On Narrative turn
ルイ=レオポール・ボワイユ作(1792年) 『サン・キュロットの扮装をした歌手シュナール』
1990年代の前半ごろに指摘されるようになった学術ジャーゴンである。ナラティブ=物語る行為や物語に議論が焦点化されて、みんなの研究関心 や実践が、ナラティブ中心に回りだす現象やブームを指して、そう呼ぶ。
家族療法家の医師である英国のジョン・ローナーによると、他の医療や社会科学とはことなり、精神療法においては、ナラティブを治療/加療/分析 などの実践に使うことは古くからあったので、ナラティブ・ターンを論じても、精神療法とそれ意外の分野では、ナラティブに対する基本姿勢が異なるという。 つまり、古くは、ジーグムンド・フロイトによる「会話による治療」——ただし命名者は彼の患者のベルタ・パッペンハイム(Bertha Pappenheim)——がすでに確立していたからである。
社会科学では、フィールドワークの方法論である、ライフヒストリー研究法に造詣が深く、また研究論文・研究書も多く出版しているケネス・プラ マー(ケン・プラマー)などの方法論の普及が、それによる研究論文・研究書が出版されて、今日におけるようなナラティブ研究ブームを生んだと考えられる。
■"Indeed, if it is not drawing from those narrative conventions, most readers will find it hard – even impossible – to understand as a life. Thus life story research must be closely linked to narrative analysis, which takes the very story itself as the topic of investigation (Edwards, 1997; Hillis Miller, 1990). Life story analysis must be part of the so-called ‘narrative turn’, and there are many approaches to this: hermeneutic, discourse, dramatist, formalist, structuralist, dialogic, psychoanalytic, semiotic" (Ken Plummer 2001:399)
「病いの語り」研究に特化すると、どのような病気の語 りなのかが重要ではなく、誰が語るのかが重要になる。たしかに、医師や看護スタッフがその患者や病気を語るのと、その当事者である患者が自分がいま抱えて いる病気を語るのは異なる。しかしながら、つねに後者の患者の語りが重要だと偏重した考え方をもつと、病い(病気)をめぐって、医療スタッフと患者との間 でどのような情報や情動のやりとりがあったのかという事実が過小評価されたり、忘れさられたりすることがある。それよりも「病いの語り」を通して、それぞ れの物語の主人公(プレイヤー)がどのように主体形成とアイデンティティを構築するのかが重要になってくるだろう。
あるいは、「病いの語り」研究における、分業体制で は、「語るナラティブ」と「聴くナラティブ」という制度が確立しており、語るのは患者・当事者・あるいは家族であり、聞く/聴くのは、医師や医療スタッフ である。あるいは、医療社会学や医療人類学の臨床関係者の研究などでは、語るのは医療スタッフであり、聴くのは研究者という二項対立構造もみられる。
リンク
●サンキュロットとブルジョアをつなぐのは暴力かもしれません
「パリのサン・キュロットはフランス革命での不安定要素で、ブルジョワ主導の国民議会を悩ませた。立法議会になってもその傾向は変わらず、武装
民兵と化した彼らが度々起こしたデモや暴動は議会への圧力となり、生活の改善を求める運動は、革命を急進化させた。各党派は、パリのサン・キュロットに迎
合せざるを得ない状況にあったため、フランス革命が極端な平等主義や富の再分配といった、社会主義的な政策を途中で取り入れようとしたのは彼らの影響で
あった」(ウィキペディア「サン・キュロット(キュロットというスカートをはかない
人)」)——ルイ=レオポール・ボワイユ作(1792年) 『サン・キュロットの扮装をした歌手シュナール』
リンク
文献
その他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
Do not paste, but [Re]Think our message for all undergraduate students!!!