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山口昌男「調査する者の眼:人類学批判の批判」ノート

Debate between Katsuichi HONDA and Masao YAMAGUCHI: YAMAGUCHI's reply in 1970

Mitzub'ixi Quq Chi'j

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パラグラフ番号
内容
コメント
本多勝一『殺す側の眼:山口昌男氏の文章をめぐって』(Pp.92-109.)

325
1(一)
・第1節は、事の経緯について書いてある。サイドストーリーが興味ふかく、思わず引き込まれる箇所が多いが、論争には関係のないような文章がつづく。
・本 多勝一「調査される者の眼」『思想の科学』1970年6月号、Pp.9-18, 1970年への、反論の経緯が、書かれている。名指しされたわけではないにも関わらず、筑摩書房刊の月刊誌『展望』の当時編集長に就任した原田奈翁雄から 「ああいう批判は人類学の側できちんと答えておくべき」[山口2003:325]と促されて書いたとの旨がある。
・「評論と学問。しかし、中でもマルクス主義的立場が一つの学問の中で大きな影響力をもっている場では、この二元(=評論と学問)的区別は簡単に破られて いたとは思います。ところが、言語論とか民俗学は、素人が簡単に、いとも気楽に発言できると同時に、専門家と一般人の代表たる評論家の間に一番コミュニ ケーションのなりたちにくい領域でありました。民族学も構造主義の流行以後、「周辺あさり」的思想のツマミ喰い屋さん達の好餌になりつつあると同時に、学 会的な姿勢としては似たような風潮がますます表面化すると思います」(p.326.)
・吉本批判であるが、これは、専門家でもない者が、専門家に噛み付いて火傷するぞ、というような《専門家の恫喝》のようにも読めることが残念だ。
・【全体の見通し】
・ワープロのない時代であるが、何度かの改定のチャンスがあるが、一番最初の原稿を生かした内容がほぼそのまま掲載されている。論争的な部分が6割、罵倒2割、山口の衒学趣味の蘊蓄(ただし論争の根幹にも関わる内容もある)が2割という感じか。
+++++++
・「思わず引き込まれる箇所が多いが、論争には関係のないような文章がつづく」と書いたが、横溢する山口の知性についていくのがやっとで、それが論争相手の本多に対するやっかみのようにも読み取れる。論争の相手には適切ではない「噛みつき」方ではある。
+++++++
・原田奈翁雄の固有名はなく「新編集長の原田氏」とあるのみある。
・山口の「「周辺あさり」的思想のツマミ喰い屋さん達の好餌」の撃破として、吉本隆明への〈迷惑〉をいなしている点は、抱腹絶倒ではあるが、それを本多も 同じと予告(パラグラフ2.)しているところは不気味であるが、論争の作法としては、今から考えても品がなく、冗長である。
・本多の論調は、反教養主義の人に真理をみて、インテリの衒学趣味(=山口のこと)を嫌悪するという「オードブル」という文章から始まる。実質的に、反論にもおよばないという、切り捨てが本多のトーンである。
・調査する者の眼のエッセーは支離滅裂で本多への反論になっていないというものだ。
326
2
・吉本との論争の不幸な顛末。
このようなサイドストーリーに意味があるのか?私(池田)には、不毛のように思われる。
・本多は吉本と同じ気持ちだろうと忖度するが、その理由は山口による批判を「時間を潰すほど暇」ではないと断罪するものだ(p.98)。

3
・吉本とは異なり、本多を論争の相手として、きちんと取り扱うつもりだという意味にもとれる。
・「素人相手に、人類学は危険な学問であると鼓吹する論法は、人類学を多少知りつつも、政治的な立場を利用して、道徳的に地歩を得ようとする人の常套手段であるという気がしますが、私は本多氏の場合、このような一般論は適応されないと思います」(p.326)
・吉本とは異なり、本多を論争の相手として、きちんと取り扱うつもりだという意味にもとれる。
・「本多氏の場合、このような一般論は適応されない」だから、吉本の事件の顛末など、不要である。

326-327
4
・マルクス主義者が、振り回す「ブルジョア的」レッテルの不毛。
・しかし、この「ブルジョア的」レッテルの不毛が、日本の社会科学や批判理論をどれだけダメにして、批判的理性を推し進めることを犠牲にしたことか! ・マルクス主義批判と自分(本多)は関係なし(p.98)
327
5
・人類学を「プチブル学問」と位置付けられることは少ない。
・より重要な課題は、反人類学言説に対する論駁である。
・より重要な問題は、反人類学言説である。これは重要な指摘。

6
・新興国アフリカにおける反人類学言説の言説は、歴史学のほうからなされる。
・歴史は、過去の栄光を礼賛するので、新興国にはたいへんよろしい御用学問的言説になる。
・歴史学者ビオバク氏(p.328)「通分野的アフリカ学の提唱」『ミネルヴァ』1962年3号
・人類学排斥の論理:1)学内ポリティクス、とりわけ人類学にとってかわれない蓄積の無さがさらに人類学に風当たりが悪くなる。2)個人的ポリティクス。 欧米系の学者が露骨な反人類学の論陣をはる。B・ウェブスター(カナダ出身、マレケケ大学歴史学教授)。歴史学のステレオタイプは、人類学は人種偏見を助 長したものだという言いがかり。長島信弘(社会人類学者)。

・イバダン大学で教えた山口昌男の真骨頂がみられる点で大変興味ある(ただし、本多との論争では、歴史的来歴から人類学を批判することの有効性と可能性は、一部しか被らない)
・当時の反人類学言説や、アフリカの歴史学者が(植民地科学の歴史をもつ)人類学に反感をもっていたのかがよくわかる情報になっている。
・山口昌男のトリックスターなみの対応と、人類学擁護の主張は(同業者としても)とてもよくわかる。ただし、これを論争の経緯を見守る一般の読者には、わかりにくい文章(サイドストーリー)であるし、本多の山口の「自己顕示欲」によるものだという揶揄(反論と言い難い)も首肯できる冗長な部分を形成している
・自分(本多)には関係ない。山口に自己顕示欲によるものだと一蹴。
329
7
・K・O・ディケ(当時のイバダン大学長)「翅をむしりとられて、飛翔できないようにして、ガラスの檻に入れられた昆虫のように観察された経験」(ディケ氏)のない人にはわからない、という主張( p.329)。


330
8
・ディケの主張は説得的だ。ただし、観察し報告するという、社会科学の根本機能を否定する論理と想像力をもつ必要がある。
・ディケ氏は、自分の大部族主義を否定することができない大部族主義者、ということをロビン・ホートンから聞く。
・「観察し報告するという、社会科学の根本機能」で山口の議論が回っていることは、否定できない。これは、「観察し報告する」人類学者の活動が調査される側にどのように受け取られているのかを根本問題にする本多にとつては、堪え難い責任放棄の主張のように解釈されても、釈明の余地はない。


9
・行動学的政治学者ウルフ・ヒンメルストランド教授は、アカデミズムのなかに「新しい学問幻想」を持ち込んだ。
学問幻想で、大学の学問政治を回す、という山口の指摘は、経験的に言って正しい(=経験的事実をもつ)。

330-331
10
・もっとも、反人類学で筋が通っているのは、ノルウェーの社会学者ヨハン・ガルトゥングJohan Galtung, 1930- )「トランジション」論文
・白人社会人類学者、レイモンド・アブソープ(マレケケ大学社会学科主任教授)
・編集長ラジャット・ネオギーは下獄。
・アブソープは、その後、サセックス大学後進国問題研究所長、ユネスコ勤務。
・アブソープは、産業社会へのアプローチを欠く人類学批判論者


331
11
・1965年にアフリカより帰国。
・野間寛二郎の講演:「人類学は危険な学問」。これが本多よりも先に指摘していた。
・以上、第1節(章)は、反人類学の歴史的伝統と反人類学の言説の紹介。
・ 野間寛二郎(1912-1975)治安維持法で獄中。昭和32(1957)年カイロのアジア・アフリカ人民連帯会議に出席後、アフリカ問題懇話会を主宰。 45年季刊誌「a」を編集、ギニア、アンゴラ、ローデシア、モザンビークの独立運動と南ア共和国の人種差別の実態を紹介
・日本の反人類学言説は、著名なアフリカニストからやって来る?

332
12(二)
・本多、エスキモー、ニューギニア、アラブ遊牧民の三部作のジャーナリスト
・本多が、人類学批判をやるようになったのは、北沢正邦の「ペテン」によるもの。『現代の理論』55号
・「侵略戦争協力の例は個々に告発すべきである」(=人類学一般への批判は避けるべき?)
・このあたりで、大朝日への攻撃が始まる。
・ハンス・エンツェンスベルガー「タマゴ踊りとしてのジャーナリズム」『意識産業』所収、晶文社。
・本多は、北沢のペテンにのったわけではないと主張。
333
13
・人類学批判をすると、自動的に大新聞批判になり、自分に返ってくる。
・自分は世間の片隅で、ひっそり人類学やってきたので大朝日の記者が「正義の使者」ぶるをすると嗤ってしまうと皮肉。
・このあたり、大新聞=大朝日批判に終始。
「人類学批判をすると、自動的に大新聞批判になる」というのは、わかりにくい批判だ。 ・本多は、大朝日批判はどんどんやれという立場である。ただし、論理的な批判をということだ。本多は、一労働者である自分に、朝日を代表する言われなし、という立場だ。
・また世界各地の取材は「社命」で動いているのではないと。

14
・人類学批判の修辞の問題も指摘。特定の部分の深読みで、一般化の誤謬をおこす。


334
15
・学者の正当化、「探検」や「冒険」ではなく「学術」調査である、という主張=権威主義。
・ただし、調査研究が、本当に役にたっているのか?_役にたっていないのに、役にたつかのように資金を集めるのは「二重の欺瞞」を犯す。



16
・山口自身のアフリカ研究。1958年ごろ、1960年「アフリカ王権研究序説」修士論文。
・1963年イバダン大学に赴任。
・借金、寄付、アジア財団、ウェンナー=グレン財団などから調達。「AA研は帝国主義的だ」と批判した言語学のM助手は、日本の機構の援助で渡航。
・大学紛争で、研究室に置いていた本が盗まれる。
・このあたり、山口の私的な事情の話なので、何を主張したいのか、意味をとりかねる箇所でもある。
・調査費の少なさは「お気の毒」だが、八つ当たりしないでほしい。また、自分にも公開せよと言えば、立場が逆になるぞと警告。
335
17
・本多は、M助手の批判と資金調達に酷似だと批判。
・自分たちは苦労しているのに、大朝日の本多は、楽していると、根拠のない言挙げをしているようにも思える。
・中根千枝に「蹴り上げられた」?——『冒険と日本人』

・大学闘争中の問題と、自分(本多)の問題は何の関係もない。
・セールスマンよろしく、というのはセールスマンを見下した態度だからやめたほうがいい。
336
18
・権威主義批判をするのは、自らの権威行使に無神経な奴だという言いがかりに聞こえる。
・中根に対する怨念かと皮肉るのは、二度目(p.337)
・337ページの「万博コミットで開き直った所謂「芸術家」」は、岡本太郎のことか?(→342ページに実名で岡本太郎批判が出る)
・山口は、本多『アラブ遊牧民』の書評を書いており、ジャーナリストの「この世界に対する手ざわりの感覚」を評価していたらしい。
・結果的に(中根擁護になってしまうが)「私は、この点に関しては敢えて「黙れ!」と申します」(p.337)は、議論をしない前からの、門前払いのように聞こえる。
・岡崎洋三さんによると、『展望』論文からせりか版あるいは筑摩書房版に収載された時に、借金返済のためにこの原稿を書いているという旨の文章が、18パラグラフ冒頭にあたる部分で削除されているという。
・山口は、山田宗睦『危険な思想家 戦後民主主義を否定する人びと』光文社、1965年、で批判される保守派知識人を、自分(=山口)に、山田に本多を重ねようとしているように思われる。
・このニュアンスは、本多をマルクス主義的な左翼から「保守的(にみえる)な」人類学を批判しているのだという、フレーム・メイキング(フレームアップ)していると言われても弁解の余地がない。
・本多の批判を貫いても(山口に)人類学をやめろいう論理にはならない。
・中根の肩をもって、批判するのならもっと徹底的にやるべきだ。
・批判の論法が八つ当たりで、非論理的で、自分に返ることへの思慮が足らないのだと、たしなめるモード——本多の主張に大いに分がある
337
19(三)
・「ベトナム政策に協力する人類学者を糾弾することに私は賛成です」。だが、その理由は人類学が「簡単に役立ちすぎる」点にある。
・人類学の理論の多くは、そう簡単に役立ちそうにない。
・しかし、1968年10月の国際人類学会では、ジャン・プイヨン(Jean Pouillon, 1916-2002)、ダニエル・ド・コッペ(Daniel de Coppet , 1933-2002)と協力して署名運動を起こし、人類学が少数部族の抑圧に加担しないように運動した。
1)ナイジェリアへの英・ソ・アラブ連合の政府援助、2)スーダンの南部「種族」に対する抑圧、3)イラク、クルド族への弾圧、4)南米ブラジルの少数民族撲滅政策、への批判をした。
・プイヨンは、ルイ・デュモンの弟子、民族学者。
・ダニエル・ド・コッペは、メラネシア研究(ソロモン諸島)者。
・「けしからんことですね。賛成」と余裕の反論。
338
20
・日本のジャーナリズムは報道しなかった(恨み節?)


338-340
21
・国際人類学、民族会議常任委員会はアピールの採択却下。
・日本での問題は、在日朝鮮人ではないか?
・大村リザーブの存在。朝日や本多は、それを取り上げない瑕疵を問題にする。
・取り上げないことを問題にする一方で、現地をうろうろ回ったら、現地の人びとの側に立つ発想も批判する——山口のこの態度はフェアではない。
・良心的な人類学者もいるし、それも多い——これは正鵠を得る。
・大村収容所を指摘したのは、池東信「大村収容所の実態を告発する」『思想の科学』(われわれにとっての朝鮮(特集)):88:38-53, 1969年6月号。ただし池東は、本多=山口論争で、その後に、本多の側に立ち、山口批判を展開する。
・山口は、取り上げないことを問題にする一方で、現地をうろうろ回ったら、現地の人びとの側に立つ発想も批判する——山口のこの態度はフェアではない。
・本多のこれが書かれたのは、池東信論文が出た後なので、池東が山口批判をしていることに、気づけと警鐘。
341
22
『世界の冒険』シリーズでの、梅棹と本多の対談を通して解説をし、『石田英一郎全集』で、(研究対象を)昆虫と同様に扱うことを、その内容見本文で次[パラグラフ]のように書く。
・「他人の対談記事について、自分がききたいことを言っていないと不満をもらしても、意味のないことだ」(p.101)
・梅棹と泉への八つ当たり。

23
・全文、引用の段差げパラグラフ
・(研究対象を)昆虫と同様に扱うという本多の発言の典拠は梅棹の発言であることを、本多との対談『世界の冒険』シリーズ(文藝春秋社)からのものであることを指摘。

本多「調査される者の眼」1970.

(342)
24
・ 前のパラグラフで(研究対象を)昆虫と同様に扱うという本多の発言の典拠は梅棹の発言であることを、本多との対談『世界の冒険』シリーズ(文藝春秋社)か らのものであることを指摘。それを指摘した後に、「動物生態学の梅棹」には質問も、また批判もしないと、批判の不公平を指摘している。パラグラフ22で 「これはあまり触れたくない」と断っているが、これは正鵠を得る。
・梅棹、泉、岡本太郎批判がある。337ページの「万博コミットで開き直った所謂「芸術家」」も、岡本太郎のことか?
・「万博に用いられた政治技術」
・ギルバート・ライルやミッシェル・フーコーの名をあげて「人間」という抽象概念を振りかざすことへの警鐘。
・アラン・ジュフロワ『視覚の革命』西永良成訳、晶文社、1978年/Alain Jouffroy, Une revolution du ragard.
・ローレンツの動物行動学(ethology)——本多は動物生態学と表現ただしこれは不正確——と文化人類学の行動観察を一緒くたにするのはまちがっている(p.101)。
・万博は、自分も反対している。ただし、山口のような人格攻撃ではない。
・文句は石田英一郎大先生に言いなさい。
343
25(四)
・本多の「菊と刀」論への批判:『菊と刀』は敵国分析の資料である。ベネディクトの善意を引き出すことには無理がある。
・戦争中の在米日本人へのキャンプ収容政策
菊と刀』の理解については、本多も山口も、現在の研究の水準からみれば、非常にイデオロギー的主張やバイアスに絡め取られている。結論的には、ベネディクトは、本多や山口のような戦争協力やベネディクトの矜持以上の意味をもち、日本文化理解のメチエ(技法)を『菊と刀』で実践したのだというのが、現在(2019)での理解としてふさわしいものだろう。 『菊と刀』に対するつまらん講釈。
・小和田次郎『デスク日記』もマスコミ人間
・ベネディクトが死んだから批判できないことはない(本多の反論もあいまい)。
344
26
・日本におけるアジア支配の反省なくして、米国における、日本支配の政治イデオロギーを批判することは偏りがある。
・体制翼賛から、戦後まで『朝日新聞』社は、赤いか白いかは無関係に、反米ナショナリズムのメディアであることには変わりない(池田の所感)。


27
・本多の論調には「日本人に「居直る」こととをすすめているとらえかねない」可能性があると指摘。
・取った刀で大朝日批判、沖縄即時返還、原子力空母来港反対、横田基地返還、米軍のアジアからの即時撤退を、朝日が謳ったことがあるか?
・本多は、ジャック・デュクロ『党と知識人』国民文庫ばりの、批判をおこなっているが、学者が聞くには、批判者の側(=本多)の矜持を求める、とも読める。
・「頭の上を蝿でいっぱいにした男」(p.345)
・本多のレトリックには「日本人に「居直る」こととをすすめているとらえかねない発言をする本多記者」の指摘は、今日の論点から見ても、正解——左翼ナショナリストなのだ。
・デュクロ(Jacques Duclos)『民族の独立と平和』国民文庫、しかない。
・頭の上を蝿でいっぱいにした男」(p.345)いうのは、レーニンばりの罵詈雑言だ。よろしくない。
・「なんともキタナイ言葉をぽんぽん使う学者サン」だ。
345
28(五)
・現地人の側にとりこまれ、文化人類学者を「廃業」したのは、フランク・カッシングのことであり、それは、鶴見俊輔「記述の理論」『思想』1955年12月号からのもので、鶴見はさらに、これをレッドフィールドから引用してる(→第29パラグラフへ)

・山口の自己顕示欲と表現する(他の箇所でも同様)
・廃業したのはカッシングではなく、プエブロ・インディアンを研究していた若い男である。それは、祖父江孝男(『明治大学新聞』収載)から聞いたと、真相を暴露。

29
・ 「共感しながら住んでいる人たちの価値体系に染まるのはよくあることである。インディアンの生活の初頭の研究者であったフランク・カッシングは、彼が研究 したズニ族の人たちによって、彼らの宗教の司祭と目されるようになったため、後には、ズニ族に関する人類学的な報告を書くことができなくなった。彼はイン ディアンを裏切りたくなかった。彼は俗化したくなかったのだ。/[改ページ]私自身(=レッドフィールド)、しばしばインディアンの人びとについて学んだ ことを記述するのに、ある種の裏切り、俗化に関する疚しさ(厭しさ、とあるが「やましさ」に変えた)の念にとらわれることがある」(おそらく山口訳:漢語 表見を変えた)『ロバート・レッドフィールド論集』1、シカゴ、1962年
・この引用は、文化人類学への反発から廃業ではなく、本多の思惑とは逆に、文化人類学の「魅惑」のエピソーであると読めないか、と反論。
・「そうならざるを得なくなった性質を得なくなる性質が、現在までの文化人類学には潜んでいる」(本多の引用?)「人類学的認識の諸前提:戦後日本人類学の思想状況」(ミッシェル・レリスを例に引いて)
・アントナン・アルトーを狂気の淵に引き込んだような蠱惑な要素が文化人類学にある。
・人類学は、通り一編の地域調査報告に尽きるとなめてかかってはいけないと、本多を嗜める。
・本多論法で、ある程度、人類学者=地域社会調査者として、批判することは可能だ。
・西欧の論理を「内側から爆砕する構えを示す認識者としての人類学」ならびに人類学者を知ってから物を言えという脅迫にも思える——いずれにしてもカッシングは「ズニ族の物神」「ズニ族の創世神話の概要」を書いている(→『本の神話学』)。
- The papers of Robert Redfield, v. 1 Human nature and the study of society / edited by Margaret Park Redfield.  Chicago : University of Chicago Press , c1962, Chicago ; London : University of Chicago Press.
・「人類学的認識の諸前提:戦後日本人類学の思想状況」(ミッシェル・レリス
・アントナン・アルトーを狂気の淵に引き込んだような蠱惑な要素が文化人類学にある。という指摘に関連して、後年オクタビオ・パスから、アルトーは、実際にタラウマラ族を訪ねたわけでないと指摘されて、ショックに陥ったと吐露する(→カルロス・カスタネダ頌)。
・カッシング「ズニ族の物神」「ズニ族の創世神話の概要」は、『人類と論理:分類の原初的諸形態』(せりか)エミール・デュルケム, マルセル・モース共著 ; 山内貴美夫訳 、1969年。(→分類の未開形態 / エミール・デュルケーム著 ; 小関藤一郎訳、1980年)
・山口自己顕示欲お勉強会と辛辣だ。
・「人 類学というひとつの学問分野そのものを私が否定しさってていると、山口氏が思い込んでしまったところに、被害妄想狂的悲劇のはじまるがあったかもしれない なあ。報道を問題とするとき、報道の「ありかた」が問題なのであって、報道というそれ自体をまっさつことは不可能だし、ばかげたことだ」(p.103)。
346
30
・ 石川栄吉「バリ島の人たちの純朴で、自然な人間性には全く参ってしまった。あのままあそこにおると、土地の人の世界にそのまま埋没して帰りたくなくなる。 日本に帰って、あの世界を切り離して論文に書く、発表する行為がバカバカしく涜聖的であるこようにすら思える」(p.347)。
・「人類学者がいとおしむのは、こういった世界なのであり、ベトナムへの介入に人類学者が反対するとしても、それは、市民としての判断に加えて、こういった世界を蘇らせようとする人類学的志向の現れにすぎません」(.347)。
・「世界の媒介になるべき人間の復活を人類学は秘かに夢みているともいえます」(p.347)
・「政治における直接的有効性という、行きつくところは権力の授けを必要とせざるをえない不毛の論理をも内側から溶解させる力を潜めているかもしれません」(p.347)
・これ(=石川の発語)を『悲しき熱帯』と同様と書いているが、後者のほうには、未開のままにとどめておきたい人類学者と、日々変容しつつある現地の側のジレンマにレヴィ=ストロースのほうが、まだ真摯に悩んでいることもある。
・「こういった世界を蘇らせようとする人類学的志向」をレーナート・ロザルドは「帝国主義的ノスタルジー」と言わなかったか?そのような現在の流れの中で「世界の媒介になるべき人間の復活を人類学は秘かに夢みている」というのは、あまりにもナイーブすぎる儚い夢である。
・本多は「政治における直接的有効性という、行きつくところは権力の授けを必要とせざるをえない不毛の論理」が、山口のロマン主義は、それを「内側から溶解させる」かもしれないという見立ても、当時から現在まで続くリアルポリティークと人類学の関係をみても、十分な反論になり得ていない。
・石川の言葉に、本多も賛同。自分の立場が、なぜ石川と対比的にとえられてるのかが不可解(これが両者の論争の誤解の根源か?)。
・「未開ボケ」「人類学的ロマンチシズム」は山口の造語である。
・本多は(私からみれば正しくも)レヴィ=ストロースを純粋に尊敬の念を抱けないと主張。
347
31
・本多の人類学批判の論点の整理(これは山口側が整理してくれていてとても有用)——「」はないが全文引用する。
1)侵略者の文化に属する人類学者の調査は何も役立たないどころか、ベトナムやアメリカ・インディアンの例でみられる如く、他民族の支配に利用されることによって有害ですらある。
2)人類学の調査とは支配民族の被支配民族に対する価値体系の押しつけである。
3)被抑圧民族の側に立つべきである。
4)調査対象を物として扱うべきではない。救済者たれ

・山口の、1)と2)のまとめ方は間違ってる。その理由は、「人 類学というひとつの学問分野そのものを私が否定しさってていると、山口氏が思い込んでしまったところに、被害妄想狂的悲劇のはじまるがあったかもしれない なあ。報道を問題とするとき、報道の「ありかた」が問題なのであって、報道というそれ自体をまっさつことは不可能だし、ばかげたことだ」(p.103)。
・それゆえ、それについて反論する以下の議論は間違っている。

32
・「本多氏の論法は、人類学のネガティブな側面を挙げて、人類学を否定するやり方です」
・「私が、当然人類学という学問が大変好きであるから、最も肯定的な面を通して人類学を見るばかりでなく、人類学的世界把握の可能性を欠落させることによって日本近代の思考、学問が普遍性を欠くことになって、いかに時代の陥し穴にはまり続けてきた来たかという点を強調することに落ち着きます」(pp.347-348)
・人類学者としての私(池田)は「最も肯定的な面を通して人類学を見るばかりでなく、人類学的世界把握の可能性を欠落させることによって日本近代の思考、学問が普遍性を欠くことになって、いかに時代の陥し穴にはまり続けてきた来たかという点を強調する」に大いに共感するが、本多に批判に答えることとは、直接関係性をもたない。そのため、論駁のやり方としては、適切性を欠く

348
33
論点の整理。
1)具体例を通して告発せよという立場を共有するので、同意している。だが、人類学=有害説には首肯できない。山口の、人間の「象徴体系」とのコミュニケーションの強調など。



34
2)「「すぐれた人類学」とは、己れの価値で他者を量るのではなく、他者を媒介として己れを量りなおす」ところにある」(p.348)
・ジャーナリストは、「一日や二日贅沢な資金で原住民と同じ飯を喰ったというだけで、派手に正義のアドバルーンを打ち挙げることができる職種」というが、これは酷い罵倒である。
・ジャーナリストを「一日や二日贅沢な資金で原住民と同じ飯を喰ったというだけで、派手に正義のアドバルーンを打ち挙げることができる職種」という山口は、不当な言いがかりである。
・本多の側に立たなくても、「己れの価値で他者を量るのではなく、他者を媒介として己れを量りなおす」ところにある」」といっても、調査される他者は、自 分たちは、あなたたちの自身の反省材料として扱われているだけで、私たちと人類学者の立場は逆転することがあるのか?自分たちの知識は、自分たちが「あな たたち」を見ることにも使われているはずだが、その可能性について考えたことがないのかね?という他者の側の(有用性ではない)「意味」の問題として、突 きつける質問があろう。世界万博に連れていかれたイロンゴッドの若者の絵と、アフリカの人たちが探検家や人類学者をどのように見ているのかについての本の 表紙を参照。
Anthropology as Cultural Critique_The Predicament of Culture
ジャーナリストを「一日や二日贅沢な資金で原住民と同じ飯を喰ったというだけで、派手に正義のアドバルーンを打ち挙げることができる職種」という山口は、不当な言いがかりであると、本多も主張。
349
35
・叩く相手は「文化人類学」ではなく、独占資本であり、人間のエゴイズムである。大朝日の本多にはその資格なし、という罵倒がつづく。人類学や山口擁護の側に立とうとしても、この罵倒は、品がない



36
・モリエール『ドン・ジュアン』の引用を通して、世にはびこる偽善者を糾弾あるいは皮肉る。ほとんど鈴木力衛訳からの引用。

・モリエールの主張をそのまま、山口に返したい。
350
37
・エルンツェンスベルガー『意識産業』の顰にならい、「偽善産業」=朝日を糾弾する。最後も、『ドン・ジュアン』の短い引用をして、「妄言多謝」で原稿を締める。 ・「妄言多謝」で原稿を締めることは、読者としては、胸がすくよりも、すこし、後味のわるい、そして匂いの悪い、すかしっ屁のようである。 ・論壇時評の執筆者への八つ当たり。本当は自分がなりたいのではないか?(それが自己顕示欲として裏返して出てくる)
・この後に「海外調査のモラル」の再掲などもあったようだ。『現代の理論』55号の座談会で話し、「調査される者の眼」でも山口発言を肯定的に取り上げた。
(最後に背景事情を記載して)
・「こんご山口氏がこの種のケンカを売りつけていてもお相手はごめんであることをつけ加えておく」とある。
※初出は『展望』1971年8月号、『殺す側の論理』1972年に収載。
【総括】

【引用】
・ここで引用される福島真人師範にとっては些か不本意ではあろうが、私(池田)が敬服してやまない「討論の作法」からの再引用である。
1. 立場に一貫性がある。
2. 主要な論点が明確である。
3. 主要論点がそれぞれの立場を網羅している。
4. 主要な論点が論拠と証拠に裏付けられている。
5. 相手の議論に対して正しく反論し、相手からの反論に対して正しく反駁している。
6. 相手からの質問に対して効果的に返答している。
7. つまり論理的に説得力のある議論、をおこなうべきだ。
このテーゼのもとになる文章は、以下のものである。
※「「討論の作法」のあらゆる意味でのエッセンスとは、即ち討議とは重層的な対話であり、その基本精神は、 自らの言説については、そのよってたつ根拠と推論の形式を常に明らかにし、他者の言説に対しては、それを注意深く扱いつつ、肯定できる部分は受け入れ、否 定すべきあるいは批判すべき部分については、その根拠を明らかにしつつ批判するという態度である。そしてこの作法以外の余計な社会的拘束を出来るだけ排除するということである」。(福島真人「早池峰、ガラパゴス、ユルゲン・ハバーマス」p.62,1991)出典:「討論の作法


・【結論】山口の反論は、本多の問題提起に、論理的にも、倫理的的にも適格に答えていない。
・山口の反論の「失敗」の理由は、1)それまでの山口が受けてきた反人類学の言説に対する反論を、本多にぶつけるという論証上の技巧(修辞)の欠陥、2) 本多が所属する大朝日が反省もせず反人類学の論陣を張ることは許せないという感情的反発で冷静になれなかった、3)本多の些か焦点のボケた最初の問題提起 (「調査される者の眼」)のどの部分に、現役の文化人類学者が対応するかという論争の論点を焦点化できなかった——ディベートの手法について学んだ現在の学生では「相手の論点を焦点化し、それ以外のことには触れないというのは」反論を正当化する基本的な作法と言われている。
・それでもなお、山口と文化人類学の倫理的立場を擁護するとすると、その意義は、4)植民地主義の落とし子という汚名にまみれた文化人類学(社会人類学、 民族学を含む)が、脱植民地の時代に向けて今後の文化人類学のあり方を具体的な命題化はできなかったものの、それまでの反人類学言説に対して論駁するもの の萌芽であったという点で一定の評価はできる——ただし、それは本多への反論ではない形でおこなうべきであった。5)当時の(部落問題差別の)「糾弾」や 「大衆団交」という、弁論によるリンチがまかり通る状況のなかで山口が反論の狼煙をあげたのは、ある意味で勇気がある——ただし本多の立論を、人類学に対 する「糾弾」と取り違えたふしがあり、糾弾の強い論調には同じ強い論調(人格攻撃を含む)がニュアンスとして含まれていたことは残念だ。


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