文化人類学の外延
ostranenie(
XXXX) and cultural anthropology
文化人類学の概念的な外延(denotation)とはなんであろうか。
内包(connotation)は、文化人類学とはな になにである、という事物のすべてにはて はまる性質を表現するものである。外延(denotation)とは、その言葉で示される条件にすべて入る具体的なものを言う。例えば、金属の外延は、鉄 や銅など、あらゆる具体的な 金物(かなもの)がそれに含まれる。従って、先の、外延で示されたものは、すべて内包で表現されるような性格を備えていることである。金属の内包は、熱や電 気を通し、強度があり、延性や展性をもち、常温では個体である光沢をもつものということがある(水銀などの例外があるが、ここではそれらを 考えない)。
いっけん外延のような説明として「文化人類学者がやっている学問が文化人類学だ」というものがあるが、これは同語反復(どうごはんぷく)と いって何も説明していない。なぜなら、「じゃ文化人類学者はどう定義されるのか?、それは文化人類学という学問をやっている人だ。では文化人類学という学 問は?、文化人類学は……(先の説明の繰り返し)」という説明がどうどうめぐりして何も説明できない。
文化人類学の外延を引き出すひとつの方法は、その学問(=文化人類学)をやっている人たちが紡ぎ出す学問上の生産物から導きだすことであ る。文化人類学者とよばれている人たちは以下のようなことをやっている。
大学の一般教育ないしは教養教育をうけた人たちは、文化人類学者ってどんな連中のことだろうと話し合いをした時に次のようなイメージを紡ぎ だした。
1.彼/彼女らは〈調査〉と称して、自分の住んでいるところとは異なる土地や異なった生活を している人のところに赴いている。これをフィールドワークと言うらしい。 2.彼らは/彼女らは、自分たちの調査の記録にもとづいて〈民族誌〉と呼ばれる報告書を書 く。あるいは、調査にもとづいて〈民族誌学上の議論〉とよばれる討論をおこなったり、それにもとづいた論文を書いている。 3.彼/彼女らは、他の人文学や社会科学の研究者と同様、大学などで教えている。 4.彼/彼女らは、異文化の理解や、比較文化などを検討する集まりには、専門家として意見を 述べているようだ。 5.彼/彼女らは、よく授業などでは文化相対主義の重要性を説くが、学生からみると、結構、 自民族中心主義的な態度も日常生活では抜けきらないようだ。 6.以上のことを総合すると、人類学の教師は学生たちに自分たちがもつ認識論上の傲慢さに対し
て、〈他者との邂逅=かいこう[出会い]〉を通して、自己の認識を反省させるという学問だと教えているのだが、このことはなかなか困難で、教師ですらその
傲慢さの罠(ドクサという)にひっかかる学問のようだ。 |
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1.彼/彼女らは〈調査〉と称して、自分の住んでいるところとは異なる土地や異なった生活を している人のところに赴いている。これをフィールドワークと言うらしい。
2.彼らは/彼女らは、自分たちの調査の記録にもとづいて〈民族誌〉と呼ばれる報告書を書く。あるいは、調査にもとづいて〈民族誌学上の議論〉とよ ばれる討論をおこなったり、それにもとづいた論文を書いている。
3.彼/彼女らは、他の人文学や社会科学の研究者と同様、大学などで教えている。
4.彼/彼女らは、異文化の理解や、 比較文化などを検討する集まりには、専門家として意見を述べているようだ。すなわち、文化人類学者とは、人間の文化(カルチャー)の専門家としてみなされているようだ。
5.彼/彼女らは、よく授業などでは文 化相対主義の重要性を説くが、学生からみると、結構、自民族中心主義的な態 度も日常生活では抜けきらないようだ。
6.以上のことを総合すると、人類学の教師は学生たちに自分たちがもつ認識論上の傲慢さに対し
て、〈他者との邂逅=かいこう[出会い]〉を通して、自己の認識を反省させるとい
う学問だと教えているのだが、このことはなかなか困難で、教師ですらその傲慢さの罠(ド
クサという)にひっかかる「へんてこな」学問のようだ。
史上最低/最高の文化人類学の授業とはなにか?(ポータルペー ジ)