かならずよんで ね!

シンギュラリティの以前と以後の宗教

Religion at the Technological Singularity

池田光穂井上大介


 リサーチ・クエス チョン「シンギュラリティ時代における宗教」

a.人 類というものは「未来予測ではなく未来・現在・過去の再解釈か らなる論集(問題系)を作る」のであり、

b.本 研究における宗教研究とは「今日総動員できるメタファーの集積(知識デー タベース)をめざすもの(すべてではないがその主要な部分)」であり、

c.人 工知能を「人間存在(human being) と人工知能体(artificial intelligent agent)を「普遍的・本質的なものと してとらえずに、エコシステムに応じて、内的体制を変化させ、また集団として多様性を担保しつつ進化的に選択される存在」として考える。

e.AI そのものは信念をもちうるのか?——ひいては宗教を信じれるのか? この疑問の前提は、宗教は信念よりもより「発達」したものであるという考え方(=信 念)である。

人間と宗教と人工知能のトライアンギュレーション.

シン ギュラリティ時代の宗教とクリフォード・ギアーツ

シンギュラリティ時代の宗教を考えるためには、ま ず、シンギュラリティ時代という時間のエポックを認めること。そして、そのエポックの前後で宗教あるいは 宗教なるものがどのように変化しているのかを明らかにすることが重要である(→「ギ アーツ「文化体系 としての宗教」」)。ただし、シンギュラリティというものが何を示しているか、この図には反映され ていないので、追加の作図は必要かと思います。


「シンギュラリティ時代における宗教」の問 題集ないしは、予測問答(リプライ)集

シンギュラリティとは 現代のAI崇拝が、その信仰者に約束する 特異点のことであり、AI崇拝の狭義にも論理的に定義されていない、非合理的エートスである。

シンギュラリティを「宗教」として捉えることで、宗 教とシンギュラリティの類似点と相違点が明らかになる。すなわち、これまでの宗教が社会の近代化のなかで宗教批判に遭遇したときに、神学や教理(学)を整 理して、さまざまな形で近代化・合理化してきたのに対して、シンギュラリティは、人工知能という合理的なプロセスをとおして、それが「シンギュラリティ」 という未来の特異点を想像するという非合理的なプロセス(=過度の定向進化論的解釈)を経て、信仰として変化したものである。これは、レヴィ=ストロース が、儀礼とゲーム(試合)を対比的に定義したときに、儀礼は社会や宇宙の不均衡(=病気、不作、紛争など)から始まり儀礼を通して宇宙を再度統一的な状況 に回復する手段であるのに対して、ゲーム(試合)は、お互いに対等の関係から出発し、試合が終わった時点では不均衡の状態で終了する、という過程の対比に 似ている。

文献

その他の情報

Maya_Abeja

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