民主的相対主義
democratic relativism is oxymoron
理性とか合理性を信じる人がしばしば頑迷になるのは、自分のほうから振ってしまう勇気もなく、また理性や合理性が自分以外の人を愛する嫉妬感情に耐えられないからだ。すなわち頑迷な理性主義者というのは撞着語法なのだ。
もし民間療法についての医療人類学の学問的解説が、いかがわしいインチキではなく、正しく学問する対象として認められるようになった社会的要因 について恩恵を被っているとすれば、その感謝はまず、パウル・ファイヤアーベント(1924-1994)に捧げられるべきであろう。なぜなら、彼は『自由 人のための知』(1980)において正統派の医学(西洋近代科学であり現在では生物医学=バイオメディシンがその位置を占めている)は、国家権力と結びつ き、特権的価値が与えられていることを[イバン・イリッチ(1926-2002)とは異なったかたちで]告発したからである。正統医学はひとつの知的伝統 をもつのであれば、非正統医学もまた同等に取り扱わねばならないからである。国家権力への布置によるこの知的バイアスを修正する思考装置のことを彼は後に 「民主的相対主義」(邦訳 1992:61-71)と呼ぶようになる。
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