はじめに よんでください

ミハイル・バフチンから刺激を受けて

Michael Bakhtin’s concept of Polyphony and theory of Narrative in Medical Sociology

池田光穂

【はじめに】

QRコードをみて、池田光穂「病い研究とポリフォニー:ハイル・バフチンから刺激を受けて」プ ルペーパーを読みたいと思った方は、こちらにアクセスしてく ださい。

【サマリー】

「病いについての語りは、人間の最古からある語りの 様相である。書き留められようが人々の記憶に残ろうが、語りとはその発語の瞬間から、死後の生(Fortleben)を生きることを運命づけられている。 このような語りの不死=永続性を担保するもののひとつに、バフチンが指摘したドストエフスキーの小説にみられるポリフォニー概念がある。語りは死後の生を もつことで、それに耳を傾ける人の心を呪縛し、ポリフォニーという性格が病いの語りをひとつとして同じものとさせない構造的強度をもつのである」(『保健 医療社会学論集』』第28巻2号;)。

キーワード:病い、語り、ポリフォニー、ミハイル・ バフチン、語りの想起、ナラティブ・ターン

英語版:Mikhail Bakhtin’s Concept of Polyphony and Studies of Illness Narrative: An anthropologist’s Notes

ダイアロジック=対話論理

「僕は大会会長から依頼をうけて、この教育講演をす るようになった」

「君が教育講演?冗談じゃないだろうね?たしかに君 にはいくつかの保健医療社会学ないし隣接学問(医療人類学)があるけど、研究が多岐にわたる分だけ君にはライフワークと呼ばれるテーマも具体的で立派な研 究があるようには思えないのだが?まるで賄賂か君の得意なゴリ押しで講演をやらせろとすごんだのでは?」

「わかる気もするけど!でも僕は『アントノフキー理論の医療社会学』という個人発表やラウンドテーブル『病いの語り:哲学と人類学・社会学の架橋』『翻訳行為としての保健:医療行為の新解釈』などを組織してきたよ。たしかに僕 の問題提起は学生や同学の士に分かり易いものではないし、僕の講義も難解で着地点が分かり難いと不評なことは認める」

「そうだろう!そうだろう!君には忍耐力をもって人 を説得する能力に欠けている」

「だがこの10余年大学院生向けの対話型の授業をや るようになって『先生の授業は楽しい』と評価してくれる学生も増えてきた」「対話援用の授業とこの講演は関係があるのかね?」(→対話論理

「大いにだ!本家の社会学もそうだし対人コミュニ ケーション学、臨床心理学、行動科学も数年のサイクルで流行の議論(例外はこの20年間の「ナラティブ」ブームなのだが)の盛衰こそあれ、メジャーな学問 からの医療保健現場への適用・流用じゃないかな?」

「状況論的にグランド(誇大?)セオリー(GT)に 背を向けている?」(→社会学的想像力

「GT志向よりも医療実践に『寄り添う』実用的転回 へのドライブのほうが最近のこの学会の動向をうまく表現している」

「その意味ではcontestationもまた当事 者のほうに研究者も転回させようと動きの反映かもしれない?」

「かもね?!」

「で、何を語るんだい?」

「有り体に言うと病いと癒しをめぐる保健医療社会学者たち(ども?)のメタナラティブの分析という感じか な?」

「メタってことは、『病いについての語り』について の語り=社会学者言説ってこと?」

「そう!それが現今では全体的に多声的な状況になっ ているということ!」

「それが文学におけるポリフォニー概念を提唱したバ フチンと交錯するわけだね。ある程度見えてきたよ。でも、それって広義の語りの記号論や言説分析で試みられてきたことじゃない?だったら君のいう分析は、 先の実用的転回に背をむけて古典的な研究に回帰することなんじゃないかな?」

「そうともいえる。でも冷静に考えてみてよ、バイオ メディシンの実践家はその学問が生まれてきたときから、患者のためにと僭称してきた点では最初から実用的展開を標榜してきたけど、いつも耳にする医療批判 はその裏切りに他ならない」

「そうだよ、だから逆に現場から背を向けたようにみ える学問も、じつは現場のことを真摯に考えていないとは言えない」

モーリス・ブランショはいう『語りは出来事の報告ではなく、出来事そのものである』と

「なある!じゃあ君のお手並み拝見といこうじゃない か!」(→「病いの語り:批判」)

***

《対話論テーゼ:2009》(→対話主義

【ポリフォニーの実演】

【0】こういうノートをつくり、分析をする僕(=池 田)は、モノローグ的論理にもとづいて「バフチンのポリフォニー理 論」を抽出しようと試みている

・ポリフォニーとしてのドストエフスキー

・カーニバルとしてのフランソワ・ラブレー

・声はモノフォニー(叙事詩)として現れてくるの は、非常に限られた瞬間であった。近代が準備した黙読や哲学者の黙考などは、自分に対して叙事詩を語る行為である。声が発生される場は、コミュニケーショ ンの現場であり、そこでは基本的に複数の声が、固有のクロノトポスから発せられ、つねにポリフォニーが奏でられる。

【物語に基づく医療とは、物語論のひとつのジャンル である。なぜなら、医療は翻訳行為であるからだ】(→「医療と翻訳」)

・したがって、NBMには、機能論もあれば構造論も あり、象徴解釈もあれば、アクションリサーチもある。

・物語をジェネレートさせる制度の存在

・ナラティブや経験のフェティシズムの陥穽

・「語られないこと」の救済というテーゼ、あるい は、十字軍化

・「語る」行為の、代補(デリダ)行為:代補とは、 それ自体では部分にすぎないが、それなくしては全体が完結しない不可欠な要素, supplementのことである。代補としての「行為」=メッセージの完成にむけて

・代補する人は、ポリフォニーを完成させようと急が せる人である。その行為は、義人の道徳的行為である。(我々は、聞こえなかった声を、なぜ、虚空のなかに聞こうとするのか=「真理」「隠されているもの」 への希求。世界の全体性への希求)

【可能性と限界】

3つのポ イエーシス
可能性の ある評価
限界ある いは弊害
「アイデ ンティティ主義」への関心
(i)語る主体の形成
(i)病いを語る主体を明確化することで病気の語りを医療者や看護者の 独占物から解放した。
(i)語る主体が特権化されることで、それが医療者や看護者との果てし のない対話の産物であることが忘却され、語りの単声性(monophony)への傾斜と、語りが採取された文脈への軽視を生むようになった。
(i)病いの語りというジャンルが生む「語る主体」というアイデンティ ティ形成を、つまり当の語り手に強制するのではないかという〈役割の強制〉
(ii)語られた物語の固定化
(ii)語られた物語を記録化されることでテキストとして分析する手法 が生まれた。
(ii)物語の固定化、客体化は、語りがもつさまざまな多義性への関心 を消失させ、また語りそのものを分断化して要素に還元する研究傾向を招来した。
(ii)語りのジャンルで定式化された語りの図式を内面化する〈語るス キームの強制〉
(iii)語られるジャンルの形成
(iii)病いの語り研究という研究に値するジャンルが確立した
(iii)語られるジャンルという分類が形骸化し、研究のための研究と いう事態を引き起こした。
(iii)語るジャンルの構成員であることを自覚させる制度である〈成 員であることの強制〉

出典情報:(『保健医療社会学論集』』第28巻2 号;)を参照してください。

【成功すること/失敗すること/創造すること】

・人間の個別性への回帰?

・声の呪縛、声の創造性、声の行動誘発性(=声がも つ相互行為)[→「行為遂行的発話と事実確認的発話」]

【この論文は、現在「病いの語り:批判」という形で、口頭発表される予定です】

病いの語り:批判

リンク

文献

その他の情報

発表原稿:《JSHMS170521Mikeda_1-9.pdf》パスワードがかけ てあります。パスワードは半角小文字で《cscd123456789》です。

発表原稿:ネットでは画像を含めて読めます:「病い研究とポリフォニー:ハイル・バフチンから刺激を受けて(フルペーパー)


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