語りをのこす行為
On social memories of
leprosy in Japan
語りを残す行為は、語りとしての「記憶」が失われるという恐怖や脅威に対する抵抗として 位置づけられることができる。
もちろん、ただ、語っ て記録に残せばいいというものではなく、記録が公開されたり、出版 されたりして、より多くの人たちに伝わる(=散種する/される)ことが重要なのである。
ここでいう、伝わるとは、別の人たちに「記憶」が伝わるということである。
山陽新聞社『語り継ぐハンセン病:瀬戸内3園から』山陽新聞社、271pp.、2017 年3月
「「ハンセン病療養所を世界遺産に」—。かつてハンセン病患者を隔離するため瀬戸内海の 離島に設けられた国立療養所・長島愛生園と邑久光明園、大島青松園で新たな運動が始まった。背景にあるのは入所者の高齢化に伴う問題の風化だ。過ちを繰り 返さないため、私たちは隔離の歴史から何を学び、未来に伝えるか。瀬戸内3園から問う。反響を呼んだ山陽新聞連載が待望の単行本化!隔離の島で生きた人々 の証言を記録」出典:紀伊国屋書店ウェブsiteより)
■6月22日が記念日に
らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」厚生労働省が2009年より実施。
2001年のこの日、「ハンセン病療養所入所者等に対する
補償金の支給等に関する法律」が公布・施行された。厚労省主催による追悼の行事が行われる。
●別の事例
「これが、サマヤックにおけるミルナと交霊術者との出会いであり、彼女は、この種の話を
たくさん知悉しているが、現在(1999年初頭)でもなお、グアテマラ人として公表することには、「恐怖」を覚えるという。だから、外国人である私が、こ
の種の話を発掘して、より多くの海外の人に伝えて、このような恐怖が、二度と起こらないように、知らしめてほしいと話終えた」——グアテマラにおける政治的暴力と人類学:資料編
■ハンセン病者の生活史 : 隔離経験を生きるということ, 坂田勝彦, 青弓社, 2012
「「恐ろしい伝染病」という誤ったイメージとともに、療養所に隔離されることを余儀 なくされたハンセン病者。彼らは戦後社会のなかでどのようにして実存を模索し、療養所の内外の他者との関係性を編み上げてきたのか。多磨全生園の入所者の 声を丹念に聞き取り、さまざまな日常の営みからそのリアリティーに迫る」
■語りの事例研究の重要性について
個々人が経験する多様性に注目する。ハンセン病政策はさまざまな隔離政策と、その療 養所のなかでの、人びとの基本的人権の剥奪(例:法律による移動の自由を制限したり、園長に検束懲戒権を付与すること)や自己決定権の制限をしたり、優生 保護法による強制断種や強制不妊手術、あるいは強制的な(医療的)堕胎を実行した。
そのような療養所という歴史的/社会的空間のなかで患者のライフは、療養所の外との さまざまな複雑な社会関係のダイナミズムを形成した。また、戦前、光田健輔らの判断により使用が控えらることがあった治療薬(商品名「プロミン」=グルコ スルホンナトリウム)の導入により、治癒した元患者は、療養所を出所する自由を得たが、同時に、ハンセン病(癩)に対する過酷な社会的差別上、ハンセン病 の既往者であること秘匿し社会生活を過ごすという「パッシング(Passing in Sociology)」などの経験をしている。元ハンセン病者への病いの語り研究の成果は、元ハンセン病者/ハンセン病回復者という「被害 者のアイデンティティ」についての多様な広がりと、生の戦術あるいは生存の技法について、さまざまな知見を提供してくれる。
[文献]
[社会学におけるパッシングの 初期研究文献]
リンク
文献
その他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1997-2099
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other people the trouble of thinking. But, if possible, to stimulate
someone to thoughts of his own," - Ludwig Wittgenstein