HIV/AIDS
ヒト免疫不全ウィルス感染症/エイズ
解説:池田光穂
後天性免疫不全症候群(こうてんせいめんえきふぜんしょうこうぐん Acquired immune deficiency syndrome, AIDS(エイズ))は、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)が免疫細胞に感染し、免疫細胞を破壊して後天的に免疫不全を起こす疾患である(ウィキペディ ア;https://en.wikipedia.org/wiki/HIV/AIDS)。 ここまでは正しい。しかしながら、ウィキペディア(日本語)がその直後に指摘するような「性感染症の一つ」という表現は根本的に誤りで ある。とりわけ我が国には「薬害エイズ」という傷害事件がおこったことを忘れてはならない。また、医療現場で、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)への血液あ るいは粘液から直接、注射針等による誤針差しなどから感染することもある。また、母子感染——つまり出産時における母子の間の垂直感染もあり、これらも性 行為を媒介する疾患(STD)ではない。
” a disease of the human immune system that is characterized cytologically especially by reduction in the numbers of CD4-bearing helper T cells (ヘルパー/インデューサーT細胞)to 20 percent or less of normal rendering the subject highly vulnerable to life-threatening conditions (as Pneumocystis carinii pneumonia) and to some that become life-threatening (as Kaposi's sarcoma) and that is caused by infection with HIV commonly transmitted in infected blood and bodily secretions (as semen) especially during illicit intravenous drug use and sexual intercourse” - (Merriam-Webster Online Dictionary, http://www.m-w.com/)
HIV研究(略史)——ウィキペディア日本語など
1983年に、パスツール研究所のリュック・モンタニエとフランソワーズ・バレシヌシらによって
エイズ患者より発見され「LAV (Lymphadenopathy-associated
virus)」と命名された。1984年に、アメリカ国立衛生研究所(NIH)のロバート・ギャロらも分離に成功しており、「HTLV-III
(Human T-lymphotropic virus type
III)」と命名した。続いて、カリフォルニア大学サンフランシスコ校のレヴィらも分離に成功し、「ARV (AIDS-associated
retrovirus)」と命名した。LAV、HTLV-IIIおよびARVは、のちにいずれも同じウイルスであることが明らかとなりHIV-1と改称さ
れ、1985年には、モンタニエらが、エイズ患者から新たな原因ウイルスを分離し、「LAV-2
(Lymphadenopathy-associated virus-2)」と命名し、LAV-2はその後HIV-2と改称された。
最初の発見者をめぐって、モンタニエとギャロの仏米の研究チームが長年にわたって対立し、1994年に両者がともに最初であるとして決着したが、長期の対
立はエイズ治療薬の特許が絡むもので、治療薬の発売を遅らせないための政治的決着であった。2008年10月6日、フランスのモンタニエとバレシヌシの2
人がウイルスの発見者として、2008年のノーベル生理学・医学賞を授与された。
●デュースバーグの異端説
カリフォルニア大学バークレー校教授のピーター・デュースバーグ (Peter Duesberg) などのように、AIDSの原因がHIVであると認めないエイズ否認主義は科学界で明確に否定されている[2]。ピーター・H・デュースバーグ(Peter H. Duesberg)は、ドイツ系アメリカ人の分子生物学者で、カリフォルニア大学バークレー校の分子・細胞生物学教授である。癌の遺伝的側面に関する初期 の研究で知られる。HIVはエイズを引き起こさないとするエイズ否定論(debunked claim)の提唱者である。デュースバーグは癌遺伝子と癌の研究で早くから高い評価を受けていた。1970年、ピーター・K・ボグトとともに、鳥類のが んを引き起こすウイルスが、がんを引き起こさないウイルスに比べて余分な遺伝物質を持っていることを報告し、この物質ががんに貢献しているという仮説を立 てた[1][2]。 36歳のとき、カリフォルニア大学バークレー校の終身教授に就任し、49歳で全米科学アカデミー会員に選出された。1986年には米国国立衛生研究所から 優秀研究者賞を受賞し、1986年から1987年までメリーランド州ベセスダのNIH研究所でフォガティ奨学生として滞在した。
Long considered a
contrarian by his scientific colleagues,[3] Duesberg began to gain
public notoriety with a March 1987 article in Cancer Research entitled
"Retroviruses as Carcinogens and Pathogens: Expectations and
Reality".[4] In this and subsequent writings, Duesberg proposed his
hypothesis that AIDS is caused by long-term consumption of recreational
drugs or antiretroviral drugs, and that the retrovirus known as 'HIV'
is a harmless passenger virus. In contrast, the scientific consensus is
that HIV infection causes AIDS;[5] Duesberg's HIV/AIDS claims have been
addressed and rejected as erroneous by the scientific
community.[6][7][8] Reviews of his opinions in Nature[9] and
Science[10] asserted that they were unpersuasive and based on selective
reading of the literature, and that although Duesberg had a right to a
dissenting opinion, his failure to fairly review evidence that HIV
causes AIDS meant that his opinion lacked credibility.[10][11] |
科学者仲間からは長い間、異端児とみなされていたデュース
バーグは、1987年3月に『Cancer Research』に発表した「Retroviruses as Carcinogens and
Pathogens」という論文で世間に知られるようになった[3]。この論文とその後の著作で、デュースバーグは、エイズは娯楽用麻薬や抗レトロウイル
ス薬の長期摂取によって引き起こされ、「HIV」として知られるレトロウイルスは無害なパッセンジャーウイルスであるという仮説を提示した[4]。これに
対し、HIV感染がエイズを引き起こすというのが一般的な科学的合意事項である[5]
。デュースバーグのHIV/AIDSに関する主張は科学界で取り上げられ、誤りとして否定されている[6][7][8] 。
Nature[9]やScience[10]で発表した見解のレビューでは、説得力がなく文献を選択的に読んだことに基づいており、反対意見を述べる権利
はあるがHIVがエイズを引き起こすという証拠について公正な評価をしなかったことから彼の意見は信頼性が欠けていると主張する[10][11]。 |
Duesberg's views are cited as
major influences on South African HIV/AIDS policy under the
administration of Thabo Mbeki, which embraced AIDS denialism. Duesberg
served on an advisory panel to Mbeki convened in 2000. The Mbeki
administration's failure to provide antiretroviral drugs in a timely
manner, due in part to the influence of AIDS denialism, is thought to
be responsible for hundreds of thousands of preventable AIDS deaths and
HIV infections in South Africa.[12][13] Duesberg disputed these
findings in an article in the journal Medical Hypotheses,[14] but the
journal's publisher, Elsevier, later retracted Duesberg's article over
accuracy and ethics concerns as well as its rejection during peer
review.[15][16] The incident prompted several complaints to Duesberg's
institution, the University of California, Berkeley, which began a
misconduct investigation of Duesberg in 2009.[17][18] The investigation
was dropped in 2010, with university officials finding "insufficient
evidence ... to support a recommendation for disciplinary
action."[19][20] |
エイズ否定論を掲げたタボ・ムベキ政権下の南アフリカ共和国の
HIV/AIDS政策に大きな影響を与えたとされるデュースバーグの見解。2000年に開催されたムベキの諮問委員会にも参加している。エイズ否定論の影
響もあり、ムベキ政権が抗レトロウイルス薬をタイムリーに提供できなかったことが、南アフリカにおける予防可能な数十万人のエイズ死亡とHIV感染の原因
と考えられている[12][13]。 デュースバーグはこれらの発見に対して雑誌『Medical
Hypotheses』の論文で反論したが、同誌の発行元エルゼビアは後に正確さと倫理的問題、さらにピアレビュー時の拒否によりデュースバーグの論文を
撤回している[14]。 15][16]
この事件はデュースバーグの所属するカリフォルニア大学バークレー校に複数の苦情をもたらし、同大学は2009年にデュースバーグの不正行為の調査を開始
した[17][18]。大学当局は「懲戒処分の勧告を支持するには...
証拠不十分」と判断し、調査は2010年に取り下げられた[19][20][21]。 |
https://bit.ly/3w6NC7f |
https://www.deepl.com/ja/translator |
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その他の情報
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