Aristoteles, Metaphysica
アリストテレスの『形而上学』は、全14巻のものであるが、全体としてのまとまりはない。それは、それぞれ別の時期に書かれた論文・講義草稿・ 講義録の類の集成だからである。ただし、 第1巻(Α)- 第3巻(Β)- 第4巻(Γ)- 第6巻(Ε) 第7巻(Ζ)- 第8巻(Η)- 第9巻(Θ) 第10巻(Ι)- 第13巻(Μ)- 第14巻(Ν) の3群は、それぞれ内容的にまとまりが認められ、紀元前2世紀末の著作目録の記述から、元来この書物はこの10巻構成でまとめられ、 第2巻(α)、第5巻(Δ)、第11巻(Κ)、第12巻(Λ) の4巻は、別の独立した著作が後から補足的に追加・挿入されたものだと考えられる[5]。
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かいせつ
第7巻 - 実体
第7巻(Ζ) - 実体(全17章)
第1章 -
「述語諸形態」としての諸存在の内、第一義的に存在するのは「実体」である。存在についての我々の研究は何よりも「第一実体」についての研究である。
第2章 - 何が「実体」であるのかについての諸説。検討されるべき諸問題。
第3章 - 一般に「実体」と認められているのは「本質」「普遍」「類」「基体」の四つである。 ---
まず「基体」について。実体としての「基体」は「形相」か「質料」か両者の「結合体」(具体的個物)かのどれか。「質料」「結合体」が第一義的な実体では
あり得ない理由。それゆえ我々はまず感覚的事物の「形相」(本質)を研究しよう。
第4章 -
事物の「本質」についての言語形式上および事実上の考察。いかなる事物に「本質」は属するか。「本質」が定義され得るのは何ものか。第一には「実体」であ
る。
第5章 - 「重複的に言われるもの」には「定義」も「本質」もあり得ない。
第6章 - 「事物」とその「本質」とは同じであるか。その「事物」が「付帯的存在」ではなく「自体的な実体」であれば両者は同じである。
第7章 - 「自然による生成」「技術による生成」「自己偶発的生成」。これらの「生成」の諸条件。
第8章 -
「形相」は「生成消滅の過程」にあることなしに存在し、「質料」において現実的に存在する。生成するのは「質料」との「結合体」(具体的個物)であり、そ
の生成の「始動因」は「生成する個物」と同種の「他の個物」に内在する「形相」である。
第9章 - 「自己偶発的生成」が起こる理由。「実体」の生成から以外の生成の諸条件。
第10章 - 「事物の部分」とそれの「説明方式の部分」との関係。「部分」と「全体」との関係。
第11章 - どのような部分が「形相」の部分であり、どのような部分が「結合体」の部分か。
第12章 - 定義が二つの要素(「類」と「種差」)を含むのに一つであるのはなぜか。「類」と「種差」の正しい結合の必要。
第13章 - 「実体」と認められているもの --- 「基体」(質料)と「本質」(形相)とその「結合体」(個物)と「普遍」 ---
の内「普遍」は「実体」ではない。「普遍」は「実体」の「述語」であり「属性」である。
第14章 -
イデア論者は「各々のイデア」を離れて独立に存在する「実体」であるとしながら、その各々を「類なるイデア」と「種差なるイデア」とから成るものとしてい
るが、これは不可能である。
第15章 - 「個別的」なものは、「感覚的」なそれにせよ、「思惟的」なそれにせよ、「定義」も「論証」もされない。
第16章 - 「感覚的な事物」も多くの部分は「可能的な存在」である。「一」や「存在」は「事物の実体」ではない。
第17章 -
「実体」は一種の「原理・原因」であるが、「真の実体」は「質料」を「一定の存在状態」にあらしめるところの「原因」、すなわち「形相」である。
文献
その他の情報
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