かならず よんでください

「文化」の定義とそれにまつわる多様性

Definition of "culture/-s" and the diversity associated with it/them


解説:池田光穂

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文化人類学入門:Introduction to Cultural Anthropology

連続講義:「文化:概念の検討」

On "Culture" in Cultural Anthropology


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連続講義:「文化:概念の検討」

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文化人類学入門:Introduction to Cultural Anthropology

連続講義:「文化:概念の検討」

On "Culture" in Cultural Anthropology


以下の情報は「「文化」概念の検討:連続講義」のための草稿でした!!今後の更新はこの下線のリンク先でおこないます

エドワー ド・タイラー:定義とその受容 [はじめにもどる

「文化」の定義(E・タ イラー)「文化あるいは文明とは・・社 会の成員としての人間(man)によって獲得された知識、信条、芸術、法、道徳、慣習や、他のいろいろな能力や気質(habits)を含む複雑な総体であ る」

(→原文は、「文化の定 義」データを参照のこと)  タイラーの「文化」の定義の引用における誤用の問題を考えてみましょう。それに対峙するR・ベネディ クトの文化概念(「粘 土のカップ」も含めて)を検討し、その可能性と限界について考えてみます(後述)。

・文化の「定義」(E・ タイラー)E.B.Tylor (1832-1917)

「文化あるいは文明と は、そのひろい民族誌学上の意味で理 解されているところでは、社会の成員としての人間(man)によって獲得された知識、信条、芸術、法、道徳、慣習や、他のいろいろな能力や習性 (habits)を含む複雑な総体である。」

【原文】

"Culture and Civilization, taken in its wide ethnographic sense, is that complex whole which includes knowledge, belief, art, morals, law, custom, and any other capabilities and habits acquired by man as a menmber of society."

Edward Burnett Tylor,Capter 1.of "Primitive Culture"(London: John Murray & Co.,1871, 2 vols.)pp.1-25.;E.B.Tylor(1832-1917)[ただし、引用は次の文献による。Fried, Morton H.,ed.1968, Readings in anthropology, 2nd ed.,vol.II: Cultural Anthropology, New York: Thomas Y.Crowell Company, p.2]

・タイラーの文化概念の 利点と限界

    タイラーの文化概念 の便利なところは、人間のつくりあげた ものは、具体から抽象、創造、伝承、破壊にいたるまで、人間の活動のすべてを包括できるという点にあります。これは、(1)文化にはさまざまな要素があ り、(2)それらの要素はお互いに絡み合い、従って(3)文化はその総体から捉えるべきである、という視点を、当時の西洋世界に提示したことになります。

    他方で、その欠点 は、文化とは人間が作り上げ維持している もの<すべて>を枚挙しないかぎり理解できないことになります。しかし、これまでの文化についてのさまざまな記述がその社会の全体を枚挙的にあげたもので はないし、その部分において全体を表象することができるという経験的事実があります。また、異なった社会にも相違する部分と異なった部分があり、文化はそ のどちらをさすのか不明瞭である点など、理論的な精確さ欠いているということも指摘できます。

    ・タイラーの文化概 念の継承者

    タイラーの文化概念 の継承をしたのは、英国においては『人 類学におけるノートと質問』という人類学調査ハンドブック(タイラーじしんも執筆者の一人です)や、アメリカ合州国のジョージ・ペータ・マードックと、彼 に関連する一連の学派のプロジェクト(HRAF, Human Relations Area Files:フラーフと呼ばれます)などです。

    例:文化の分類 表[ごく一 部]

    英国の機能主義の伝 統においては、マリノフスキー(1922)は『人類学のノートと質問』に対しては懐疑的かつ 批判的であったのに 対して、ラドクリフ=ブラウンや彼がアメリカ合州国で教鞭(1931- 37)をとっていたシカゴ大学社会学部では、その枚挙的な文化項目の情報の蓄積に関心をもつことを、学生に勧めており、この方法論が(どちらかというと) 重視されていました。

    タイラーの定義の、 その後の受 容 [はじめにも どる

    しかし、太田 (1994:4)によると、このあと につづく タイラーの説明において、文化あるいは文明にはその発達の度合いに差があるという指摘を、後世の人類学者たちは無視してき、タイラーを無批判に「文化概念 の父」としてまつりあげてきたことに問題があるといいます。では、その箇所とはどのような記述でしょうか。ここで引用してみましょう。

    【原文:つづき】

    "The condition of culture among the various societies of mankind, in so far as it is capable of being investigated on general principles, is a subject apt for the study of lawa of human thought and action. On the one hand, the uniformity which so largely pervades civilization may be ascribed, in great measure, to the uniform action of uniform causes: while on the other hand its various grades may be regarded as stages of development or evolution, each the outcome to previous history of the future. To the investigation of these two great principles in several departments of the lower tribes as related to the civilization of the higher nations, the present volumes are devoted."(ibid.)

    ■関連ページ

    Bachelor of Arts in Anthropology: Culture

    ■関連画像

    A.L. Kroeber and C. Kluckhohn, 1952. Cluture: A critical review of concepts and definitions. pdf with password



    ルー ス・ ベネディクト:粘土でできたコップ

    ルース・ベネディク トは文化概念を「粘土のコップ」の隠喩 で表象する。

    ──はじめに、神は みんなに器を与えた。粘土でできた 器だ。この器で彼らは自分 たちのいのちを飲んだ。‥‥彼らはみんなそれで水をすくったが、彼らの器はそれ ぞれ別々だ。我々の器は今では壊れてしまった。もう終わってしまったのだ (Benedict 1959:21-22)。

     これはルース・ベ ネディクトが書きとめたディガー・イン ディアンの首長ラモンの語りである。ラモンの言う器 は、彼らの伝統的な儀礼体系にみられる独特の概念であるのか、それとも彼自身の思いつきであったのかは、彼女自 身も分からないという。彼女は白人によって滅ぼされてゆく彼らの文化体系──彼女は価値基準と信条の構造(fabric )と表現する──の崩壊の象徴として「我々の器は壊れてしまった」という表現をとりあげた。ベネディクトは、ラ モンたちが水を掬っていた器が失われて、もはや取り返しがつかないと述べるが、かと言って彼らが完全に絶望的な 状況の中に生きているというわけではないとも言う。白人との交渉の中で生きるという、別の生き方の器は残されて いるからである。つまり、苦悩の宿命を担ってはいるが、彼らは2つの文化の中で生きているからだ。他方、ベネデ ィクトによると北アメリカの「単一のコスモポリタンな文化」における社会科学、心理学、そして神学でさえも、ラ モンの表現する「真理」を拒絶してきたし、そのような語りに耳を傾けてこなかった。

     はたして自分たち の器を失い、別の器しか残されていない ラモンにとって、新たな器をもちうることが可能だろう か。また彼らの器についてのみ議論すれば、我々はそれで事足りるだろうか。ラモンの器は、ラモン個人が生み出し たメタファーであるのと同時に、ディガーの人びとが共有できるメタファーであり、また人類学者ベネディクトとの 対話の中で生まれた共感のメタファーでもある。ラモンの器は、一種の象徴表現のひとつであるが、器それ自体は、 我々の用語法に従うならば媒体(メディア)のことに他ならない。(→池田光穂「メディアは我々 自身を形づくる」

    [おことわり]ディ ガー・インディアンというのは、アルフ レッド・クローバー1970[1961]:23-25.によるとカリフォルニア先住民のことであるが、採集狩猟生活から掘る人すなわちディガーと白人から 命名された蔑称に由来する。適切ではないが、ふさわしい名称が見つかった場合には呼称を変更する予定であるが、ここでは引用どおり使っている。

     青木保によれば、ベネディクトの『菊と刀』は、アメリカにおける従来の未開研究か ら複合社 会研究へのパラダイム・チェンジの突破口となった研究であると評価。その特徴は「民族誌的現在の」日本人と日本文化の全体論的な研究にある。(『「日本文 化論」の変容』中央公論社,1990:33)

     日本研究における特色は、どんな行動でもお互いに体系的関係をもっているという 「文化の 型」研究にもとづいて、「文化相対主義」の立場から、(従来、未開と文明という図式からおこなわれてきた研究に対して)「アメリカ対日本」という意識的な 比較を行おうとしたことにある。(同書、pp.33-34)

     ギアツ(青木の引用によるギアツ『仕事と生活』1988:森泉訳『文化の読み方/ 書き方』 岩波書店)は、ベネディクトの人類学的言説の独自性として、従来の未開社会の人類学的解釈のように読者に対して理解させようとする中和によって日本人の謎 を解こうとするのではなく、反対に差を強調することによって解いた、ことにあるという。(同書,p.37)。そうすることによって、彼女は日本人の奇妙さ について読み進んでゆくにつれて、今度は逆にアメリカの読者自身の特異さに気づかせる効果をもっている。[※しかし、それはどのようなレトリックによって 可能となるのだろうか?]つまり、ベネディクトは、読者に対してアメリカ文化を脱構築させるはたらきをもっている。(同書,p.41)



    Kluckクライド・クラックホーン:多様性と文化概念の効用

    クラックホーン(1971[1949])は、クローバーとともに、さまざまな著者に よる文化 概念 の収集・渉猟とそれらの総合をおこなった人類学者である(クラックホーン 1971:26-41)。

    ・「文化は人間の本性に源を発し、文化形式は人間の生物学的資質と自然法則によって 制約され る」(クラックホーン 1971:26)。

    ・文化は理論である:「文化は人間と個別に存在する力ではない。人間によって受け継 がれる」 (クラックホーン 1971:28)

    ・「ある考え方、感じ方、それが文化である」(クラックホーン 1971:28)。

    ・「文化が抽象概念であるだけに、文化と社会とを混同しないように注意することが大 切であ る」(クラックホーン 1971:29)。

    ・「ひとつの文化は、当該集団の知恵をプールした貯蔵庫をなしている」(クラック ホーン 1971:30)。

    ・「どの文化もそれぞれの範疇体系に従って自然界を分析する」(クラックホーン 1971:31)。

    ・「文化プロセスの本質はその選択性にある」(クラックホーン 1971:31)。「文化が問題を解決するばかりでなく、問題を生むこともまた真実である」(クラックホーン 1971:33)。

    ・「自分の文化に対して感情的に無関心であり得る人間はいない。/……個人はある特 定の集団 に属している結果として、その集団の文化を習得する。習得した行動のうちで他人と共有している部分が文化である。生物学的遺伝に対して、文化はわれわれの 社会的遺産である」(クラックホーン 1971:32)。

    ・「およそ文化慣行というからには機能的でなければならず、さもなければ遠からず消 滅するは ずである。つまり何らかの意味で社会の存続ないし個人の適応に資するところがなくてはならない」(クラックホーン 1971:34)。

    ・「すべての文化は歴史の沈殿物である」(クラックホーン 1971:34)。

    ・「文化は地図のよなものである。……文化はある人間集団の言語、行動、人工物にみ られる統 一性w志向する傾向を抽象的に記述したものである」(クラックホーン 1971:35)。

    ・「現代人も文化を創り保有する」(クラックホーン 1971:35)。

    ・「一つの文化の中には、成員全員が習得すべきもの、代替範型から選択するもの、特 定の社会 的役割を然るべき範型に従って果たす者のみ該当するもの、と三通りある」(クラックホーン 1971:37)。

    ・「文化の諸相の多くは明示的である。……[他方、暗示的な文化もあり——引用者] 暗示的文 化に何か一つ大原理というべきものがある時、しばしばこれを指して「エトス」または「時代精神」と呼ぶ」(クラックホーン 1971:38-40)。

    ・「すべての文化には内容と並んで組織がある」(クラックホーン 1971:40)。

    ・「在庫目録の上ではほとんど同じものと見える二つの文化が、実はまったく違ってい ることも ある。文化体系に含まれている要素のどの一つを考えてみても、その意義を完全に知るためには、その要素と他の要素の関係が織りなしているマトリクス全体の 中に据えて眺めてみなければならない。その際、位置ばかりでなく強調なし強勢も問題とすべきことは当然である」(クラックホーン 1971:41)。[→マーガレット・ミード

    彼の『人間のための鏡(Mirror for Man)』には多様な文化概念の紹介の後に、これらの文化概念を学ぶことに関する以下のような「効用」が説かれている。なお、彼の効用は箇条書きしている わけではないので、その項目数は引用者が恣意的に当て填めたものである(クラックホーン

    (i) 自分自身と自分の行動を理解 しようと する人間の果てしない探求について助ける

    (ii) 人間の行動を予測する上で 役にたつ

    (iii) あらゆる人々の論理は究 極的には 同じかもしれないが、思考過程はそれぞれ根本的 に違う前提(もしくは無意識)から出発していることがわかる

    (iv) ある文化を知っていれば、 その文化 を共有している人間の行動をかなり多く予知でき る

    (v) 意識されたもの/されないも のを含め て、自分の文化の感情的価値観からある程度自由 になれる

    (vi) 自分の文化の目録に載って いるもの はなんでも盲信してしまう忠誠心から人間を解放 してくれる

    (vii) 人間が努力し、闘争し、 模索して いる目標は生物学的に全く与えられたものではな いし、(また)環境の力によって全く与えられたものでもないことに気づく。

    文献

    クラックホーン、クライド 1971 [1949]『人間のための鏡』光延明洋訳、東京:サイ マル出版会



    クリ フォード・ギアーツ:意味のパターン [はじめにも どる

    ギ アツ(ギ アーツ;Geertz)による「文化の定義」は、次のようなものである。

    「文 化は象 徴に表現される意味のパターンで、歴史的に伝承 されるものであり、人間が生活に関する知識と態度を伝承し、永続させ、発展させるために用いる、象徴的な形式に表現され伝承される概念の体系とを表してい る」(ギアツ『文化の解釈学1』p.148,1987年)。

    「マッ ク ス・ウェーバーと同じく、人は自ら紡ぎ出した意味 の織物[蜘蛛の巣のこと——引用者]の上に支えられた動物であると信じる私は、文化とはそのような織物であると考え、したがってその分析は法則性を求める 実験科学ではなく、意味を求める解釈科学であると考える。私が追い求めているのは説明であり、表面上は謎めいた社会的表現を読みとることである」[小泉訳 2002:224](『文化の解釈』)。

    ギ アツの意 味のパターンという発想は、実は、上掲の ルース・ベネディクト『文化のパターン』(原著1934)に由来するものである。彼の『文化の解 釈』(原著1973)には、その影響を受けた章がある。

    文 化とテク ストのアナロジカルな関係

    (→ 「厚い 記述」『文化の解釈』原書,pp.4- 5)。抽象としての“文化”=「テクストの集合体」として検討されるべきであり、特定の“文化”=「テクストとして、社会の実体から組たてられた想像の産 物として扱われるべき」ものだとした(→「ディープ・プレイ」p.27)。(→text analogy,"Local Knowledge",pp.30-33,1983)

      それに対 する批判「ギアーツの使ったような人類学の 分析モデルはたしかに魅力的であり、その魅力のひとつは、そのモデルを使えば因果律の問題を迂回できるので、実証主義の批評家や旧来の歴史主義の批評家が 頭を悩ませてきた還元主義のもつ欺瞞と決定論からの脱出路が開かれるというということである。」

    ま た、「文 化」を先験的に行為者の実践やそこから導か れる観察者が抱く観念としてみるのではなく、行為に帰属させられる規約(社会的合意)という観点から見るとどうだろうか? 犯罪行為を本人に帰属させるよ うに、文化を本人に帰属させることは可能だろう?

    「法理論家は、犯罪行為のような行為 を個人に 帰属さ せて、個人の有罪性を決定するという論理的問題に関 心を向けてきた。ウェーバーは、このアプローチを彼 自身の要求に適応させて、人間が社会的行為に賦与す る「意味」に関する社会理論を発展させたのである。 」(ベンディクス、ラインハルト(リンハート) 1988[1962]『マックス・ウェーバー』(下)、 折 原浩 訳、p.515、東京:三一書房.)

    ■  ギアー ツと文化相対主義の関係

    文化相対主義//自民族中心 主義

    文献

    小泉潤二 2002 「言われづつけ てきたこ と——反=反相対主義と還元論」『解釈人類 学と反=反相 対主義』ギアツ、小泉潤二編訳、Pp.196-225、東京:みすず書房.



    モーリス・ ブロック [はじめにもどる

      アメリカ 文化人類学では、文化をひとつの統一された全体 と見なすのが、ブロックの理解は断片が構築されたものと見ている。「文化とはきわめて異なるタイプの知識形態の合成物である」(ブロック「日本語版への序 文」『祝福から暴力へ』1994:vi)



    マルクス主義者 たち:人間の活動を生成する二次的な場 [はじめにもどる

      マルクス 主義者の文化概念は、文化が歴史的、社会的要因 のもとで決定されると考える傾向にある。文化は階級構造、経済システム、政治組織と密接に関わり、とくに文化の質と規模を決定するのは特定の生産様式とし ての産業である。

      トロツ キーは文化を「人類史を通して蓄積されてきたあら ゆる知識と技術の総和であり・・・国家や階級や・・・歴史上の人物の技術と知識が結合してできたもの」としている。(トロツキー「レーニン主義と図書館仕 事」:スウィングウッド『大衆文化の神話』1982:50より引用)

      他方、グ ラムシによると、文化は「人間の内面生活の組織 化された鍛錬の場であり‥‥人格形成場面であり‥‥超自我を獲得する場でもある。それによって、われわれは自己の歴史的価値・人生において果たすべき役 割・権利や義務などを理解できるようになる」という。(スウィングウッド『大衆文化の神話』1982:54より引用)

      「文化は 中立的な概念ではなく、歴史的・個別的・イデオ ロギー的概念である」(スウィングウッド,1982:48)『大衆文化の神話』東京創元社

    マ ルクス主 義者たちは、(ヴァルター・ベンヤミンなどを除 けば)「上部構造」としての文化を独自に研究したものではないので——つまり下部構造の関係を重視するので——上掲のように、文化を、人間の活動を生成す る、ある種の二次的な場として理解する傾向がある。

    レイモンド・ウィリ アムズによる定義


    彼 は文化を アプリオリに定義するのではなく、これまでおこ なわれてきた文化の定義のされ方を問題にする。ウィリアムズによれば、文化の定義のされ方には3つの観点からおこなわれてきたことになり、またそれぞれに 対応する内包と、それらに対応する「文化の分析」があるのだ。

    (1) 文化 は「理想」である

    ・ 考え方

    文 化は普遍 的な価値によって導かれた人間の完成・ 理想化された究極目標である。

    ・ この文化 分析のスタイル

    研 究対象 (文学、芸術、芸能などの表象)の中に見 いだし、それについて記述すること。

    日 本ならさ しずめ、文学研究者や「文芸評論家」な どの活動などがそれにあたる。

    ・ この分析 の限界[池田によるコメント]

    普 遍的な人 間の完成や理想化された姿というもの が、論者によって異なり、歴史的社会的に唯一なものはないという経験的事実に合致させた説明が困難になる(ただし、一部の狭隘な研究者の間にはこのような 相対的な視点を理解することが困難な人がいることも事実だ)。

    (2) 文化 は「記録」である

    ・ 考え方

    文 化は人間 の知性と創造力の結果の所産であり、そ の細部に至って人間の思考や体験が記録されている。

    ・ この文化 分析のスタイル

    実 証主義的 な方法にもとづく批判的分析。人間の創 作活動による記録の範囲はおびただしいものがあり、多くの研究者は、いくつかの特定のトピックを拾い出し、それ以外の事象との連関の中で実証的な証拠を見 いだし、説明しようとする。その中で重要になるのは、実証と妥当的な解釈である。

    ・ この分析 の限界[池田コメント]

    人 間が関 わってきたものすべて——分析者はなるべ くその価値判断に介入することは避ける傾向がある——を、何からの「意味」があるものとして解釈するために、一方では実証的証拠を枚挙する傾向があり、他 方では解釈の上に解釈を重ねる傾向がある。なにせ、人間の「記録」であるから、そこからある種の無限の情報的価値を引き出すのである。

    (3) 文化 は「社会生活のあり方」である

    ・ 考え方

    上 掲の記録 の一種であるが、現在の生活してい る人 の観察を中心に——その観察のスタイルを応用して、過去に存在した人の生活も類推されうる——、それらの特定の生活のあり方を記したものが文化である。し たがって、文化とは人間が創作したものだけでなく、日常/非日常におけるさまざまな制度や行動の中に現れる。

    ・ この文化 分析のスタイル

    文 化人類学 の基本的なスタイルである、人々の 生活 の中からさまざまな事象を記述、分析する。文化の違いは、生活の違いに現れるので、さまざまな文化(=生活)の記録をとることに専念し、それらをさまざま な観点から分析する。

    ・ この分析 の限界[池田コメント]

    文 化を生活 の観点から記述することから、経験 的に 生活の違いは多様に観察されるため、それらの違いを本質化して決定的な違いとする傾向がある。

    [文献]ウィリアムズ, R.「文化の分析」『長い革命』若松繁信・妹尾剛光・長谷川光昭訳、pp.43-69、ミネルヴァ書房、 1983年[Williams, Raymond. 1965.The Analysis of Culture. in " The Long Revolution," pp.57-88. London: Penguin Books ]

    文化研究(カルチュラル・スタディー ズ) とは?


    私(池田光 穂): 様態からおこなう定義 [はじめにもどる

    文化とは有 形無形の人間活動のことと定義したい。私の文化 に対する見解——つまり文化をどのように研究するか——は、そのように定義された文化の様態を、どのように考えるかということに由来する。

    それは、文 化ないしは文化現象とは、次のような様態をもつ ものであるということだ。

    (i )創造

    (ii)維 持

    (iii) 破壊

    タイラーに 始まる文化の静態的な理解、つまり文化を伝統的 なものとしてとらえる見方は、私が主張する文化の様態の二番目の(ii)維持という側面を過度に強調しすぎた点からの反省に由来する。つまり、文化をより 動態的にとらえる点であるが、他方、文化はいつも流動的でハイブリッドであるという見解にも組みしない。

    こうするこ とで、文化の静態的な面であることについても、 変化し、流転するものとしても、捉えることができる。もっとも、文化の静態的な面といっても、人間活動によって維持継承されているわけであるから、それら は、一時的な構造的安定、ないしは一種の新陳代謝(メタボリズム)をおこなっているゆえに、それが安定してみえるだけである。

    さらに、こ の文化概念ではグローバル/ローカルという狭隘 な二元論はとらず、それらが文化概念をめぐって相互交渉をおこなうとみる。つまり、文化はローカルなコンテキストによって生成するがゆえに、人々をして安 定した構造体のように見えるのである。他方、安定した構造という信念が、他のカテゴリーの人たちをして別の文化をもっているという信念を引き出すことにな る。文化は、安定した構造をもつという信念があるゆえに、予め文化の差異があると信じてしまうのである。文化の差異の概念は、(逆説的だが)文化を安定し た構造体とみる信念より由来していると思われる。

    ◆ 異文化理解の基礎

    ■ 関連リ ンク(サイトのなか)

  • ︎ 異文化理解の基礎︎「文化」概念の検討さまざまな〈ブンカ〉︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎
  • ■ 関連リ ンク(サイトのそと):

    What is Culture ?