感覚の人類学の理論研究からエスノグラフィー書記法へ
From Anthropology of Sense To New
Ethnographic Writing
☆ 総論的な結論:感覚の人類学から、感覚の人類学「批判」へ
本研究期間に収集した文献資料は150点を超えて現在もなお増補中である(感覚経験の人類学HP)。総合するに、人文社会研究が感覚経 験に着目するにつれ、歴史学、社会学、人類学、哲学(主に現象学)等で彼らの研究の初期から断片的に収集記述されてきたものが、個々の研究者によりまとめ られ、再考され、そして新規のジャンルとして地歩が築かれてきたと言える。各時代、各学問分野により、エポックを画する代表的な研究や論集がまとめられた が、ひとつの方法論で、ひとつの明確な結果が導出されるような単純なものではない。従来の五感の分類に着目してきた感覚経験の人文社会科学は、クロスモー ダルやマルチモーダルといった、それぞれの感覚間の相互作用により個々の感覚がエンハンスされたり抑制されたりすることがわかった。そのため、これまで「第六感」と呼ばれるメタ感覚も超自然的な説明のみならず認知科学による合理的な説明が可能になってきた。
そのような感覚経験を記述するための科学的論述におけるパラダイム転換は、そのエスノグラフィー(民 族誌)記述の今後にも影響を与えるであろう。すでに私たちには、コンスタンス・クラーセンや、ナディア・セレメキタスらの西洋現代社会生活における感覚経 験の再考というすばらしい業績がある。しかし、私たちは、ニジェールのソンガイ文化研究のエスノグラファーであるポール・ストーラーが1989年に指摘し たことに着目する。彼は、これまでのエスノグラファーは視覚中心的な情報収集に偏っているため、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の 役割にとって文化記述から排除されてきている、と的確に指摘している。確かにその通りである。例えば理学療法士の民族誌は触覚記述が重要であり、シェフや 厨房の人々のそれらでは、味覚、臭覚、聴覚の記述は欠かせないだろう。ストーラーの視覚中心主義への批判は、それだけでは、民族誌が何をテーマに選択する ときに視覚以外のものも選択される可能性について深く考えていない。問題はなぜこれまでの民族誌が視覚優位であったのかを思想史のレベルにまで上昇させて 考えるべきである。視覚以外のものが選択されても、その感覚が主題化するのかを自然化する研究者の無反省が問題なのである。音楽をテーマにする時には、聴 覚優位の主題が優先されるが、多くのポピュラー音楽は歌詞があり、また、ライブハウスでのダンスや飲酒(時にはドラッグ)などの触覚や酩酊の感覚など、マ ルチモーダルな記述が必要になる。感覚経験を、特定の人種や民族集団の固有のものとする「文化的アサインメント」という発想も回避しなければならない。例 えば、ラップやレゲトンという純音楽的鑑賞態度の問題を論じるときに、その音楽がアフロ性や黒人性を持ちうるという主張は、慎重にそのディスコースを批判 的に分析するのみならず、誰がどのような文脈のなかで表現するかを考慮しなければ、北米の批判的人種理論(CRT)が指摘するような科学人主義的なイン デックスにすぎない疑似科学になるのである。ラップやレゲトンは初期にはMTV、現在ではYouTubeによる配信によりそこで視覚的に表象される黒人性 やラテン性は人種的差異に還元される場合もあるが、実際にはアパデュライやハウズのいう複数のスケープが存在し、まさにカント的な意味での趣味判断として 人種・民族集団の差異をこえた世界性(=普遍性)が獲得されるのだ。その時には、エスノグラファーも参加する/しなければならない民主的な「趣味判断の議 論空間」の世界拡張——昨今のICT用語ではユビキュタスな——の経験の中に巻き込まれるのである。
本研究課題が扱った「感覚の人類学」は研究期間満了のために終了する。しかし、ストーラーのいう視覚中心主義を批判的に乗り越えた、「感覚の人類学」批判 を推進するための宿題を、研究代表者ならびに研究分担者には今度は与えられたのである。「感覚の人類学」研究に終わりがないというのは、そのような意味か らである。
(1)感覚の人類学研究に対する期待 当初、この研究計画は、中米グアテマラ共和国とプエルトリコ、ホンジュラスをフィールドとして、おもにマヤ系ならびにガリフナ民族とメスティソにおける 音楽・ダンス・絵画や写真等の表象芸術を中心としたポピュラーカルチャー現象に焦点を当てた新しい書記法(=記述法)の開発に挑戦するというものであっ た。すなわち、従来の「観たことを記述する」書記法に加えて「観察者がどう感じたか」を記述に導入する「感覚のエスノグラフィー」という観点を取り入れる というアイディアがあった。その素材対象として、先住民社会におけるポピュラーカルチャーとりあげ、音楽・食・絵画・写真・ダンスなどの民族表象が、外部 社会との接続により様々な文化要素の世界循環するさまを紹介する。そして、先住民社会ならびにその民族表象を受け入れる当事者を中心とした感覚の語りや経 験と、そこに共在する観察者の経験の語りを接続させて、一種の二つの視座から総合的に考察するというものであった。 このような研究姿勢が求められたのは、この「感覚記述」の方法に関する刷新について学界からの期待があったからである。つまり、感覚経験の人類学とは、 感覚/感性を被観察者と観察者の両サイドからの記述をおこない、それらを一つのエスノグラフィーの記述にまとめあげるという計画であった。 |
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(2)センススケープ論に着目して このような試みは、デイビッド・ハウズによるとセンススケープ(sense-scape)への配慮があってこそ可能になる。センススケープは文字通り、 センス(感覚)が生起する情景や状況のことである(Howes 2005)。アルジュン・アパデュライ(Arjun Appadurai 1996)が提唱したモダニティを具体的に表象する5つのスケープ、つまり、エスノ-、メディア-、テクノ-、ファイナンス-、そしてイデェオ-、が冠さ れるスケープ(ethno-, media-, techno-, finance-, ideo- scape)に加えて、ハウズは第6のスケープ(sixth scape)と称されるものを提案した(Howes 2005:69)。それがセンススケープであった。振り返ってみれば、センススケープの提案の以前にも、これまでにさまざまなこの種のタイプの情景や状況 についての研究の提案があった。例えば、民族音楽のSteven Feld, 視覚表象のOliver Sacks, メディア研究ではMarshall McLuhan ら、また、記憶における Susan Stewart, シャーマンの女性性におけるSusan Stewart、料理における Lisa Law, 匂い経験の Jim Drobnick など、それぞれのセンスに着目した研究の提案があった。 このことを、中米ならびにカリブ海地域で試みるのが、本研究において私たちが提案した点である。民族音楽学者、文化人類学者、歴史研究者がそれぞれ、共 通の理論的枠組みを共有し、それぞれが持っている学問分野の方法論でアプローチするとともに、各研究者が自分の分野がもつパラダイムの限界を超えて領域横 断的なこの研究領域でオリジナルのアイディアを生産することが求められたのである。 |
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3.研究の目的 最初になぜ感覚の人類学が重要なテーマになりえるのかということを、研究班で研究初年度にブレインストーミングした。そこで次の5つの段階を通して「感 覚経験のエスノグラフィー」が必要になることを確認した。その5つの目標(段階)とは以下のとおりである;(1)感覚の人類学とは、人間の身体の人類学的 研究であることを認識する。(2)身体の人類学研究には、さまざまな学問領域(医学、心理学、教育学、芸術学、哲学、そして文化研究)からのアプローチが 必要である。(3)身体の人類学の必要性はなぜか?——それは人間の身体や五感(=おもに感覚経験を形づくるものと言われているもの)の普遍性ならびに斉 一性と、感覚を含む身体経験が文化の違いにより非常に多様な姿=現象を取りうることが仮説として考えられるからである。それゆえ、(4)人間の身体や五感 (=おもに感覚経験を形づくるものと言われているもの)の普遍性ならびに斉一性を基準にして、感覚を含む身体経験の文化的に多様な形態を記述する方法を探 究する必要がある。(5)これらの方法は、感覚経験のエスノグラフィーを書く(writing ethnography of sensory experience)というプロセスから導き出されるという予測を立てた。 つまり、感覚経験のエスノグラフィーの書記法(writing)のシステムとその書記法を支える理論的枠組みを、事例研究を通して探求されなければならないという結論に到達した。それが本研究の目的となった。 |
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4.研究の方法 上掲のように、研究の目的は、感覚経験のエスノグラフィーの書記法のシステムとその書記法を支える理論的枠組みを、事例研究を通して探求することであった。そのための方法は以下の3つの柱からなった。 (I)先行研究の文献レヴュー 感覚の人類学研究とは、人間の身体の普遍性ならびに斉一性を基準にして、感覚を含む身体経験の文化的に多様な形態を、経験的に明らかにすることである。 すなわち「人間の身体に関する記述体(writing corps on human corps)」に関する文献レヴューをおこなう。 (II)先行研究カテゴリーの分類 すでに存在している、感覚経験のエスノグラフィーの文献的渉猟と、いくつかの(手本になる)代表作を仔細に分析して、どのようにして、そのような感覚経 験を記述することが可能になったのかについて考察する必要がある。特色となる感覚記述とその成功の可否の理由を探究し、それらの間に、研究アプローチの違 いを析出する。つまり、先行研究をなんらかの形で分類することを試みる。 (III)感覚と情動現象のモデル探求のための議論 感覚経験のエスノグラフィーの評価を質的な良さ/悪さだけで判断するのではなく、感覚経験のエスノグラフィー記述のモデル概念を確立し、それを支える社会的要素や、行為者による情動や感覚の飼い慣らし(taming)プロセスに着目する。 |
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5.研究成果 (1)情動・感覚の定義と領域の確定:先行研究のレヴューから得た結論 COVID-19流行のもとで初年度と二年度の中期までは収集した文献の情報解析に充てられた。 池田(2013)は、本研究課題の着手に先立ち「情動の文化理論にむけて」という論考を発表している。クリフォード・ギアーツは、早くも1973年の 『文化の解釈学』のなかで、感情もまた文化的創造物であることを指摘している。民族誌を書く以前の人類学者の常識的推論から可能になることを表現して彼は こう述べている。 「われわれの精神労働は、外的世界自体における出来事のパターンに関する情報の収集から、情緒的意味の決定へ、つまり出来事のパターンの情緒的包含へと転 換する。われわれは問題の解決ではなく、感情の明確化にかかわっている。にもかかわらず文化的資源、ならびに充分な公的象徴体系の存在は、指示的思考の場 合と同様に、この過程にとっても本質的である。それゆえ「ムード」「態度」「感覚」等——それらは感動や動機ではない、状態や条件という意味における「も ろもろの感情」——の発展・維持・消滅は、指示的「思考」同様、人間における基本的に私的な活動とみなすわけにはいかない」(Geertz 1973:81)。 |
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ギ
アツは感情経験は決して私的なものではなく、文化的社会的な表現行為であるとしている。感情(ないしは情動:emotion,
affect)は神経生理学的変化によってもたらされる精神状態であり、思考、感情、行動反応、快不快の度合いなど様々な関連性がある。残念ながら定義に
関するコンセンサスは現在においてもそれほどあるとは言えない。感情はしばしば気分、気質、性格、性質、創造性と絡められていることがわかるだけである。
それゆえに、情動と感覚の記録は、いっけん何を記述してもよいように思える。しかしながら、そこに、個人と(デュルケーム流の)集合表象の共有を可能にす
る集団という軸で構成されるマトリクスのなかに何が表現されるのかを描いてみると、情動と感覚は容易に四象限のなかで分類することが可能になる(図を参
照)。ギアツの言う情動や感覚の社会的共同性の特色が現れている領域がわかるはずである。 そのことから、感覚経験は、個人にとっては、共在経験を通した観察であり、集団にとっては、いわゆる「共在感覚」や「共在経験」の記述に焦点化されれ ば、より「適切な」表象表現とすることができる。例えば、音楽や絵画の感覚経験を記述するとは、その個人の語りに還元される心理現象を説明(例:「その時 に理由もわからず涙が出たが、きっと私は無意識に感動していたにちがいない」)するのではなく、むしろ、共在経験を通した観察についての記述(例:「その 演奏の第三楽章のところでは、演奏家たちの熱演が伝わってきた気がしたが、客席の周りの人たちも手や足あるいは身体で調子を取っているようだった」)が 「感覚経験のエスノグラフィー」にとってより適切なものになる。 |
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(2)感覚と情動の社会的基盤に関する理論モデル:方法の探求から得た結論 ギアーツの指摘を受けると次のような疑問が生じる。つまり、感覚とそれと不可分な関係をもつとおもわれる情動が、文化による整形(shape)をうけ て、どのようにして、それが最終的な紋切り型の表現として、我々の経験としてパターン化されるのだろうか。次の作図「感覚と情動現象とその社会的・文化的 基盤に関するモデル」にあるように、音や匂いなどの五感から、日常の文化的実践であるハビトゥスやさまざまな治療儀礼などの複雑なプロセスの記述まで、感 覚と情動の経験は幅広い社会的・文化的基盤をもつように思われる。図が整理しているように、感覚経験を記述するとは、人間の能力のレパートリーとして考え られるような、「感覚や情動の飼い慣らし(taming)」と「感覚や情動の暴走(uncontrollable)」の弁証法的なプロセスが、エスノグラ フィー記述としての「怒りや悲しみ、喜びや快楽、(チクセントミハイ流の)フロー経験」さらには「両義的情動が」、ハビトゥスや宗教儀礼などの感覚経験や 情動が主題化される現場の中で有機的にまとめられることが、表されている。それが、「感覚経験の民族誌・エスノグラフィー」というジャンルを形成している のである。小栗宏太(2022)が「情動の人類学」という文献レビューで記述したように、民族誌記述の流行が、ある時点で「情動論的転回 (affective turn)」と呼ばれるようなブレイクスルーが生じるのではないのだ。情動論的転回を感じるのは社会的集合的現象ではなく、論文や著作を並べそれを棒グラ フに表現して突出したことを「転回」と誤解することなのである。情動の民族誌という主題は「転回」以前から存在しており、我々の「感覚経験のエスノグラ フィー」においても、感覚経験論的な転回がある時点で突然生じるという幻想を抱くことに大きな意義はない。 |
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6.総論的な結論:感覚の人類学から、感覚の人類学「批判」へ 本研究期間に収集した文献資料は150点を超えて現在もなお増補中である(感覚経験の人類学HP)。総合するに、人文社会研究が感覚経験に着目するにつ れ、歴史学、社会学、人類学、哲学(主に現象学)等で彼らの研究の初期から断片的に収集記述されてきたものが、個々の研究者によりまとめられ、再考され、 そして新規のジャンルとして地歩が築かれてきたと言える。各時代、各学問分野により、エポックを画する代表的な研究や論集がまとめられたが、ひとつの方法 論で、ひとつの明確な結果が導出されるような単純なものではない。従来の五感の分類に着目してきた感覚経験の人文社会科学は、クロスモーダルやマルチモー ダルといった、それぞれの感覚間の相互作用により個々の感覚がエンハンスされたり抑制されたりすることがわかった。そのため、これまで「第六感」と呼ばれ るメタ感覚も超自然的な説明のみならず認知科学による合理的な説明が可能になってきた。 そのような感覚経験を記述するための科学的論述におけるパラダイム転換は、そのエスノグラフィー(民族誌)記述の今後にも影響を与えるであろう。すでに 私たちには、コンスタンス・クラーセンや、ナディア・セレメキタスらの西洋現代社会生活における感覚経験の再考というすばらしい業績がある。しかし、私た ちは、ニジェールのソンガイ文化研究のエスノグラファーであるポール・ストーラーが1989年に指摘したことに着目する。彼は、これまでのエスノグラ ファーは視覚中心的な情報収集に偏っているため、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の役割にとって文化記述から排除されてきている、と的確に指摘している。確かにそ の通りである。例えば理学療法士の民族誌は触覚記述が重要であり、シェフや厨房の人々のそれらでは、味覚、臭覚、聴覚の記述は欠かせないだろう。ストー ラーの視覚中心主義への批判は、それだけでは、民族誌が何をテーマに選択するときに視覚以外のものも選択される可能性について深く考えていない。問題はな ぜこれまでの民族誌が視覚優位であったのかを思想史のレベルにまで上昇させて考えるべきである。視覚以外のものが選択されても、その感覚が主題化するのか を自然化する研究者の無反省が問題なのである。音楽をテーマにする時には、聴覚優位の主題が優先されるが、多くのポピュラー音楽は歌詞があり、また、ライ ブハウスでのダンスや飲酒(時にはドラッグ)などの触覚や酩酊の感覚など、マルチモーダルな記述が必要になる。感覚経験を、特定の人種や民族集団の固有の ものとする「文化的アサインメント」という発想も回避しなければならない。例えば、ラップやレゲトンという純音楽的鑑賞態度の問題を論じるときに、その音 楽がアフロ性や黒人性を持ちうるという主張は、慎重にそのディスコースを批判的に分析するのみならず、誰がどのような文脈のなかで表現するかを考慮しなけ れば、北米の批判的人種理論(CRT)が指摘するような科学人主義的なインデックスにすぎない疑似科学になるのである。ラップやレゲトンは初期には MTV、現在ではYouTubeによる配信によりそこで視覚的に表象される黒人性やラテン性は人種的差異に還元される場合もあるが、実際にはアパデュライ やハウズのいう複数のスケープが存在し、まさにカント的な意味での趣味判断として人種・民族集団の差異をこえた世界性(=普遍性)が獲得されるのだ。その 時には、エスノグラファーも参加する/しなければならない民主的な「趣味判断の議論空間」の世界拡張——昨今のICT用語ではユビキュタスな——の経験の 中に巻き込まれるのである。 本研究課題が扱った「感覚の人類学」は研究期間満了のために終了する。しかし、ストーラーのいう視覚中心主義を批判的に乗り越えた、「感覚の人類学」批 判を推進するための宿題を、研究代表者ならびに研究分担者には今度は与えられたのである。「感覚の人類学」研究に終わりがないというのは、そのような意味 からである。 |
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●感覚経験を公共化するとはどういうことか? https://www.youtube.com/watch?v=RoKoj8bFg2E publicization (plural publicizations) The act of publicizing (economics) conversion of private entities to public ones |
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Ana Tijoux アナ・ティジュ:Anamaría Tijoux Merino, b.1977 |
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☆公共化(publicization)を理解するためのパブリシティ(Publicity)と共産化(communization)
In marketing, publicity
is the public visibility or awareness for any product, service, person
or organization. It may also refer to the movement of information from
its source to the general public, often (but not always) via the media.
The subjects of publicity include people of public recognition, goods
and services, organizations, and works of art or entertainment. A publicist is someone that carries out publicity, while public relations (PR) is the strategic management function that helps an organization establish and maintain communication with the public. This can be done internally, without the use of popular media. From a marketing perspective, publicity is one component of promotion and marketing. The other elements of the promotional mix are advertising, sales promotion, direct marketing and personal selling. Organizations will sometimes organize events designed to attract media coverage, and subsequently, provide positive publicity; these events are known as publicity stunts. History French advertising poster "Maggi arôme pour corser" by Firmin Bouisset, circa 1895. Publicity originates from the French word publicité 'advertisement'.[1] Publicity as a practice originates in the core of Paris, where shopping, tourism and the entertainment industry met commercialised print media and a burgeoning publishing industry. Among the urban society, scenes of consumption and new consumer identities were circulated through advertisement. La Maison Aubert shaped the emerging discipline of publicity. In early 19th century Paris, the advertisements and publicity campaigns for consumer items, such as cashmere shawls, and retailers such as perfumeries soon attracted regulation on flyposting.[2] 19th century US companies included not only pro-sales messages in their publicity, but also explanations, demonstrations and exaggerations. Patent medicine and cosmetics manufacturers in the US frequently described or even showed consumers before and after the usage of the product. The Blair Manufacturing Company was among the US companies that advertised its products by comparing old-fashioned consumers who did not use the advertised product with the progressive customers who did. Before-after-changes became common in advertisement from 1910 onwards.[3] In the early 20th century, American Albert Lasker, developed the used of advertising for appealing to consumers' psychology.[4] The contemporary economist Thorstein Veblen criticised the relative benefit of publicity. He argued that vendibility is not utility, and that publicity had "no traceable relation to any benefit which the community may derive." Veblen estimated how much the publicity campaigns of companies added to the price consumers were paying. He argued that the publicity overhead for over-the-counter pharmaceuticals and cosmetics was more than half the retail price.[5] Public relations Publicity is often referred to as the result of public relations, in terms of providing favourable information to media and any third party outlets; these may including bloggers, mainstream media, as well as new media forms such as podcasts. This is done to provide a message to consumers without having to pay for direct time or space. This in return creates awareness and achieves greater credibility. After the message has been distributed, the publicist in charge of the information will lose control of how the message is used and interpreted, in contrast to the way it works in advertising.[6] According to Grunig, public relations is often reduced to publicity. He also states how publicity is a form of activity in which should be associated with the sales promotion effort of a company, in order to help aid advertising and personal salesmanship as well.[7] Kent also stated that the doing of publicity can help attract attention whilst also supplying information regarding a specific organization or individual client and any event, activity or attribute associated with them.[8] A coffeehouse in 17th century London. The use of publicity is also known to be an important strategic element and promotional tool due to its effect of intentional exposure on a consumer. This helps publicity gain an advantage over other forms of marketing, such as advertising,[9] often in order to boost credibility. Favourable publicity is also created through reputation management, in which organizations try strive to control via the web.[10] Furthermore, despite the fact that publicity, both good or bad, can be beneficial for an organization, company or individual, much of it is paid for despite claims that publicity is often free.[11] Despite publicity being an influential benefit within the marketing sector, one disadvantage which highly affects publicity is the lack of ability in which publicity cannot be repeated, in comparison to paid advertising.[9] Publicists A publicist is a person whose job is to generate and manage publicity for a company, product, public figure (especially a celebrity), or work such as a book, movie, or band. Though there are many aspects to a publicist's job, their main function is to persuade the news media to report about their client in the most positive way possible. Publicists identify newsworthy aspects of products and personalities to offer to media outlets as possible reportage ideas. A variant of this practice which relies on linking a brand to a breaking news story has been dubbed "newsjacking".[12] Publicists are also responsible for shaping reportage about their clients in a timely manner that fits within a media outlet's news cycle. They attempt to present a newsworthy story in a way that influences editorial coverage in a certain, usually positive, direction. This is what is generally referred to as spin. A press agent, or flack, is a professional publicist who acts on behalf of his or her client on all matters involving public relations. Press agents are typically employed by public personalities and organizations such as performers and businesses. A press agent will provide information to the media such as upcoming public events, interview opportunities, and promotional dates, and will work with the media in getting in touch with an appropriate client or resource. Press agents are occasionally required to act as "spin doctors, to put into the best light their clients' public actions. While press agents have traditionally worked with newspapers and television, they may also be conversant with newer media forms such as blogs and podcasts. Negativity Press photographers in Hong Kong. Publicity can also create a negative effect for those being publicized. One of the most important factors in relation to influencing a consumer's buying decision is how a company, brand, or individual deals with negative publicity. Negative publicity may result in major loss of revenue or market shares within a business.[13] It can also play a part in damaging a consumer's perception of a brand or its products.[13][14] Negative publicity's high credibility and greater influence compared to other company-controlled communications play a part in the potential damage it may have on a corporate image. Crises involved with an organization may also result in negative publicity.[15] Furthermore, negative publicity affects everything from the evaluation of a brand and product to the present. Often, when awareness of a company, brand, or individual is high, negative publicity is deemed to hurt possible sales. In contrast, companies, brands, and individuals who are not widely known may use the negative publicity in order to increase brand awareness among the public.[16] The extensive range of media outlets, including both traditional and new media, provide opportunities for companies to market their products or services. This restricts or reduces the ability to manage negative publicity, as their message may be spread across media outlets.[14] In order for organizations to try salvage any negative publicity surrounding their brand, corporate social responsibility (CSR) is one solution which can help protect the image of a company or help reverse the damage. Companies must adopt the CSR approach early for it to be effective, or potential risks such as falsified intentions may develop within a consumer's perception.[17] Despite the damaging effect negative publicity may cause, negative publicity may not always have the expected effect.[16] There is a possibility that negative publicity may in fact gain more attention as opposed to positive publicity.[13] Regardless of the nature of negative publicity and its ability to turn most people away, any slight hint of negative publicity can in fact build interest amongst the consumer. As stated by Monga & John, negative publicity is not always harmful, and consumers whom identify a brand with strong attitudes are highly unlikely to be affected by the negative publicity formed.[14] |
マーケティングにおいてパブリシティとは、あらゆる製品、サービス、個
人、組織に対する一般大衆の知名度や認知度のことである。また、多くの場合(必ずしもそうではないが)メディアを介した、情報源から一般大衆への情報の動
きを指すこともある。パブリシティの対象には、一般に認知されている人物、商品やサービス、組織、芸術作品や娯楽作品などが含まれる。 パブリック・リレーションズ(PR)は、組織が一般大衆とのコミュニケーションを確立し、維持するための戦略的管理機能である。これは、一般的なメディア を使わずに社内で行うこともできる。マーケティングの観点からは、パブリシティはプロモーションとマーケティングの一要素である。プロモーション・ミック スの他の要素は、広告、販売促進、ダイレクト・マーケティング、パーソナル・セールスである。 組織は時として、メディアの取材を誘致するためのイベントを企画し、その結果、好意的なパブリシティを提供することがある。 歴史 1895年頃、Firmin Bouissetによるフランスの広告ポスター「Maggi arôme pour corser」。 パブリシティはフランス語のpublicité「広告」に由来する[1]。パブリシティは、ショッピング、観光、娯楽産業が商業化された印刷メディアや急 成長する出版産業と出会ったパリの中心部で生まれた。都市社会の中で、消費のシーンや新しい消費者のアイデンティティが広告を通じて流通した。ラ・メゾ ン・オーベールは、宣伝という新たな規律を形成した。19世紀初頭のパリでは、カシミアのショールなどの消費財や、香水店などの小売店の広告や宣伝キャン ペーンは、やがて飛脚規制の対象となった[2]。 19世紀のアメリカの企業は、宣伝に販売促進的なメッセージだけでなく、説明や実演、誇張も含んでいた。アメリカの特許薬や化粧品メーカーは、製品の使用 前と使用後を消費者に説明したり、見せたりすることさえ頻繁に行った。ブレア・マニュファクチュアリング・カンパニーは、広告された製品を使用しなかった 昔ながらの消費者と、使用した進歩的な顧客を比較することによって、自社製品を宣伝した米国企業のひとつであった。ビフォア-アフター-変化は、1910 年以降の広告で一般的になった[3] 20世紀初頭には、アメリカのアルバート-ラスカーは、消費者の心理に訴えるための広告の使用を開発した[4]。 現代の経済学者ソーシュタイン-ヴェブレンは、宣伝の相対的利益を批判した。彼は、売りやすさは効用ではなく、宣伝は ³"コミュニティが得るかもしれない任意の利益との追跡可能な関係³"を持っていたと主張した。ヴェブレンは、企業の宣伝活動が消費者の支払う価格にどれ だけ上乗せされているかを試算した。彼は、市販の医薬品や化粧品の宣伝費は小売価格の半分以上であると主張した[5]。 広報活動 パブリシティとは、メディアや第三者機関に好意的な情報を提供することで、広報の結果と呼ばれることが多い。メディアには、ブロガーや主流メディア、ポッ ドキャストなどの新しいメディアが含まれる。これは、直接的な時間やスペースの対価を支払うことなく、消費者にメッセージを提供するために行われる。その 見返りとして、認知度を高め、より大きな信頼性を獲得することができる。メッセージが配信された後、情報を担当するパブリシストは、広告の仕組みとは対照 的に、メッセージがどのように利用され、解釈されるかのコントロールを失うことになる[6]。グルニッグによれば、パブリック・リレーションズはしばしば パブリシティに還元される。彼はまた、パブリシティは、同様に広告や個人的なセールスマンシップを支援するために、企業の販売促進の努力と関連付けられる べき活動の一形態であることを述べている[7]。ケントはまた、パブリシティを行うことは、特定の組織や個人の顧客とそれらに関連する任意のイベント、活 動や属性に関する情報を提供しながら、注目を集めるのに役立つことができると述べている[8]。 17世紀ロンドンのコーヒーハウス。 パブリシティを利用することは、消費者に意図的に露出する効果があるため、重要な戦略的要素であり、販促ツールであることも知られている。これは、パブリ シティが広告などの他の形態のマーケティングよりも優位に立つのに役立ち[9]、多くの場合、信頼性を高めるためである。好意的なパブリシティは、組織が ウェブを通じてコントロールしようと努力するレピュテーション・マネジメントを通じても生み出される[10]。さらに、パブリシティは良くも悪くも組織、 企業、個人にとって有益であるにもかかわらず、パブリシティは無料であることが多いという主張にもかかわらず、その多くは有料である[11]。 パブリシティは、マーケティング部門の中で影響力のある利点であるにもかかわらず、非常にパブリシティに影響を与える1つの欠点は、有料の広告と比較して、パブリシティは繰り返すことができないという能力の欠如である[9]。 パブリシスト パブリシストは、企業、製品、公人(特に有名人)、または本、映画、バンドなどの作品のパブリシティを生み出し、管理することを仕事とする人である。パブ リシストの仕事には様々な側面があるが、彼らの主な機能は、クライアントについて可能な限りポジティブな形で報道するようニュースメディアを説得すること である。パブリシストは、商品や人物のニュース価値のある面を特定し、報道可能なアイデアとしてメディアに提供する。ブランドとニュース速報を結びつける ことに依存するこの手法の変種は、「ニュースジャック」と呼ばれている[12]。パブリシストはまた、メディアのニュースサイクルに合ったタイムリーな方 法で、クライアントに関する報道を形成する責任を負っている。彼らは、特定の、通常は肯定的な、方向に編集報道に影響を与えるような方法でニュース価値の あるストーリーを提示しようとする。これが一般的にスピンと呼ばれるものである。 プレスエージェント、またはフラックは、広報に関わるすべての事柄について、クライアントに代わって行動するプロのパブリシストである。プレスエージェン トは一般的に、公人や芸能人や企業などの組織に雇われる。プレスエージェントは、今後の公開イベント、インタビューの機会、プロモーションの日程などの情 報をメディアに提供し、適切なクライアントやリソースと連絡を取るためにメディアと協力する。プレスエージェントは、時として「スピン・ドクター」とし て、クライアントの公的な行動に最善の光を当てることが求められる。プレスエージェントは伝統的に新聞やテレビと仕事をしてきたが、ブログやポッドキャス トといった新しいメディア形態にも精通している場合がある。 否定的側面 香港の報道カメラマン パブリシティは、パブリシティされる側にもネガティブな効果をもたらすことがある。消費者の購買意思決定に影響を与える最も重要な要素のひとつは、企業、 ブランド、個人がネガティブな宣伝にどう対処するかである。ネガティブパブリシティは、ビジネスにおける収益や市場シェアの大きな損失につながる可能性が ある[13]。また、ブランドやその製品に対する消費者の認識を損なう一端を担う可能性もある[13][14]。ネガティブパブリシティの高い信頼性と、 企業が管理する他のコミュニケーションと比較して大きな影響力は、企業イメージに与える潜在的なダメージに一役買っている。また、組織に関わる危機もネガ ティブ・パブリシティにつながる可能性がある[15]。 さらに、ネガティブパブリシティは、ブランドや製品の評価から現在に至るまで、あらゆるものに影響を与える。多くの場合、企業、ブランド、個人に対する認 知度が高い場合、ネガティブな宣伝は売上に悪影響を及ぼす可能性があるとみなされる。対照的に、広く知られていない企業、ブランド、個人は、世間における ブランド認知度を高めるために、ネガティブパブリシティを利用することがある[16]。 伝統的なメディアと新しいメディアの両方を含む広範なメディアは、企業が製品やサービスを売り込む機会を提供している。このため、企業のメッセージがメ ディアをまたいで広まる可能性があり、ネガティブな評判を管理する能力が制限されたり、低下したりする[14]。企業がブランドを取り巻くネガティブな評 判を救おうとするためには、企業の社会的責任(CSR)が、企業のイメージを保護したり、ダメージを回復したりするのに役立つ解決策のひとつとなる。 CSRのアプローチを効果的に行うためには、企業は早期にCSRのアプローチを採用しなければならず、そうでなければ、消費者の認識の中で意図の改ざんな どの潜在的なリスクが生じる可能性がある[17]。 否定的な宣伝がもたらす有害な効果にもかかわらず、否定的な宣伝が常に期待された効果をもたらすとは限らない[16]。 否定的な宣伝は、肯定的な宣伝とは対照的に、実際にはより多くの注目を集める可能性がある[13]。否定的な宣伝の性質と、ほとんどの人を遠ざけるその能 力にかかわらず、否定的な宣伝のわずかなヒントがあれば、実際には消費者の間で関心を高めることができる。モンガ&ジョンが述べているように、ネガティブ な宣伝が常に有害であるとは限らず、強い態度でブランドを識別している消費者は、形成されたネガティブな宣伝によって影響を受ける可能性は極めて低い [14]。 |
Earned media Photo op Publicity stunt Succès de scandale Viral marketing https://en.wikipedia.org/wiki/Publicity |
アーンドメディア フォト・オプ 売名行為 スキャンダルの成功 バイラル・マーケティング |
Communization
theory (or Communisation theory in British English) refers to a
tendency on the ultra-left that understands communism as a process
that, in a social revolution, immediately begins to replace all
capitalist social relations with communist ones.[1] Thus it rejects the
role of the dictatorship of the proletariat, which it sees as
reproducing capitalism. There exist two broad trends within
communization theory: a ‘Marxist’ one (exemplified by Gilles Dauvé,
Théorie Communiste, and later, Endnotes) and an ‘Anarchist’ one
(represented by Tiqqun, The Invisible Committee, and Hostis).[2] [3] The term ‘communization’ in this context was coined by Dauvé, following the uprising of May 68, in an attempt to explain its failure. Dauvé’s theory synthesised the council communist emphasis on proletarian self-emancipation and rejection of the party-form with Italian communist Amadeo Bordiga’s critique of what he saw as capitalism in the Soviet Union, which stressed the importance of the content of communism.[4] He was additionally influenced by the Situationists’ rejection of work (at least in words) and focus on the revolutionary transformation of everyday life.[5] History Origins and precedents In his 1843 Code de la Communauté, the Neo-Babouvist Théodore Dézamy called for an immediate move from capitalism to communism. Instead of a transitional stage between the two, he envisioned the gradual abolition of the state and the "communisation of social relations" through the direct cessation of commerce.[6] In The Conquest of Bread, anarcho-communist Peter Kropotkin called for the immediate expropriation of all property, for the purposes of ensuring well-being for all, following an insurrectionary period.[7] He also proposed the immediate communisation of social relations,[8] which would integrate both agricultural and industrial workers into the process by each fulfilling the needs of the other.[9] But anarcho-communists came to disagree on what form communisation would take. Some came to see that it was insurrectionists themselves, rather than the organised working class, that would be the real agent of a social revolution. Criticising the labour movement as reformist, this anti-organisational tendency came to favour agitating the unemployed, expropriating food and carrying out propaganda of the deed.[10] Although the English socialist William Morris was critical of this individualist anarchist tendency, regarding both its theory and practice as "reactionary", in his 1893 Manifesto of English Socialists, Morris also called on socialists to dedicate themselves to immediately bringing about the "complete communization of industry for which the economic forms are ready and the minds of the people are almost prepared."[11] Modern conception In the wake of the protests of 1968, the French communist Gilles Dauvé coined the modern concept of communization, building on the earlier works of Karl Marx and Peter Kropotkin which had identified elements of communism that already existed within society.[12] Dauvé rejected the conception of communism as a political platform that would be implemented after seizing power, as previous movements that had done so did not actually implement communism after their revolutions.[13] Instead Dauvé called for a "communization" that would "break all separations":[14] circulating goods without money; occupying workplaces and bringing them under social ownership; closing any workplaces that couldn't function without causing alienation; abolishing specialized education; and breaking up single-family households.[15] After a wave of unemployment protests in France during the late 1990s, the Tiqqun collective was established, drawing their ideology from a mix of insurrectionary anarchism, post-structuralism and post-Marxism, while drawing its stylistic influences from the French avant-garde.[16] The collective came to characterise their anti-authoritarian form of communism by the term "communization", referring to an insurrectionary period that would lead to structural changes in society.[17] Tiqqun rejected seizing state power, which they considered would make those that took power into a new ruling class, but instead as called for a "revolution rooted in the transformation of every day life."[18] https://en.wikipedia.org/wiki/Communization |
共産化理論(イギリス英語ではCommunisation
theory)とは、共産主義を、社会革命において、すべての資本主義的社会関係を共産主義的なものに直ちに置き換え始める過程として理解する極左の傾向
を指す[1]。したがって、資本主義を再生産するとみなすプロレタリアート独裁の役割を否定する。共産化理論には、「マルクス主義的」なもの(ジル・ドー
ヴェ『共産主義論』、後の『エンドノート』に代表される)と、「アナキズム的」なもの(ティクン『見えない委員会』、『ホスティス』に代表される)という
2つの幅広い傾向が存在する[2][3]。 この文脈における「共産化」という用語は、68年5月の蜂起の後、その失敗を説明しようとしてドーヴェによって作られた。ドーヴェの理論は、プロレタリア の自己解放と党形態の拒否を強調する評議会共産主義者と、共産主義の内容の重要性を強調するイタリアの共産主義者アマデオ・ボルディガのソビエト連邦にお ける資本主義批判を統合したものであった。 沿革 起源と前例 新バブービストのテオドール・デザミーは、1843年に発表した『共同体法典』(Code de la Communauté)の中で、資本主義から共産主義への即時移行を呼びかけた。両者の間の過渡期ではなく、彼は国家を徐々に廃止し、商業の直接的な停止 を通じて「社会関係の共同化」を構想していた[6]。 無政府共産主義者のピーター・クロポトキンは『パンの征服』の中で、反乱期に続いて、すべての人の幸福を確保する目的で、すべての財産を直ちに収用するこ とを求めた[7]。ある者は、社会革命の真の担い手となるのは、組織化された労働者階級ではなく、むしろ暴動主義者自身であると考えるようになった。労働 運動を改革主義的であると批判し、この反組織的な傾向は、失業者を扇動し、食料を収奪し、行為のプロパガンダを実施することを支持するようになった [10]。 イギリスの社会主義者ウィリアム・モリスは、この個人主義的なアナキズムの傾向を批判し、その理論と実践の両方を「反動的」とみなしていたが、モリスは 1893年の『イギリス社会主義者宣言』において、社会主義者たちに対して、「経済形態が準備され、人々の心がほぼ準備されている産業の完全な共産化」を 直ちに実現することに専念するよう呼びかけていた[11]。 現代の構想 1968年の抗議運動をきっかけに、フランスの共産主義者ジル・ドーヴェは、すでに社会の中に存在していた共産主義の要素を特定したカール・マルクスと ピーター・クロポトキンの以前の著作を基に、共産化という現代的な概念を作り出した[12]。ドーヴェは、権力を掌握した後に実行される政治的綱領として の共産主義の概念を否定した。 [その代わりにドーヴェは「すべての分離を断ち切る」「共産化」を呼びかけた[14]:貨幣を使わずに商品を流通させること、職場を占拠して社会的所有権 のもとに置くこと、疎外を引き起こさずに機能しない職場を閉鎖すること、専門教育を廃止すること、一世帯世帯を解体すること[15]。 1990年代後半にフランスで失業抗議デモが相次いだ後、ティックン集団が設立され、彼らのイデオロギーは、フランスのアヴァンギャルドから様式的な影響 を受けながら、革命的アナキズム、ポスト構造主義、ポスト・マルクス主義をミックスしたものであった。 [16]ティクン集団は、彼らの反権威主義的な共産主義の形態を「共産化」という用語で特徴づけるようになり、社会の構造的な変化をもたらす反乱期を指す ようになった[17]。 |
★クレジット:池田光穂「感覚の人類学の理論研究からエスノグラフィー書記法へ」京都外国語大学アフロ・ラテンアメリカ研究会、発表、2024年6月15日
リ ンク
文 献
そ の他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
本研究はJSPS科学研究費 補助金(科研費) 21K18363 の助成を受けたものです。
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