池田光穂・井上大介
リサーチ・クエス
チョン「シンギュラリティ時代における宗教」
a.人
類というものは「未来予測ではなく未来・現在・過去の再解釈か
らなる論集(問題系)を作る」のであり、
b.本
研究における宗教研究とは「今日総動員できるメタファーの集積(知識デー
タベース)をめざすもの(すべてではないがその主要な部分)」であり、
c.人
工知能を「人間存在(human being)
と人工知能体(artificial intelligent agent)を「普遍的・本質的なものと
してとらえずに、エコシステムに応じて、内的体制を変化させ、また集団として多様性を担保しつつ進化的に選択される存在」として考える。
e.AI
そのものは信念をもちうるのか?——ひいては宗教を信じれるのか? この疑問の前提は、宗教は信念よりもより「発達」したものであるという考え方(=信
念)である。
人間と宗教と人工知能のトライアンギュレーション.
シン
ギュラリティ時代の宗教とクリフォード・ギアーツ
シンギュラリティ時代の宗教を考えるためには、ま
ず、シンギュラリティ時代という時間のエポックを認めること。そして、そのエポックの前後で宗教あるいは
宗教なるものがどのように変化しているのかを明らかにすることが重要である(→「ギ
アーツ「文化体系 としての宗教」」)。ただし、シンギュラリティというものが何を示しているか、この図には反映され
ていないので、追加の作図は必要かと思います。
「シンギュラリティ時代における宗教」の問
題集ないしは、予測問答(リプライ)集
- 1.レイ・カーツワイルのシンギュラ
リティの概念が、ユダヤ=キリスト教的な
もの
の世界観=宗教観における、メシア信仰であるという指摘をしても、シンギュラリ
ティ主義者は、それを宗教であると思っていないの
で、いなかる論争も引き起こさないのではないか?(→「レイ・カーツワイルが考える宗教とは?」の項目を参照)
- 2.シンギュラリティ主義をメシア信仰であると言って
も、宗教社会学や宗教史の専門家は、その「相似性」と「相同性」について関心をもつことがあるだろうが、多くの人には、なんの所感も見出さないだろう。
- 3.宗
教を公共性からの衰退とみる啓蒙主義的な宗教観は、近代後期の宗教学研
究の
水準からは、もはや不十分な議論のように思える。近代における公共圏と親密圏のせめぎあい、あるいは、すみわけ、それぞれの、社会生活との関連性に関する議論に、送り返さない限り、不毛な哲学(風)議論で終わって
しまう(→「公的領域と私的領域に関する議論」)。
- 4.聖なるもの/俗
なるもの、の二項対立概念と、宗教はどのような位相におか
れる
のか?
- 5.現代における、
リベラリストと宗教(ないしは教会)と、ポピュリストに
とって
の宗教(ないしは教会)とは、どのような対比をなすのだろうか?
- 6.テクノクラシー
(technocracy,
科学技術による支配や統治)は、ギリシア語の teknē (技術) と kratos (支配する)
に由来し、1919年に、カリフォルニアのエンジニアー William Henry Smyth
がはじめて造語したと言われているが、そのことは踏まえているだろうか?
- 7.コンピュータに知性があるかどうかよりも、その知性がどのよう
に知覚されるかが重要なのではないか?すでに、議論されているが、シェリー・タークル[Sherry Turkle,
1948-
]の議論(一部)だが、SNSの普及は逆にユーザーのナルシズム化と、「新しい孤独」(「つながっていても孤独」感覚)を産むことになる(→「ナルシズム化と新しい孤独の誕生」)、と。
- 8.映画『ターミネーター』では、時間が脱臼し、サラがやが
て訪
れる「審判の日(Judgment
Day)」へ向けての戦いを決意しメキシコへ旅立つなどメシア的な宗教的テーマが各所にあらわれる、この研究の時間概念、とりわけ時間的尺度は、どのようなものか?。他方で、人工
知能スカイネットの反乱など、AIの人類
に対する《暗いシンギュラリティーの近未来》のテーマが基本的なトーンになっている;「2029年の近未来、核戦争後の世界で反乱を起こした人工知能「ス
カイネット」が指揮する機械軍により、人類は絶滅の危機を迎えていた。しかし抵抗軍指導者であるジョン・コナーの指揮下、反撃に転じ、人間側の勝利は目前
に迫っていた。脅威を感じたスカイネットは、逞しい男性の姿をした殺人アンドロイド「ターミネーター・サイバーダインシステム・モデル101」を未来から
現代へを送り込み、ジョンの母親となるサラ・コナーを殺害することでジョンを歴史から抹消しようと目論む」ウィキ)。
- 9.カーツワイルの全システム的なメシアという比喩はインターネットのそれで、そのイメージは、善良な「スカイネット(Skynet
-Terminator)」的な意味ぐらいにしか思い起こせないが、ハッ
ピーな救済はあるのか?あるいは、アンハッピーな未来予測にはどのようなものがあるのか。ネットにつながりながらも我々の生活にもっとも実
装が近いものは、自動運転(self-driving)
の自動車(autonomous car)であろう。
- 10.AI導入やシンギュラリティの時代における宗教について考え
る議論は、驚くほど少ないが、それは、世間の人が、そのような研究に大きな意義を見出していないからなのではないか?
あたかも、現在のインターネットや
AIに
とって、宗教は何の変化も、齎さないという、人々の「予見」を反映しているようにも思える。世俗化により宗教が、日常生活におけるちょっとした慣習行為や
実践に関わっている以上に、重要視していないかのようである。それゆえ、AIの横溢として考えられるシンギュラリティ以降も、宗教(生活)には概ね変化が
ないかのようだ。2019年4月15-16日のパリのノートルダム大聖堂の火災(Notre-Dame
de Paris fire)
の際にも、その直後にはインターネットには多くの画像が流れた、そして、各国政府の文化財修復のための義捐金の申し出や、クラウドファンディングで多額の
資金が集まったが、その後にほとんどニュースは流れていないことが、その宗教的なるもの日常生活における喪失と関連しているのかもしれない。
- 11.AIやロボット脅威論の古典は、それらの発達により、労働者
の雇用が失われるという恐怖からであった、そのような歴史化はきちんとおこなっているのか。古くは、ラッダイト運動(Luddite)。た
だし、これは「無知な労働者」たちが、仕事を奪われる恐怖からおこした「原始的な反応」と歴史的には、分がわるい原初的抵抗運動の地位に留まっている。で
も、今日の政府は、Society
5.0の到来により、古典的な意味での労働は不要になり、余暇時間が大幅に増えより豊かな社会が到来すると喧伝している。もちろん、根拠がない妄想と言え
ばそれまでだが、誰もが批判し、(抵抗の)声をあげない理由は、日本の労働者の多くは、自らのアイデンティティの多くを労働者というよりも消費者であると
位置付けているからであろう(→「若者と労働」P.ウィリス『ハマータウンの野郎ども』Learning
to labour : how working class kids get working class jobs)。
シンギュラリティとは
現代のAI崇拝が、その信仰者に約束する
特異点のことであり、AI崇拝の狭義にも論理的に定義されていない、非合理的エートスである。
シンギュラリティを「宗教」として捉えることで、宗
教とシンギュラリティの類似点と相違点が明らかになる。すなわち、これまでの宗教が社会の近代化のなかで宗教批判に遭遇したときに、神学や教理(学)を整
理して、さまざまな形で近代化・合理化してきたのに対して、シンギュラリティは、人工知能という合理的なプロセスをとおして、それが「シンギュラリティ」
という未来の特異点を想像するという非合理的なプロセス(=過度の定向進化論的解釈)を経て、信仰として変化したものである。これは、レヴィ=ストロース
が、儀礼とゲーム(試合)を対比的に定義したときに、儀礼は社会や宇宙の不均衡(=病気、不作、紛争など)から始まり儀礼を通して宇宙を再度統一的な状況
に回復する手段であるのに対して、ゲーム(試合)は、お互いに対等の関係から出発し、試合が終わった時点では不均衡の状態で終了する、という過程の対比に
似ている。
文献
- 信頼を考える :
リヴァイアサンから人工知能まで / 小山虎編著、勁草書房、2018.
- 第12章宗教について[pdf with password](水田・田中訳)トーマス・
ホッブス[1651]『ホッブス:リヴァイアサン』水田洋・田中浩訳、世界の大思想13、河出書房、1967年
- David Stoll, Is Latin America Turning Protestant? University of
California Press , 1990.
- Virginia Garrard-Burnett, David Stoll, eds, Rethinking
Protestantism in Latin America. Temple University Press , 1993
- Computer culture : the scientific, intellectual, and social
impact of the computer / edited by Heinz R. Pagels, New York, N.Y. :
New York Academy of Sciences , 1984 . - (Annals of the New York
Academy of Sciences ; v. 426)
その他の情報