ならずよんで ね!

よい優生学、わるい優生学

Good Eugenics, Bad Eugenics

垂 水源之介

★ナチスドイツ時代の人種衛生学と優生学:Nationalsozialistische Rassenhygiene

1. よい優生学、わるい優生学
2. 1883-1911:フランシス・ゴルトン 「優生学」からドレスデン「国際衛生博覧会(人種衛生学特別部会)」まで
3. 1912-1920:ロンドン第1回国際優 生学会議からビンディングとボーへ「生きるに値しない生命の根絶の許容」まで
4. 1921-1932:ニューヨーク第2回国際優生学会議から第3回 国際優生学会議まで
5.1933-1941:ナチス政権掌握からT4計画の中止まで
6. 1942-1945:ヴァンゼー会議およびシンティ・ロマに対する ヒムラー絶滅命令以降ヒトラー自殺および敗戦まで
7.1945年以降:ナチスの優生学と医学的戦争犯罪の審理と処罰
8.優生学と人類学との学的関係について



  優生学(eugenics)は、遺伝現象を利用して、優良な遺伝子をもつ子孫を次世代に反映させようとする一種の応用人類遺伝学である。人類遺伝学は、生 物学的実体であるヒトの身体の特徴や精神など正常および異常形質の起源、発現、遺伝様式、民族など集団中における頻度や変化を研究する学問であり、現在は ゲノム科学の進展により遺伝子的多様性の広がりと変化の様子があきらかになり、また将来におけるさまざま疾患の発現の予測と予防などが期待されている。そ のため、優生学は応用人類遺伝学と定義すると、人類遺伝学は言葉の正しい意味で理論優生学になってしまうという、やっかいな事情がある。それは、第二次大 戦の終結後、ナチスの優生学ならびに優生学者は、禁止され、当時の学界から完全に追放されたわけではないからである。人体実験などの医学犯罪を処罰した ニュルンベルク医師裁判などを除けば、ナチスの多くの優生学者たちは戦犯に問われることなく、引き続き優生学研究に従事することができた。1960年代に 入ると、人類遺伝学呼ばれるようになり、その応用的側面についての研究教育する優生学は引き続き残った。そのため戦前から断種を強力に推進した吉益脩夫 [1931,1961]などは、戦後に「よい優生学」と「悪い優生学」という区分をしており、生き残った人類遺伝学を前者に、ナチスなどの非人道的な実施 を後者に割り当てている。しかしながら優生学は、今日では、当初の優生学的知見によって喧伝されていた科学的有効性や実効性はおおむね否定されており疑似 科学のひとつとされている。そのため、21世紀の現在では、自分は優生学者であると自称する人たちはほぼ存在しない。

し かしながら、およそ百年前の20世紀初頭の優生学世界は、フランシス・ゴルトンが提唱してからほぼ40年間がたち、さまざまな科学的知見が報告され、今日 でいうところのビッグデータ化がすすみ、またさまざまな仮説が提唱され、この分野をめざす若者が当時の世界の科学先進国に多数いた。これはミレニアム以降 のゲノムサイエンスに憧れ世界の最先端機関で研究したい若者と酷似している[Gary 2022]。

こ のことを踏まえて本稿は、優生学の隆盛と衰退のおよそ70年間を科学とそれを支える思想の観点から眺めてみる。本稿が、「ファシズム期における日独伊のナ ショナリズムとインテリジェンスに関する人類学史」というテーマと交錯する理由は、優生学という学問が孕む社会問題性は極大値を示すのが、大戦間期のナチ スであり、優生学研究を支える隣接学問として人類学が大きな影響をもたらしているからである。しかしながら、現在では今日の人類学研究がゲノムサイエンス に大きく恩恵を受けているように、19世紀後半から20世紀の第二次大戦終了まで——一部の国では1960年代末まで——は人類学研究の知見が優生学や人 種衛生学の発展に大いに貢献していたからである[Levine 2017]。そのため終章において、優生学と人類学の学的関係についても検討する。

★図表の資料は、ポータルページ「ナチスドイツ時代の人種衛生学と優生学」にアクセスしてください。

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