されてきた。ハンセン病患者の文芸について の近年の研究としては、たとえば、大内(2008)や荒井(2011)のものがある」。
■ハンセン病と短歌の関係について
「第二次世界大戦の終戦までの日本において、ハンセン病と短歌は重要な関係を持っていた。具体例を以下に示す。(i)短歌は、「絶対隔離」とい う状況のなかで、ハンセン病患者たちが療養所の外部とつながる可能性を持った表現様式であった。(ii)大正天皇妃である貞明皇后が、1932年に大宮御 所の歌会で「癩患者を慰めて」と題して「つれづれの友となりても慰めよ行くことかたきわれにかはりて」と詠んで以来、天皇制とハンセン病の関係のなかで短 歌は大きな役割をはたした。(iii)ハンセン病をテーマとして1940年に公開された商業映画<小島の春>のなかで、ハンセン病療養所の医師小川正子 (この映画は、小川の歌文集『小島の春』[1938] を脚色したもの)やハンセン病歌人明石海人の短歌が効果的に用いられた」。
■コミュニケーション手段としての「短歌」
「短歌は、療養所のなかのハンセン病患者と療養所の外の人々−そのなかには皇族や歌壇および文壇の人々も含まれる−との間の、一方通行的ではな く双方向的コミュニケーションを成立させる文芸の様式であった。この現象は、ハンセン病患者の絶対隔離という当時の国家政策のもとに生じ、そこには当事者 であるハンセン病患者だけではなく、ハンセン病療養所の医師、歌人、作家、さらには貞明皇后がかかわっていた。すなわち、第二次世界大戦終戦までの日本で は、ハンセン病と社会さらには国家との関係において短歌は重要な意味を持っていた。しかし、ハンセン病、短歌、国家という観点からの研究はこれまでほとん ど行なわれてこなかった」
「そこで、ハンセン病、短歌、国家を視野に入れ、文化人類学、歴史学、文学にまたがる学的領域で行なう研究を設定することができる。このような 研究は荒井(2011)が部分的に行なっているものの、これまで十全には行なわれていない」。
■なにをどこまで研究し、また、それらを明らかにするのか?
「本研究は、……
(i)病い(特に慢性病)の文芸的な表現とその社会性について研究した文献の収集および検討、
(ii)ハンセン病患者の短歌とその受容についての文献の収集とその分析、
(iii)ハンセン病短歌についてのそこにしかない資料を保有し、また当時を知る患者たちが生活する三つのハンセン病療養施設におけるフィール ドワーク、
(vi)それら営為によって得られたデータの分析、をとおして、
3年間で以下の3点(再掲)を明らかにする」。
(1)ハンセン病療養施設で患者たちはいつから、なぜ短歌を詠むようになったのか。
(2)患者たちの短歌は療養施設の外でどのように受け入れられたか。そしてそれは、当時の状況とどのような関係性を有するか。
(3)短歌は、どのように天皇制とハンセン病を媒介し、ハンセン病患者たちを「臣民」とすることに関与したか」を明らかにする
■なぜ本研究が対象とする歴史は1899年からはじまるのか?:日本で最初にハンセン病療養施設がつくられたのは、1889(明治22)年であ り、フランス人神父テストウィドが御殿場に復生病院を設立した。
■クレジット:研究課題/領域番号 17K18479/挑戦的研究(萌芽)「終戦までのハンセン病患者の「臣民」化における短歌と医療の関係をめぐって」https://kaken.nii.ac.jp/grant/KAKENHI-PROJECT-17K18479/
■共同研究者:池田光穂(大阪大学COデザインセンター・社会イノベーション部門教 授・副センター長)
■日本MTL(日本MTL機関誌)
「日本MTL(日本救癩協会)はハンセン病患者とその家族を支援するキリスト教団体であるが、同時に国の強制隔離政策を是とし、皇室の恩寵
策と強調して啓発活動をおこなった。一方、朝鮮・台湾の植民地や統治領だけでなく、中国・フィリピンなどアジア各地やハワイのハンセン病に関する情報にも
富み、多くの貴重な報告が掲載されている。1926年の創刊」。http:
//www.fujishuppan.co.jp/kindaishi/MTL.htm
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