甘さの悲しみ
The Sadness of Sweetness: The Native Anthropology of Western Cosmology
解説:池田光穂
「ペルシア人メターステネスは、ペルシャ
人に関する編年史の冒頭で次のように言っている。『史実について書かんとする者は、ただ耳にしたこととか、自己の考えとかにのみに基づいて編年史を書いて
はならぬ。さもなければ、ギリシャ人のごとく自己の考えをもとに書くとき、彼らと同様に、自己と他のひとびととを欺き、生涯誤りをおかすこ
とになるからだ』」(pp.4-5)。ラス・カサス『インディア
ス史』序文より
『文化と実践理性』(1976)を書い たマーシャル・サーリンズにとって、自分の文化のことを反省的に見ることの困難さを実感したこと はなかろう。
今日では[方や]普遍主義としての[アル チュセリアン]マルクス主義と、今日では[此方]未開表象の理解における本質主義の代表格と呼ばれる構 造主義という、ハブとマングースの対決の感ある、2つの対極する文化に関する説明概念の批判的解剖を通して、ボアズ流の第三の道、サーリンズ自身の言葉に 従うと「第三項(tertium quid)としての文化」を、それらの二元論的思考を打破するダイナミックな文化概念を救済、再定義しようとしていた。
サーリンズは、自文化の社会のもつ自明性 を、経済や政治の分析のような一般化やシステム化を拒む〈未開〉概念の個別の実態に取り組み、自文化で ある西洋文化のさまざまな文化的事例が、いかに客体化の神話——「まるで強制的な文化概念の作用から解放されているかのように」(p.286)作用するも の——の産物であるかを論証しようとした。
サーリンズによると、人類学者の叙述手法 は、神話の託宣や物語的叙述を旨 としたヘロドトスのそれではなく、史実実証的な表現をもとにしたツ キュディデス(トゥキディデス, Thucydides, ca. 460- ca. 400 BC)風の叙述様式をとる。つまり「同時代の歴史を扱った著作では、特定の国家を贔屓(ひいき)せず中立的な視点から著述していること、政治家・軍人の演説を 随所に挿入し歴史上の人物に直接語らせるという手法を 取っており、なかには裏付けがあるとは思えない演説や対話も入っていることが挙げられる」ウィキペディア日本語)。そのために、つねに、人類学者には、こ の腹話術にまつわる、研究倫理と真実を伝えることに関するさまざまな ジレンマ(「正しく正直に伝えること」〈対〉「よりリアリティをもってヴィヴィッドに 伝えること」)を抱えることになる。
つまり、サーリンズ風に言えば、人類学とは「芸の出来不出来とは関係なし に、反省能力ある腹話術的学問」のことである。
★サーリンズ「甘さの悲しみ」(非公開版:
The_Sadness_of_Sweetness_XYZ.html)は、オフラインで接続可能です。
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This paper attempts to lend a broad "archaeological" support to Sidney Mintz's Sweetness and Power by discussing certain major anthropological themes of the long term in the Judeo-Christian cosmology that seem particularly relevant to Western economic behavior-especially consumption issues-in the 18th century. The pleasure-pain principle of human action, the idea of an irresistible and egoistical human nature underlying social behavior, the sense of society as an order of power or coercion, and a confidence in the greater providential value of human suffering figure among these anthropological themes. It is also argued that they continue to inhabit mainstream Western social scienceto the bedevilment of our understandings of other peoples. | 本論文は、18 世紀の西洋の経済行動、特に消費問題に特に関連していると思われる、ユダヤ・キリスト教の宇宙観における長期的な人類学上の主要なテーマについて考察し、 シドニー・ミンツの『甘さと力』を「考古学的」に広く裏付けることを試みる。こうした人類学的主題としては、人間の行動の快・苦の原理、社会行動の根底に ある、抗いがたい利己的な人間性、社会を権力や強制の秩序と捉える感覚、人間の苦悩にはより大きな摂理的価値があるとの確信などが挙げられる。また、こう した主題は、西洋の社会科学の主流に今なお根強く残っており、他民族の理解を困難にしているとも論じられる。 |
Sweetness and Power (Mintz 1985)
was for me a landmark
book because it dared to take on capitalism as a
cultural economy. In a double way it put anthropology
at the center of history: not only as a cultural discipline,
the academic anthropology we know and love, but in the
form of what may be deemed the native anthropology of
Western society, the indigenous conceptions of human
existence that, at a particular historical juncture, gave
sweetness its economic functionality. It is this native
Western anthropology I would talk of here, both in relation
to Sid Mintz's classic work and in relation to anthropology
as a discipline. On the one hand, the aim
will be to complement the arguments of Sweetness and
Power by expanding on certain aspects of the indigenous
anthropology. We shall see that it takes some singular
ideas of humanity, society, and nature to come up with
the triste trope that what life is all about is the search
for satisfaction, which is to say the melioration of our
pains. On the other hand, I will try to make the point
that these cosmic notions did not begin or end with the
Enlightenment. They are native cultural structures of
the long term that still inhabit academic anthropology-
as well as other Western social sciences-and bedevil
our understandings of other peoples. |
Sweetness and
Power(ミンツ、1985)は、資本主義を文化経済として敢えて取り上げた、私にとって画期的な本でした。この本は、2つの意味で人類学を歴史の中心
に据えた。それは、私たちが知っており、愛している文化学としての学術的人類学だけでなく、西洋社会の固有の人類学、つまり、特定の歴史的分岐点において
甘さに経済的な機能を与えた、人間存在に関する先住民的な概念という形で人類学を位置づけたからだ。ここで私が話したいのは、シド・ミンツの古典的な著作
と、学問としての人類学の両方に関連して、この西洋固有の人類学についてだ。一方では、『甘さと権力』の議論を補完し、固有の人類学の特定の側面について
詳しく説明することを目指す。私たちは、人生の目的が満足の追求、すなわち苦痛の軽減にあるという悲観的なトロープを生み出すためには、人間、社会、自然
に関する独自の思想が必要であることを確認する。一方、私は、こうした宇宙観は啓蒙主義で始まったものでも、啓蒙主義で終わったものでもないことを指摘し
たいと思う。これらは、学術的な人類学やその他の西洋の社会科学に今もなお根強く残っており、他民族に対する私たちの理解を妨げる、長年にわたる固有の文
化構造なのだ。 |
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Concerned with certain
Judeo-Christian dogmas of
human imperfection, my argument could be described
as an "archaeology" of mainstream social science "discourse."
It would be pleasing to think of it then as the
owl of Minerva taking wing at the dusk of an intellectual
era. It has an organization, however, more closely
resembling the flight of the postmodemist wiffle bird,
moving in ever-decreasing hermeneutic circles until. ...
Nor should the mention of Minerva be taken as a claim
to profound knowledge. Although I flit over a vast continent
of Western scholarship, it is only in the capacity
of an anthropological tourist, collecting an intellectual
genealogy here and a fragment of academic folklore
there, while making a most superficial inspection of the
great philosophical monuments. Like most tourists, I no
doubt consistently make a fool of myself. Not only are
the expositions of main ideas always schematic, usually
idiosyncratic, and possibly wrong but also insufficient
attention has been paid to alternative traditidnswithout
which this paper could not have been written.
The other necessary apologies are as follows: I do not
consider all the premises of the native anthropology that
are still in vogue as science, only the four or five that
seem most relevant to Sweetness and Power. I do nbt
provide an adequate economic and political history of
the ideas and traditions I discuss, nor do I prove that
they are inadequate-or, as I believe, disastrous-for the
study of non-Western societies. Finally, I am speaking
about male writers who themselves spoke mainly about
men and to men. Given what they had to say about
"mankind," you wouldn't want to substitute "her" for
"him" or even speak about "he or she."2 |
人間の不完全性に関する特定のユダヤ・キリスト教の教義に関心のある私
の主張は、主流の社会科学の「言説」の「考古学」と表現することができるだろう。それを、知的な時代の黄昏にミネルヴァの梟が羽ばたく姿と捉えるのは心地
よいかもしれない。しかし、その組織はむしろポストモダニストのウィッフルバードの飛行に似ており、解釈の円を次第に縮小しながら移動していく。ミネル
ヴァの言及を深い知識の主張と解釈すべきではない。私は西洋の学問の広大な大陸を飛び回るが、それは人類学的な観光客の立場に過ぎず、ここかしこで知的系
譜を収集し、学問の民話の一片を拾い集めながら、偉大な哲学的記念碑を最も表面的に検査しているに過ぎない。ほとんどの観光客同様、私はおそらく常に自分
を愚か者にしているに違いない。主要なアイデアの展開は常に概略的で、通常は独特であり、おそらく間違っているだけでなく、この論文を書く上で不可欠な代
替的な伝統への十分な注意が払われていない。他の必要な謝罪は以下の通りだ:私は、現在流行している先住民人類学の前提をすべて科学と見なしているわけで
はなく、Sweetness and
Powerに最も関連性があると思われる4つまたは5つだけを対象としている。私が議論する思想や伝統の経済的・政治的歴史を適切に説明していないだけで
なく、それらがいかに不十分であるか、あるいは私が信じるように、非西洋社会の研究にとって破滅的であるかを証明していない。最後に、私は主に男性につい
て語り、男性に向けて語った男性作家について言及している。彼らが「人類」について述べたことを考慮すると、「彼」を「彼女」に置き換えたり、「彼または
彼女」と表現したりすることは望ましくないだろう。 |
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序文:悪の花 ポール・リクールは、聖書の「堕落」の物語を「人類学的神話として最も優れたもの、おそらくは、人間を悪の起源(あるいは共起源)と明示的にする唯一の物 語」と位置付けている(I967:28I)。3 アダムの罪という故意の人間の行為は、「神の絶対的な完全性と人間の根本的な邪悪さ」の間に悲痛な深淵を開いた。この不幸な意識とは別に、リクールは、悪 が歴史的ではなく原初的なものとして、創造に先立つか伴うものとしてではなく、被造物の結果として位置付けられる宇宙論から、創世記の伝統を区別しようと している。他の多くの神話では、死の起源——または飢餓と労働の起源——が、伝説の悪戯者や祖先の英雄による神の戒めの違反に帰せられているのは事実だ。 しかし、これらの過ちが愚かさではなく、悪意によるものであったとしても、それらは本質的に邪悪な人間を生み出し、神の存在から追放され、いばらとあざみ だけの純粋に自然で対極的な世界へと追いやったわけではない。人間の悪と残念な不幸とは異なる。そして、アダム(あるいは「人間」)は、悪の最初の原因と なっただけでなく、それにより、それ以降、肉体的に悪に傾倒する性質を持つようになった。アウグスティヌスが言ったように、人間は罪を犯さないことはでき ない。この種の自己軽蔑は、人類の一般的な関心事には見えない。西欧の神話がさらに特異に見えるのは、アダムの罪の宇宙論的結果にある:「全被造物は共に 苦しみ、共に産みの苦しみにある」(ローマ人への手紙8:22)。バーナード・マンデビルは、人間の努力の障害が、人間の身体に起因するものか、それとも 「呪われた」地球の状態に起因するものかを区別するのは困難だと指摘し、西欧で一般的な不満を代弁した。これらの苦難を分離して考えることは不可能であ り、それらは「常に干渉し合い、混ざり合い、最終的には恐ろしい悪の混沌を構成する」と彼は述べている(マンデヴィル I988、第 I 巻:344)。アダムの堕落により、私たちは皆罪を犯した。人間の人生は罰を受けるものとなり、世界は敵対的なものとなった。ジョン・ドンの言葉によれ ば、「最も高貴な部分である人間が最初にそれを感じ、その後、獣も植物も、人間の呪いによって呪われた」のだ。 |
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人類にとって、アダムの驕りの罰は痛みと死だけではありませんでした。
認識論的な障害によるある種の愚かさも含まれていました。知識の木の実を食べたアダムは、人類を深い無知に陥らせ、同時に人間関係の不幸な結果を招きまし
た。罪を犯す前、神から動物に名前を付けるよう求められたとき、アダムは世界初の、そして最も偉大な哲学者であることを証明した。彼は、その真の本質と相
違点に応じて、種をその実態通りに区別することができたのだ(Aarsleff
1982:25、59)。アダムは、その当時、ほぼ神のような知識を持っていた。しかし、正しい名前から言語の混乱に至るまで、人間は知的な恵みから全面
的に陥落した。ある人格と別の、あるいは人類と世界との間にベールが引かれた。こうして人類は、社会的現実と自然現実という二重の偽装にさらされることに
なった。恥を覆い隠して、男も女もあらゆるコミュニケーションに欺瞞を持ち込んだ。社会間の関係は、バベルの混乱と争いによって特徴づけられた。これは、
「神のように」という人間の 2
度目の試みの当然の帰結だった。そして、社会の中で人々が互いに自分の本当の(内面の)姿を隠していたならば、人類が堕落以来、自己愛に没頭していたこと
を考えると、その結びつきは、この偽装以外の何に基づいて成立していたというのだろうか?「偽善がなければ、私たちは社会的な生き物になることは不可能
だ」(マンデヴィル 1988、第 1
巻:349)。自然もまた、私たちから隠されていた。ネオ・プラトン主義的な意味において、世界の真実は、欠陥のある経験的な物体の不十分な感覚的印象と
してしか知ることができないため、自身を偽装していた。ベーコンが、経験的知恵が原罪によって掘られた穴から這い上がるための人類の大きな希望であると主
張し、認識論的価値を逆転させようとした日は、まだ来ていなかった。それでも、そのような経験主義は、永久的な不完全さとのイデオロギー的な和解に過ぎな
かった。人間は、その悪行と同じくらい深い無知、神の神の真実から絶望的に分離された「知的な無知」に、永遠に囚われる運命にあった(カッシラー
1963)。 |
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人間の有限性、いわゆる「形而上学的な悪」は、他のすべての欠陥を包含
する欠陥だった。アウグスティヌスからライプニッツに至る一連の論理は、神が自身から宇宙を創造したという古典的な汎神論的観念を、
「神から神のみが生まれる」という理由から否定した(ライプニッツ 1985:300; アウグスティヌス 1948; ヒック
1966)。世界、すなわち被造物を含む世界は、無から創造された:神聖なものは何一つ含まれていない。神が悪の責任を負うわけではない。悪は善の欠如で
あり、神が創造したものではない。神が創造したのは善であった。しかし、無から創造され、神の不変で完全な性質と対照的に、人間は腐敗可能な存在であった
(アウグスティヌス『神の国』12.1)。自由意志は、この不幸な変容性の表現であり、堕落はその破滅的な結果だった。人間の有限性は、すべての悪の根源
だった。原因と罪の両方は、欠如と必要に満ちた不完全な被造物としての人間の性質に存在した。罰も同様だった。 |
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必要の人類学 アウグスティヌスが言ったように、罰は犯罪そのものでした。人間は、自分の欲望に従うことで神に背いたため、それを満たすための無駄な試みに自分の体を消 耗する運命にあったのです。5 人間はその愛を、自分だけを満足させることができる神への愛よりも優先させたことで、自分の必要の奴隷となったのです(『神の国』13、141)。あるい は、成功した仏教徒を除いて、「真の休息」と「解放」を死の同義語として知っている人民は、おそらくそれほど多くはないので、西洋人と言うべきだろうか? しかし、そうだとすれば、この人生は、アウグスティヌスが言ったように「地上の地獄」であり、赤ちゃんが泣き叫んでこの世に生まれてくるのも当然だ。6 それでも、神は慈悲深い。彼は私たちに経済学を与えてくれた。アダム・スミスの時代までに、人間の苦悩は、私たちの永遠の欠乏を最大限に活用する方法、つ まり、常に私たちの欲求よりも少ない手段から可能な限り最大の満足を得る方法という、肯定的な科学へと変化していた。それは、キリスト教の宇宙観で想定さ れていたのと同じ悲惨な状況だったが、ブルジョア化され、自由意志が合理的な選択へと昇華され、人間の苦悩によってもたらされる物質的な機会について、よ り明るい見方ができるようになっただけだった。経済学の起源は、創世記の経済学だった。ライオネル・ロビンズ(1952:151)は、経済学の本質につい て述べた有名な言葉で、そのことを明確に述べている。 私たちは楽園から追放された。私たちには永遠の命も、満足を得るための無制限の手段も持っていない。どこに行っても、あるものを選ぶと、別のものを選択し なければならない。そして、その別のものは、異なる状況では手放したくなかったものかもしれない。さまざまな重要度の目的を満たすための手段が不足してい ることは、人間の行動のほぼ普遍的な条件だ。ここに、経済科学の主題、すなわち、希少な手段を処分する上で人間の行動が取る形態の統一性がある。 |
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当面は、ロビンズ卿に倣って、ルネサンスの「貧困の恩恵」と「この世の
卑しさ」に対する認識の変化に続き、資本主義の台頭など、堕落とその経済学の間に起こった多くの出来事を省略する。ブルジョア社会が、キリスト教の道徳の
牢獄から利己的な人間を解放し、欲望を恥じることなく公然とさらけ出すことを許し、私的な悪徳は公的な利益であるという主張によって社会正義を歪曲したと
しても、西洋の人間観に根本的な変化はなかった。人間は、常に不完全で苦悩に満ち、自分の力では決して満たすことのできない欲求を抱えた存在だった。現代
における経済人は、依然としてアダムだった。実際、希少性によって動かされる、欲求に支配された生き物は、人間科学のすべての分野における主人公となるほ
ど、長く生き残った。 |
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私は「功利主義」に関するこの議論をすでに何度も発表してきたので、こ
こでは簡潔に述べようと思う。 まず、アダム的概念における人間の連続性と変化について:私が示唆したように、変化は、事実そのものではなく、人間の不完全性の価値にあった。教会父たち によって当初は束縛の一形態として理解されていた、各人の欲望への終わりなき絶望的な執着は、自由主義的ブルジョア思想において、自由そのものの条件と なった。8 当初、必要性は人類を神の自己充足的な完璧さから区別していた。9 堕落後、聖バジルが述べたように、「自然は人間と同様に腐敗し、彼に必要を提供するのをやめた」 (ボアズ 1948:331。アウグスティヌスは、「世界は約束したことを実現しない。世界は嘘つきであり、欺く者だ」と書いている。したがって、人間は「次から次 へとものを追求する運命にある……。彼の必要は多岐にわたり、必要な一つのもの、単一で不変の自然を見つけることができない」 (Deane 1963:451.10 しかし、科学的アンソロポロジーとなるにつれ、この自己愛は道徳的な意味合いを変えた (Dumont 1977, 1986; ヒルシュマン 1977)。アウグスティヌスにおける原初的な悪と広大な悲しみの源であった身体の欲求は、ホッブズでは単に「自然」なものとなり、少なくともバロン・ ド・ホルバッハでは「必要悪」となり、アダム・スミスやミルトン・フリードマンでは社会的美徳の最高源泉として結末を迎えた。ホッブズとロックに続き、物 質主義の哲学者たち——ド・ホルバッハ、ヘルヴェティウス、ラ・メトリ、コンディラックら——は、身体的欲求に対する合理的な反応が、彼らが憧れたニュー トン科学の人間的な対応物を提供できると発見した。ここに、重力の法則と同様に包括的な人間の身体の運動法則が生まれた。ホッブズの用語で言えば、人間は 快楽を与えるもの towards へ、苦痛を引き起こすもの from-wards へ移動する。普遍的な運動に加え、快楽と苦痛は哲学者たちにとって認知の一般法則となった。ヘルヴェティウスによって有名になった定式のように、肉体的快 楽と苦痛は、欲求と関心を呼び覚まし、物事の比較と判断につながる。12 もともと罪の根源として非難されていた自己満足的な人間は、結局、良い存在であり、最高の存在であることが判明した。なぜなら、各人の自己関心全体の合計 が、最大の善となるからだ。奴隷制は自由へと変容し、かつて永遠の滅亡を予言した人間の欲望は、一時的な救済の前提となった。長期的に見れば、西欧の先天 的人間観は、悪の昇華の延長線上の演習に過ぎなかった。しかし、これらの幸福な変容を通じて、必要に駆られる人間の悲惨な姿は不変のまま残った。13 実際、人間の必要は社会そのものの理由となった: 「人間は社交的であるから、人々は人間は善良であると結論づけた。しかし、それは自己欺瞞である。オオカミも社会を形成しているが、オオカミは善良ではな い...。この点について、経験から学べることといえば、人間も他の動物と同様、社交性は欲求の結果であるということだけだ」 (ヘルヴェティウス 1795、第 7 巻:224-25)。 |
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ヘルヴェティウスのこのテキストに見られるように、個人の欲求と貪欲を
社会性の基盤とするという反復的な試みは、伝統的な人類学の最も興味深いプロジェクトの一つであった。ヴィコやマキャベリから啓蒙時代の哲学者たちを経
て、イギリスの功利主義者たち、そしてその最新の形態であるシカゴ学派(経済学)に至る長い学問的系譜の先人たちは、すべて、個人の自己利益が社会の根本
的な絆であると主張してきた。14
したがって、ドルホッホにとって、「国民とは、その欲求の相互関係、あるいは快楽の相互欲求によって結びついた、膨大な数の個人の連合にすぎない」
(1889: 147) のだ。あるいは、マンデヴィル (1988, vol. 1:344;
4、67、369も参照)は、社会の成立の可能性を人間の堕落に明示的に結びつけています: 人間の善良で愛すべき性質ではなく、悪で憎むべき性質、その不完全さ、および他の生物が備えている優れた性質の欠如が、人間が楽園を追放された瞬間から、 他の動物よりも社会的な存在となった最初の原因である。そして……もし彼が原始の無垢な状態に留まり、それに伴う祝福を享受し続けていたなら、彼が現在の ような社会的な存在になる可能性は全くない。 |
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ああ、幸いな罪よ!ここにも、幸運な過ち(Lovejoy
I948:chap.
14)のもう一つの贖いのパラドックスがあった。罪から社会が生まれたのだ。人間は、それがそれぞれの利益になるから、あるいは他の人間が自分の目的を達
成するための手段となることを発見したから、集団に集まり、社会関係を築く。確かに、後者は有名な定言命法に反しているが、ヘルヴェティウスはこれに対し
て次のように反論している。「自分の心を高く評価するために、人間の社会性を、肉体的および習慣的な欲求以外の原則に基づいて説明しようとする作家は皆、
弱い心を欺き、道徳について誤った考えを植え付けている」 (I795、第 7 巻、228-29
ページ)。「愛するとは、必要とすることだ」とヘルヴェティウスは言った。15 ポープは『人間論』でこの理論を不朽のものにした:「 thus
God and Nature linked the general frame/And bade Self-love and Social
be the same.,,16 |
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ある種の機能主義的人類学は、啓蒙主義的なアダム的理論のもう一つの遺
産であり、特に「機能」が「目的」に還元され、その「目的」が「欲求の満足」とされた点でそうだった。この点で、マリノフスキーの文化を身体的欲求に還元
する主張は、啓蒙主義的社会科学の形式主義的な展開に過ぎなかった。ラドクリフ=ブラウンの構造機能主義が達成した主な進展は、同じパラダイムを社会全体
に適用したことだ。つまり、社会全体を生物個体として捉え、その制度が生命の必要に機能(効果)と構造(形態)で応答する有機体として概念化したことだ。
ハーバート・スペンサーは過渡的な人物だった。一方では、彼は、社会は、人々が個人的な利益の満足のために結んだ取り決めであるという、当時の功利主義の
原則を採用した。他方では、社会そのものは「生命」あるいは超有機的実体であり、他の同様の存在と生存競争を繰り広げている(社会学的ホッブズ主義)と主
張した。デュルケームとモースに倣い、イギリスの構造機能主義者は、利己的な人間を社会制度に昇華させたが、その制度自体も社会的な必要に応答するもの
だった。 |
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余談:ルネサンスに関する考察 ヨーロッパのルネサンスが、必要に駆り立てられ、自己満足を追求する人間の道徳的向上、あるいは資本主義の精神全般に与えた特徴的な貢献について、一言触 れておこう。これらは、プロテスタントの倫理観ほど称賛されていないかもしれないが、明らかに同等の影響力を持っている。私は、15世紀と16世紀のよく 知られた思想運動——人間の自己肯定、人間の意志と個人の解放、感覚的なものの重荷の除去、この世界への軽蔑の終焉、 thus 知性と感覚の調和——について単に言及しているわけではない。真の知的めまいを感じさせるのは、あるイタリア人たちが、資本主義が体系的な経済となるはる か以前に、それを宇宙の総体的な秩序として捉えていたことだ。例えば、1440年にニコラウス・クザーヌスは、人間の意志と判断は、神が創造物の価値を構 成する手段であると主張した。人間の好みは、神が世界を価値の体系として組織化する手段であり、それ自体では何物でもない単なる物質とは対照的だ(クザー ヌス、カッシラー1963:43-44より引用): なぜなら、人間の知性は価値に存在を与えるわけではない(つまり、価値あるものを創造するわけではない)が、それなしには価値の区別は存在しないから だ……。判断力と比較の力がなければ、あらゆる評価は存在しなくなり、価値もまた消滅する。これにより、心がいかに貴重であるかがわかる。なぜなら、心が なければ、創造物すべてに価値は存在しないからだ。神が自分の作品に価値を与えようとした時、他のものと共に、知的な性質を創造しなければならなかった。 |
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クサヌスは、宇宙論的プロセスという形で自己調整的な市場を予見した。
人間の好みによって、宇宙は商品化され、商品が普遍化する前に商品化された。 実際、ロレンツォ・ヴァッラはすでに経済主義的充満の決定的な原理——快楽の追求——を発見していた。「快楽は、最高の善であるだけでなく、純粋で単純な 善であり、生命の保存原理であり、したがってすべての価値の基本原理である」と、彼は1431年に記している。ヴァッラにとって快楽はすべての社交性の目 的であったため、彼は、あらゆる種類の社交関係を個人的な利益として説明した、その後の多くの西洋の学者たちをも先取りしていた(1977:221、 223)。 友情の目的は何だろうか?友情は、人間が一般的に必要とするものを与え、受け取るといった相互の奉仕から生じる満足以外の理由で、あらゆる時代、あらゆる 国民によって求められ、これほど高く評価されてきたのだろうか?... 主人と使用人に関しては、彼らの唯一の目的が相互の利益であることは疑いの余地がない。教師と生徒についてはどうだろうか?... 親と子の絆を最終的に形成しているのは、利益と快楽以外の何だろう? 資本主義は、この哲学の物質的発展として、希少性を前面に押し出し、 thus 苦痛を快楽よりも優先する知的判断、対象価値、社会関係の主要な動機として特権化した。これらの価値と社会に関する革命的な思想は、ある種の個人主義の補 完物であった。個人は、自己のプロジェクトの自由な主体であり最終目的として自己を意識するようになる。ジョヴァンニ・ピコ・デラ・ミランドラが『人間の 尊厳について』(1487年)で述べたように、人間には「望むものを持ち、望むものになる」という独自の特権がある。ピコは thus、存在の連鎖の特定の変形を展開し、自然を人間の支配下に置く。あらゆる種類の存在で満たされた宇宙で最後に創造された人間は、特定の存在様式や 独自のニッチを持たないまま残されました。同時に、それぞれの性質の法則に制約されていた他の生き物とは異なり、人間は自分が望むあらゆる形に自分自身を 自由に形作ることができるようになりました。「私はあなたを世界の中心に置いた」とピコは神に言わせている。「その立場から、あなたは世界が含むすべてを 容易に眺めることができるように」(1956:3)。(見晴らしの良い場所といえば、この演説は、ブルネレスキとアルベルティによって遠近法が開発され、 個人の視点から無限に広がる世界への窓を開くという芸術的手法が確立された直後に書かれたことは、関連があると思われる)。ピカの、自然の多様性を獲得す ることで自己実現の無限の可能性を人間が備えているという概念は、ヘルダーやマルクスにおける哲学的な形態から、ブルジョア的消費主義の粗野な意識まで、 数多くの変容を遂げていく運命にあった。 |
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ベルナルディーノ・テレシオ(1565)が、すべての生物や物の自己利
益的な行動によって組織化された宇宙全体を説明したことは、ルネサンス哲学の俗悪な運命を避けがたいものに見せている(ヴァン・デューセン
1932)。テレシオの宇宙は、快楽と苦痛の物理学そのもので、これらはすべての物体が、それぞれを支持し破壊する物体に対して持つ感覚であった。物質の
基底にある熱と冷の特定の複合体として、あらゆる物体や生物は、他の性質を持つ物体からの永久的な反対と潜在的な破壊に対して、自らの性質を維持するため
に行動する(ファリコとシャピロ
1967:315)。ホッブズはテレシオを研究しており、フランシス・ベーコンは、人間の知識は観察のみから得られるという原則を主張したことから、彼を
「新しい人間たちの第一人者」と呼んだことに注意してください。さらに最近では、ファンケンスタインは、テレシオを「反目的論的、政治的、倫理的、そして
自然的な『自然の見えない手』の原則の最も初期の出現例の一つ」と見なしている(Funkenstein
1968:67)。フンケンシュタインが言及しているのは、おそらく次のような箇所だろう:「自然は自己利益によって駆動されていることは明白だ。実際、
自然は真空や目的のないものを許容できない。すべてのものは互いに接触することを好み、この相互接触によって自身を維持し、保存している」
(Fallico and Shapiro 1967:304より引用)。 |
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ヨーロッパがまだ前近代的な生産関係に苦しんでいた間に、宇宙は理想的
な経済発展の状態に達していたと結論付けてもよいのではないでしょうか?何らかの形で、哲学者たちはすでに宇宙を資本主義の世界秩序として想像していたの
です。 |
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余談:ルネサンスに関する注釈 ヨーロッパのルネサンスが、欲求に駆られた自己満足的な人間の道徳的向上、あるいは資本主義の精神全般に与えた特徴的な貢献について、一言触れておこうと 思う。それは、プロテスタントの倫理観ほどは称賛されていないかもしれないが、明らかに同じくらい影響力があったと思う。私は、15世紀と16世紀のよく 知られた思想運動——人間の自己肯定、人間の意志と個人の解放、感覚的なものの重荷の除去、この世界への軽蔑の終焉、 thus 知性と感覚の調和——について単に言及しているわけではない。真の知的めまいを感じさせるのは、あるイタリア人たちが、資本主義が体系的な経済となるはる か以前に、それを宇宙の総体的な秩序として捉えていたことだ。例えば、1440年にニコラウス・クザーヌスは、人間の意志と判断は、神が創造したものの価 値を構成する手段であると主張した。人間の好みは、単なる物質(それ自体では何の意味も持たない)ではなく、価値の体系として世界を組織化する神の手段で ある(クザーヌス、カッシラー 1963:43-44 より引用): なぜなら、人間の知性は価値(すなわち、評価されるものを創造する)を与えるものではないが、それなしでは価値の区別は存在しないからだ……。判断力と比 較の力がなければ、あらゆる評価は存在しなくなり、価値もまた消滅する。これにより、心がどれほど貴重であるかがわかる。なぜなら、心がなければ、創造物 すべてに価値は存在しないからだ。神が自分の作品に価値を与えようとした時、他のものと共に、知的な性質を創造しなければならなかった。 |
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クサヌスは、宇宙論的プロセスという形で自己調整的な市場を予見した。
人間の好みによって、宇宙は商品化され、商品が普遍化する前に商品化された。 実際、ロレンツォ・ヴァッラはすでに経済主義的充満の決定的な原理——快楽の追求——を発見していた。「快楽は、最高の善であるだけでなく、純粋で単純な 善であり、生命の保存原理であり、したがってすべての価値の基本原理である」と、彼は1431年に記している。ヴァッラにとって快楽はすべての社交性の目 的であったため、彼は、あらゆる種類の社交関係を個人的な利益として説明した、その後の多くの西洋の学者たちをも先取りしていた(1977:221、 223)。 友情の目的は何だろうか?友情は、人間が一般的に必要とするものを与え、受け取るといった相互の奉仕を行うことから生じる満足以外の理由で、あらゆる時 代、あらゆる国民によって求められ、これほど高く評価されてきたのだろうか?... 主人と使用人に関しては、彼らの唯一の目的が相互の利益であることは疑いの余地がない。教師と生徒についてはどうだろう?... 親と子の絆を最終的に形成しているのは、利益と快楽以外の何だろう? |
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399-400 |
資本主義は、この哲学の物質的発展として、希少性を前面に押し出し、
thus 知的判断、対象価値、社会関係の根本的な動機として苦痛を快楽よりも優先させる役割を果たした。 これらの価値と社会に関する革命的な思想は、ある種の個人主義の補完物だった。個人は、自己を自由な主体であり、自身のプロジェクトの最終目的として自覚 する。ジョヴァンニ・ピコ・デラ・ミランドラが『人間の尊厳に関する演説』(1487年)で述べたように、人間に与えられた唯一の特権は「望むものを持 ち、望むものになること」である。ピコは、このように、自然を人類の意のままに操る、ある種の存在の連鎖の順列を展開している。あらゆる種類の存在で満た された宇宙で最後に創造された人間は、特定の存在様式や独自の生息地を持たないまま残された。同時に、それぞれの性質の法則に制約されていた他の生物とは 異なり、人間は、自分が望むあらゆる形に自分自身を自由に形作ることができる。「私はあなたを世界の中心に置いた」とピコは神に人間に言わせている。「そ の立場から、あなたは世界が含むすべてを容易に眺めることができるように」(1956:3)。(見晴らしの良い場所といえば、この演説は、ブルネレスキと アルベルティによって遠近法が開発され、個人の視点から無限に広がる世界への窓を開くという芸術的手法が確立された直後に書かれたことは、関連があると思 われる)。ピカの、自然の多様性を獲得することで自己実現の無限の可能性を人間が備えているという概念は、ヘルダーやマルクスにおける哲学的な形態から、 ブルジョア的消費主義の粗野な意識まで、数多くの変容を遂げていく運命にあった。 |
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400 |
ベルナルディーノ・テレシオ(1565)が、すべての生物や物の自己利
益的な行動によって組織化された宇宙全体を説明したことは、ルネサンス哲学の俗悪な運命を避けがたいものに見せている(ヴァン・デューセン
1932)。テレシオの宇宙は、快楽と苦痛の物理学そのもので、これらはすべての物体が、それぞれを支持し破壊する物体に対して持つ感覚であった。物質の
基底にある熱と冷の特定の複合体として、あらゆる物体や生物は、他の性質を持つ物体からの永久的な反対と潜在的な破壊に対して、自らの性質を維持するため
に行動する(ファリコとシャピロ
1967:315)。ホッブズはテレシオを研究しており、フランシス・ベーコンは、人間の知識は観察のみから得られるという原則を主張したことから、彼を
「新しい人間たちの第一人者」と呼んだことに注意してください。さらに最近では、ファンケンスタインは、テレシオを「反目的論的、政治的、倫理的、そして
自然的な『自然の見えない手』の原則の最も初期の出現例の一つ」と見なしている(Funkenstein
1968:67)。フンケンシュタインが指しているのは、おそらく次のような箇所だろう:「自然は自己利益によって駆動されていることは明らかだ。実際、
自然は真空や目的のないものを許さない。すべてのものは互いに接触することを好み、この相互接触によって自身を維持し、保存している」(Fallico
and Shapiro 1967:304より引用)。 ヨーロッパが前近代的な生産関係に苦闘していた時代に、宇宙は経済発展の理想的な状態に達していたと結論付けてはならないだろうか?いずれにせよ、哲学者 たちはすでに宇宙を資本主義的世界秩序として想像していたのだ。 |
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生物学の人類学 ここで問題となっているのは、「人間性」という民間伝承の知恵だ。私は、社会慣習や文化形態を、ホモ・サピエンスの先天的な構成によって説明しようとす る、学術的かつ一般的な定説的な考え方を指している。生物学的影響は、一般的に動物的衝動や傾向として捉えられ、それらは一定の「野蛮な」力を有すると考 えられている。その影響は、例えば男性優位のような社会的実践に直接表れるか、またはそれらを抑制するための対立的な習慣——例えば性規範——を通じて間 接的に表れる。私たちの民俗人類学が、文化を自然によって説明しようとする傾向があることは、おそらくあまり説得の必要もないだろう。街頭の人種主義から 大学での社会生物学、そして口語表現のさまざまな表現に至るまで、生物学的決定論は西洋社会で繰り返し出現するイデオロギーだ。その遍在性は、宇宙的規模 の人類学的伝統によって伝承されてきた結果だと私は考える。再び、市場経済の下で発展した「必要に駆り立てられた意志的な存在としての人間」という概念、 そして、キリスト教の悪夢における肉と精神の対立的二元論と結びついた「存在の偉大な連鎖」に刻まれた人間の構成理論——肉は、人間の魂のより良い傾向を 基盤としつつもそれを克服する、野蛮で自己中心的な動物的自然である——である。 |
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資本主義の発展と産業革命が迫る中、ヨーロッパの哲学者たちは、社会の
「進歩」に伴い肉欲の要求が高まることを発見し、何世紀にもわたる罪悪感を完成させた。当然のことだった。なぜなら、進歩とは、必要に奉仕する理性だった
からだ。ルソーでさえ、欲望と欠乏が世界を動かすという前提に異議を唱えたわけではない。彼の懸念は、人類の欲望がますます高まることで腐敗し、その結
果、歴史の進路が衰退することだけだった。賛成か反対かに関わらず、哲学者たちは、人間の本能がかつてないほど広範で多様かつ人工的なものとなった時代に
生きているという点で一致していた。ルソーを除けば、誰も、一方では「進歩」が人間の精神が肉体に対する勝利、動物的な本性からの逃避を象徴するとされな
がら、他方ではこの幸福な結果が肉体の苦痛への意識の高まり——つまりより多くの欲求——に依存しているという矛盾に気づかなかったようだ。この矛盾は、
今もなお私たちが生きてる現実だ。 |
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401 |
哲学者たちが、種の完全性について語る中で、人間の不完全さの新たな次
元を明らかにしていた一方で、経済は「肉体が受け継ぐ千の衝撃」を資本化することで、前例のない満足を生み出していた。この点において、市場の「見えざる
手」は、神が人間に与えた苦難から国民の富を生み出す、神の怒りの手であったかもしれない。これは、産業革命の偉大な発見だった。つまり、世界最富裕社会
では、主観的な欠乏体験は、客観的な富の生産量に比例して増大する、ということだ19。国際分業に組み込まれた個人のニーズは、尽きることがないようだっ
た。さらに、これらのニーズは、生理的な苦痛、つまり空腹や喉の渇きのような欠乏として感じられ、身体の性質として内面から生じているように見える。ブル
ジョア経済は、その性格や起源が常に社会的であり、その意味で客観的な欲求を、主観的な苦痛の経験として捉えることを要求した。まさに、個人が自らの活動
の主体であり、その最高の価値であるとみなされ、集団経済が個人の満足によって、そして個人の満足のために構成されているように見えたように、身体の欲求
が社会の源泉として現れてきたのだ。 |
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巨大な社会価値観体系が、個人の肉体的な感情から発せられるという、こ
の独特の内向的な認識、この意識こそが、文化の生物学的説明が私たちの中で根強く人気を保っている理由の一つだと私は思う。私たちの主観的な経験では、文
化は、肉体の痛みを和らげる経済活動の付随現象である。生物学的決定論は、文化秩序を神秘化した認識であり、特に市場経済によって支えられている。市場経
済は、参加者たちに、彼らの生活様式が、彼らの意志という合理的な媒介を通じて、彼らの肉体の動きから生じているように見せかける。創世記の再来だ。 実際、ブルジョアが文化の肉体的な理解に魅了される背景には、二重の神秘化がある。使用価値が交換価値に包含されることは、同じような効果をもたらす。マ ルクスの古典的な説明では、商品には二重の性質がある。それは、ある人々の「欲求」に適した、その物体の経験的特性による使用価値と、市場によってその物 体に外部から付与される交換価値または価格であり、好ましい場合には、その物体を人々の手に届かせる。したがって、おそらく最大の満足を得るために、異な る商品の中から選択する場合、実際には、選択したものとは質(または使用価値)において共約不可能な特定の満足を放棄することになり、経済活動は満足の合 理的な最大化であるという考えの神秘化が生じる。これは、客観的な属性や人間の美徳(私たちにとっての使用価値としての異なる意味)が異なるものが、交換 価値としては実際に比較可能であるという仮定に依存している。したがって、経済学者はリンゴとオレンジを足し引きして、その差額が最善であると私たちに納 得させることができる。しかし、(例えば)子供たちをカリフォルニアの祖父母のところに連れて行くか、子供たちを大学に行かせるためにそのお金を貯めるか を選択する場合、親子の絆が損なわれるか、教育が犠牲になるかのどちらかになることは、依然として私たちを悩ませ続ける。 |
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資本主義の発展と産業革命が迫る中、ヨーロッパの哲学者たちは、社会の
「進歩」に伴い肉欲の要求が高まることを発見し、何世紀にもわたる罪悪感を完成させた。当然のことだった。なぜなら、進歩とは、必要に奉仕する理性だった
からだ。ルソーでさえ、欲望と欠乏が世界を動かすという前提に異議を唱えたわけではない。彼の懸念は、人類の欲望がますます高まることで腐敗し、その結
果、歴史の進路が衰退することだけだった。賛成か反対かに関わらず、哲学者たちは、人間の本能がかつてないほど広範で多様かつ人工的なものとなった時代に
生きているという点で一致していた。ルソーを除けば、誰も、一方では「進歩」が人間の精神が肉体に対する勝利、動物的な本性からの逃避を象徴するとされな
がら、他方ではこの幸福な結果が肉体の苦痛への意識の高まり——つまりより多くの欲求——に依存しているという矛盾に気づかなかったようだ。この矛盾は、
今もなお私たちが生きてる現実だ。 |
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401 |
哲学者たちが、種の完全性について語る中で、人間の不完全さの新たな次
元を明らかにしていた一方で、経済は「肉体が受け継ぐ千の衝撃」を資本化することで、前例のない満足を生み出していた。この点では、市場の「見えざる手」
は、神の怒りの手であったかもしれない。なぜなら、それは、個人に与えた欠乏感、すなわち、個人的な満足の達成可能性に対する手段の不均衡という、前述の
欠乏感から、国民全体の富を生み出したからだ。これは、産業革命の偉大な発見だった。つまり、世界最富裕社会では、主観的な欠乏体験は、客観的な富の生産
量に比例して増大する、ということだ19。国際分業に組み込まれた個人のニーズは、尽きることがないようだった。さらに、これらのニーズは、生理的な苦
痛、つまり空腹や喉の渇きのような欠乏として感じられ、身体の性質として内面から生じているように見える。ブルジョア経済は、その性格や起源が常に社会的
であり、その意味で客観的な欲求を、主観的な苦痛の経験として捉えることを要求した。まさに、個人が自らの活動の主体であり、その最高の価値であるとみな
され、集団経済が個人の満足のために、そして個人の満足によって構成されているように見えたため、身体の欲求が社会の源であるように見えたのだ。20 この巨大な社会的価値体系を、個々の身体的感情から発するものと捉える特異な内向的な認識、この意識こそが、私たちの中で文化の生物学的説明が持続的に人 気を博している理由を説明するのに役立つと私は考える。私たちの主観的な経験では、文化は身体の痛みを和らげる経済の付随現象だ。生物学的決定論は、特に 市場経済によって支えられている、文化秩序の神秘化された認識だ。市場経済は、その参加者たちに、自分たちの生活様式は、意志という合理的な媒体を通じ て、肉体の動きから生じているように見せかけている。創世記の復活 |
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実際、ブルジョアが文化の身体的な理解に魅了される背景には、二重の神
秘化が働いている。使用価値が交換価値に包含されることは、同じような効果をもたらす。マルクスの古典的な説明では、商品は二重の性質を持っている。それ
は、ある人々の「ニーズ」に適した、その物体の経験的特性による使用価値であり、また、市場によってその物体に外部から付与される交換価値、つまり価格で
あり、好ましい場合には、その物体を人々の手に入れることができるものにする。したがって、おそらくは最大の満足を得るために、異なる商品の中から選択す
る場合、実際には、選択したものとは質(または使用価値)において共約不可能な特定の満足を放棄することになり、経済活動は満足の合理的な最大化であると
いう考えの神秘化が生じる。これは、客観的な属性や人間の美徳(私たちにとっての使用価値としての異なる意味)が異なるものが、交換価値としては実際に比
較可能であるという仮定に依存している。したがって、経済学者は、リンゴとオレンジを足し算し、その差額が最善であると私たちに納得させることができる。
しかし、例えば、子供たちをカリフォルニアの祖父母のところに連れて行くか、子供たちを大学に行かせるためにそのお金を貯めるかを選択する場合、親子の絆
が損なわれるか、教育が犠牲になるかのどちらかになることは、依然として私たちを悩ませ続ける。 ここで生物学的決定論が登場する。なぜなら、人々の実存的意識において、あらゆる文化形態は、彼らの肉体的な感情の対象やプロジェクトとして生み出され、 再現されるからだ。社会のシステムは、個人の目的として認識される。親族関係や大学教育だけでなく、ベートーベンのコンサートや夜の野球の試合、あるコー ラの味や別のコーラの味、マクドナルド、ヌーベルキュイジーヌ、郊外の住宅やピケットフェンス、億万長者の左利きの先発投手、1 家族あたりの子供数など、歴史と集団によって生み出されたこれらすべて、そしてその他すべてのものが、主観的な経済活動の優先的価値として人生に現れる。 それらが社会の中で、そして社会として分配されることは、人々が望むものの機能のように見える。 |
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401-402 |
文化が生物学的性質に依存するという私たちの直感は、資本主義的な肉体
性そのものよりもはるかに古い、人間の身体の階層的な構造に関するある既成概念によってさらに強化されている。私は、構成と機能において対立する「上位の
II」と「下位のII」から成る身体のことを指している。下部は、バフチン(1984)がラブレのグロテスクな描写を参照して述べたように、物質的な身体
の下層部であり、人間を大地と生と死に結びつけ、その基本的な獣性と性欲を表現するものだ。上部は、人間を天使や天界と結びつける精神や魂であり、その理
性、道徳性、不滅性を表現している。ここには「存在の偉大な連鎖」の遺産が認められるが、それはキリスト教化され悲劇的な形態をとっている(ラブジョイ
1964;フォルミガリ 1973;アウグスティヌス『神の国』11.16,
12.21)。天使と獣の半身である人間は、単に二重で分裂した存在ではなく、精神と肉体の永遠の内的な戦争に呪われた存在だ(古典的な二元論のパウロ的
な変形)。さらに、肉体的存在の Ontological
密度と暴力的な力、その貪欲と欲望の傾向は、無形かつ不可解な精神によって容易に抵抗できないため、この戦いは不平等なものとなるだろう。 |
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402 |
デュルケームは、例えば、「人間は二重である」という主張を展開する際
に、長い哲学的・神学的な伝統に依拠していることを十分に認識していた。彼の中には二つの存在がある:一つは有機体にその基盤を持つ個々の存在であり、も
う一つは、観察によって知ることができる知的・道徳的秩序における最高の実在を体現する社会的存在、すなわち社会である」(1947:16;cf.
Lukes
1972:432-33)。人間は、一方では社会的な存在ではなく、感覚的な動物であり、自己の福祉に自己中心的に傾倒し、他方では社会的な存在であり、
自己の利益社会道徳に服従する能力を有する。デュルケームは「この二重の存在を同時に送らない者はいない。したがって、私たち一人一人は二重の動きに駆り
立てられている」と述べた。私たちは社会の方向に流され、自然の本能に従う傾向がある」(1930:360)。22
「私たちの自然」は、感覚的な欲求を手段とし、自己を最終目的とするものであり、社会よりも先行するだけでなく、概念の先史時代にも存在していたことを強
調しておく必要がある。しかし、ある人物から別の人物にそのまま伝達することができない感覚とは対照的に、概念や象徴は、まさに社会的である。それらは、
私たちが作成したものではない、意味のある価値観という形で、私たちの個人的な感覚的経験を整理し、さらにはそれを歪曲する、集団的な表現である(特に
Durkheim 1960:329 を参照)。 デュルケームは、世界中で共通して報告されている身体と魂の区別は、二重の人間に関する彼の主張を裏付けるものと考えていました。人間を構成するこれらの 側面が別々に存在するという信念は、その2つの間に普遍的な対立があるという、先住民が抱く認識を表していたのです。しかし、彼は間違っていました。違い はまだ対立ではありません。身体と魂の区別が普遍的であるにもかかわらず、西欧を特徴づけたのは、それら間の内戦という概念だ。人間の内なる自己と社会と の戦争、肉と精神の永遠の対立という考えは、私たちの特有のアダム的遺産だ。「その時、肉は霊に対して欲望を抱き、その争いの中で私たちは生まれ、最初の 罪から死の種を受け継ぎ、私たちの肢体と堕落した性質の中に、肉の争い、あるいは肉の勝利さえも宿すようになった」(アウグスティヌス『神の国』 13.13)。 |
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アウグスティヌスがパウロをこのように一方的に引用している「肉は霊に
逆らい、霊は肉に逆らう」(ガラテヤ人への手紙
5:16)は、古代末期のキリスト教で発展した、闘争的な身体と魂の二元論の表れにすぎない:23
デュルケームとは対照的に、動物と社会のこの分裂的な闘争は、古典的なローマの二元論には見られなかった。ピーター・ブラウンはむしろ「慈愛に満ちた二元
論」または「身体と魂の無垢な共生」について語り、これが「後期古典時代の身体観を、後のキリスト教の視点から見ると深く異質なものに見せている」と指摘
している(ブラウン
1988:27-29)。野生の豊穣性と制御不能性に結びついた身体は、管理する精神に劣るものと見なされていたが、ローマ人は、都市がそれを
domesticate
する能力に対する不安も、その自然な奔放さを厳しく抑圧する傾向も持っていなかった。ブラウンはキケロを引用する:「自然そのものが若者の欲望を育む。こ
れらの欲望が、誰の生活も乱さず、家庭を崩壊させない(不倫によって)形で現れる場合、一般的には問題視されず、私たちはそれらを容認する」(ブラウン
1988:28)。自然は「古代の威厳ある声」で身体を通して語っていた。もしローマでそうだったとしたら、自然そのものが語っている数多くの社会、すな
わち、人間以外の存在、つまり魂を持ち、人間と同等かそれ以上の精神的・道徳的資質を持つ動物たちが存在する世界を知っている社会において、身体の自然な
動物性と魂の道徳性というデュルケームの対比をどう理解すべきだろうか? |
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402-403 |
もちろん、西洋の中世はパウロとアウグスティヌスの二元論を極限まで高
め、身体への恐怖と憎悪の暴走を引き起こした。24 「身体のらい病」から人間を救うのは死だけだった(Le Goff
1988a:354)。存在の連鎖の階層構造は、カーニバルや、ある意味では類似した農民の反乱(バフチン 1984、ルロワ・ラデュリー
1979、グレビッチ 1985、P. サリンズ
1994)など、物質的な身体の低層階級の周期的な蜂起として社会的に現れた。しかし、中世では、農奴制は「原罪の結果であると信じられていた」とル・ゴ
フは書いており、他の者よりも肉体的な奴隷であった農奴は、自らも奴隷にされるに値する存在だった(1988b:101)。 肉体は、その物質性という理由だけでも、常に精神の恐ろしい敵だった。精神の不可触性とは対照的に、身体には固さ、質量、重量、そして不可避性を感じる他 の直観がある。そして19世紀に存在の連鎖が進化論に変換されたり、少なくともその影響を受けたりした際、私たちの動物的な「継承」の時間の先取りという 考えは、その抑えがたさに対する古い恐怖に投影された。25 その複合的な影響により、人間の本性は、人間文化が受け入れなければならない根深い遺伝的衝動の集合体である、という現在の通説が生まれた。おそらく、こ の同じ民衆の知恵が、決定的で決定的な人間の本性の幻想を暴くためにクリフォード・ギアーツが書いた 2 つの素晴らしい著作(Geertz 1973:chaps. 2 and 3)が比較的軽視されている理由でもあるだろう。 |
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403-404 |
むしろその逆で、私たちが知っている人間の本性は文化によって決定され
ている。ギアーツが指摘するように、文化よりも人間の生物学が時間的に先行しているという想定は誤りだ。それどころか、文化は解剖学的に現代人(H.
sapiens)よりも 200
万年以上も前に誕生している。文化は、既に完成した人間性に単に追加されたものではなく、種の構成に決定的に関与した選択的条件として機能した。人間の身
体は文化的身体であり、これは同時に、心も文化的心であることを意味する。人類の進化における大きな選択圧は、象徴的な手段によって身体的傾向を組織化す
る必要性だった26。ホモ・サピエンスに身体的「欲求」や「衝動」がないというわけではないが、人類学における重要な発見は、身体的満足は象徴的価値に
よって、そして象徴的価値を通じて規定されるため、人間の欲求や衝動はその対象に関して不確定であるということだ。そして、その対象は、異なる文化・象徴
的スキームによってさまざまに異なる。 |
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404 |
人類の進化の何百万年もの間、生存と選択の感情経済の全体は、感覚刺激
への直接的な反応とは異なる、意味のある符号の世界へと置き換えられてきた。友愛と敵意、快楽と苦痛、欲望と嫌悪、安全と恐怖:これらすべては、物事の知
覚可能な性質によってではなく、その意味によって人間が経験するものだ。そうでなければ、脂肪が美しいこと、また、十字のいとこは結婚できるが、平行のい
とこは結婚できないことを、あるいは聖水と蒸留水の違いを(レスリー・ホワイトがかつて言ったように)どのようにして知ることができるだろうか?結局、
「人間性」の一般的な決定要因、つまり欲求やニーズは、その地域文化の特定の決定要因の影響を受ける。したがって、たとえ人間が本質的に暴力的であるとし
ても、「彼はイートンの運動場で戦争をし、自分よりも他人に対して親切であることで支配し、絵筆で狩りをする」のだ(Sahlins
1964:90)。21 ギアーツは、更新世には、行動を詳細に制御する遺伝学が、行動の柔軟性を制御する遺伝学に取って代わられたと観察している。それ以降、人間の行動がパター ン化されるようになった限り、そのパターンは象徴的な伝統から生まれなければならない。人々が自分の生活を構築するこれらの象徴は、「したがって、私たち の生物学的、心理的、あるいは社会的存在の単なる表現、手段、相関関係ではなく、その前提条件である」 (Geertz 1973:49)。人々は、文化がなければ効果的に行動することはまったくできないため、身体によって特定の文化的な行動に効果的に駆り立てられているわ けではない。 彼らは、有用な本能がほとんどなく、認識できる感情もほとんどなく、知性もまったくない、実行不可能な怪物、つまり精神的な廃人になってしまうだろう。私 たちの中枢神経系、特にその頂点である新皮質は、文化との相互作用の中で大きく成長したため、重要な記号体系による指導がなければ、私たちの行動を指示し たり、経験を整理したりすることはできない。 |
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権力の人類学 では、なぜ私たちは、自分の内なる欲望や秘密の考えと対立する、権力と制約のシステムとしての社会に対して、このような抑圧的な感情を抱くのでしょうか? 生物学的には、人間は潜在的な存在であり、その傾向は文化によって決定される不確定な生き物であるということを考えると、社会は人々を服従させるものでは なく、力を与えるものとして捉えるほうがよいかもしれません。特定の言語と文化における社会化は、「千通りの人生を送るための自然な能力を持って生まれな がら、結局 1 つの人生しか送らない」人々(ギアーツ 1973:45)の生き方だ。ヘレン・ケラーが「言語の謎」を突然理解した、よく知られた寓話を思い出して。彼女は、「w-a-t-e-r」が、自分の手 の上に流れている、その素晴らしい冷たいものの意味だとわかった。生きた言葉は、私の魂を目覚めさせ、光、希望、喜びを与え、それを解放したのだ!」と 語った(Keller 1904:23)。しかし、今日の陰鬱な風潮の中で、学者たちは「言語の牢獄」について語っている。まさに、それが現在の「覇権的な言説」だ。つまり、社 会は「個人に対抗するもの」、個人を恐怖に陥れる巨大な獣である。この巨獣は、ホッブズやデュルケームの視点のように、自己満足的な人格に対する必要な制 約として考えられている場合もあれば、アダム・スミスやミシェル・フーコーの補完的な見解のように、個人の自由に対する望ましくない強制として考えられて いる場合もある。いずれにせよ、社会は、リビドーの力として個人に対抗する存在である。 |
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404-405 |
そうでなければ、無政府状態になるだろう。これは、教父たちにもすでに
知られていた理論で、彼らは、あるラビたち、そしておそらく、キケロなどの「反原始主義」の哲学者たちからそれを学んだのだ(Lovejoy and
Boas 1935、Boas 1948、Pagels 1988、Markus 1970、Levenson
1988)。イレネウスは、この問題を次のように簡潔に表現している。「『地上の支配は、国民のために神によって定められたものであり、人間の支配を恐れ
ることで、人間が魚のように互いに食い合うことを防ぐためである...』」(Pagels 1988:47)。29
しかし、この考えの最も有名な支持者は、アウグスティヌスとトマス・ホッブズだった。『神の国』(413-425)と『リヴァイアサン』(1651)は、
社会や国家の起源についてほぼ同じ論拠を展開している。その前提は、人間が権力への絶え間ない追求によって互いに悪辣で恐れるようになったというものだ。
ハーバート・ディーン(1963)が指摘するように、この人間観は驚くほど類似しており、各人が全員に対して実際にまたは潜在的に戦争を仕掛ける点も含ま
れている。自己の利益の執拗な追求から必然的に生じる希少性の中で、他者の人格や情熱を征服しなければ、自分の幸福を確保することは誰にもできない。ホッ
ブズにとって人間は人間にとって狼となったが、アウグスティヌスにとって「ライオンやドラゴンでさえ、私たち人間同士が繰り広げるような戦争を、同種間で
繰り広げたことはなかった」 (『神の国』
12.22)。あるいは、アウグスティヌスも採用した由緒ある海洋の隠喩で言えば、「彼らは互いに抑圧し合い、力のある者は力のない者を食い尽くす。そし
て、一つの魚が他の魚を食い尽くすと、より大きな魚に食い尽くされる」」(Deane 1963:47)。30
アウグスティヌスにとって、堕落後の人間の状態は、ホッブズの自然状態における人間の生活と同じように、醜悪で苦悩に満ちたものだった。この地上での存在
において、聖人は嘆いた。「『偽りの喜びのみがあり、喜びの安全はなく、苦悩する恐怖、貪欲な欲望、枯れ果てた悲しみがある』」(Deane
1963:61)。 |
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405 |
その解決策は国家の設立だった。それが神の摂理(アウグスティヌス)に
よるものか、人間の理性(ホッブズ)によるものかに関わらず、人間はその敵意(貪欲は別として)を抑えることができた。国家、法、道徳は、シオンにおける
その完璧さをバビロンではかすかに反映しているに過ぎないが、それらがなければ、堕落した人間の利己的で暴力的な性質により、人間社会は再び無政府状態に
陥っていただろう。31
しかし、人間の支配の形態は、その救済のためには、懲罰的である必要もあった。それは、本来邪悪な人間たちに「彼ら全員を畏怖の念に陥れる」ために課せら
れたものだった。国家は、抑圧した悪徳を永続させた。なぜなら、国家は、人々の生命、財産、自由を失うことへの恐怖を、秩序の法的制裁として利用したから
だ。自己中心的な人間を前提とする西洋の人間観の補完概念は、社会を規律、文化を強制と捉える同等に頑固な概念であった。自己利益が個人の本質であるとこ
ろ、権力は社会の本質である。32 個人を統制する社会という概念に動機付けられて、西洋の哲学者は、社会の起源と国家の起源を混同しすぎてきた。もちろん、この仮定は民族学的には不条理 だ。人類学が知る社会のほとんどは、先史時代の社会を含め、国家の恩恵を受けずに存続してきた。アウグスティヌス自身も、彼らがどのようにして存続したか を想像していた。彼は、神は「彼らが親族関係の絆によって調和と平和で結ばれるように」という目的で、人類を単一の認知的血縁集団として一人の個人から創 造したと主張した(『神の国』14.1)。ヒッポの司教はまた、E. B. タイラーの有名な近親婚禁止説を予見し、アダムの子孫の世代以降における姉妹婚の禁止が、血縁関係の拡大とそれに伴う社会的調和をもたらす効果があると指 摘した。実際、『神の国』15.16では、外婚制と内婚制の社会的価値が brillantly 解説されている。アウグスティヌスは、外婚制の規則が広まるほど、血縁集団はより大きく多様化すると指摘した。しかし、この過程には限界があり、従兄弟や 同じ血統の者同士の結婚によって是正されなければならない。さもなくば、遠縁の血縁が離反し、関係が断絶するからだ。33 それでも、堕落した人間における血縁は、平和の保証にはならない。キケロに呼応し、ルソーを先取りするように、アウグスティヌスは悲観的に結論づける。家 族の関係さえも、「秘密の裏切り」によって破られ、「友情が甘かったのと同じくらい、あるいは最も完璧な偽装によって甘く見えたのと同じくらい、激しい敵 意」を生むと(19.5)。 |
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405-406 |
西洋言語における「ポリス(polis)」、「政治的
(political)」、「警察(police)」、「市民性(civility)」、「文明(civilization)」の語源的な関係は、悪人と
リヴァイアサンに関する伝統的な物語によって最もよく説明できる。デュルケームが、二重の人間の根底にある動物的利己主義に由来する社会的事実の強制的な
性質に固執したことをきっかけに、この固有のイデオロギーから、多くの科学的人類学が構築されてきた。レイモン・アロン(1970:41-42)は、デュ
ルケームの哲学におけるホッブズ的な傾向の重要な役割を次のように認識している。34 デュルケームによれば、人間は放っておかれると、無限の欲望に駆られる。個人は、ホッブズが彼の理論の基盤とした生き物によく似ている。常に自分が持って いるもの以上のものを欲しがり、困難な生活の中で見つけた満足には常に失望する。個々の人間は欲望に駆られる存在であるため、道徳と社会の第一の必要性は 規律である。人間は、命令的でかつ愛すべき二つの特徴を持つ上位の力によって規律される必要がある。この強制と吸引を同時に持つ力は、デュルケームによる と、社会そのものでしかない。 |
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406 |
同じ理論は、デュルケームの後継者たちの著名な著作にも根底にある。そ
れは、マルセル・モースが贈与に見出した和解の必要性に内在している。総体的贈与は、「一種の社会契約」と表現されており、人々は、自分たちを保護する者
に一方的に力を委ねる従来の契約とは対照的に、互いにすべてを譲り合う。しかし、ホッブズの孤立と戦争という代替案は、一方を説明する理由であると同時
に、他方を説明する理由でもある(Mauss 1966:277)。 長い間、多くの社会において、人間は、過度の恐怖と敵意、そしてそれと同じくらい過度の寛大さを伴う、奇妙な心境で互いに対峙してきた。中間は存在しな い。完全な信頼か、完全な不信か、武器を捨て、呪術を放棄するか、娘や財産など、あらゆるものを無条件に譲り渡すか、どちらかだ。このような状況下で、人 間は自己の利益を捨て、与えることと返すことを学んだ。 彼らには選択の余地がなかった。出会った二つの集団は、撤退するか、不信や反抗の場合は戦闘するか、あるいは和解するしかない。 |
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406-407 |
そして、なぜラドクリフ・ブラウンは、社会性の促進を制度の主な機能と
したのか?なぜ彼は「原始的な」人々の社会構造を、法的な隠喩を使って表現したのだろうか?人格に権利を割り当てる一系相続が存在しなかった場合、彼はど
のような崩壊を恐れていたのか?それは、根底にある混沌、ラドクリフ・ブラウンが想定した、自己利益を追求する人間の原子の動きのようなものが、社会人類
学者の頭脳に悪夢のように重くのしかかっていたかのようだ。 おそらく、フランスとイギリスの人類学は、無政府状態への不安と、その結果としての秩序と権力への敬意に特に傾倒しているのだろう。これと並行する特異性 は、18世紀後半にこれらの国々で「文明」という概念が発展したことだ。これは、ドイツ(およびロシア)の「文化」という概念、すなわち「生活の総体」と は対照的だ。「文明」は再び、原始的で野蛮な生物が、 domestication(家畜化)のプロセスを通じてその反社会的傾向を徐々に制御されるという前提を内包していた:「文明化プロセス」 (Elias 1978)。粗野な貧しい人々、新興ブルジョアジー、植民地の人々に押し付けられたこの「文明 II」は、その前に存在した中世の農奴たちと同様、禁じられた者たち(bans gens)に対して、人類の獣的かつ堕落した側面を表していた。これは、野放しの身体に対する統治であり、基本的な野蛮性に重畳された支配だった。しか し、ヘルダーのような人々にとっては、それは、先祖の伝統から受け継いだ独特の「文化」と比較すると、(プロイセン貴族の)ガリア風の気取りにすぎなかっ た。表面的な「文明 II」とは異なり、「文化」は、感じ方や認識の仕方として、つまり、経験が概念的に構築され、感情的に維持される、各民族に固有の思考様式として、人の内 面に宿っていた。内側から外側へ発展し、行動へと至る「文化」は、このヘルダー=ボアズ的な視点では確かに力強いものだったが、内面の傾向を外部から規律 する「文明」は支配だった。 |
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407 |
すべては、まるで私たちがフーコーを待っていたかのように起こってい
る。社会を強制的な権力の総体的なシステムとして捉えるフーコーの暗黒的な世界観において、彼はホッブズ的・ユダヤ・キリスト教的人類学の現代的な預言者
となる。これが問題となっている考古学の様相だ。しかし、フーコーは「千の仮面を持つ男」と彼の伝記作家が述べたように、彼が「権力は闘争から、戦争か
ら、そしてすべての人がすべての人と戦うような戦争から生まれる」と主張した姿に、どれほど真剣に受け止めるべきかは議論の余地がある。「誰が誰と戦うの
か?」と彼は尋ねた。「私たちは皆、互いに戦っている」(フーコー
1980:208)。批評家や解釈者は、フーコーとホッブズのつながりにほとんど気づいていない。ただ、彼が「私が主張する権力の概念は、ホッブズの『リ
ヴァイアサン』のプロジェクトと正反対だ」と断ったことを繰り返すだけだ(p.
97)。私たちは、主権への憧れを捨て、「王の首を切り落とす」ことで、国家制度への執着から自分自身を解放するよう求められている。権力は社会の至る所
に存在する。それは、日常生活の構造や分裂に組み込まれ、知識と真実の日常的な体制に遍在している。ホッブズの契約によって、主体が遍在する権力を構成し
ているならば、フーコーの見解では、遍在する権力が主体を構成していることになる。それでも、フーコーが「各人がすべての人と戦う絶え間ない戦争」につい
て語り、その直後にキリスト教の分裂した自己に言及するとき——「私たち一人一人の中には、常に何かが何かと戦っている」(フーコー
1980:208)——、彼とホッブズは、どちらも禿げ頭だったという事実以上に共通点が多いと信じたくてたまらなくなる。 |
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摂理の人類学 Vous composerez dans ce chaos fatal Des malheurs de chaque etre un bonheur general. (この致命的な混乱の中で、あなたは、すべての存在の不幸を、全体的な幸福に組み立てるでしょう。) ヴォルテール 「これは最善の世界である」という自負に満足していた 18 世紀の有名な楽観主義は、それにもかかわらず、不幸な哲学でした。その必然的な補完は、人間の苦悩という受け継がれた教義であり、それは単にいくつかの慰 めを加えたにすぎませんでした。したがって、1755年のリスボン大地震の衝撃波が、自然が人間の利益のために設計されたという信念を崩したのも、この神 聖な「神の手」の概念が、すでに人間の存在の悲観的な感覚を前提としていたからだった。「楽観主義の通常の証明の根本的で特徴的な前提は、全体の完璧さ は、部分におけるあらゆる可能な不完全さの存在に依存し、 indeed それ自体に存在する」という命題だった(1964:2II)。当時の有名な蜂の巣のように、「各部分は悪で満ちていたが、全体は楽園だった」。 人間の運命の苦難からより大きな有益な秩序を導き出すというプロジェクトは、18世紀のオーギュスティヌスの神義論の変形だった。36 オーギュスティヌスにとって、悪は神の創造物ではなく、欠如だった。この世のものには、さまざまな微妙な有限性があり、それらが対照的に、世界の完全な善 を決定している。これは、絵画に形と美を与える影という、よく使われる美的隠喩で表現されている。したがって、「悪があることは良いことだ」と 12 世紀の文献は述べている(Hick 1966:97)。アレクサンダー・ポープが楽観主義の哲学を称賛した作品では、原罪である高慢にもかかわらず、摂理の秩序の善が達成されていることは、 ふさわしいことのように思われる。同時に、西洋の社会科学の到来を期待して、このより大きな調和は、人間の知識、意志、理性にもかかわらず、むしろ神秘的 で機械的に、まるで「見えざる手」によって実現される。 すべての自然は、あなたには知られていない芸術にすぎません。 すべての偶然、方向性は、あなたには見えません。 すべての不調和、調和は、理解できません。 すべての部分的な悪は、普遍的な善です。 そして、誇りにもかかわらず、誤った理性のにもかかわらず、一つの真実が明らかです。 「あるものはすべて正しい」37 |
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407-408 |
アダム・スミスの「見えざる手」の引用は最もよく知られた例だけど、古
典派経済学は、この想像上の総体に関する形而上学が主張できる唯一の知的成果とはほど遠い。同じ世界構造に関する一般的な認識は、中世および近代の自然科
学にも影響を与えた。そして、国家の摂理論のモデルに従い、このイデオロギーは、近代の人類学における「社会」や「文化」を、超越的、機能的、客観的な秩
序として捉える見解に再登場する。(クロエバー、ホワイト、ハーバート・スペンサーの「超有機的」という概念を思い出してほしい。)これらの関連概念はす
べて、新プラトン主義やキリスト教の宇宙論における「天の都」と「地の都」という二重構造を有している。それらはすべて、経験的な物質が被る欠陥や苦難、
特に人間が被る苦難を緩和する、目に見えない、慈悲に満ちた、全体を包むシステム(d. Ehrard 1963、vol.
I:II_12)を呼び起こす。38
摂理は、人間の悪の肯定的な補完物である。結局、神は自分自身を愛する者を愛しているのだ。個々の苦悩に目的と慰めを与える、あるいは、よりよく言えば、
疎外された存在の局所的な悪を普遍的な幸福の手段とする、想像上の全体性がなければ、人生は耐え難いものになるだろう。したがって、各人は、自分の乏しい
資源を最大限に活用する...。39 したがって、西洋社会のより高い知恵は、多くの場合、まさにそれ、つまり地上の事柄に内包されるより高い知恵であった。キリスト教の摂理は、アリストテレ スの自然目的論の変容であるとしばしば指摘される。まさにその通り、ガリレオやケプラーからニュートン、アインシュタインに至る初期近代物理学者は、神 が、日常の経験で感じられるような無秩序な宇宙を創造したはずはないと確信していた。実際、ニュートンは、自然の固定された法則は神によって公布された掟 であると主張した。40 自然法と神の摂理の親和性は、ルネサンスの「人間化」と啓蒙主義の「世俗化」として語られる、一見根本的な変化によって始まった神学的な連続性の部分であ り、全能の神の属性を、少なくとも同じように崇敬に値する自然に移すことで完結した。(ベッカー 1932;フンケンシュタイン 1986:357-58)。長い間軽蔑されてきた自然は、それにもかかわらず、神の御業を明らかにし、そして今では、その力を、今でも私たちに残っている 「自然」と呼ばれるものの人間の保健のための美徳など、さまざまな形で取り入れている。しかし、中世の自然とその摂理に関する偉大な象徴は、同じ宇宙の前 提から構築されていた。 |
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408,410 |
当時、中世の世界は、人間が邪悪であったにもかかわらず、まだ欺瞞に満
ちていた。しかし、その発見の仕方を知っている者たちにとっては、自然の物体に神の手の跡が感じられ、それを人間の利益のために利用することができた。何
もが、その見た目通り、あるいはその見た目ほど悪いものではなかった。何らかの形で、あらゆるものが絶対の兆候となる可能性があった。41
エコはヨハネス・スコトゥス・エリウゲニアの主張を引用している:「私の判断では、目に見える物質的なものの中に、目に見えない知的なものを表さないもの
は何一つない」(エコ 1986:56-57;d. グラッケン
1967:238)。より大きな真実と力によって媒介され、そうでなければ虚偽的なものが意味する可能性のあるものとして、これらの世俗的な物体は、特定
の知覚可能な類似性に基づいて、摂理的な知識の体系によって結びつけられていた。クルミは脳に似ているため、頭痛に効く。黄色と緑の石は黄疸や肝臓の病気
を治し、赤い石は出血や出血を止めるために使われた。クルミと脳の間の類似性のようなものは、現在では私たちにとって恣意的なもののように見え、現実や客
観的に見れば全く異なるものを結びつけている。42
しかし、まさにこれらの曖昧な類似性が、目に見えない神意を象徴し、治癒の場合と同様に、護符や錬金術を通じて、自然と人類の対立を統合していた。「それ
自体では受け入れがたい」世界は、ヒュージンガが指摘するように、「その象徴的な意味によって受け入れられるようになった。あらゆる物体には、最も神聖な
ものとの神秘的な関係があり、それがそれを高貴なものにした」(1954:206)。43 エドマンド・バークは、国家の起源と聖性について類似の主張をしている:「私たちの自然を徳によって完成させるように与えた者は、その完成のための必要不 可欠な手段も与えた。したがって、彼は国家を意図した」(バーク 1959:107)。人間の悪を摂理的に組織化したものとしての国家(あるいは社会)というアウグスティヌスの考えは、何世紀にもわたって反響を呼んでい るようだ。44 この結論は、社会の機能や客観性に関する特定の現代的な学術的言説にも見られる。45 構造機能主義や文化唯物論などの人類学派は、あらゆる慣習的実践に何らかの善や有用性を決定する、有益で自己調整的な社会秩序に対して、ある種の素朴な信 頼を表明している。まるで、社会や文化ではすべてが最善のためにあるかのようである。構造機能主義者たちにとって、社会は、たとえそれがどんなに有害で対 立的なものであっても、特定の慣習や関係が、不思議なことに、一般的な善、すなわち、社会体制を維持することを促進するように設計されている。階級、権 力、ヘゲモニーによる説明は、一般的に、同じ原理をより皮肉に表現したものだ。一方、アステカの食人習慣は人々に必要なタンパク質を供給していた、ニュー ギニアの豚の饗宴は人口が生態系の収容力を超えることを防いでいた、といった見解を唱える唯物論的学派は、より陽気で、同様に信憑性に欠けるものの、目に 見えない「手の」を尊重する姿勢に戻った。 |
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410 |
しかし、デュモンが再び示唆するように、このより大きな社会的知恵は、
人間の行動の汚い主体性を抽象的な集団的善へと変容させることによって、それ自体、そしてそれ自体のために学術的な対象となってしまった。自然科学の発展
と奇妙な類似点があるように、社会の摂理的な性質は、社会を実証人類学、そしてポストモダニズムの軽蔑の対象としている。46
この点について、デュモンはマンデヴィルの「私的悪徳、公的利益」の議論を引用している。マンデヴィルの定式は、ホッブズにはまだ明示されていなかった、
特定の個人を超えた、その個人に固有の、その個人の特定の利益を秩序付ける何か、つまり、その「何か」を認識していた。この「何か」とは、特定の利害を調
和させるメカニズム、つまり(ホッブズと同様、ただし個人的なレベルではなく対人的なレベルでの)メカニズムであり、人間によって意図されたり考えられた
りしたものではなく、人間から独立して存在するものである、とデュモン(1977:78)は説明している。 この「何か」とは、特定の利害を調和させるメカニズム、つまり(ホッブズのように、個人間レベルではなく、人間間レベルでの)メカニズムであり、人間に よって意図されたり考えられたりしたものではなく、人間から独立して存在するものである。したがって、社会は自然物と同じ性質を持つ、人間以外の存在、あ るいはせいぜい、人間が自然界の一部である限りにおいてのみ人間的な存在である。 |
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410-411 |
しかし、神学からの解放を装い、自然物からなる世界という枠組みで社会
を説明しようとする試みは、そのような世界——神から独立した純粋な物質が、神によって無から創造された世界——を考案した宗教に多大な債務を負ってい
た。48
しかし、神意原理が社会理論として成功したことは、単なるタイラーの「生存」論では説明できない。確かに、長期的な構造として、この思想は、当初適応して
いたローマ帝国の権威の衰退にもかかわらず、その存在を維持することができた(Pagels
1988)。デュモン(1982)が中世における国家と教会の階層的対立の弁証法について議論したことは、その理由を説明するのに役立つ。要約すると、教
会は、世俗的な支配権を争う競争に参戦することで、その理想的な優位性を賭けたのだ。そのため、この紛争で国家が勝利を収めたとき、国家は、その神聖な敵
である教会の地位と機能、特に道徳の守護者としての地位と機能を授けられた。地上の都市は、天国の都市の重要な側面を吸収した。デュルケームが「神」は社
会の別名であると結論付けたのは、それがすでに真実、つまり彼の特定の社会において真実であったからではないだろうか?神が社会を神格化したのではなく、
社会が神社会化したのだ。 |
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411 |
現実の人類学 純粋な物体世界が発明されたのは、デカルトが思考するものと拡張するものを区別するずっと前のことだった。また、マルクスが「自然崇拝」を終わらせ、初め て自然を「純粋に人類のための対象、純粋に有用性の問題」にしたと考えた、ヨーロッパにおける資本の支配が始まるずっと前のことだった(1973:409 -10)。(今後の参考のために、有用性と客観性——または少なくとも客観化——の混同に注意。これはまさにブルジョア的イデオロギーである。)しかし、 自然を魔法から解き放ち、資本による搾取の何世紀も前に、それを人類のための単なる対象に変えたのは、キリスト教であり、その前のユダヤ教であった。宗教 は thusly 資本の搾取を準備したのである。神と彼の創造物、世俗的なものと神聖なものとの間に絶対的な隔たりを主張するユダヤ・キリスト教の伝統は、まさに「自然の 偶像崇拝」と理解した「異教」と区別された。「自然の神格化は、キリスト教徒とユダヤ教徒の両方によって、異教の真の本質と見なされていた」 (Funkenstein 1986:45; d. ファイエルバッハ 1967:91 ほか;バーマン 1981)。49 古代ヘブライの宗教は、神の絶対的な超越性を主張する点で、完全に唯一無二のものだったと、ヘンリ・フランクフルトは主張していた。神は、いかなる世俗的 な現象とも存在論的に比較できない存在だった。神は太陽や星、雨や風、自然のどこにも存在しなかった。「ヘブライ宗教において——そしてヘブライ宗教にお いてのみ——古代の人間と自然の絆は破壊された」(Frankfort 1948:343)。50 |
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むしろ、キリスト教は、古典的な汎神論への反対を通じて、人間と自然の
間の隔たりをさらに広げた。これは、原罪に続く物質世界の軽蔑と密接に関連している。キリスト教徒は、神が至る所に存在するという教義に深刻な問題を抱え
ていた。なぜなら、これはキリスト論全体を揺るがすものだったからだ(Funkenstein
1986:45)。そのため、古典古代の放射説による宇宙の起源説とは一線を画す、無から有を生み出した創造説が強調された。しかし、この違いを強調する
あまり、アウグスティヌスは、世界は神の体であるという「不宗教的」な考えを、不条理な結論として反証するために、ポリネシアの宗教を含む、他のほぼすべ
ての宗教を無意識のうちに非難している。「もしそうなら」と彼は言う、「誰が、そのような不敬で宗教的でない思想が導かれることを理解できないだろうか。
例えば、何であれ踏みつけるものは神のの一部を踏みつけることになり、いかなる生き物を殺すことも、神のの一部を殺すことになる、という思想だ」(『神の
国』4.12)。古典ギリシャとニュージーランド・マオリの宇宙生成神話(シュレムプ 1992)の類似性を考えると、偶然ではないかもしれないが、
アウグスティヌスは、大地の母パパを踏みにじり、木を伐採したり鳥を殺したりすることで神ティイネを攻撃し、サツマイモを食べることでロンゴを食するマオ
リの儀礼の苦境を、最も正確に表現している(例えば、ベスト 1924、第 1
巻:128-29)。西洋人は、神が何もなかったところからこの世界を創ったため、このような冒涜を免れてきた。「しかし、私の神とは何者なのか?」とア
ウグスティヌスは問う。「私はその質問を地球に投げかけた。すると、地球は『私は神ではない。地球上のすべてのものは同じことを述べている』と答えた」
(『告白』 10.6)。自然は、精神的な価値を一切持たない、純粋な物質である。 |
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411-412 |
自然を、純粋な物質性、つまり神や化身した霊、あるいはそのような人間
以外の存在ではないと決定することは、西洋独自の発明であると言えるだろうか?確かに、この世のものたちは、神を表したり、神のしるしであるかもしれな
い。しかし、それらは神ではない。また、「自然」と「超自然」のこの区別は、世界中で広く行われている「自然」と「文化」の区別と同じではない。さらに、
自然は、何からも成り立っていない、主体性を欠いた、単なる「広大な物」にすぎないという主張もある。さらに、この考えは、コミュニケーションや、主体が
主体を理解するその他の方法では自然に関する知識は得られないという点で、同様に特異な認識論の存在論的対応物となっている。アダムの堕落を介して、自然
物の知識は、人類がその力を浪費するように運命付けられた頑固な物質の感覚的経験に還元される。ここに、この世の事物に適切な実践的な知識論があった。
「キリスト教の神学者たちにとって、労働はまず第一に教育的なものだった」とグレビッチは書く(1985:261)。彼はオリゲネスを引用する:「『神
は、認知能力を完全に発揮するために労働を必要とする存在として人間を創造した』」(d. Glacken 1967:185)。51
しかし、長い間、これは最良の知識の獲得方法ではなく、このように知ることができるものは大きな価値を持たなかった。「目に見えるものをすべて軽蔑せよ」
というのが中世の大きな戒めだった。軽蔑すべき世界の軽蔑すべき対象との経験に比べ、より高いネオ・プラトン主義の知的な存在の観想は、啓示や中世の象徴
主義、理想的な形式と経験的な個々のものの対比といった形で継続していたと言える。しかし、17世紀と18世紀に埋め込まれた経験主義哲学が表舞台に現れ
た際、その実践者の大多数は、その限界が人間の有限性の限界であることを理解していた。アベ・ド・コンディラックのような一部の人々は、その恐ろしい理由
を知っていた。彼は言った(1973:109-10)、52 魂は、感覚の助けをまったく借りずに、知識を獲得することができた。罪を犯す前は、魂は現在の魂とはまったく異なるシステムの中にあった。無知と欲望から 解放され、感覚を支配し、その働きを停止させ、意のままに改変することができた。感覚を使う前に、すでにアイデアを持っていた。しかし、その不従順によっ て、状況は大きく変化した。神は魂からその支配権を奪った。魂は感覚に依存するようになった。感覚が物理的な原因であるかのように、感覚がもたらすものの みを原因とするようになった。魂には、感覚が伝える知識のみが存在した……。したがって、私が「感覚を通じて私たちに与えられていないアイデアは存在しな い」と言うとき、それは罪以来の私たちの状態についてのみ言及していることを忘れないでほしい。 |
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412-413 |
感覚が「それらが単に引き起こしたものの物理的原因」であるかのよう
に。ここに、多くの点で最悪の苦悩である有名な形而上学的な悪があった。ホッブズ、ロック、ヒューム、そしてフランスの啓蒙思想家たちは、知識が感覚のみ
から生じるのであれば、私たちは物事の真の本質を決して知ることができないことを十分に認識していた。「私たちは現象しか見ることができない……私たちは
夢の中にいるのだ」(ヴォルテール)。一部の人々は、私たちが「現象を見ることで物自体を見ている」と夢見る教条的な眠りから覚醒させようと試みた。しか
し、ほとんどの西洋哲学者——学界の大多数を含む——は、堕落後の認識論の欠陥である無知と労苦を伴った「現実」の概念に妥協した。「現実」とは、世界と
の実践的な関与の過程で得られる感覚的印象だ。存在するものは、私たちの身体的快楽と苦痛のメタフィジカルな補完物だ。デカルトでさえ、経験への不信にも
かかわらず、快楽と苦痛の知覚に基づく判断に自信を持てた。なぜなら、神は私たちを欺くことはなく、むしろ私たちの保存のために世界に対する適切な感覚的
把握を与えたからだ(第六瞑想)。「私自身に関しては、神は、物事が私以外の存在であることを十分に保証してくださっていると思う。なぜなら、物事はその
用途によって異なるが、私は自分の感覚によって、自分の快と苦の両方を生み出すことができるからだ。これは、私の現在の状態にとって大きな関心事である」
(『人間理解に関する試論』4.11.3)。そして、感覚を信頼せず、私たちの存在全体が「長い夢の欺瞞的な現象に過ぎない」と主張する懐疑論者に対し
て、ロックは次のように答えた(4.II.8): |
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413 |
感覚の証言がある場合、自然界に存在する物事の確実性は、私たちの知覚
能力の限界に達するだけでなく、私たちの状況が必要とする限りにおいて確実である。なぜなら、私たちの能力は、存在の完全な範囲や、疑いや躊躇のない完璧
で明確な知識に適合しているのではなく、それらを宿す私たち自身の保存と、生命の用途に適応するように調整されているからだ。したがって、それらの能力
が、私たちにとって便利または不都合な物事について確実な情報を与えてくれる限り、私たちの目的には十分役立つのである。例えば、燃える蝋燭を見て、その
炎の力を指で触って体験した者は、これが自分以外の何かが存在することを疑わないだろう……。したがって、この証拠は、私たちが望む限り最大の証拠であ
り、私たちの快楽や苦痛、すなわち幸福や不幸と同じように確実なものだ。私たちは、それ以上のことを知ることも、存在することも関心がない。私たち以外の
ものの存在に対するこのような確信は、それらによって引き起こされる善を追求し、悪を避けるために私たちを導くのに十分であり、これが、それらを知ること
に私たちが持つ重要な関心事である。 |
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413-414 |
ロックは、原罪の教義を否定したと言われている(クランストン
1985:389)。しかし、彼のセンセーショナルな認識論は、完璧な知識からは程遠いものであり、物事の判断をそれらが引き起こす快楽と苦痛を通じて行
うもの——これが神が「この私たちの巡礼の時代」において私たちに意図した全てである(エッセイ4・14・2)——この認識論的教義は、アダムの条件を経
験主義の積極的な哲学として(汎)解釈しているに違いない。 ホッブズとロック以前に多くの思想家は、フランス哲学者やロックの後継者たちと同様、客観性の媒介を効用によって説明する同じ理論を持っていた。53 しかし、当時やその後、私たちが世界の性質を、それが私たちの満足に与える影響によって知るという命題の文化的重大性を認識した賢者は何人いただろうか? 「判断することは感じることであり」とヘルヴェティウスは言った。存在するものの裁定者、重要な経験的性質の決定要因と価値は、自然への適応という独我論 的プロジェクトだ。54 したがって、西洋の伝統的な知恵において「客観性」と「合理性」(または「実践的合理性」)が長らく同義視されてきたのだ。対象物の客観性——その関連す る知覚可能な特徴——は、身体的幸福によって決定される。それは私たちにとっての客観性であり、私たちの幸福の客観性だ。 |
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414-415 |
まさにその通り、フロイトの「現実原則」の初期段階は、快と苦の区別さ
れた感覚によって自我が外部対象(母親の乳房など)から分離される過程を包含し、ホッブズの認識論の精神分析的解釈を構成している。『文明とその不満足』
の特定の章は、客観性の感覚経済を自然状態から幼児期に移し、レヴィアタン(『リヴァイアサン』)の冒頭章を再現するように見え、この種の個人理性と文化
秩序との対立へと至る。55 同じ精神分析学的前提を、神意的な人類学的な結論へと導くのは、
ゲザ・ローハイムは、多くの点で西欧的な文化の典型的な特徴付けと言えるものを提唱した:「不幸を避けるために私たちがする努力の総和」(クロエバーとク
ルックホーン n.d. [1952]:209)。 要するに、経験的理解の歴史的かつ論理的前提は、堕落したアダム、つまり、対象を必要とし、その対象が自分の幸福に与える障害や利点によって、それを感覚 的に知ることになる、制限され苦悩に満ちた個人である。知覚と満足は、自然から資本への魅惑の移転の適切な哲学的帰結と思われる、具体化された知識論の繰 り返し現れる側面だ。 |
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The Sadness of Sweetness Man harbors too much horror; the earth has been a lunatic asylum for too long. NIETZSCHE, The Genealogy of Morals The body, then, has had to bear the structures of society in a particularly intense and notably painful way. This is the point I wanted to make about the archaeology of Sweetness and Power. At a certain period in Western history all of human society and behavior came to be perceived, popularly as well as philosophically, through the master trope of individual pleasures and pains. Again as in Leviathan, everything came down to the simple and sad idea of life as movement towards those things that made one feel good and away from those things that hurt. I say "sad" because anyone who defines life as the pursuit of happiness has to be chronically unhappy. For too long now this has been the prevailing sentimentthat " 'tis uneasiness which is the chief if not the only spur to Humane Industry and Action/' precisely not the pleasure we take in things but the pain we feel in their absence (Locke Essay 2.20.6). |
甘さの悲しみ 人間はあまりにも多くの恐怖を抱えている。地球は、あまりにも長い間、狂人の収容所だった。 ニーチェ、『道徳の系譜 つまり、身体は、特に強烈で著しく苦痛な形で、社会の構造を背負わなければならなかったのだ。これが、私が『甘さと力』の考古学について指摘したかった点 だ。西洋史のある時期、人間の社会と行動のすべてが、一般的にはもちろん哲学的にも、個人の快楽と苦痛という主要なトロープを通じて捉えられるようになっ た。再び『リヴァイアサン』と同様に、すべては「快楽を求める動き」と「苦痛から逃れる動き」という単純で悲惨な思想に還元された。私は「悲惨」と言うの は、人生を幸福の追求と定義する者は、慢性的に不幸でなければならないからだ。この考えが長く支配的だった。「『人間の産業と行動の主な、あるいは唯一の 動機は不安である』まさに、物事から得る快楽ではなく、その欠如から感じる苦痛である」(ロック『人間知性第一論』2.20.6)。 |
In a recent book called Sin and
Fear, Jean Delumeau provides an extensive historical catalogue of the
miseries
of the human condition in which European authors
have wallowed, especially since the 13th century. The
dolors Delumeau recounts are too many and varied to
repeat here. But somehow the observation of an obscure
17th-century moralist, Pierre Nicole, seems best to sum
up this history of sadness: "Jesus/' he said, "never
laughed" (Delumeau 1990:296). Jesus never laughed.
Soon enough proving that everyone was unhappy would
become one of the major satisfactions of French philosophy.
Pain, said d'Alembert (1963:10-II), is "our most
lively sentimentj pleasure hardly ever suffices to make
up to us for it": In vain did some philosophers assert, while suppressing their groans in the midst of sufferings, that pain was not an evil at all. ... All of them would have known our nature better if they had been content to limit their definition of the sovereign good of the present life to the exemption from pain, and to agree that, without hoping to arrive at this sovereign good, we are allowed only to approach it more or less, in proportion to our vigilance and the precautions we take. |
ジャン・デルムオは最近の著書『罪と恐怖』において、特に13世紀以
降、ヨーロッパの作家たちが浸ってきた人間の存在の苦悩に関する広範な歴史的カタログを提供している。デルムオが述べる苦悩は、ここで繰り返すには多すぎ
て多様すぎる。しかし、17世紀の無名の道徳家ピエール・ニコールの観察が、この悲しみの歴史を最もよく要約しているように思われる:「イエスは笑わな
かった」と彼は言った(デルムオー
1990:296)。イエス様は決して笑わなかった。すぐに、誰もが不幸であることを証明することが、フランス哲学の主要な満足感の一つとなるだろう。ダ
ランベール(1963:10-II)は、痛みは「私たちの最も生き生きとした感情であり、喜びではそれを補うことはほとんど不可能である」と述べている。 苦悩の真っ只中にうめき声を抑えながら、痛みはまったく悪ではないと主張した哲学者たちもいた。... 彼ら全員が、現世の最高の善の定義を「苦痛からの解放」に限定し、この最高の善に到達することを望まず、私たちの警戒心と取る予防措置の程度に応じて、そ れに近づくことしか許されていないと同意していれば、私たちの性質をよりよく理解していただろう。 |
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This sad thought was penned
about the time when,
as Sid Mintz has taught, Western people were learning
to make the Industrial Revolution tolerable by getting
hooked on the "soft drugs" of sugar and tea, coffee, chocolate,
and tobacco (Mintz 1985). None of the beverages
in this list were sweetened in their countries of origin.
All, however, were taken with sugar in Europe from the
time of their introduction. It is as if the sweetened bitterness
of the tea could produce in the register of the
senses the kind of moral change people wished for in
their earthly existence-"the days of this our pilgrimage." Yet as Mintz (1993:269) has remarked of the meliorative consumption that continues into modem times" retail therapy/' as it is sometimes called-all this does not entirely dispel our guilt (or should we not say our original sin?): It is not difficult to contend that contemporary American society, even while consuming material goods at an unprecedented pace, remains noticeably preoccupied by the moral arena in which sin and virtue are inseparable, each finding its reality in the presence of the other. We consumej but we are not, all of us and always, by any means altogether happy about it .... The feeling that in self-denial lies virtue, and in consumption sin, is still powerfully present. Perhaps we can understand now why Mintz's work on sweetness has produced such a concentrated rush of intellectual energy, especially among anthropologists. At the same time that it epitomizes and synthesizes fundamental cultural themes in Western history, it reveals the historical relativity of our native anthropology. |
こ
の悲しい考えは、シド・ミンツが指摘したように、西洋の人々が砂糖、紅茶、コーヒー、チョコレート、タバコといった「ソフトドラッグ」に夢中になること
で、産業革命を耐えられるものにしていった頃、書かれたものだ(ミンツ
1985)。このリストにある飲み物は、その原産国では甘くされていなかった。しかし、ヨーロッパでは、これらの飲み物が導入された時から、すべて砂糖を
入れて飲まれるようになった。まるで、甘くした苦いお茶が、人々の感覚に、この世での存在、つまり「私たちの巡礼の日々」に望むような道徳的な変化をもた
らしたかのようである。 しかし、ミンツ(1993:269)が、現代にも続く改善的な消費について「小売療法」と表現しているように、こうしたことは、私たちの罪悪感(あるい は、原罪と表現すべきか)を完全に払拭するものではない。 現代のアメリカ社会は、物質的な商品を前例のないペースで消費しつつも、罪と徳が不可分であり、互いの存在によって現実性を帯びる道徳的領域に、依然とし て著しく囚われていると主張することは難しくない。私たちは消費するが、私たち全員が常に、決して完全にそれに満足しているわけではない……。自己否定に 徳があり、消費に罪があるという感覚は、依然として強く存在している。 おそらく、ミンツの甘さに関する研究が、特に人類学者たちの間で、これほど集中的な知的エネルギーの爆発を引き起こした理由が、今なら理解できるだろう。 この研究は、西洋の歴史における基本的な文化的テーマを要約し、統合すると同時に、私たち固有の人類学の歴史的相対性を明らかにしているからだ。 |
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サーリンズにとっては、功利主義的で、経 済合理性においてのみ人間の存在をみる経済学は、人類学の仮想敵そのものである(サーリンズ 1997:84-86)。
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・ミンツ『甘さと権力』 ・西洋の自文化人類学 ・ミネルヴァの梟:Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dämmerung ihren Flug「ミネルバのふくろうは迫り来る黄昏に飛び立つ」 In affirmative contrast, the 19th-century German idealist philosopher Georg Wilhelm Friedrich Hegel famously noted that "the owl of Minerva spreads its wings only with the falling of the dusk"; philosophy comes to understand a historical condition just as it passes away.[18] Philosophy appears only in the "maturity of reality", because it understands in hindsight. "Philosophy, as the thought of the world, does not appear until reality has completed its formative process, and made itself ready. History thus corroborates the teaching of the conception that only in the maturity of reality does the ideal appear as counterpart to the real, apprehends the real world in its substance, and shapes it into an intellectual kingdom. When philosophy paints its grey in grey, one form of life has become old, and by means of grey it cannot be rejuvenated, but only known. The owl of Minerva takes its flight only when the shades of night are gathering."— G.W.F. Hegel, Philosophy of Right (1820), "Preface"; translated by S W Dyde, 1896. Klaus Vieweg describes it as "one of the most beautiful metaphors of the history of philosophy" in his Hegel biography.[19] In a recent reconstruction, Hegel's affirmative metaphor, in opposition to the philosophical tradition, seems to originate between Goethe and a relative unknown, philosophical writer Jacob Hermann Obereit around 1795 in Jena, where Hegel stayed shortly after, giving lectures.[20] ・人類学的ツーリスト |
82 |
序論——悪の花 |
・リクールの「堕落」——西洋人の
本性
としての堕落 ・アダム ・世界は虚無からつくられる 84 |
84 |
欲求の人類学 |
・罰は罪 ・ライオネル・ロビンズの引用 ・アウグスティヌスの本源的悪 ・マンドヴィルの引用(『蜂の寓話』) ・ポープ『人間論』 ・利己的な人間(87) |
87 |
余談——ルネサンスノート |
・ジョヴァンニ・ピコ・デッラ・ミ
ラン
ドラ『人間の尊厳について』 |
【コラム】 |
ニューフランスのインディアンにおけ
る欲
求 |
・欲望は普遍的ではない(88) |
90 |
生物学の人類学 |
・レイシズムから生物決定論へ ・商品の二重性 92 ・デュルケーム 93 ・ギアーツの2つの論文 ・本性の文化的規定性 |
【コラム】 |
動物の人間性 |
・セリオフィリー(95-96) |
97 |
権力の人類学 |
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【コラム】 |
対称かつ逆リヴァイアサン |
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神の摂理の人類学 |
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【コラム】 |
ニューギニア高地におけるイエス・キリス
トと宇宙論のエントロピー |
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リアリティの人類学 |
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【コラム】 |
主体/客体の区分の相対性 |
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【コラム】 |
超越するもののリアリティ |
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【コラム】 |
彼らは生きることを嫌悪している |
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124 |
甘さの悲しみ |
・身体は、苦痛をともなう方法で、社会の
構造を産出する |
The
Sadness of Sweetness: The Native Anthropology of Western Cosmology [and
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リンク
マングースの肖像
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
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