Aristoteles, Metaphysica
アリストテレスの『形而上学』は、全14巻のものであるが、全体としてのまとまりはない。それは、それぞれ別の時期に書かれた論文・講義草稿・ 講義録の類の集成だからである。ただし、 第1巻(Α)- 第3巻(Β)- 第4巻(Γ)- 第6巻(Ε) 第7巻(Ζ)- 第8巻(Η)- 第9巻(Θ) 第10巻(Ι)- 第13巻(Μ)- 第14巻(Ν) の3群は、それぞれ内容的にまとまりが認められ、紀元前2世紀末の著作目録の記述から、元来この書物はこの10巻構成でまとめられ、 第2巻(α)、第5巻(Δ)、第11巻(Κ)、第12巻(Λ) の4巻は、別の独立した著作が後から補足的に追加・挿入されたものだと考えられる[5]。
リンク
かいせつ
第9巻 - 可能態・現実態
第9巻(Θ) - 可能態・現実態(全10章)
第1章 -
「デュナミスにおける存在」(可能的存在)と「エネルゲイアにおける存在」(現実的存在)について。まず本来の意味での「デュナミス」すなわち「運動の能
力」としてのそれ。能動的能力と受動的能力。能力と欠除態。
第2章 - 非理性的能力と理性的能力。理性的能力は反対のものどもの両方に関係し得るが非理性的能力は一方的である。
第3章 -
能力(可能性)を否定するメガラ派の逆説に対する反論。次に新たな意味での「デュナミス」、すなわち現実活動・現実態としての「エネルゲイア」に対する可
能力・可能性・可能態としての「デュナミス」について。
第4章 - 無能・不可能・有能・可能などについて。
第5章 - 能力・可能性の獲得方法と、可能性・可能帯が現実化される諸条件について。
第6章 -
「エネルゲイア」に対する「デュナミス」(可能性・可能態)。「エネルゲイア」の二義。すなわち「運動・現実活動」としてのそれと「完了的な現実態」(エ
ンテレケイア)と同義的なそれ。
第7章 - どのような場合に、あるものは他のものの「可能態」であり「質料」であるか。
第8章 -
「現実態」はその説明方式においても、時間的にも、その本質においても、「可能態」より先である。永遠的・必然的な実体は「可能態」において存することな
く永遠的な運動にも単なる「可能性」は存しない。
第9章 - 「善の現実態」は「善の可能態」より優り、「悪の現実態」は「悪の可能態」より劣る。幾何学的定理は「現実化」によって発見される。
第10章 - 真としての存在。非複合体および複合体の真と偽について。
文献
その他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1997-2099