医療の不確実性
Uncertainty of medicine, medical practice and sciences
解説:池田光穂
すべての医療は不確実である。なぜなら、おしなべて継続中の個々の人体実験である——確実性ではなく蓋然性に支配される——という性質(運命) から逃れられないために、医療には不確実性があると言わざるをえない。
にもかかわらず、近代医療はさまざまな「治療の神話」を人々に提示することを通して医療が不確実であることを、外部の人たちに長い間伝えること を怠ってきた。(その点では歴代の近代医療の従事者には不誠実であった)
しかし、実際の臨床の現場では、医療の不確実性は自明であり、それ自体は特段問題にされなかった。
しかし1980年代以降、医療(とくに治療検査に関する)情報のネットワーク化と、利益得失の経済的思想が医療実践にも反映されることで、一種 の情報論革命がおこり、1992年には「根拠にもとづいた医療 Evidence-Based Medicine, EBM」という用語が登場するにいたった[→関連リンク]。
そこで明らかになったのは、素人からみて医療には確実な効果が期待できるものと、そうではないものが明確に区分されるものがあることが明らかに なった。
他方、素人には医療には不確実なものがある、あるいは、治療の確実(期待)性に対して「治るか治らないか」という二者択一の世界を生きている患 者およびその家族がいる一方、治療する側からみれば、治療の効果は確率的な問題であり、またその判断には時間経過とも深く関わるという「現場感覚」があ るために、この「医療の不確実性」という命題は、両者の間の齟齬の根元的理由を表すものとして、このことを理解することは重要な課題になってきた。
中川米造(1926-1997)はがんで亡くなるちょうど1年前に 『医学の不確実性』(日本評論社、1996年9月)を出版しており、晩年の彼の関心がここにあったことを示している。その著作における各章のタイトルは以 下のとおりであるが、中川は、医療(医学)における不確実性は避けられないことを自覚した上で、医療を自然科学の実践から人間同士のコミュニケーションと いう相互行為の観点から医療(医学)を捉え直そうとしている点で興味深い
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文献
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099