On Philosophy of arcade game, or neo-arcade project
アーケードゲーム(arcade game)は、業務用ゲーム機(「アーケードゲーム機」)によるゲームのこと.
米国における起源:「古くは典型的、代表的なものとしてはピンボールがあり、電気、機械的な装置だった。 不特定多数を対象とした世界初のコンピュータゲームは1958年に米国のブルックヘブン国立研究所で物理学者のウィリアム・ヒギンボーサムがオシロスコー プを使って製作したテニスゲーム『Tennis for Two』とされている[3]。これは業務用ではなくブルックヘブン国立研究所の定期公開日の見学者用にあり合わせの機材で製作されたものであったが予想外 の人気を博した[3]。 世界初のアーケードゲームは1971年にナッチングから発売された『コンピュータースペース』である[3]。この『コンピュータースペース』は生産台数約 1500台と少なめで、あまりヒットしなかったが後世のゲーム文化に与えた影響は大きかった[3][注 1]。 その翌年の1972年にアタリ社がゲームシステム『ポン』を発表し、これが 大ヒットしたことから『ポン』が「業務用ゲーム」の元祖と呼ばれている [3]。」
日本における起源:「通常の辞典、ゲームを主題とする辞典によってはアーケードゲームが和製英語とされているが正しくはなく、タイニーPはゲー ムセンターが和製英語として説明されたのを文中に登場するアーケードゲームも和製英語だと思い込まれた可能性を挙げた[1]。また、アーケード街、商店街 にあるとする説明もあるが、Amusement Arcade、Penny Arcadeのようにゲームセンターを意味する英語が生まれ、そこに設置されたゲーム機器、設備がArcade Gameと呼ばれるようになったためアーケード街と関連付けることではない[1]。 Amusement Arcadeはアメリカでは1902年の新聞広告で大文字で始まる言葉として使われ、それは固有名詞として捉えられていたことになる[1]。そのときは路 上に置かれた機器ではなく建物内の店舗名だった[1]。似た言葉に劇場を意味するamusement center、amusement hall、建物内の娯楽室を意味するamusement parlor、射的を意味するshooting gallery、ボウリング場を意味するbowling alleyといったものがあったが、Penny Arcade、Amusement Arcadeはそれらと混ざらず、賑やか、楽しそうなものが多くある様を思い起こさせる店名だったとみられる[1]。 日本の業界ではアメリカを主に輸入元としていたこともあって業界ではアーケードゲームを業務用ゲーム機の意味で使ったが、1970年代中頃にはメダルゲー ムやコンピュータゲームを含むことはほとんどなく、業界ではそれが新興勢力として注目されたためとみられ、レトロニウムではないがそれまでのゲーム機器の 総称としてアーケードゲーム機の語が使われたと考えられる[2]。その後、テレビゲームという言葉も広まったがゲームメーカーによっては広告、カタログな どでビデオゲームの語を使い続けたせいか1980年代初頭の一部マニアには業務用に対してだけビデオゲームと呼ぶようになった[2]。パソコン雑誌の中に は北米市場の影響を受けてPC向けアクションゲームなどをアーケードゲームと呼んでいたところもあった[2]。 こういった状況が変わり始めたのは業務用ゲーム界が一般消費者向けにも目を向け始めたのと同時期で、北米で業務用家庭用の両方が大人気となり、日本でも家 庭用や安価なPCの市場が注目され、ホームユース、ホーム市場などと呼ばれた[2]。そして、業務用を意味する言葉としてアーケードが更に使われるように なった[2]。ビデオゲームの語はまだまだマニアには使われていたが、『ドラゴンクエストII』『ドラゴンクエストIII』などのファミコンRPGが流行 し、ファミコンにも業務用にもなかったジャンルの先進性があると捉えられたことや単にゲームだけでコンピュータゲームを意味することが子供にも広まり、そ れと比べてビデオゲームは語呂の長い言葉となったこと、インベーダーゲームブームから10年近く経ったことやレトロブームリメイクブームの波でコンピュー タゲームの歴史を俯瞰的に捉えることができるようになったこと、X68000、PCエンジン、メガドライブなど性能が向上したPC、家庭用ゲーム機が発売 され業務用作品がそれらへ移植され、オリジナルと比較されるようになったことで1980年代末にはビデオゲームと呼ぶことは廃れ、アーケードがよく使われ るようになったとみられる[2]。なお、ファミ通において、コーナー名としては2000年代でもビデオゲームTOP10のように使用例がある[2]。 」
アーケードゲームにおける哲学とは、次のようなことをさす。
1)ユーザーインターフェイス(User interface)の起源と思想についての考察 2)アーケードゲームがもつ単体としてのオントロジー(ontology of singular body) 3)アーケードゲームという「単体主体(singular body
subject)」が、いかにしてネットワークに接続されて最終的には「メタヴァー
ス(Metaverse)」を
構成するようになったのかについての考察 |
再掲
1)ユーザーインターフェイス※(User interface)の起源と思想についての考察(※かつてマン=マシン・インターフェイスと言われていた代物)
2)アーケードゲームがもつ単体としてのオントロジー(ontology of singular body)
3)アーケードゲームという「単体主体(singular body subject)」が、いかにしてネットワークに接続されて「メタヴァー ス」を構成するようになったのかについての考察
「『スペースインベーダー』(Space Invaders)は、株式会社タイトーが1978年6月に発表し[3]、同年8月から[4]稼働開始されたアーケード用固定画面シューティングゲーム。 本頁ではその続編であるスペースインベーダーパートIIについても取り扱う。 (開発者は太東貿易(現・タイトー)の子会社、パシフィック工業の社員だった西角友 宏(Tomohiro Nishikado, 1944- )が創作した)本作は日本のアーケード史上最大のヒット作であり[5]、タイトーによる純正品が約10万台、許諾先メーカーからのものが約10万台、許諾 なしのコピー品が約30万台出荷されたと推定されており、ブームとなった1年半足らずの間に計50万台が日本中に出回った[5]。 後に多くの家庭用ゲーム機や携帯電話ゲームなどにも移植された。 これを初めとする同社の後継製品、他社製の類似商品・模倣品を総称してインベーダーゲームと呼ぶ。なお、スペースインベーダーはタイトーの登録商標である [6]。 2018年、発売から40周年を迎えた年に、タイトーは本作を発表会で初御披露目した6月16日を「スペースインベーダーの日」に制定、日本記念日協会に 正式に認定された[7]。」
"Space Invaders[b] is a 1978 shoot 'em up arcade game developed by Tomohiro Nishikado. It was manufactured and sold by Taito in Japan, and licensed by the Midway division of Bally for overseas distribution. Space Invaders was the first fixed shooter and set the template for the shoot 'em up genre. The goal is to defeat wave after wave of descending aliens with a horizontally moving laser to earn as many points as possible. Designer Nishikado drew inspiration from Breakout (1976), Gun Fight (1975), target shooting games, and science fiction narratives such as The War of the Worlds, Space Battleship Yamato and Star Wars. To complete development of the game, he had to design custom hardware and development tools. Upon release, Space Invaders was an immediate commercial success; by 1982, it had grossed $3.8 billion (equivalent to over $13 billion adjusted for inflation as of 2016),[19] with a net profit of $450 million (equivalent to $2 billion adjusted for inflation). This made it the best-selling video game and highest-grossing entertainment product at the time, and the highest-grossing video game of all time. Space Invaders is considered one of the most influential video games of all time. It helped expand the video game industry from a novelty to a global industry, and ushered in the golden age of arcade video games.[20] It was the inspiration for numerous video games and game designers across different genres, and has been ported and re-released in various forms. The 1980 Atari VCS version quadrupled sales of the VCS, thereby becoming the first killer app for video game consoles. More broadly, the pixelated enemy alien has become a pop culture icon, often representing video games as a whole."
●スペースインベーダーを創った男西角友宏 に聞く, フロラン・ゴルジュ聞き書き ; ミズキ・ゴルジュ訳, アンビット , 徳間書店 (発売) 2018年
フランス人ゲーム史研究家(フロラン・ゴルジュ;) が聞き出した、ビデオゲームの父の原点と、草創期の秘話!(1 空襲の時代に生まれる/ 2 パシフィック工業のメカマスター/ 3 日本のビデオゲームの父/ 4 インベーダーがやって来た!/ 5 未来をデザインする)
著書「スペースインベーダーを創った男 西角友 宏に聞く」のフランス語版・日本語版において、アミューズメント通信社様の新聞「ゲームマシ ン」・単行本「それは『ポン』から始まった」 (赤木真澄, 2005)の著作権を侵害した件についての謝罪、並びに購読者様 へのお知らせ(→現在、リンク切れ)
[講演] 赤木真澄氏から見たアミューズメント史 - レトロゲームアラカルト2016
●ネルソン・グッドマンの古式ゆかしき『芸術の言語』でアケードゲームを考察するとどーなるのか?
「20世紀アメリカを代表する哲学者、ネルソン・グッドマンは、美学、論理学、認識論、科学哲学の分野において多大な影響を及ぼした。グッ ドマ ンの主著である本書は、1968年の刊行以来、現代美学の記念碑的著作(=bullshit!!!)として読みつがれている。ここでグッドマンは、芸術の 基本的諸問題を考察することから出発し、芸術における記号の一般理論の構築へと向か う(→誤った理論構築)。芸術がある対象を「再現=represent」 するとはどういうことなのか。再現と表現はどうちがうのか。絵画における遠近法とは、写実性とは何か。ホンモノと完全な贋作を見ることにちがいはあるの か。楽譜とは何か。ダンスは記譜できるのか。芸術と科学の真理は異なるのか。本書は、芸術における記号と記号システムの研究であり、われわれの知覚と行 動、さらにわれわれの世界創造とその理解において、それらがどのように機能しているかを明らかにしている。この考察は、心理学、言語学、認識論、科学哲学 などの領域を横断しつつ、われわれを、絵画、音楽、ダンス、文学といったあらゆる芸術形式の深い理解へと導いてくれる。」
章立て:「第1章 現実の再制作/
第2章 絵の響き/
第3章 芸術と真正性/
第4章 記譜法の理論/
第5章 譜、スケッチ、書/
第6章 芸術と理解」
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